暗闇の中で人間の下顎と思しきモノを見つけた瞬間、私の中の飽和していた恐怖が一気に溢れ出した。
マスクをしているのも忘れて胃の内容物を吐き出した私は、息苦しさにマスクを外すとその場に放り出してうずくまった。
そして、げほげほと咳を繰り返しながらも気道を確保しようとしたのだが、息苦しさは一向に解消されない。
酸欠はどんどん進んで段々頭がくらくらしてくると、それに合わせて世界が歪んで見えて来た。
そうしたら急にこの状況が可笑しくてたまらなくなって来て、そう思ってしまうともう止まらなかった。
私は自分の吐いた吐しゃ物にまみれてげらげら笑った。
こんなに笑ったことなんて生まれて初めてでは無いだろうか?
笑えば笑うほど世界はぐにゃぐにゃに歪んで、状況はどんどん判らなくなる。
(本当は、直にここを移動しなければいけないのに――)
まだ残っている冷静な部分では次の行動を指示するのだが、現実の私はすっかり恐怖と狂気に支配されてしまっていた。
何故こんな事になったのだろう?
全ては目的の為と幾人もの命を無慈悲に奪って来た。
いつか目的が果たされたなら全ての罪を償う。そうすれば私の罪は赦される――そう思うことで、非人道的な行為の繰り返しに挫けそうになる心を必死に鼓舞して来た。
しかし今思うとその考えは甘かったと言わざるを得ない。
いや、あえてその部分は考えないようにしていたのかもしれない――目的を達する前に、私の罪(つけ)に支払期限が来てしまうかも知れない事を。
大体そういう時って、死神(とりたてや)はこっちの都合なんて考えてくれる訳は無いのだ。
掃き溜めに落ちて最初に学んだ事を思い出す。
『目標を認めたら、速やかに殺す』
私が速やかに殺すべき相手は誰だったのだろう?
でも今更そんな事を考えてももう遅いみたい。
だってほら、私の後ろに死神(とりたてや)が来たわ。
『犬に堕ちて』
薄暗い廊下を歩いて1つの部屋に到着した私は、大きく間を空けて2度ノックしてから返事を待たずに扉を開けた。
廊下より幾分かマシな照明の中に窓の無い1DKの部屋が照らし出される。
その部屋の一番奥のベッドの上に誰かが膝を抱えて座っている。
「ナンシー」
私は壁を先程と同じように2度ノックしてからナンシーに呼びかけた。
しかし返事は帰って無い――ま、いつもの事だ。
私はつかつかと彼女の座っているベッドまで近づいた。
肩までで切りそろえられた黒髪に、日本人特有の肌理(きめ)の細かい肌。
これで『ナンシー』なのだから木原さんのセンスも大したものだ。
そんな私だって素顔は何処から見ても日本人なのに『ヴェーラ』なのだから人の事は笑えない。
「ナンシー、眠れないの?」
「ヴェーラ、来てたの?」
物憂げに私を見上げるナンシーに私はそっと口付けをする。
「そんなにぼっとしてたら死んじゃうよ?」
「ああ、その時はよろしくね」
そう言ってナンシーは口元だけで笑う。
「大丈夫。その時が来たらちゃんと、ね」
私もそう言って笑い返す。
私たちの言う『その時』とは、死に切れなかった時の事。
木原さんは怖い人だ。
敵も味方も生きている限り彼の役に立たなければいけないらしい。
それは、おとりだったり弾除けだったり実験だったり気晴らしだったり。
実は、現場での戦死者より木原さんのおもちゃになった数の方が多いのではないかしら?
