病院の屋上のフェンスを越えた足場に、彼女はいた。  
 行く手を阻むはずのフェンスは、人が通れる程に穴が空いていて意味を為していない。  
 彼女は空を見上げ、右を見て、左を見て、下を見て、又空を見上げた。  
 雲一つなく吸い込まれそうな空の青。聳え立つ学園都市の建物。落ちたら死ぬであろうコンクリートの地面。  
 どれを見ても彼女の心には何も響いていなかった。  
 彼女は、儚げで今にも消え入りそうだった。  
 それは、他人が見れば今にも自殺をしようとしていると思われてもおかしくない場所にいる事。  
 そして顔の右半分を覆う前髪、肘から下がなく風に吹かれるままの入院服の左腕。  
 それらが合わさりあい彼女の持つ雰囲気を作っていた。  
 かつての彼女を知っている者が見ても直ぐには分からないであろう雰囲気、姿。  
 学園都市に七人しかいないレベル5の第四位、麦野沈利はそこにいた。  
 麦野沈利はふと思う。浜面仕上との戦いから自分は何か変わったのだろうかと。  
 空を見上げたまま、ぼんやりと思考する。  
 浜面仕上との戦いと敗北、そして失った右目と左腕。  
 麦野の敗北は、世界に対して変化を与える事があったのか。  
 麦野はあの時から、能力がまともに使えなくなった。  
 レベル0に与えられた明確な敗北、自らの能力により腕を失ったという現実が彼女の『自分だけの現実』を侵食していた。  
 かつて最強だったレベル5の一方通行が、無能力者に敗れて最強でなくなった時に、彼を倒そうとする者が多数現れた。  
 しかし同じレベル5の麦野沈利が無能力者に敗れた時に、彼女を倒そうとする者は未だ現れない。  
 能力がまともに使えなくなったというのにだ。  
 最強だった一方通行とは違い、レベル5とはいえ、麦野にはわざわざ倒しに来る価値がないのだろうか。  
 これは麦野の推測にしか過ぎない。しかし麦野にとって既にそれが答えだ。  
 レベル5の誇りが傷付けられるが、そもそもレベル0に敗北した時点で誇りなど無意味な事だ。  
 だから来ないなら来ないで構わない。むしろ今は来ないで欲しかった。  
 能力が使えないという事もそうだし、未だ怪我は治りきらず入院中。そして隻眼隻腕。  
 体の一部を失ったという現実は、受け入れられたものの日常生活にさえ不便さを感じるのだから。  
 さて、と。麦野は思案する。  
 浜面仕上との一戦を境に、麦野の何が変わったと言うのだろうか?  
 隻眼隻腕、能力使用困難。大きく変わったのはそこだ。  
 だがそんな事は、分かっている。分かりきっている。麦野が分からないのはそこじゃない。  
 自分をこんな目に遭わした浜面に対して、怒りがある。憎しみがある。恨みがある。  
 こんな目に遭った自分に悲しみがある。絶望がある。嘆きがある。  
 かつての自分だったらすぐにでも能力を取り戻し、浜面を殺しただろう。  
 だというのに何もしようという気が起きない。  
「あー、なんか違う。こんなんは私じゃない。やっぱり何か変わった」  
 麦野は、残っている右手で右顔面を覆った髪を払う。傷跡の残る右顔面が露になる。  
 いずれ消える傷跡、消えるか分からない気持ちの違和感。  
 完膚なき敗北を知ったせいで他者にその敗北を与えるのが怖くなった?  
 そんな善人ではない自覚はあるし、何より敗北なら超電磁砲との順位付けで味わった事だ。  
 うーん、と唸り、再び前髪を右顔面が隠れるように被せる。  
 
(そもそもそんな事を考えている場合じゃないのに)  
 麦野はコンクリートの地面を見下げ、先程とは違う事を思案する。  
 能力の使えなくなった能力者に価値はあるのだろうか? 居場所はあるのだろうか?  
 アイテムの上の人間はあると思ってくれているらしい。  
 使えないなら替えればいい。それがアイテムの考えであり麦野沈利の考えでもある。  
 しかしレベル5に替えなどあるはずがない。  
 その為に生きているならまだ使えるだろう、という考えで能力が使えるようになり次第復帰となっている。  
 本来ならわざわざ待つという事はしないのだろうが、それだけレベル5の価値が大きいという事だろう。  
 だけどそれは又能力が使えるようになれば、という事だ。  
 能力の使えない能力者など無能力者と変わらない存在。自分の見下していた存在と同じになるという事。  
 故に麦野は、再び能力が使えるようにならなければならない。  
「また使えるようになるのかな……」  
 今の麦野は、治療中だ。主に肉体的な事でなく、精神的な事でだ。能力を再び使えるようにすべく治療中である。  
 けれども、また能力が使えるようになるか?と聞かれれば麦野は、答えられない。  
 麦野を治療した医者曰く、必ず使えるようにするとの事だったが、それさえも信じられないでいた。  
 医者の事は信じられる。自分でも死んだと思った重症を治し、こうして無事にしてくれているのだ。  
 失われた腕と眼も時間は掛かるがどうにかしてくれるとも言っていた。  
 それだけで名医だという事は分かる。そんな名医の言う事だ。信じられる、信じよう。  
 結局の所、麦野が信用できないのは自分自身。  
 はぁー、と溜息。考えても答えなど出ない。  
 気持ちの問題といえど、ここで悩んでいるだけで元通りになるわけないのだ。  
 思案に飽きた麦野は、病院を抜け出し買ってきたシャケ弁を食べようと思った時。  
 その時に麦野は初めて気が付いた。自分の後ろに男がいるという事に。  
「なっ!」  
 麦野は自分の考えが甘かった事に気が付く。  
 能力が使えなくとも、入院中であろうと、一方通行とは違い最強ではなくとも。  
 それでも今の自分を倒せば、レベル5を倒したという実績は得られるのだ。  
 なら病院まで来ても不思議ではない事だ。  
 この人物は麦野が自殺をしようとしていると思い、それを止めようとしている、などという楽観的な考えは麦野にはない。  
 麦野は、今までそんなお人好しになど会った事だないのだから。  
(くっ……)  
 敵対者を見つけ、無意識の内に能力を使おうとして――後悔した。  
 今の自分が無理に能力を使えばどうなるか、そんな事予想がついていたはずだというのに。  
 白く歪んだ光が右腕に不規則に集まる。頭が痛む。失くした筈の左腕が痛む。体がふらつく。  
「あっ」  
 麦野の立ち位置は酷く不安定な所であう。そんな所でふらついたらどうなるか? 答えは一つ。落下する。  
 麦野には最早最悪の結果しか思い浮かばなかった。自らの能力で消し飛ぶか、ここから落ちるか、その二つ。  
 麦野は諦め、目を瞑り、最悪な結末に備えた。  
「んっ…………」  
 だがそのどちらも訪れる事はなかった。  
「自殺なんてよせ!!」  
「はっ?」  
 麦野には硬いコンクリートの地面の感触も、原子崩しを出しているという感覚もない。  
 あるのは、ただ暖かい温もりだけ。  
 目を開けると、そこには自分の右手を掴んでいる男の右手と、ただ抱き締められている自分。  
 麦野の右手に集まっていた不健康過ぎる白い光は何故か消えている。  
 男の言葉、自分の能力が消えた事、抱き締められている自分、その全てに対して麦野は、驚きの声を出す。  
「えっ? 自殺?」  
 驚いているのは麦野の言葉を聞いた男の方も同じようで、あー、うーとか唸っていた。  
 麦野はこの止まった状況を変えようと抱き締められた体を動かし、  
「あっ」  
 ぐしゃと足元にあったシャケ弁当を潰してしまった。  
 
