背後から大きな声がした。聞き覚えのある、いや、聞き覚えさせられた、と言う方が自分の  
印象にはより近い少女の声が、語気も荒く自分に近づいてくる。  
 ああ、不幸だ、と呟きながら少年は振り向いた。  
 
「………ビリビリ言うなっ! また! また言ったわね! あ、アンタねえ、は、初めて会ったと  
きから……そう言えばその次も、そのまた次も、それからその次も、えっと、ちょっと! 26回  
会って26回ともビリビリって呼んでるじゃないの! わ、私には―――」  
 よくもまあ、そんな下らないことを覚えていたものだ。26回、だって? と、言うことは――つ  
まり、今までに26回この少女に絡まれた、と言うことか。自分から話しかけたことなんか無いも  
んな……と、目の前で必死にわめき立てる常盤台中学の制服姿の少女を見下ろしながら、  
上条当麻は溜息を吐いた。  
 今回だって、こっちから声をかけたのではない。用もないのに、そんなことなどしない。用が  
出来ることも、たぶん無い。  
 深い溜息がまた沸き上がってくるのを感じつつ答える。  
 
「御坂美琴、って言う名前があるんだろ」  
 
 その言葉に虚を突かれたのか、目の前の少女――御坂美琴はぴた、と瞬間動きを止め、目  
を見開いて上条を見つめ返した。  
 その顔が、少し紅潮しているように見える。  
「わ、判ってるんだったらなんでビリビリ言うワケ? 嫌がらせ? 勝者の余裕ってやつ? 良  
い? 私はアンタに負けたなんて、だって、一発も、」  
 再びオーバーなアクションを交えながら声を上げ始めた少女を見ながら上条の肩にのしか  
かるのは、なんだか猛烈に疲れたような感覚だ。美琴が不自然に頬を染めていることとか、  
リアクションがさらに大げさになったこととか、そう言ったことには上条は気付かない。  
(名前を言ったら言ったで怒るのか…………結局、一緒じゃん)  
 やっぱり溜息が漏れるのを押さえられないまま、上条はひらひらと手を振って美琴の言葉を  
遮って口を開く。  
「はいはい判った判った判ったから。じゃあさ、お前は俺になんて呼ばれたいんだ? ……学  
園都市第3位の超能力者・御坂様? スーパー電撃少女ちゃん? 常盤台のエース、御坂美  
琴お嬢様? ちょっとくだけてミコちん、とか? あ、そうだ、超馴れ馴れしく―――」  
 そう言いながら、上条の頭の中をとりとめのない思考が駆け巡る。  
 毎度毎度雷撃を飛ばしながらやってくるこの少女に、ちょっとうんざりしていたのは事実だ。  
 絡まれるようになったその原因にしたって、全面的に自分が悪いとは思わないし、本当にど  
うしてこの少女は『無能力』以外の判定を出したことのない、というか、あらゆる判定に掠りも  
しなかった自分をこんなに目の敵にするのだろう。  
 ちょっとくらい、からかってみても良いよな、どうせ追っかけられるのは既定の路線だし……  
 と、上条当麻は自分の顔を思い切り美琴の耳元に近づけた。  
 少し声のトーンを落として、息を吹きかけるように囁く―――――。  
 
 
 
 正直言って、御坂美琴は勝ったとか負けたとかは結構どうでも良いような気がしていた。  
 でも、あいつはやっぱり何時まで経っても自分を子供扱いしている風にしか見えない。それ  
が、許せないのだ。いつもいつも溜息を吐いて自分を見下ろし、挙げ句の果てには、  
「お前の勝ちにしとけばいいじゃん。はいはい、わたくし上条さんレベル0ですからレベル0。  
敵うわけ無いもんなー、学園都市第3位さまに」  
 などと吐き捨ててさっさと立ち去られたことさえある。あれは本当に屈辱的だったし、何にも  
してないのに完膚無きに伸されたような感覚がしたのも腹立たしい。  
 ……腹立たしい、と言えば。  
「なんだ? ……………あー、またお前かビリビリ中学生」  
 これだ。  
 これが、一番堪える。  
 男だ女だレベルいくつだ、以前の問題だ。何せ、自分のことをゲームの電気ネズミか何かと  
同じ程度に見なしているのだ。こんな風に自分を呼ぶのは、もちろんこいつしかいない。  
 上条、当麻。  
 何度雷撃を喰らわせてもまるで無傷、というか、微かにでも効いた感じがしない。  
 とにかく、自称レベル0――事実レベル0らしい――のこの高校生を負かせてやりたかった  
のだけれど。  
 最近は、自分を子供以外の何者にも見なさないことを訂正させたいがために突っかかって  
いるような気も、する。そうして今日の放課後、ようやく見つけた上条が、  
「御坂美琴、って言う名前があるんだろ」  
 自分の名前を呼んだ。  
 芯から、震えた。  
 込み上げてくる何かに顔が赤くなる。訳がわからない。頭の片隅で、余計に子供っぽく見え  
ちゃう、と思いながらも、オーバーに手足を動かすのが止められない。しかも、どうして自分は  
またこいつに口答えをしているのだろうか。そんな中、かろうじて聞こえた上条の声。  
「じゃあさ、お前は俺になんて呼ばれたいんだ?」  
 え、と動きが止まって、その空白を突くように上条が唇を耳元に寄せ、その吐気とともに全身  
に響く上条の声。  
 
「み、こ、と……?」  
 
 耳から流れ込んだ上条の声が頭の中で鐘のように響く。背中を痺れが疾走って、一度全身に  
 散った痺れが今度は手指の先から、つま先からビリビリと帰ってきて、ずん、と下腹部に響く。  
 
 じゅん、と美琴の雌が疼いた。  
 
 押さえることの出来ない本能の部分で、目覚め始めていた雌が騒ぐ。沸騰するのではない  
か、というほどに頬が火照るのを感じて、他のありとあらゆることが出来ないままに、美琴は  
両手でその火照る顔を覆って隠した。  
「………あれ?」  
 上条の声が聞こえる。耳に入ってくる声が、なぜかさらに痺れを呼ぶ。だめ、このままじゃ、  
立っても居られなくなる―――そう思った瞬間、脚が勝手に駆けだした。  
 上条の顔? 見られるわけがない。声? これ以上、我慢できない。触れられたことさえない  
けど、もし、もし、今あいつに触れられたら。  
 御坂美琴には、もはやここから逃げ出す以外の選択肢は有り得ないのだった。  
 
 
 
「おーい………………」  
 突然、両手で顔を覆って御坂美琴が踵を返した。そのまま、もの凄い勢いで走り去る。  
「……やっぱ、まずかったのか……? う……」  
 あれでもし、猛烈に怒らせたのだとしたら……この次は、一体どうなるのだろう。  
 
 上条当麻は、自分の悪戯を深く深く後悔した。明日の不幸を呪いながら。  
 

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