とにかく我々にとって中途半端に生き残るのは死ぬよりも恐ろしい事なのだ。
私がベッドの端に腰掛けると、ナンシーはポツリポツリと喋り始めた。
「明日の相手は学園最強よね」
「そうね」
「ヴェーラ、学園最強を知ってる?」
「学習装置(テスタメント) でなら」
ナンシーの言葉に私は素っ気無く答えながら、ちらっとナンシーに視線を向ける。
もう、まだ膝を抱えてぼおっとしている。
「私、一度本物と会った事があるんだ」
あ、膝の間に顔を埋めた。体も小刻みに震えてる――また例の発作みたいね。
私は気付かれないように座る位置を変えながら腰を少し浮かせた。
「あれは別格なの。私たちが今までバラした相手とはちが――!?」
そんな私に気付かずに言葉を続けるナンシーを、私は背後から覆いかぶさると一気に反転させて向き合うような形で押し倒した。
そして両手首をがっちり掴むと、そのまま彼女の白いのど元に唇を寄せて強く吸った。
「ひぅ」
ナンシーが小さく喉を鳴らす。
私の方は、吸った部分にキスマークが出来た事を確認すると、そこに唾液をたっぷりと乗せた舌を這わせてた。
そこを強く何度も何度も舐めて彼女の肌に唾液を塗りこめる。
「じ、銃、取って」
「駄目よ」
震える声でおねだりして来たナンシーに、私はまた素っ気無く答えた。
大体これから愛し合おうってのに銃なんてお呼びじゃない。まして――
「死なせてくれないの? さっき約束したんんぅ!?」
彼女に最後まで言わせない為に、私は彼女の唇を強引に奪った。
そのまま舌を彼女の口の中に差し込むと、おずおずと彼女の方から舌を絡めてきたので、こっちもギュッと舌を絡めた。
「う゛う゛っ」
ナンシーが喉を鳴らすと口の端から大量の唾液が零れる。
ちょっとかわいそうな気がしてきたので、唇を離して零れた唾液を舐め取ってあげた。
それから改めて目を合わせると――あらら、涙目をうるうるさせちゃって、すっかり準備オッケーみたいね。
ま、一応念のためにナンシーに言っておこうかしら。
「その時が来たらって言ったでしょ。今は違うわ」
そう、今は違う。
前にもあった事だが、ナンシーは恐怖から逃れる為に死のうとしたのだ。
この部隊で次に多い死因は多分自殺(これ)かしらね。
「冷たいのね……。愛してくれてると思ってたのに……」
「あら? ちゃんと愛してるわナンシー」
拗ねたような顔をするナンシーに改めてホッとしながらも、私はそれを気取られないように軽口を叩いた。
「ヴェーラ……、何で貴女みたいな人が堕ちて来たの?」
「またその話?」
正直その質問にはうんざりしている。
「みんなが言ってる。何故、ヴェーラはこんな――あンッ」
また黙らせてやろうと、私はTシャツの上からでもしこっているのが判る、ナンシーの乳首に布越しに歯を立ててやった。
「いひから」
「あっ、うん、駄目よ……、今回だけは駄目……お、しえ、てっ……」
何時もならここでナンシーが折れるのだが、今回はしつこい――これはもう少し念を押す必要がありそうね。
私はナンシーの乳首から口を離すと、上気した彼女の顔をじっと覗き込んだ。
すると、ナンシーの顔から瞬く間に血の気が引いて行く。
生唾でも飲んだのか、ナンシーの喉がごくりと鳴った。
「教えたら――私は貴女を殺さなければいけないわ」
我ながら冷たい声。
死を覚悟した人間すら凍りつかせる――それが私たち人間のクズを集めて結成された猟犬部隊(ハウンドドック)。
ナンシーだって一度任務に付けば、子供だろうと老人だろうと同僚だろうと息を吸うより容易く殺す。
そのナンシーの唇が震える。
いくら他人が殺せても、大抵自分の命は惜しいものだ。
それに死ぬのと殺されるのは意味も覚悟も違う。
これで彼女も諦めてくれるだろう、と私は安堵と寂しさの入り混じった理解しがたい心の片隅でそう思っていた。しかし――
「そう――じゃ教えて。それから殺して」
「え?」
私は、驚きのあまり殺人鬼の仮面が剥がれ落ちたのも気付かなかった。
そんな私の唇を、ナンシーは顔を起こしてぺろっと舐めた。
「いいわ、ヴェーラのその顔、私を殺す時は感情を込めて頂戴」
先程の恐怖に凍る顔は何処にも無い。
その顔を見ると何だか急に泣きたくなってきた。
でもそんな格好悪いのはナンシーに見せたくないとばかりに、私はナンシーの耳元に唇をよせてそっと彼女だけに囁いた。
話し終えた私がそっと顔を離すと、ナンシーは瞑っていた瞳をゆっくりと開ける。そして――
「話してくれてありがとう。約束ね」
ナンシーはにっこりと私に微笑みかけた。
くそ、やっぱりなんて可愛いんだこの子は。