「あ……ありのまま、今起こった事を話すぜ!  
 暇だったんで屋上に行ったら、シャケ弁を買いに行っていた。  
 な……何を言っているのか、わからねーと思うが、おれも何をしているのかわからなかった……  
 自殺者を止めようと思ったら違ったとか、シャケ弁を駄目にする原因を作ってしまったとか  
 そんなチャチなもんじゃあ、断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……」  
 上条は、いつものように不幸だった。  
 いつものように不幸に巻き込まれ、いつものように入院。  
 幸いな事に怪我は、大した事がなく直ぐに退院出来る事になったのだが、検査待ちという空き時間が出来てしまった。  
 そこで上条の台詞へと繋がるわけである。  
「シャケ弁買って来ました!!」  
 現実逃避をしながらも上条は、パシリの鑑と言える速度でシャケ弁を買ってきていた。  
「…………」  
 別に麦野がパシリを命じたわけではなく、勘違いだったという事を理解した上条が自発的に買って来たものだ。  
 麦野としては色々思う所はある。しかし空腹という事もあり目の前の誘惑に逆らう事はしなかった。  
「んっ」  
 麦野は、上条が差し出したシャケ弁を無言で受け取ると食べ出した。  
 片手で不便を感じるが、それでも気にした様子を見せる事なく麦野は食べる。  
 食べてる間も麦野は、上条の事を警戒している。  
 最初は、突然の事に動揺していた麦野だったが、上条がシャケ弁を買ってきている間に、多少落ち着く事は出来た。  
(うーーん)  
 上条が自分を倒すという考えではないのは、直ぐに分かる。  
 やろうと思えば自分の右腕を掴んだときにできたのだから。  
 だがそうだとしても油断はできない。  
 今現在能力が使えなくとも麦野は、レベル5だ。利用方法などいくらでもある。  
 それは、能力が使えるようになるのを前提とした事から、使えなくとも問題ない人体実験まで、色々とだ。  
 もしくは、所属しているアイテムの情報を得るという事もあるだろう。  
 懐柔、誘拐、脅迫、どれも有り得る事だ。  
 その為にシャケ弁を食べつつも上条の様子を伺い、警戒は解かない。  
 尤も警戒した所で今の麦野に出来る事など一つしかない。  
 暴走覚悟で能力を使い自分もろとも相手を殺す。それだけである。  
 死ぬのを前提とした考えであるが、生きたまま解剖されるよりはマシという事だ。  
 しかし自分をどうこうするつもりならとうにしているはず。  
 さらに態々買ってきてまでシャケ弁を食わすなど普通しないだろう。  
 もしかしたら食べ終わった頃になって、最後の食事はどうだった? などと三流の悪役の如く聞いてくるかもしれないが。  
 しかしだ。麦野が視線を向けると、反省していますと体で示すようにしている上条が目に入る。  
 さらに視線に気が付くと、びくっと震える始末。  
(うん。分かった。こいつは……)  
 そんな姿を見て麦野の出した結論。それは――  
(こいつは、ただのお人よしの馬鹿)  
 こんな馬鹿を見ていると、さっきまで滅入っていた自分や思案していた自分が、馬鹿に思えてしまう。  
 そして何より麦野は、気が付いてしまったのだ。  
「あれ? なんかこのシャケ弁はさっきのと違う気がするけど。あれー?」  
 このシャケ弁が何か違うという事に。  
「違わないだろ」  
 思わず突っ込みを入れてしまう上条だったが、  
「あれー? あれー?」  
 麦野は、気にせず一人で唸る。意見を求めての発言ではないのだ。  
 上条は、買ってきた張本人として思う所はあるが、駄目にした原因を作った張本人として何も言えない。  
 こちらの事を無視しながら食べ続ける麦野に、上条は何も出来ずにただ見届けるしかできなかった。  
 
 麦野沈利。  
 それが上条の目の前ので独り言を呟きながら、シャケ弁を食べる少女の名前。  
 その名前は、ただ食べ終わるのを待つのに耐えかねた上条が、自己紹介をした時に返ってきたものである。  
 もっとも返ってきたのはただそれだけで、その後は何も返って来なかったので上条は、ただ待つしか出来ないでいた。  
 名前を聞いた時に、麦野がレベル5だと知っていればまた違った結果が返ってきたであろう。  
 しかし麦野の事を知らなかった上条としては、そんな返しなどできるわけがない。  
 上条にとって麦野は、レベル5の少女ではなく、儚い雰囲気を持っていた唯の少女なのだから。  
 故に訪れた結果は、沈黙。  
(消え入りたい! 上条さんは、今すぐにここから消え入りたいです!!)  
 上条としては、『そっか……自殺しようとしていた人はいないんだな』と呟き、そして颯爽と去って行き、  
 格好良く終わりにしたい所だったがそうもいかないでいた。  
 別に立ち去っても問題はないはずなのだが、上条としてはここで立ち去るというのも何だかおかしい気がしていた。  
 何より麦野が偶に視線を向けるのが逃げるなと言っているようで怖い。  
 現実は、非常である。  
(それにしても)  
 改めて見る麦野の姿は、違っていた。  
 隻眼隻腕に、入院着といった見た目は変わらなくとも、雰囲気が違っていた。  
 先程までは、本当に自殺しそうだったのだが今の麦野を見ているとそんな事は気のせいに思えてくる。  
(まっ、いっか)  
 自殺はしないにしても麦野の様子は危うく見れた。  
 それを自分の勘違いっぷりを見て立ち直ってくれたのなら、安いものだ。  
 上条はそう思い、もう直ぐ食べ終わりそうな麦野を見詰めた。  
「聞きたい事があるんだけど?」  
 上条の視線に気が付いたのか、食べ終えた麦野の発言は唐突だった。  
 質問という形を取っているものの、拒否は許さないと一つの瞳が言っている。  
 そもそも今の上条に拒否権などあろうはずがない。  
 だからせめて難しい事じゃないといいなーと思ったりしている。  
「あんたに触れられる前、私は能力を使おうとしていた。それがあんたに触られた途端に消えた」  
 どういう事?、と麦野は疑問を発した。  
 それは幻想殺しを知らないものなら至極真っ当な疑問。  
 上条にとっては当たり前過ぎる事だったが、麦野にとっては大きな疑問だ。  
「ああ、俺の右手は……聞かされたことが本当なら、異能の力なら何でも打ち消せる、とかなんとか」  
「そんなものが……でも確かにそれなら」  
 麦野は、話を聞いてもすぐには信じられないでいた。  
 しかし実際にその目で見て、体験したのだから疑いようがない。  
 試しに右手同士を触れ合った状態で能力を使おうとしても使えなかった。  
(この能力があれば)  
 利用できる。麦野が思った事は、それだった。  
 今の自分は、まともに能力が使えず、使おうとしたら暴走する危険性がある。  
 だがこの少年がいるなら暴走したとしても抑えられる。  
 つまり自分が再び能力を使えるようにする為に、利用できるのだ。  
「いいかな?」  
 拒否は許さないと一つの瞳が言っていた。  
 
