ここはロシア成教『殲滅白書(Annihilatus)』の営舎の一室。サーシャ=クロイツェフにあてがわれた彼女専用の個室である。
彼女は、部屋に入るとまず腰に下げていた武器の中からバールを手に取ると、クローゼット、洗面所、バスルーム、ベッドなどと人の隠れられそうな場所をくまなくチェックしてゆく。
自室でこのような事をするのは決して彼女の職業柄――ゴーストバスターズ――からでは無い。
日々彼女にセクハラ行為を強いる上司・ワシリーサのせいである。
今彼女が着ている戦闘服――とワシリーサは呼んでいる――からして、ワシリーサのセクハラ行為の一旦である。
この服装一つで彼女がどれだけの誤解を受けた事か、それを思い出すたびにサーシャはあの変態女上司に明確な殺意を覚えるのだ。
サーシャは室内の確認が終ると、手にしたバール、腰に下げたその他の拷問道具、首輪と順番に取り外してはテーブルの上に並べてゆく。
次に真っ赤なフードと、同色のマントをベッドの上に脱ぎ捨てて身軽な服装になった。
とは言えその格好はまだ、妙齢の女性が勝負の時に着る肌着のようにシースルーになったインナーと、全身を拘束する重厚な黒皮のベルトであり、小柄な彼女に凄惨な印象を与えている。
これなら裸の方がまだマシだと思うのだが、自室とて安心できないのは先程の通りだ。
とりあえず一服しようとサーシャはキッチンでお湯を沸かし始めるとティーセットを用意する。
キッチンでちょこまかとサーシャが動き回ると彼女のゆるいウェーブのかかった長い金髪がふわふわと揺れる。
服装にさえ目を瞑れば、可愛らしい少女が家事をこなす姿は何とも微笑ましい。
程なくしてお湯が沸くとそれをティーポットに移したサーシャは、他のティーセットと、何故かブランデーのボトルをお盆に載せると自室に移動する。
それらをテーブルの上に置いて、サーシャはティーカップに紅茶を注いでゆく。
すると紅茶の芳しい香りが部屋中に広がり、サーシャも少し緊張が取れたのかほっと小さくため息をついた。
サーシャは、ティーカップに3分の1ほど紅茶を注いだ所で手を止めると、今度はブランデーのボトルを手に取ってティーカップが並々と注ぐ。
そして、ちょこんと椅子に座ると、ティーカップの中身を半分ほどぐいっと煽る。
「…………」
サーシャは神妙な面持ちで、自分が半分の身干したティーカップの中を覗いた。
そして、おもむろにブランデーの瓶をティーカップを持った手とは逆の手に持つと、ティーカップにブランデーを再び並々と注いだ。
それを今度は一気に全て煽ると、そこでティーカップをテーブルの上に置いて首をかしげた。
「第一の疑問ですが、ブランデーの味がおかしいです。補則して解説しますと、普段私が飲むものより高級な味がしました」
そこでサーシャはふとワシリーサの言葉を思い出した。
それはつい先程、任務を終えたサーシャが、上司であるワシリーサのもとに帰還及び作戦結果の報告に訪れていた時の事。
『サーシャちゃん、今回は1人でお仕事ご苦労様ー。じゃ、報告は後で報告書にして提出して今日はこれで上がって頂戴。』
『第一の回答ですが、了解しました』
ワシリーサの言葉で、退出しようと背を向けたサーシャの背中に、再びワシリーサが声を掛けた。
『あ、待って。それとねぇ』
『第一の質問ですが、何でしょうか』
もったいぶったワシリーサの声に、何の感情も見せずにサーシャは答えると、ワシリーサは満面の笑みでこう付け加えた。
『頑張ったサーシャちゃんにご褒美よん♪ お部屋に用意したから楽しんでねー』
「第二の疑問ですが、ワシリーサの言ったのはこの事でしょうか」
もう一度ブランデーのボトルを手に取る。
外見はいつもサーシャが愛飲しているブランデーのボトルと変わりが無い。と言うことは中身だけを入れ替えたのだろう。
それならボトルごと置いてゆくかすればよい物を、何ゆえこの様に手の込んだ事をするのだろう。
いや、あの根性が螺旋階段のように捻じ曲がったワシリーサの考える事だからよく判らない。
それよりも、味が良かったとは言え2杯も飲んでしまったサーシャの心には一抹の不安がよぎった。
「第三の疑問ですが、いくらワシリーサでも身内に毒を盛るような事は無いと思います」
サーシャはそうひとりごちると、椅子から降りてティーセットをキッチンに戻した。
そしてクローゼットから着替えを取り出すとそれを持ってバスルームに向かった。
暫くの間、無人の室内にはバスルームの方から漏れてくる金属が擦れるような音が微かに聞こえていた。
しかし、それは突然の低い衝撃音と共に、木材とへし折れるような音と、何かがばらばら落ちる音に取って代わる。
その破壊音の発生源たるバスルームからサーシャが何事も無かったように現れた。
服装も先程のままの彼女は、ベッドの上に脱ぎ捨てたマントとフードを身に付けると、テーブルの上の武器を一つ一つ腰に挿してゆく。
その姿は一見何の変哲も無いようだが、鬼気迫る雰囲気はまさに死地に赴くそれである。
最後にバールを手にしたサーシャは、それを腰に挿さず手に持ったままドアに向かった。
そして大きく振りかぶると、バールをドアに叩き付けた!
