「あつー」  
御坂美琴は唸るように言った。  
梅雨の合間の晴れ、湿度が高くジメジメしている。  
「あのー……」  
背中からそんな声が聞こえた。  
「はい?」  
振り返ると、  
「恐れ入りますがココに向かうには、どのように行けば良いのでございましょうか?」  
手書きらしい地図を差し出すシスターさんがいた。  
見れば、顔以外の全ての肌を黒い修道服で隠している。  
(うわぁ、あつそう……ていうか、あつい……)  
見ているだけで、こちらの服の中がベタベタしてきそうな格好だ。  
「……えっと、どれどれ」  
ベタベタする湿度の高い感想を振り払い、地図を覗き込む御坂。  
「ああ、ここなら歩いて直ぐ行けるわよ」  
言って、御坂は道順をどう教えようか思案する。  
「これはこれは。お忙しい中、ご助言頂き、まことにありがとうございました」  
シスターさんはペコリとお辞儀をして、近くに止まっていたバスに乗ろうとする。  
「って、いきなりバス乗ろうとしてんじゃないわよ!歩いて行けるって言ってんでしょうが!」  
つっこむ御坂。  
「あ、はい、そうでございましたね」  
いそいそと戻ってくる漆黒のシスターさん。  
 
その後、同じ動きを繰り返す事三回。  
「めんどくさいから、ついてきなさい!」と、シスターを案内する事にした御坂。  
そのお人好しさ加減は、どこかの誰かさんと似ていた。  
現在、お互いの自己紹介を終えて、話しながら移動中である。  
「わざわざイギリスからきたんだ」  
「はい、オルソラ=アクィナスなのでございます」  
「うん、いや、名前はさっき聞いたから……」  
と何度目かになるツッコミを入れる。御坂はジト目でオルソラを見て、ふと思った。  
「ところで、その格好――」  
あつくないの?、と言おうとして御坂はフリーズした。  
よく見れば、漆黒の修道服でラッピングされ、肌こそ隠されてはいるが、  
逆に、盛り上がった胸やくびれた腰が、妙に艶かしく浮き上がって見えた。  
「?」  
ぽわぽわとした笑顔を向け、小首を傾げるオルソラ。  
「いや、なんでもない……」  
脱力し、最後まで聞けなかった事と、自身の胸部に、何やら敗北感を感じた。  
そんな御坂は、とてもとても女の子だった。  
 
「そ、そーいえば、なんで学園都市に?留学?」  
気を取り直すように明るく言う御坂。  
「え?あ、あの、えっと」  
オルソラは言い淀んだ。  
(あれ?まずいこと聞いたかな……?)  
そう思いオルソラの顔を窺う。  
しかし、彼女は言い難そうと言うよりは、照れているように見える。  
(ふ〜ん、なるほどねぇ)  
それを見て、何か閃いたような御坂。  
「恋人に会いにきた、とか?」  
「え!?ぃ、いえ!そ、そんな!」  
御坂の言葉に、かぁと白い頬を赤らめるオルソラ。  
「どんな人??」  
と、御坂は好奇心いっぱいといった調子で訪ねた。  
「い、いえ、こ、恋人では」  
そう答えるオルソラは耳まで赤くしている。満更でもなさそうだ。  
(片思いなのかな?)  
そう思った瞬間、美琴の脳裏に一人の少年の姿がチラついた。  
(なっ、なんであんたが出てくんのよぉ〜!)  
美琴は、ボムっと真っ赤になった。彼女は誤魔化すように、  
「そ、それで?どんな人?」  
「私が、自分ではどうしようもない状況に陥った時、その方が救って下さったのでございますよ」  
説明は簡潔だったが、オルソラの夢見るような表情を見れば、  
言葉では言い表せない程の、様々な思いがある事が感じられた。  
「……………」  
御坂は、先程脳裏をチラついた少年を思い浮かべる。  
(私とあいつと同じだ……)  
オルソラの話しを聞き、そう思った御坂。  
彼女の表情は、自身も気付かない内に優しい笑顔を湛えていた。  
 
が、それも長くは続かなかった。  
「こ、ここは」  
見知った学生寮を前に、口の端をピクピクと持ち上げる御坂。  
「ああ、ここでございますね」  
地図を見ながら言うオルソラ。彼女は続けて、  
「まことにありがとうございました。何かお礼ができれば良いのでございますが……」  
と頬に手を当て考える。  
「いいえ、それには及ばないわ」  
―――バチバチ!  
響く放電音。  
「ちゃんと中まで送ってあげる、私もここに用ができたから」  
―――バチチッ!  
御坂が一言発する毎に電気が弾ける。  
「そうでございますか。クッキーがありますので、ちょうど良かったのでございますよ」  
マイペースに言うオルソラ。彼女は御坂にお礼ができると喜んでいるのだ。  
―――ピンポーン  
チャイムを鳴らす。表札には『上条』と書かれている。  
待つ事数秒。ガチャリ、と音がしてドアが開いた。  
「はいはい〜って、オルソラ!??」  
「どうも、お久しぶりなのでございますよ」  
ニコニコ微笑むオルソラ。見れば彼女の頬は微かに上気している。  
―――バチ  
「なんでお前がここに!?あ、てか、まぁ入れよ」  
疑問を口にするが、直ぐに気を利かせ、入るように勧める上条。  
―――バチバチ  
「ふふふ、それではお邪魔させて頂くのでございますよ、それと――」  
オルソラは、上条の気遣いに嬉しくなって笑みを溢す。  
そして、御坂もいる事を伝えようとした。その時、  
 