「そんなにここで入院してるの? 不幸過ぎるでしょ」  
「そうなんです。上条さんは不幸過ぎて涙が出るくらいに不幸なんです」  
 上条は言いながらも瞼を抑える。話しながら自分の不幸さに涙が出そうだったのだ。  
 そんな上条の事など気にせず麦野は言う。  
「それで? もっと不幸な話が聞きたいんだけど?」  
「そろそろ止めていただけると上条さん的には有り難いんですけど」  
 既に上条の心は、ふるぼっこ状態だ。自分で自分の不幸を語って悦べる程に、上条は鍛えられていない。良くも悪くも。  
「いいから話しなさい」  
「拒否権なし!? なんて酷いんだと、上条さんは理不尽な要求に対して、心に傷を負いつつ恨みがましい目で見たりしてみる」  
「いやー、上条君……」  
 上条は、彼がよく知る少女の話し方を真似てみるが正直言ってキモかった。  
 じとーという麦野の視線が上条に突き刺さっている。  
(し、視線が痛い)  
 上条は、話題を変えようと話し掛ける。  
「俺の事だけ話すってのもどうなんだ? 麦野の事も話せよ」  
「ふーん。つまり上条君は、女の子の秘密に興味津々と」  
「そうじゃなくて! いや、でもそうと取られかねないのか? なんて理不尽!?」  
 変えたが事態は好転しなかった。むしろ変な誤解をされたので悪化した。  
 もう駄目だ、と上条は思う。  
 こうなった場合に勝ち目はない。短い付き合いながら麦野相手にここからの逆転は無理だと経験状知っている。  
 これはいけない、と素直に反省したのち、  
「喜んで話させて貰います」  
 あっけなく降参した。  
「よろしい。じゃあ納得した所で上条君の不幸自慢いってみよー」  
 
 麦野の提案は、拍子抜けするぐらいにあっけなく受け入れられた。  
 麦野の治療に付き合った所で上条に得などない。断って当たり前なのだ。  
 だから断られる事を前提に提案。その後力づくにでも交渉していこうと思っていたのだが、  
『ああ、いいぜ』  
 と一言で了承してくれた。  
『は? なにこいつ……』  
 どんだけお人好しなのかと呆れたが、利用できるならするまでと思った麦野は、  
『じゃあよろしく』  
 と話を通した。  
 それ以来、上条の学校が終わってから病院に訪れ、日が暮れ家に帰るまでの時間が麦野の治療の時間となった。  
 無論それ以外にも正式な治療をしている。  
 だけど精神的な傷が原因で使えなくなっているのだから、中々上手くいかない。  
 だからこそ上条に頼っているのだ。  
 麦野は、能力の暴走の危険があり使うのが躊躇われる。しかし上条がいるなら抑えられるので気にせず使える。  
 麦野が能力を使い暴走しそうになったら上条が抑える。  
 それを繰り返す。それだけの事。それでも充分だった。  
 麦野は、日々繰り返す内に徐々に能力を取り戻していった。  
 そして上条との距離も徐々に近づいていっていた。  
 能力を使い続け、麦野の限界が来たら、休みながら軽く話をする。  
 最初は、黙っているのもつまらないという場繋ぎ的なものであり、深い意味はなかった。  
 だけど今では、その後の会話を楽しみにしている麦野がそこにいた。  
 麦野が上条を受け入れ、距離が近づいていったのは、様々な要因がある。  
 利用価値があるので冷たくする事は出来なかったという事。  
 心の弱っていた所に優しくされたという事。  
 お人好しだとは思っていたが話してみると異常なまでにお人好しだったという事。  
 そして麦野がレベル5だと知っても何も変わらなかったという事だ。  
『レベル5だろうと何だろうと、麦野は麦野だろ?』上条の言葉はそれだけだった。  
 上条は、麦野が学園都市に来てから会った事のない男だった。  
 今まで麦野の会ってきた男は、麦野がレベル5だと分かると恐れるか利用しようとするだけだった。  
 浜面は違ったかもしれないが、彼も部下という事で対等ではなかったし、最終的には敵になった。  
 本当の意味で対等の男というのは、麦野にとって未知の経験だったし、その男と過ごす時間も初めての時間だった。  
 要するに、それらの要素が合わさり麦野は、上条を気に入った。ただそれだけの事である。  
 
 上条が病院の屋上に来る際には、シャケ弁を買っていく事が日課となっている。  
 別にシャケ弁でなくともいいのだが、麦野の好み、上条の懐具合などを考慮されシャケ弁となっている。  
 今まで買ってきたシャケ弁を麦野は一人で食べていた。  
 しかし、しかしだ。麦野は思う。自分は手が一つ。横には手を二つ持つ人間がいる。  
 その状況で不便な思いをして食べる必要があるのだろうか? いや、ない。  
 だから麦野にとって、これから取る行動は必然。深い意味はないと考えている。  
「食べづらいんだけど」  
 麦野は、言葉と同時に箸を上条に向けてくる。  
 上条は、麦野の意図を直ぐに理解した。  
「あ、ああ、分かった」  
 上条としては、今までは片手で器用に食べてたじゃないかと思わなくもない。  
 だけど麦野の言っている事に間違いはないし、今までは器用に食べつつも危ない所もあった。  
 自らのこれから取る行動に、照れがあるがそこは耐える。  
「ほら」  
 上条は、箸でシャケ弁を一掴みすると麦野の前に差し出した。  
「あーん」  
 応えるように麦野は、口を開け出されたものを食べる。  
 その際に、自分から頼んだ麦野も顔が赤くなっているが、自分の事でいっぱいいっぱいの上条は、気が付けないでいた。  
 上条にとって、掴み、口へ運ぶ。それだけの動作が一苦労だ。精神的な意味で。時間の経過も異様に長く感じられる。  
 対する麦野は、次第に慣れてきて状況を楽しむ事さえ出来ている。  
「ほら、早く」  
 このまま上条にとって恥ずかしい時間は、麦野が食べ終わるまで続くかと思われたが、それは予期せぬ所で終わりを告げた。  
 上条の携帯が鳴ったのだ。  
「悪い。電話みたいだ」  
「うん……」  
 上条が電話している間、待たされている麦野は、シャケ弁を片手で器用に食べ出した。  
 その器用さは、上条に頼む必要なんてないじゃないかと思わせる程だ。  
「あれー?」  
 それでも何故だか、今食べてるシャケ弁は、さっきまでのと違う気がした。  
「ああ、そうだって――」  
 上条は、話をしてる。誰とだろうか?  
 麦野には、麦野の生活があり、上条の知らない人間もいる。  
 上条には、上条の生活があり、麦野の知らない人間もいる。  
 それだけの事なのだ。  
 だから上条が麦野の知らない人間と電話をしていても問題はない。  
「確かにそうだけど――」  
 理屈ではそうだが、感情が納得いっていなかった。  
 何故かは知らない。分からない。分かる気だってない。  
「そんな事ない。俺は――」  
(なんかむかつく)  
 麦野の気持ちなど知る由もなく、上条は、お話中だ。何やら白熱している様子だ。  
 そんな事など気にする事なく麦野は、黙って上条に近づくと携帯を奪い取りすぐさま電源を切った。  
「えっ……てっ、おいっ!」  
 突然の麦野の行動に振り向き怒ろうとした上条だったが、  
「麦野……さん?」  
 麦野の構って欲しいんだか、怒っているんだか、よく分からない顔で見詰められると何も言えなくなった。  
「はぁーー」  
 上条は、電話相手に後でフォロー入れとこうと思い、今は麦野に専念する事に決めた。  
「そんなに腹が減ってたのかよ」  
「えっ……そ、そうよ。だからさっさと食べさせなさい」  
 麦野は、自分が何故こんな行動を取ったか自分でも分からない。  
 だから上条の言った通りだと思っておこう。そんなにお腹は空いてないけれど。  
 