呆然とする私を余所に、ナンシーはいつの間にか力の抜けてしまった私の両手を自分の首にあてがう。
「銃なんか使わないで。素手で、手で締めて」
そして、私の手の上からぎゅっと力を加えてくる。
それになぞらえるかのように私の両手にも力が入る。
「ああヴェーラ、感じる、貴女のぬくもり。このま――え?」
私はナンシーの両手を振り払って、その細い首から自分の手を引き剥がすと、自由になったその両手でナンシーを抱きしめた。
「駄目よ……、駄目……殺せない」
私はナンシーの肩口に顔を埋めると、嫌々を擦るように首を振る。
すると、ナンシーがそっと私の背中を撫でてくれた。
優しいナンシー、貴女になら私殺されてもいいわ。
「ナンシー、私を殺す時は一思いにね」
私は再びナンシーの耳元でそっと囁いた。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
あまりの激痛に瞼を開けるとそこは工場の中だった。
床に這いつくばったまま、訳も判らずぼぉーっとしていると突然頭に激痛が走った。
咄嗟に両手を頭に当てると何かに触れる。
その何かが判る前に私の頭がぐいっと引き上げられた。
「目が覚めたかよ」
「ア、一方通行(アクセラレータ)……」
「あ、誰が呼び捨てにして良ィっつたンだコラ」
「い、痛ッ!!」
掴んだ髪をそのままぐいと引っ張って引き摺り起こされると、耳に自分の髪の毛が切れるぶちぶちと言う嫌な音が聞こえてくる。
私は痛みを和らげようと必死に、一方通行(アクセラレータ)の手にしがみ付く――とした瞬間、私の目の前の景色が一気に流れた。
頭に激しい激痛が走ったかと思う間も無く背中から何かに叩きつけられた。
激しい痛みが体中に走って意識が一瞬遠のいた。
このまま逝けたらどんなに幸せなのにと思ったけれど、そうは問屋がおろさないみたい。
私の胸に何かがドンとぶつかってくると、その衝撃で無理に覚醒させられた私は「ごほっ、がはっ」と何かを吐き出した。
「案外髪の毛ってな丈夫なモンだなァ……。チッ、それに絡みつくと中々取れやしねェな」
すっかり虫の息になってしまった私に一方通行(アクセラレータ)の静かな侮蔑の言葉が浴びせられる。
あー、ここからなぶり殺しタイムかしら? だってほら、あいつが手を伸ばしてきたわ。
一方通行(アクセラレータ)は私の防弾チョッキの前の部分に手を掛けると私を引き起こした。
「さっきはフッ飛ばしちまって楽しむ暇も無かったからな。オイ、余興に付き合えよ」
余興って何よ? って私がそう思っていると……。
「うぐっ?」
く、口元にショットガンの銃口を押し付けられた!?
「そいつをしゃぶれ」
しゃ、しゃぶれってそれショットガンの銃口を?
私はギョッとして銃口と一方通行(アクセラレータ)の顔を交互に見やった。
するとそんな私にじれた一方通行(アクセラレータ)は、無理矢理私の口の中に銃口をねじ込んで来た。
「オゴァ!!」
「ギンギンになったコイツがお待ちかねなンだからよォ、さっさとしゃぶれよオラァ」
ショットガンの銃口を強引にねじ込まれた時に口の中が傷ついたのか血の味と、あと舌が痺れるような苦い味――多分火薬の残りカスか何か――が口の中に広がる。
さらに銃口はお構い無しにどんどん力任せにねじ込まれるから息苦しくなって来た。
「ヴゴォ! オ゛、オ゛エッ!」
「オラオラ、さっさとしねェとこのままぶっ放しちまうぞ」
「ガゴォォ!!」
一方通行(アクセラレータ)の一言に、私の脳裏に先程見た肉片が思い出されて、そうしたらもう我慢で来たかった。
「ゴプッ、オ゛ァエッ!」
自分で口の中にもう一味追加してしまった……。
「オイ……、テメエは勝手に何してやがンだ? ああァ、なンか急に冷めて来ちまったぞ。オイ、どォしてくれンだテメエはよォ」
「んぃい゛!?」
一段とショットガンに力が込められるのを感じて私は心底震え上がった。
こ、殺される!? 私もナンシーと同じにされちゃう!?
私はその恐怖から逃れようと必死になって、汚してしまったショットガンの銃口に舌を絡めた。
無機質な銃口に舌を這わせる無様な私を一方通行(アクセラレータ)は黙って見つめている。
一瞬、一方通行(アクセラレータ)がどんな顔をして私を見ているのだろうと興味が湧いたが、それ以上に恐怖が先立って目が開けられなかった。
私は一心不乱に舌と口を使って銃口を愛撫する。
実際真剣にやってもやらなくてもショットガンがオーガズムに達する訳ではないんだけど、何かに没頭していないと気が狂いそうだったのは事実。
だから、正直な話、その……、こんな状況で少し私も感じていた。いわゆるマゾヒズムってヤツかしら?