すると、バールを叩きつけられたドアは重々しい衝撃音と共に蝶番や鍵などを撒き散らしながら粉々に消し飛んだ。
埃の舞う、廊下にゆっくりと姿を現したサーシャは、バールを水平に翳すと走り出した。
すると、廊下の奥の方から再び何かを破壊する大きな音が響き渡った。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
自身の執務室で書類に目を通していたワシリーサは、丁度正面に位置する扉が大きな音と共に粉々になりながら自分に向かって飛んできても書類から顔を上げなかった。
そして、扉の無くなった入り口から、バールを片手に持ったサーシャが入ってきてもそれは変わらなかった。
「あら、サーシャちゃん。血相変えてどーしちゃたのー?」
ワシリーサは相変わらずサーシャの方は見ずにしれっとそんな事を言う。
すると、ある程度の位置で立ち止まったサーシャはワシリーサに答えるように、
「第一の質問ですが、この服は一体何ですか」
「あらぁー、新作は嫌だって言うからぁ、今着てるのを改良したのよー。やっぱりサーシャちゃんには薄幸そうなその衣装ゴブワッ!?」
次の瞬間、ワシリーサの目の前のデスクに向かってサーシャがバールを振り下ろした。
先程にも勝る破壊音が響きデスクは足が全てへしおれた上に真っ二つになる。
ワシリーサは衝撃の余波を受けて、椅子ごと壁まで飛ばされていたが特に怪我などは負っている様子は見えない。
「第二の質問ですが、さっさと鍵を渡してくださいクソ上司。付け加えて解説しますと、即刻鍵を渡さないとこちらにも覚悟があります」
椅子に座ったままのワシリーサに向けて、サーシャは淡々と、しかし有無を言わせぬ迫力で言い渡す。
しかしワシリーサの方は、最初は驚いたように目を丸くして居たが
「あらー、新調したデスクが真っ二つに……。もー、備品は大切にっていつも言ってるのになー。何々ー、どーしちゃったのかしらー? 益々深刻そうな顔になっちゃって。もぅ、そんなお顔もとってもキュートよん♪」
いつものにこやかな顔をサーシャに向ける。
「第一の解答ですが、この鍵付きのベルトが外せないので服を脱ぐ事が出来ません」
サーシャは皮ベルトの一部を掴むとぐいと引っ張る。
すると、殆ど遊びが無い皮ベルトは箇所が引き絞られて幼い体に無残に食い込んでゆく。
「あらあら、まぁまぁー♪」
「重ねて第一の解答ですが、服が脱ぎたいので鍵を渡してください」
涎を垂らさんばかりに身を乗り出すワシリーサに、すぐさまベルトから手を離してマントで体を覆い隠したサーシャは、再度ワシリーサに詰め寄った。
「いいでしょーそれぇ♪ 貞操帯の機能を付けたのよー。これでサーシャちゃんの初めては私のうふえへへへ」
サーシャの呼びかけを無視するかのように、ワシリーサはひとり夢見心地で椅子の上でくるくる回る。
そんなワシリーサを暫くじっと見つめていたサーシャは、破壊したデスクの片方をバールに引っ掛けると、そのままワシリーサに投げつけた。
凄まじい破壊音が三度響き渡りデスクの片割れは粉々になった。
しかし、相変わらずワシリーサは椅子の上に座っており、優雅に足を組み替えたりなんかしている。
やはり正面からワシリーサに対しても全く効き目が無い。
これではただの八つ当たりで、全く解決にならないと感じたサーシャは次の手に出ることにした。
「第三の質問ですが、貴様の考えがよく解りました。補足して解説しますと、この事をニコライ=トルストイ司教様に報告して――」