 麦野が上条と出会ってから月日は過ぎた。  
「もうすぐ退院なんだ」  
「そうなのか。よかったな」  
 麦野は退院する事になった。  
 体の方は問題なく、隻腕隻眼での生活にも慣れてきた。  
 能力の方も上条のおかげで回復の兆しをみせている。この調子なら前のように、使えるようになるだろう。  
 その後の生活を思うと少々煩わしさを感じるが、退院できるのは麦野にとっても良い事だ。  
「うん……」  
 だというのに麦野の様子は、嬉しさを感じさせるものではなかった。  
 退院するという事は上条との今までの時間は終わる。  
 麦野はそれが嫌だった。  
 会おうと思えば会える。自分が望めば、上条は拒否する人間ではない。  
 それは短い付き合いの麦野でも容易に分かる事だ。  
 だから問題があるのは、上条ではなく麦野自身。  
 麦野の立場的にも問題があるけれどそれは些細な事だ。  
 麦野は今の関係が崩れ、新しい関係を築いていく事に不安があるのだ。  
 そもそも自分の中で上条がどこに位置されているか自分自身でさえ分からない。  
 そんな気持ちで作られる関係は、どんなものか想像が付かない。少なくとも自分の望むものではない気がする。  
 少なくともかつて心理定規に設定された距離より短い距離に上条当麻がいるはずなのだが……  
 断言はできない。学園都市第四位の実力者といえど自分の気持ちが分からない程に乙女であった。  
「じゃあ、退院祝いにどっか遊び行くか?」  
「えっ……」  
 麦野にとって上条の言葉は、嬉しい。遊びに行くというのは嬉しい。それが上条と一緒なら尚更。  
 だが自分の姿を省みて躊躇いが生まれる。  
 隻眼隻腕。受け入れるのに時間が掛かった自らの体。  
 受け入れた。病院で過ごす分には慣れた。だが外は病院とは違うのだ。  
 怪異の目で見られるかもしれない。憐憫の目で見られるかもしれない。  
 それに自分は耐えられるのだろうか。一度病院を抜け出し、シャケ弁を買って来たが、その時も相当きつかったのだ。  
 だからあまり行きたくないというのが本音だ。だけど、  
「嫌か?」  
「そんな事ない」  
 上条に乞われれば断れない自分がそこにはいた。  
 どちらにしろいつかは、病院の外に行く。日常生活に復帰する。  
 その時自分は、この姿を晒すのだ。早いか、遅いかだけの違いだ。  
 ならいつだって構わない。今だって構わない。ただそれだけの事だ。  
「行くよ」  
 だから頬が綻んでいるのは、きっと気のせいだ。  
 
 麦野が病室に戻ったら一人の少女がいた。  
「流石香港赤龍電影カンパニー、今回も期待を裏切らないC級映画ですね」  
 絹旗最愛だ。病室のベットに腰掛て映画のパンフレットを見ている。  
 その映画が怪しげなタイトルなのはいつもの事だ。  
「何の用?」  
「お見舞いに来てあげただけです。麦野はまた例の男との超密談ですか?」  
「そうね。だから何?」  
「少しは動揺してください。超からかいがいないんですが」  
「からかわれてあげる必要もないからね。それにしてもいつも来てもらって悪いね」  
「いや、超気にしないでください」  
 麦野は変わったと絹旗は思う。  
 前の麦野ならこんな言葉など掛けなかっただろう。  
 変えたのは浜面か例の男か。  
(ま、超関係ないですけど)  
 誰が変えたのではなく、どう変わったか、結局それが問題なのだ。  
 絹旗は、麦野のした事を知っている。  
 思う所はあるが、間違っているとは思わない。所詮自分達は裏の人間なのだ。  
 ただ理屈では分かっていても感情では納得できなかったが。  
 だから麦野が前のように、仲間を使い捨ての道具にしか思っていないような人間だったら何度も見舞いになど来なかったろう。  
 だけど今の麦野は違うと思う。思うから見舞いに訪れる。  
(今のアイテムは、私一人で超大変なので早く復帰して欲しいですし)  
 
「絹旗?」  
「超考え事してました。それより麦野にはこのとっておきの映画チケットをあげましょう」  
 流されるままに麦野は、差し出されたチケットを受け取る。何故か2枚ある。  
「使ってください」  
「使うって、何で2枚あるわけ?」  
「私なりの超お節介です。それでは私は帰りますので」  
 チケットを渡した絹旗は、用事を果たしたと言わんばかりに颯爽と帰っていった。  
(屋上での会話を聞いて準備したの?)  
 流石にそれはないと馬鹿馬鹿しい考えを掻き消す。  
 きっと退院が近いという事を知ってお節介をしてくれたという事だろう。  
 素直に受け取っておこうと思い、チケットへ目を通す。  
「おい……」  
 映画のタイトルは見るからにB級映画のものだった。  
 人に渡す時くらいB級映画は止めておけ、と麦野は思った。  
 
 絹旗の去った病室で麦野は一人考える。  
(やっぱりデートなのかな?)  
 男と二人で遊びに行くのをデートと呼ぶなら、これが麦野にとって初デートという事になる。  
「あー。やばい」  
 意識すると顔が熱を持ち赤くなっているのが自分でも分かる。  
 思っていた以上に自分は純情だったらしい。  
「まあ、デートかどうかは別にしてもいい格好はしないと」  
 麦野にとっていつもの半袖コートの服を着る。  
 鏡を見ればいつもの自分がそこにいた。  
 腕がなく、片目が髪で隠れているという事を除けばだが。  
 はぁーと溜息。  
 入院着で見慣れた自分の隻腕隻眼の姿は、いつも着ていた服を着るとまた違って見えた。  
 勿論良い意味ではなく、悪い意味で。  
 また一つ溜息。  
 上条はそんな事を気にしない。そのくらいの事は分かっている。  
 けれども気にしてしまうのは、女として仕方がない事だ。  
「どうしょうもないか……」  
 諦めの溜息がまた一つ漏れた。  
 