何時までそんな馬鹿げた事を続けていたのだろうか?
急に一方通行(アクセラレータ)が馬鹿笑いを始めた。
「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ、俺ァ興味無ェからよく判ンねェけど、オマエって結構上手いんじゃねェの?」
自分の中で大分出来上がってき始めていた所で、一方通行(アクセラレータ)にそう声を掛けられて、まさか私の事を抱くつもりかしら? とこの時初めて私はふと目を開けて一方通行(アクセラレータ)の顔を見上げた。
そして……見るんじゃなかったとすぐに後悔した。
瞳は赤光を放ち頬まで裂けた口は白い歯と赤い中身を覗かせている――私は銃口を咥えたまま狂相を浮かべたその顔を見つめ続けた。
すると、硬直した私の口から銃身がずるりと抜き取られた。
ショットガンの銃口と、私のぽっかりと明いた口から泡だった唾液がぼとぼとと床に落ちてシミを作る。
一方通行(アクセラレータ)は銃口に付いた唾液を振り払いながら、
「オイ、なンか言い残す言葉はあンのか?」
まるで、気のいい仲間に挨拶するかのような軽い感じで聞いてきた。
あ、私死ぬのね。そう、なんだ。
私はそう理解すると同時に、頭の中が冷静になってゆくのを感じた。
そんな感覚に囚われていた私に、口も聞けなくなったのかと判断した一方通行(アクセラレータ)は、
「ねェのか? じゃ、名残惜しいが――」
とゆっくりと銃口を私に向けようとした。
「待って」
「命乞いか? そいつは聞く気はねェ――」
「私の命は別にいいの」
「はァ? 恐怖でトチ狂ったか?」
私の言葉に一方通行(アクセラレータ)は唖然とした。
ま、当然だろう。
命が惜しくない人間なんてそういるものでは無い。
「お願いがあります。まず――」
「まずって一つじゃねェのかよ」
ショットガンの銃口はそのまま、一方通行(アクセラレータ)は片方の眉を吊り上げて呆れた声を出した。
「まず、木原数多を殺して」
「あ? 木原はテメェの仲間だろうが」
「2つ目、ナンシーがまだ生きていたら医者を呼んでやって」
「…………」
「じゃ、後は好きにして」
その言葉を聴いた途端一方通行(アクセラレータ)の眉間に深い皺が刻まれた。
すうっと彼の目が細まる。
「オイ、豚アマ。テメエ何好き勝手ほざいてやがンだ」
「何って言い残す言葉よ。貴方が言ったんでしょ」
「オレが一々テメエのようなヤツの指図を受けると思ってンのか?」
「思わないわ。でも興味は引いたみたいよね」
私がそう返した途端、ショットガンの銃口がすっと私の目の前に上がった。
それだけで覚悟していたとは言え、自分の血の気が引くのが判る。
「あ? じゃ、すぐ死ね」
トリガーに指が掛るのが見える。
ああ、願わくば苦しみが長引きませんよ――
「ハハ、震えてンじゃねェか。ホントは怖いンだろ?」
「こ、怖いわよ。それが何か可笑しい?」
折角覚悟を決めたってのに何を今更――ってあれ? 銃口が下がってく。
「クソっ――聞いてやっから訳を言え」
一方通行(アクセラレータ)は完全にこちらから視線を外すと、吐き捨てるようにそう言った。
「木原は私の妹を能力開発の実験で殺した。だから私は木原に復讐したいの」
「あ、知らねェのか? 実験たって木原1人でやんじゃねェンだぞ。何で木原だけ殺すんだ」
「他はもう殺(や)ったもの」
「…………」
一方通行(アクセラレータ)は黙って視線だけこちらに向けている。
そう、私は、妹をここに置き去りにしたクソ親父も、研究に携わっていた馬鹿ども殺した。
「あとは木原だけなの。私の手で殺せないのは残念だけど、貴方なら間違いなく殺すでしょ」
彼は黙ったままだ。
でも多分一方通行(アクセラレータ)は木原を殺せる。
今は駄目かもしれないけれど、いつか彼は木原を殺す。
何だか説明は付かないけれど、私はそう確信した。
「ナンシーの件は私の気まぐれね。生まれて2度目に大切にしたいって思えた相手なの。1度目は失敗した。だからもう失敗したくないの」
「なら手足でもへし折って金庫ン中にでも仕舞っとけ」
「次があったらそうするわ」
私がそう答えると、一方通行(アクセラレータ)は何だか苦しそうに目を瞑って頭を振る。
その瞳が再び大きく見開かれると、それは私の方に向けられた。
自然と私の喉がごくりと鳴る。