「あらぁ、サーシャちゃん。それまでに間に合うのかしらー?」
「!?」
新たな手段に出たサーシャを前に、ワシリーサは余裕を持ってその言葉を遮った。
それもその筈、今まで目の前で元気に暴れていたサーシャが突然膝を着いたのだ。
サーシャは自分の体の状態を確かめようと必死に頭を巡らす。
「あらあら、力が入らない? あらあらあらー、震えちゃってどぉーしたのかなー?」
「!!」
そんなサーシャの耳元にワシリーサの声が振ってきた――と思った次の瞬間、背中からぎゅっと抱きしめられた。
「だ、第四の質問ですが、私のブランデーに何か混入しましたか」
全身に立つ鳥肌とか悪寒を抑えて、サーシャは搾り出すように言葉を紡ぐ。
「たっぷりの愛と、ほんのちょっぴりのび・や・く♪」
「第五の質問ですが、そこまで堕ちたのですか変態クソ年増」
顔は見えずとも、声音からきっと満面の笑みを湛えているであろうワシリーサに向かって、サーシャは吐き捨てるように言った。
「あらあら、今は誉め言葉と取っておこうかしらー」
そんなサーシャの挑発の言葉にもワシリーサは更に笑みを深くする。
そして、程なくしてサーシャの手からバールが滑り落ちて、乾いた金属音が響く。
「じゃあー、サーシャちゃあん、観念しまちょーねー♪」
ワシリーサは、荒い息継ぎをするサーシャを人形のように抱きかかえると扉の無くなった出入り口を潜って出て行った。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
大浴場の広い洗い場に2つの影が見える。
たっぷりのお湯から立ち上る湯気に隠れながら、小さな影に寄り添うように大きな影が張り付いている。
「どう、サーシャちゃん、痒い所はないかしらー?」
頭にタオルをぐるっと巻いたワシリーサは、年相応の脂の乗った白い肌を惜しげもなくさらしながら、目の前の泡の固まりとなったサーシャの頭を両手で優しくくしけずる。
「第一の質問ですが、一緒に入浴する為だけにこの騒動は一体何なのですか」
「あら!? サーシャちゃんは私がお願いしたら一緒にお風呂に入ってくれるのかしら」
サーシャの呆れたような声に、ワシリーサは楽しそうに答える。
「だ、第一の解答ですが、貞操の危機を感じますので丁重に辞退させていただきます」
ワシリーサのあまりのノリノリぶりに言葉を詰まらせるサーシャ。
そんなサーシャに畳み掛けるようにワシリーサは泡だらけのサーシャの髪を指ですきながら、
「でしょ、でしょー。私は一度ねー、サーシャちゃんのこの綺麗な金髪を洗ってあげたかったのよねー」
「第二の質問ですが、その為だけに私に媚薬をのませたのですか」
そんなワシリーサの言葉に憤りを顕にサーシャは言葉を返す。
「たまたまあれしか手に入らなくてねー。何々、体のほてりが納まらなかったらいつでも言って。上司たるもの部下の欲求不満の一つや二つ――」
「だ、第二の解答ですが、丁重にお断りします。付け加えて解説しますと、他の男性にでも言ったら喜びます」
大きな二つの膨らみを背中に感じて、サーシャは訳もなくドキドキしてしまう自分に戸惑う。
「駄目駄目駄目ー、女の子は天使なのよ、男なんて汚れたものに触れられるなんて考えられないわよー」
「第三の質問ですが、本気で言っている所が怖いです」
「ま、そんな事どっうでもいいじゃない。さ、流すわよ、サーシャちゃん、痛い痛いだから目ぇ瞑ってねー」
「第三の質問ですが、私を子ども扱いしていませ――」
サーシャの不服そうな響きを含んだ言葉は、シャワーの音にかき消された。
END