 金曜の午後。二人は病院前での待ち合わせをした。  
 いつも不幸に巻き込まれる上条にしては、珍しく何もなく、すんなりと待ち合わせの時間に到着する事が出来た。  
「どうかな?」  
「似合ってるぞ」  
 麦野が上条に病院服以外の服を見せるのは初めてだ。  
 その為に麦野の意識して聞いた答えは、意識してるのか分からないくらい即座に返された。  
 上条の顔を見れば本心で思っていてくれるのは分かるし、褒めてくれているのだからそれでいい。  
 だけどもっと何かを望んでしまう。それはいけない事だろうか? と麦野は思う。  
「じゃあ、行こうぜ」  
 普段の上条なら今の答えでもすんなりとはできないだろう。  
 麦野の体の事を想っての発言であって、これ以上を上条に望むのは無茶という事を麦野は知らない。  
 そう知らない。知らないのだから、  
「歩きづらいから手繋いで」  
「あ、ああ……」  
 このくらいはいいだろうと麦野は思う。  
(麦野の手、柔らかいな)  
 握った手は柔らかく、温かく、純情少年の上条に女を意識させるのには充分だった。  
「そっ、それで行きたい所があるって言ってたけど、どこに行くんだ?」  
「知り合いが映画のチケットくれたんだ。だからその映画館に」  
 麦野としては、絹旗に貰ったものを使うのには躊躇いがある。  
 ならなぜ使うのかといえば、それしかなかったからだ。  
 そもそも今回のデートでどこに行くか決める権利を持っていたのは麦野だった。  
 普通男が考えるのではないかと思わなくもない。しかし上条が、  
『麦野の行きたい所でいいぞ』  
 と言った為に麦野が決める事になった。   
 なったのはいいがデート初体験の麦野に良い考えが浮かぶはずもなかった。  
 諦めて素直に上条に任せるという選択肢もあったのだが、麦野は自分で決めるという選択をした。  
 その為麦野には絹旗に貰ったチケットに頼るしかなかったのである。  
(それに見るからにB級映画のタイトルだが、実は良いかもしれなし)  
 希望的考えである。ともかくこうして二人は向かうのであった。  
 歩く道なり。  
 街はいつもと変わらない。だというのに、一つの瞳が映す街は違って見えた。  
 麦野自身の変化もあるだろう。そして隣にいる男もきっと影響しているだろう。  
 週末という事もあり人がたくさんいる。周囲の目を感じる。通り過ぎる人々が全て自分を見ているような気さえする。  
 それでも、  
(うん)  
 ぎゅっと上条の手を強く握れば気にならなくなった。  
 しかし麦野が安心してるのとは反対に上条は動揺していた。  
(こっ、これは)  
 麦野は手を強く握った際に、上条の腕に抱きつくような形になってしまっている。そんな事をすればどうなるかは自明の理。  
 麦野の服の上からでも分かる大きな膨らみが、上条の腕にぶつかっているのだ。  
(落ち着け。落ち着くんだ。見た目と同じく大きくて、柔らかい胸の事なんて考えるな)  
 必死に冷静になろうとしているが、動揺しているのは麦野にはすぐ分かった。  
「どうしたの?」  
「いえ、あの、その、胸が、ですね」  
 これが狙ってやってるならともかく、無意識でやっているのが麦野の怖い所だと上条は思う。  
 屋上で会っていた時にも麦野の無防備さにドキドキさせられた事もあったのだ。  
「えっ……あっ、ふ〜ん、そうなんだ〜」   
 言葉を詰まらせる上条に疑問を抱き、視線を追って見ると行き先は、上条の腕と押し当てられている自分の胸。   
 麦野は全てを理解した。けれども何も言わない。ただジト目で上条をみつめるだけだった。  
「すいませんでした」  
 上条は何をしたという事はなく、むしろされた方だ。だから謝罪をする必要はないのかもしれない。  
 それでも謝罪をしなければいけない、と思わせるものが麦野の視線にあった。  
 しかし上条の謝罪に応えるように、麦野はさらに腕に胸を押し付けていた。  
「ふふっ」  
「って! おい、わざとか!」  
 麦野の顔には先程のジト目はなく、代わりにあるのはチェシャ猫の笑い。  
「嬉しいんだからいいでしょ?」  
「しかしですね。上条さんも男の子であるわけでして」  
 上条の必死の言葉も虚しく、結局繋いだ手と押し当てられた胸が解かれる事はなかった。  
 
「こんな所に映画館なんてあったんだな」  
「そうだね……」  
 絹旗に聞いた映画館の場所へと二人は着いたのだが、そこは見るからに潰れそうで期待できそうにない場所だった。  
「ま、麦野の知り合いが勧めてくれたっていうなら大丈夫だろ?」  
「そうかな? うん、そうだね」  
 上条にとって知る由もないが、その勧めてくれた知り合いの趣味を考えると素直に信じるというのは間違っている。  
 だから知っている麦野は、やはりかと思っている。  
 思っている、だがそれでも麦野は絹旗を、仲間を信じると決めたのだ。よく見舞いに来てくれる少女を信じると決めたのだ。  
 過去の麦野だったら信じる事はなかっただろう。  
「入ろうか」  
 麦野沈利は変わった。大した事ではない些細な変化に過ぎない。それでも麦野沈利は確かに変わっていた。  
 
「B級映画だったな……」  
「B級映画だったね……」  
 結局映画はB級だった。  
(絹旗……あとでブチコロす)  
「あー、麦野さん?」  
「……何?」  
「いえ、何でもないです」  
 言いたい事があった上条だったが、麦野の様子が怖かったので何も言えなかった。  
 だから、ブ・チ・コ・ロ・シ・か・く・て・い・ね、と聞こえたのはきっと気のせいなのだ。  
(上条さんは何も聞こえてません。聞こえてないったら聞こえてません)  
 上条に出来るのは、麦野にこの映画を勧めた知り合いの安否を祈るだけだった。  
 
 映画館を出た二人はショッピングをしていた。  
「退院祝いに、何か買ってやるぞ」  
「何でもいいの?」  
「安いのにしてくれると上条さんの財布的に有り難いです」  
 期待に満ちた麦野の目が上条は怖かった。  
「じゃあ、あれとか?」  
「これか? って、おい! これのどこが安いんだよ!」  
 麦野が軽く示したものは、上条の生活費を考えると有り得ないものだった。  
「えっ、このくらいなら大した事ないでしょ? あれ、どうしたの?」  
「いえ、レベル0とレベル5の財力の決定的な違いを思い知らされてうな垂れているだけです」  
「ふーん。じゃあ、どのくらいならいいわけ?」  
「あの辺のなら上条さんでも大丈夫です」  
 上条の指差したのは、アクセサリー売り場。  
 ネックレスや指輪など様々な物がある  
 レベル5の財力を持つ麦野にとって大したものはない。だがそれでも麦野には、心惹かれるものがあった。  
「指輪……」  
「んっ? あの指輪がいいのか?」  
 麦野の気を引いたのは、一つの指輪。  
 銀細工の指輪は、中々のモノだろう。  
 だが麦野が惹かれたのは指輪そのものではなく、男から上条から贈られる指輪にである。  
 今の麦野は左手の薬指という乙女の憧れは出来ないけれど、それでも男から贈られる指輪には憧れというものがあるのだ。  
「深い意味はないんだから……うん」  
 惹かれたものの、麦野は逡巡する。そして自分に言い訳。自分自身の乙女チックな思考に軽く凹んだのは秘密だ。  
「……麦野? あれじゃないのか?」  
「えっ!? や、あれ、あれでいい。あれがいい」  
 何故か動揺する麦野に首をかしげる上条。  
 所詮上条には、分からないものである。  
「あれかー。上条さんの御財布的には、その隣の……」  
「この指輪にしなさい!!」  
「はい……」  
 麦野の考えなど分かるわけもなく、結局上条は押されるがまま指輪を買う事になった。  
 