―――バチバチバチ  
「ねぇ……?あんたはいつまで私をスルーしてくれちゃうわけ……?」  
何やら凄みのある声が、放電音と共に聞こえてきた。  
「ん?よぉ、御坂じゃねぇか」  
今気付いたとばかりに普通にを挨拶する上条。  
―――バチバチバチバチ!  
御坂が一言物申してやろうと思い、無意識に放電音も大きくなった。その時、  
「まぁまぁ、なのでございますよ」  
のんびりとした調子でオルソラが入ってきた。  
「御坂様に助けて頂いて、ここまで辿り着けたのでございます」  
「そうか、サンキューな御坂、お前も早く入れよ」  
背中でドアを押さえながら家の中に入るよう促す上条。  
「う、うん」  
すっかり毒気を抜かれてしまった御坂は、僅かに緊張した面持ちで家に入った。  
(ふぅ……、インデックスのヤツが留守でよかった)  
上条はドアを閉めながら心底そう思った。  
オルソラはどうか分からないが、御坂は上条宅にインデックスが居候している事を知らない。  
(すまん、インデックス。今はいないものとして)  
心中、律儀に、外出中の同居人に謝る上条だった。  
 
短い廊下を進み部屋に戻ると、お茶の用意がされていた。  
先に入ったオルソラが準備してくれていたようだ。  
「いい香りね」  
御坂はティーカップに注がれた琥珀色のお茶を覗き込む。  
「ハーブティーなのでございます」  
そう答えつつ、オルソラはクッキーを取り出した。  
「おお!もしかして手作りか?」  
「お恥ずかしながら、そうなのでございますよ」  
「マジですか!上条さん今日はラッキーですよ!」  
はしゃぐ上条。ニコニコ笑うオルソラ。御坂は、なんではしゃいでんの?と首を傾げる。  
そんな彼女に気付いた上条が、  
「ん?ああ、オルソラは料理がうまいんだ」  
「いえいえ、そんな」  
謙遜するオルソラ。しかし、上条に言われてか、その頬は赤く染まっている。  
「ふーん」  
クッキーに目を向ける御坂。どことなく面白くなさそうである。  
(う、確かにすごく美味しそう……)  
御坂は、先週、上条が入院していた時に、調理実習で作ったクッキーを持って行った。  
そのクッキーも相当のできだったのだが、このオルソラクッキーには敵いそうにない。  
「どうぞ」  
と、クッキーを勧めるオルソラ。御坂は形の整ったクッキーを一つ取り口に運ぶ。  
「んん、美味しい」  
御坂が驚いたように言った。  
「だろ、うまいよな〜」  
上条も一つ二つと食べている。  
「それは何よりなのでございますよ」  
そんな二人を見て、優しく微笑むオルソラだった。  
 
御坂美琴は帰路についていた。  
上条宅を出る頃には日が沈みかけ、西の空は、赤から紺色へのグラデーションを描いていた。  
「はぁ………」  
御坂は物憂げな表情で溜息を一つ。  
(クッキー美味しかったな……)  
素直にそう思う。  
(自分のクッキーが失敗とは思わないけど、なんかねぇ……)  
言い知れぬモヤモヤと微かな敗北感。すると、  
「んん?」  
見れば雑居ビルの掲示板に、  
 
   〜お菓子作り教室生徒募集〜  
  『来たれ!未来の天才パティシエ!』  
 ・レッスンは、一回から申し込み可能!  
 ・学校帰りや、週末に本格お菓子作り!  
 ・気になる彼にお菓子でアピール!?  
 ※第一回は、焼き菓子の定番『クッキー』です。  
 
と、あった。  
御坂は凍りついたように動かない。その目は掲示板を凝視して放さない。  
そして、突如、ハッとして、  
「べ、別に!あいつのため、とかじゃないんだから!」  
頬を赤く染め、ツンデレな事を言う御坂。完全にレッスンを受ける気である。  
レッスンの申し込み電話番号を携帯に確りとメモし、再び帰路を進む。  
「〜〜♪」  
鼻歌を口ずさみ、表情も、先程の物憂げなものから楽しげなものへと変わっていた。  
 
御坂美琴は、お菓子教室で思っても見なかった人物と遭遇する事になる。  
      しかし、今の彼女には、そんな事を知る由もないのであった。  
 
 

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