「テメェ……、全てが上手くいくとか、ンな甘っちょろい事考えてンじゃねェだろなァ?」
「何でそんな事聞くのかしら?」
本当におかしな事を聞く。
よほど私が不思議そうな顔をしたのだろう、言った一方通行(アクセラレータ)の方も急に険が取れてキョトンとした顔になった。
すると、元々中性的な感じの顔が可愛い感じになって……って私も相当のん気よね。
そんな彼は、勿体無い事にすぐにその可愛い顔を仕舞いこんでしまった。
「チッ、テメエの目が死ンでねェからだ。その目を見るとムナクソ悪くなンだよなァ」
顔を逸らしてまでそんな事を言われるとは思わなかった。
私が希望を捨ててない? そんな馬鹿な……。
急に何だかイライラしてきた私は、
「じゃ、さっさと殺したら?」
「ンじゃァそうさせて貰うとするわ」
売り言葉に買い言葉とはまさにこの事だろう。
と言うか、遅れていた死刑執行の予定が決まっただけ、か……。
私はショットガンの銃口と、トリガーに掛る指を一直線に見据えたまま唇をギュッと感でその瞬間を待った。
「あばよムナクソ女、もう二度とオレの前に立つンじゃねえ」
次の瞬間ドンと衝撃が走って視界がぶれると、目の前が急速に真っ暗になってゆく。
「く……ントムナクソ悪(わ)……い何でこン……が猟犬部隊(ハウンドドック)にいやが……が増えまっ……かよ……」
途切れ途切れに彼の声が聞こえる……。
そう言えばナンシーはどうなるかしら? 約束破ってゴメンネ。願わくば地獄で会うのはずっと先に……なぁんて考えたってせん無い事よね。
「オ……者(しゃ)、まだ生き……よ? 救(きゅう)……あ? ちが……ォでもいい……と……は忙し……」
私は、彼の声を鎮魂歌代わりに闇の中に落ちていった。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
「なんで!?」
それが私の第一声だった。
目が覚めると――と言うか目覚められたこと自体奇跡なのだが――私は病院のベッドの上に居た。
そして結論から言えば私は助かった。
詳細は医師から聞いたのだけれど、あの一方通行(アクセラレータ)が救急車を呼んでくれたらしい。
そして、助かったといえば、ナンシーも助かっていた。
あの時、下顎を完全に失ったナンシーだったが、クローン技術の応用だとかで完全に元の顔に戻っていた。
ただ、脳に大きな障害を負っている様子で、今の彼女の記憶は殆ど無い――つまり私と過ごした短いひと時も失われていた。
それでも私は、彼女が生きていると知ったとき本当に嬉しかった。
生きて彼女を抱きしめられる日が再び来るとは思わなかった。
それからもう一つ、これも聞いた話だが、木原はどうやら一方通行(アクセラレータ)に殺されたらしい。
らしいと言うのは、木原が殺される所を誰も見ていない事、木原の遺体が発見されていない事、出血、肉体の一部の発見などから生存確率が著しく低い事から、死亡と判断されたようだ。
何故ここの医師がそんな暗部に生きる者の生死について知っているのか疑問だったが、それは聞かないことにした。
一度暗部に堕ちた者はそういう危険に敏感だ。
暗部といえば、猟犬部隊(ハウンドドック)は隊員の殆どと木原を失ってどうなるのか?
ま、今の私には知った事じゃないわね。
と言うのも私の元に差出人不明の猟犬部隊(ハウンドドック)除隊の通知と、口座に大金が振り込まれていた。
大金の方は口止め料って所かしら?
私のような罪人に過ぎたボーナスと言えなくも無いが、これから少し物入りになるので、ここはありがたく使わせてもらうことにした。
私は、入院着姿で廊下を歩いてゆくと一つの病室の前に立つ。
そこで大きく間を空けて2度ドアをノックしてから返事を待たずに中に入った。
光溢れる室内の、これも眩いばかりの白いシーツ、枕カバー、掛け布団。
そこに身を起こして外を眺める1人の女性のが居た。
「ナンシー」
そう呼ぶと彼女はくるっと振り返って満面の笑みを私に見せてくれた。
すると、自然と私の顔もほころぶが判る。
「お姉ちゃん♪」
些か厚かましいとは思ったけれど、私はそういうポジションに納まってみた。
これから幸せを掴むと言うのはおこがましいけれど、二度と暗部にだけは戻るまいと思う。
私を『ムナクソ悪い』と言ってこの場所に立たせた彼の為にも。
END