「あっ……」  
 上条に指輪を買って貰い上機嫌で歩いてた麦野だったが、ふと視界に入ったものに足を止められた。  
 それが視界に入ったのは偶然である。  
 相手がそこにいたのも、麦野がここにいたのも、向こうが気が付かなかったのも、こちらだけが気が付いたのも全て偶然。  
 偶然に過ぎないのだが、麦野は運命というものを信じそうになってしまった。  
 浜面と滝壷。  
 それが麦野の視界に入ったものだった。  
 脱力した様子の滝壷に、必死に相手をしている浜面。  
 麦野の記憶にある頃とあまり変わっていないように見える。けれど何故か幸せそうに見えた。いや、きっと幸せなのだろう。  
(なんで?)  
 なんでこんな場所にいる? なんで出会ってしまった? なんで私は何もしようとしない?  
 疑問が麦野の頭を埋め尽くす。  
 何もする気はなかったが、実際に会えばする何かが起きると思ってた。  
 だけど遠さから向こうは気が付かず、自分は何もする気が起きない。  
 今の麦野はただ視界に入れる事しかできず、そのまま視界から立ち去るのを見送るだけだった。  
 何もしようと思えない自分が不思議でたまらない。  
 自分自身の思考がまとまらない。明確な答えが出ない。自分自身が分からない。  
 かつて病院の屋上で考えた答えは未だに出ない。  
「どうした麦野?」  
 思案しながらも、上条の気遣う声を聞き、上条を見る。  
「ああ……そっか」  
 それだけで分からないはずの答えは出た。  
 何故何もしなかったのか? しようとしなかったのか?  
 それは今なら命を懸けて自分に挑んできた浜面の気持ちがなんとなくと分かってしまうからだ。  
 分かってしまったら憎みきれなくなった。だって同じなのだから。  
 上条の為なら麦野は命を懸けて戦えるだろう。きっとかつて敗れた垣根帝督とも戦える。  
 それはレベル0のくせにレベル5の自分に挑んできた浜面となんら変わりがない。  
(なんだ)  
 結局麦野は、自分の知らない内に善人になってしまったのだ。上条はそれに気が付かせてくれたのだ。  
 浜面の事は、決して許されるような事ではない。自分がした事も自分がされた事も。  
 それでも今は止めておこう。今度会ったらぶん殴る、浜面の事はそれで終わりだ。  
 それよりも麦野には優先すべき事がある。  
 浜面の気持ちがなんとなくとは言え分かったという事は、浜面が滝壷を思う気持ちが分かったという事。  
 何故分かったいうと麦野も同じ気持ちを抱いたと気が付いたから、つまり麦野が上条を想う気持ちを自覚したという事である。  
 想いの差はあれどそれは揺ぎ無い事実。  
 麦野にとって上条はただ利用するだけの人物だった  
 命を懸けてまで守る価値はないはずだった。  
 そして利用するというならばその期間は過ぎている。  
 気に入ったというだけで命を掛けるに値するというのか?  
 理屈ではないと分かっている。だが理屈などどうでもよい。本人にさえ解らぬ道理など幾多もある。  
 上条を想う気持ち。そこには打算もなく、見返りも求めない。そして迷わず、揺るがず、疑わない。  
 麦野沈利が上条当麻を想う感情。それは――  
(私は上条君の事が好きなんだ)  
 麦野沈利は今、初めてその感情を自覚した。  
 
「どうして上条さんはこんな事になっているんでしょうか?」  
「哲学? 難しい事を考えてるのは似合ってないよ」  
「流石の上条さんもこの状況を作り出した張本人に言われたくはないんですが」  
「私もここまで来て何もしようとしない上条君に言われたくないかな」  
 会話自体は普通の会話であるが、会話している状況が普通とは違っていた。  
 今の上条と麦野はホテルの部屋に二人きり、しかも居る場所がベットの上、さらに加えると麦野が上条を押し倒している。  
(なんでこんな事に……)  
 何故こんな事になったのか、上条は回想する。  
 事の始まりは、買い物の後に突然ぼけっとした麦野が疲れた言い、休む為に借りているホテルへ行きたいと言ったのであった。  
 勿論麦野の提案に異論があるわけなく、上条はホイホイ付いて行った。  
 行った先が見るからに高そうなホテルで、しかも借りていたという事を忘れていたという事実には今更なので驚かなかった。  
 そして麦野と部屋で二人きりになり今日の事を話したりしていた。そこまではいいのである。問題があるのはそれからだ。   
 ベットで寝る機会が激減した上条が高級なベットの寝心地の良さを堪能していた時に事は起きた。  
「えいっ!」  
「えっ!」  
 麦野が上条を押し倒したのである。元から寝ていたので少し違うかもしれないがともかく押し倒したのである。  
 突然の事にされるがままに馬乗りになられたが、冷静になれば鍛えているとはいえ片腕の女の子なんて上条が跳ね除ける事は容易い。  
 それでも上条には、何故かそれが出来なかった。そして麦野も馬乗りになる以上の事はしなかった。   
 二人は、押し倒したまま、押し倒されたまま見詰め合う事になった。  
 そして冒頭へと到る。  
(思い出してもまったく何でこうなったか分かんないんですけど! 上条さんいつの間にこんなフラグを立てていたのですか?)  
 回想が済んでもなお上条はこんな状況になったのが理解できないでいた。  
「麦野?」  
「ここまでして分からない?」  
 言いたい事は分かる。だけど何故かは上条には理解できない。  
 上条は自分のした事の重みが分かっていない。麦野の気持ちを分かっていない。  
 上条にとっては人を助けるなんて当たり前の事。その当たり前の事でも麦野にとっては大きな事だったのだ。  
 所詮上条はフラグを立てても回収はできない人間なのである。  
「なあ麦野……本気なのか?」  
 だから上条は、疑問を抱き問う。  
「女の子は本気じゃなきゃこんな事しないの」  
 しかし上条の疑問は、麦野の本気で返された。  
「そうか……」  
 上条も立派な男の子であるのでこのような状況が嫌いなわけがない。  
 期待する気持ちもある。しかし脳裏に様々な女性の姿が思い浮かび躊躇いが生まれる。  
 だが、それでも、  
「上条くん……」  
 出会った頃に戻ってしまったような麦野の姿を見れば拒否するという答えは存在しない。  
 同情、憐憫の気持ちはない。そのような気持ちで抱くなど許されない事だ。  
 それはきっと上条当麻にとって決して許される事ではないだろう。  
「麦野」  
 上条は、押し倒された体を持ち上げると向き合い、抱きしめた。それが答え。  
 
(上条君)  
 受け入れられた喜びを感じながらも麦野は不安を抱く、受け入れてくれたのは何故だろうと。  
 自分が上条を想うのと同じくらい上条が自分を想っていてくれた。それが理想なのだが、そうではない気がする。  
 女なら誰でもいい?それはない。そんな男ではないはずだ。同情、憐憫。有りえる。そういう男だ。  
 答えを知りたいなら聞けば良い。だけど麦野にはそれができずにいた。  
 だから上条に、ちゅっと口付け、強く、強く抱き締めた。例えどんな気持ちでも今だけはと想いながら。  
 麦野は、片腕で強く抱き締められないのが、片目でしか顔を見つめられないのが残念だった。  
 それはきっと隻眼隻腕になってから一番残念な事。  
 片腕でも強く抱きしめる、片目だけでもじっと顔を見つめる。  
 それでも足りない。  
 麦野沈利が上条当麻を求める気持ちはこんな程度ではない。  
 想いを表せない事がもどかしく、抱擁で気持ちが表せないならと麦野は唇の動きを強める。  
「くちゅ……ちゅぱ、んあっ!」  
 互いの舌先が絡み合い粘っこい水音が漏れ、舌先と舌先が触れ合いさらに唾液が分泌される。  
 唇の端から漏れる唾液など気にする事なく、互いに手を背中に回し強く抱き締める。互いの胸の鼓動が聞こえ合う。  
 上条がふと目を開くと視界に入るのは、麦野の顔。  
 苦しそうに眉根を寄せる顔も、キスで感じている顔も可愛らしく上条を興奮させる。思わず舌の動きを止め見入ってしまう程だ。  
「ちゅ……んちゅ?」  
 動きが止まった事に疑問を抱き麦野も目を開いた。二人は目が合った。  
「……慣れてない?」  
 上条の舌使いや息継ぎの取り方など初めての麦野にとっては手馴れているように感じられた。  
「あーそれは……ん」  
 答えようとした上条の唇を唇で塞いだ。  
 そのまま言わせたら、きっと麦野にとって良くない答えだったはずだ。自分で聞いときながら聞きたくなくなったという身勝手。  
 自分が情けなくも思えるが、キスで上条と繋がる気持ちよさの前ではどうでもよくなる。  
 麦野は頭の中から思考が途切れていくのを感じていた。  
(上条くん……)  
 頭の中は上条の事で一杯で他の事など何も考えられなくなり、愛しさだけが胸に込み上げる。  
 頬は上気し、鼻腔から漏れる息遣いも荒くなっていく。唇をさらに強く押し付け、もっともっとと強く抱き締める。  
「ちゅぱぁ……あふ…ん、ちゅ」  
 そして抱きしめられる事により押し当てられる大きな膨らみが、上条の雄の部分を刺激してきた。  
 故にキスをしながらも押し当てられる大きな膨らみへ手を伸ばすのは男として必然と言えた。  
「あんっ……もう」  
 麦野にとって突然の刺激にキスが中断されてしまう。  
 突然の愛撫に驚くよりキスが中断されてしまった事に麦野は抗議の声を出す。  
「もっとキスして」  
 胸を触られた時にも感じるものがあったが、唇はまた別だ。唇を重ねる度に女が疼き、上条と繋がるのを麦野は感じていた。  
 感じる。拙いながらも一人で慰めた事もあるがそれとは明らかに違うものだ。  
 キスだけでこんなに感じられるのは相手が上条だからだ。だから、  
(全部上条君が悪いんだ)  
 だから受け入れよう。感じてしまう自分を。上条を求めてしまう自分を。  
「上条当麻」  
 上条の名前を呟く。それだけで麦野は麦野でなくなる。  
(こんなの私じゃない気がするけど……まっ、いいか)  
 上条を想う気持ちに嘘などない。故に上条を求める自分を、変わった自分を容易く肯定した。  
 上条の事で一杯の頭で、麦野はこれが身も心も繋がるという事だと実感する。  
 だけど身も心も繋がるという事にはまだ先がある。キスだけではないのだ。  
 互いに欲している以上先に進むのは必然と言えた。  
「いいか?」  
 服の上からでも分かる膨らみを直に見たく、衣服に伸ばされた上条の手は重ねられた麦野の手により拒否された。  
「ごめん。傷見られたくないから」  
「そっか……」  
 自分は気にしないが女性なら気にするのだろう。  
 なら無理強いはしない。上条はそう考えた。非常に残念だが。  
「ふーん。そんなに見たかったんだ?」  
「否定はしません」  
 挑発した口調の麦野に落ち込んだ様子の上条。  
 麦野もどこか落ち込んだ上条の様子を見れば悪く思ってしまう。  
 だからせめてと思い麦野は行動する。  
 
「ここも見たがってるし?」  
「うっ」  
 そう言いながら麦野は、上条のズボン越しに既に準備が出来ている上条自身を擦る。  
 ズボン越しで決して強い刺激ではないが高ぶった上条にとっては大きな刺激だった。  
「こんなに大きくして苦しくないの?」  
「苦しいです」  
「なら……」  
「おいっ」  
 麦野は上条の声など気にする事無く、片手で器用にもベルトを外し、ズボンを降ろし、下着も脱がし、その下にあるものを露にする。  
 上条も最初は止めようと思っていたものの、途中から腰を浮かすなどして脱がすのに協力していた。  
「うわぁ」  
 露になったものを見て麦野は感嘆の声を出す。  
 血管が浮き出ていたり、変な形だ。麦野はそれを口でしようとしていたのだ。  
 勿論男性器を口にするのは勿論抵抗がある。  
 顔を近づければ今までに嗅いだ事のない雄の臭いがする。  
 それは決して良い匂いとは言えないけれど上条の匂いだと思えば我慢できた。  
(うん)  
 一呼吸置き、覚悟を決める。決めてからは早く、即座に実行に移した。  
 赤い唇が開き、熱い上条自身を覆った瞬間。  
「いたっ」  
 麦野の歯が敏感な所に当たり上条に激痛が走った。  
「ううっ」  
 上条が思わず攻めるような視線になってしまうのも仕方がない事だろう。  
「なによ?」  
「もう少しゆっくりでいいから優しくやってくれないか?」  
 この上条の提案は、自分が気持ちよくなるためではなく安全にやれるためのものである。  
「……わかった」  
 自分でリードしようと思っていただけに気が削がれる思いはあるが、上条の為を思えば仕方がない事だ。  
 そう思い、麦野は羞恥に顔を赤くしながらもコクリと頷き答えると今度はゆっくりと銜え込んだ。  
「ふぁみ……じょう、くん……?」  
 口に含まれたままモゴモゴと喋られ上条に快感が走る。  
 言葉に合わせて動く舌先が上条自身をくすぐるのだ。  
 言葉と共に麦野は、上目遣いに上条の様子を伺ってくる。今度は痛くないのかと、気持ち良いのかと。  
 上条は答えるように麦野の髪を優しく撫でた。  
 さらさらの髪は撫でていて気持ち良さを与えてくれる。勿論下半身の与えてくれる気持ちよさには劣るが。  
 その下半身の動きだって決して慣れた動きではない。銜え込み、ただ舌を動かしているだけだ。  
 それでも麦野が気持ちを込めて一生懸命やってくれているなら、上条にとっては充分な快楽だった。   
「くっ……」  
 キスで高まっていた上条は既に限界だった。  
 上条の限界など知る由もなく麦野の動きは、じゅぷじゅぷと音を立てて激しさを増していく。  
 口の中に溜まった唾液が唇の端から雫となって垂れているが、それさえも気にした様子はない。  
「そろそろ出るから」  
 上条の言葉に麦野は、分かっているのかいないのか分からない様子で口での愛撫を止めない。  
 上条はこのままだと口に出す事になってしまうと思い、堪えようとするが麦野の愛撫の前には儚い抵抗だった。  
「麦野、出る」  
「ちゅぱ、えっ?……んっ、ごくっ、んっ、こほっ……こほっ」  
 麦野は、出されたものを咄嗟に飲み込んでしまう。しかし独特の匂いと味がする粘り気のある液体を飲み干す事など出来なかった。  
「まずい……」  
「すまん」  
 上条は傍に有ったティッシュを取ると麦野に差し出す。  
 コホッコホッと、苦しげな顔をしながらそこに吐き出す麦野。  
「大丈夫か?」  
「なん、とか……やっぱり男の子としては、飲んで欲しかった?」  
「うっ」  
 そこで口篭るのは肯定と同じである。  
「今度は飲んであげるから」  
 麦野は先程までの苦しい顔が嘘かのようにからかい顔になった。  
「だから今は……」  
 言葉と共に衣服を脱いでいく麦野。言葉の先は上条でも言わずとも分かった。  
 
 麦野は、衣服を上を脱がず下だけ脱いだ状態だ。  
 大きな膨らみが見られないのは残念だが、下だけ脱いでいるというのもそれはそれで上条の興奮を誘っていた。  
 脱ぎ終わると麦野は、再び上条を押し倒した。  
「上条君はそのままで」  
 手で出されたままの上条自身を握ると自らへと添える。  
 先程出たばかりだというのに、上条のものはこれからの期待からか、既に大きくなっていた。  
 麦野自身も今までの行為で感じていたのか、愛液が溢れ上条を受け入れる準備は出来ている。  
「いい?」  
 拒む理由もなく、頷き、答える上条。  
 結ばれるという嬉しさ、初めて男を受け入れるという緊張。その全てを押さえ込み麦野は一思いに貫いた。  
「っあ……んっ」  
 体を裂かれるような痛みが麦野に走る。  
 それでも痛い、という言葉だけは出さず、飲み込み、今までに経験のした事のない大きな痛みを甘んじて受け入れた。  
 受け入れる準備は出来ていたので痛さだけじゃなく快楽もあるのが麦野にとって僅かな救いだった。  
 麦野が痛みを堪え上条の顔を見ると、そこには痛みなど感じさせず気持ち良さそうな顔。  
(なんか、理不尽)  
 そんな顔を見れば麦野がそう思ってしまうのも仕方がないだろう。  
「麦野、お前」  
 麦野のそんな気持ちなど知る由もない上条の目に入ったのは、二人の繋がった部分から微かに流れ出る血。  
 上条としてはあまり慣れていないとは思ったが、積極性から経験があると思ってただけに意外だった。  
「そうよ。何? 男の子は相手が初めての方がいいんでしょ?」  
「そうだけど……」  
「それとも経験豊富なお姉さんの方がよかった?」  
 上条の言いたい事はそういう事じゃない。初めてなら自分がリードして、もっと優しくする事も出来たのである。  
 だからと言って最初に言っておけというのもおかしい。それなので上条に出来るのは己の気持ちを偽らずに言う事だけだった。  
「俺は麦野が初めてで良かったと思ってるし、麦野の初めての男になれて嬉しい」  
 できればこれからも知る男は自分一人だけでいいと思うのは、男の身勝手な独占欲であるので言葉にはしなかった。  
「そっか」  
 返す言葉は少なくとも顔を見れば麦野が嬉しいという事は、上条でも分かった。  
「じゃあせめて優しくするから」  
 強く抱きしめ腰を振る。ゆっくりとそれでも自分を刻み込むように強く腰を振っていく。  
 その最中でも髪を撫でたり、優しく声をかけるなど気遣いを忘れない。時折髪が捲れ傷ついた右顔が露になるが上条は気にしない。  
「あん!あっ、あっ、あっ……」  
 上条の優しい動きには想いまで伝わってくる。麦野はそう感じる事で、次第に痛みも薄れ、行為にも慣れていった。  
 肉と肉のぶつかり合う音が響き、互いの呼吸が重なっていく。  
 麦野の時折漏れる吐息に甘い色が混じり、快感という甘い刺激が体中を伝っていった。  
「くぅん……んっ、んん、はぅ……」  
「気持ちいい?」  
「きもち、いい……」  
 上条には素直に快楽を示してくれる麦野が、初めてで痛みもあるだろうのに、自分に合わせて腰を振ってくれる麦野が  
 恋しく愛おしく感じられた。今の上条の中には、愛しさから労わる気持ちとただ快楽を貪りたい気持ちが存在する。  
 だから両方を満たす為に頬を重ね、吐息を重ね、唇を重ねる。  
「ちゅ、んっ……んちゅ……」  
 それだけで互いに満たされるものが、そこにはあった。  
(このまま……)  
 麦野はこのままずっと身も心も繋がっていたいと思う。だが終わりはいつか訪れるもの。  
 次第に、上条の腰の動きが激しくなってきた。そこには最早気遣う動きはない。  
 麦野が快楽を感じてるから激しくしてもいいと思ったのもあるが、上条の終わりが近いという事もある。  
「あっ、あんっ、ダメッ、これ以上は!!」  
 激しい動きに耐えられず、ずっと繋がっていたという想いが蹂躙されるようで麦野は、静止の言葉を出す。  
 しかし麦野の静止の言葉など聞けるはずがなく上条は止まらない。止まる事が出来ない。  
「麦野、出る!」  
 麦野を求め、高まった上条は、そのまま麦野の中に出した。  
「んっ、んんん、んはぁぁぁ!…………」  
 麦野は子宮に注ぎ込まれていく精液を感じ、自らも達した。  
 そして快感の悦び、結ばれた喜び。その二つの感情が一つの眼に涙を流させ、麦野は意識を手放した。  
「麦野?」  
 勿論麦野には快楽もあった。だがそれ以上に疲労したというのが意識を失った原因だ。  
 麦野は一応まだ怪我人なのである。そんな人間に無理をさせてはいけない。  
 意識を失った麦野に呼びかける上条の声だけが部屋に響いた。  
 
「大丈夫か?」  
「んー、なんとかね」  
 息も絶え絶えという様子で言葉を返す麦野。  
 結局麦野が意識を取り戻したのは、10分が経過し、上条がこのままでは拙いかと思い人を呼ぶ事を考え出してからだった。  
「疲れたっていうのもあるけど、気持ち良かったからっていうのもあるしね」  
 最後に上条君は?と問う。  
「俺も気持ち良かった」  
「そうだよね。駄目って言ったのに止まってくれないくらいだし」  
「うっ、それは……すいませんでした」  
 ジト目で見詰めてくる麦野に上条は何も言えなかった。  
 止まれなかったのは事実だし、何より麦野が気を失わなかったら2回戦に突入しようと思っていたのだから。  
「どうしょっかなー、許してあげようかなー」  
 麦野にはそんなに攻める気はなかったのだが、上条の申し訳なさそうな様子を見ればついつい調子に乗ってしまっていた。  
「本当にすまん。俺に出来る事ならなんでもするから」  
「本当? なら…………」  
 か細く、傍らにいる上条にしか聞き取れない声で麦野は条件を言う。  
「うっ、それは……」  
「ふーん。初めての女の子を気を失うまで犯すよう鬼畜な上条君はそんな事もしてくれないんだ」  
「分かった。分かりました。ああー不……んっ」  
 お決まりの台詞は麦野の唇に塞がれて言えなかった。  
「こんな綺麗なお姉さんの処女を貰っといて不幸って言うのはないんじゃない?」  
 上条には頷き返す事しか出来なかった。  
 

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