密林を抜けると、そこは雪国……ではなく当麻には見慣れない女性服のコーナーがあった。  
生い茂っているような掛けられ方ではなく、長方形の碁盤の目のように整理されていた。  
フロアを支える太い柱の周りには、簡易試着室であろう直方体の箱が並んで置かれている。  
「……にしてもここから選ぶのか」  
目の前だけでも百、二百着はある服を前にして、当麻はそうこぼした。  
「流石に。全部は無理かも」  
「何も一つ一つ見ていくわけじゃないわよ。値段とかもあるし……っと、あったあった。」  
と、美琴が何かを見つけその方へ歩いていく。  
向かった先にあったのは、コンビニや図書館などに置いてあるような端末だった。  
「えーっと、大体の値段で検索して……ったく、最近のは小難しいわね」  
ピッピッと電子音を鳴らしながら液晶のボタンを押していく。  
どうやら情報検索端末らしいが、そんなことに疎い当麻にはあまり分からない。  
「買おうとするなら……だいたい向こうの端からあの辺りまでね」  
少し向こうのエリアを指して美琴が言う。  
並べ方も縦や横、ブロックなどで大体のジャンル、ブランド、値段などが計算されているようだが、やっぱり当麻にはよく分からない。  
「私も。予算的にはそのくらいが妥当かな」  
「おっし、んじゃ早速見て回るか」  
いささか場違いな気がしながらも、当麻は見慣れぬ地へと足を踏み入れた。  
 
 
「しかしなぁ……布と革と糸の集合体がどうしてこんなに高いんだ」  
「君。ひねくれすぎ」  
デザインより先に値段を見た当麻の言葉がこれである。  
普段の当麻の服装はもっぱらTシャツにジーンズなど、いわば懐の厚さに比例したものが多い。  
故に、その二倍や三倍どころではない値段を見ると、こうも言いたくなるのは当然だった。  
「さてと、大体この辺りね」  
と、二人の前を歩く美琴が足を止める。  
「これでも結構多いな……ま、ゆっくりやるか」  
当麻が回りをキョロキョロと見渡し、大きく背伸びをした。  
「とりあえず。目に付いたものから漁ってみる。」  
そう言って、姫神は近くにあったダッフルコートに引き寄せられた。  
どれどれ、と当麻もそれにつられて歩を進める。  
 
 
ガチャガチャと服を漁る二人の姿を、美琴はその場に立ち止まったまま見ていた。  
やがて二人に近づき、どこか言いにくそうに話しかける。  
「ね、ねぇ。ちょっと……」  
ん、と当麻は首だけで振り返る。  
そして、何故かそわそわとしている美琴の姿を見て、何かを悟ったように「ああ」と声に出す。  
それを聞いた美琴の顔が、ブルペンから呼ばれた投手のように明るくなった。  
が、  
 
「俺達はこの辺りを見てるから、服が決まったら呼んでくれればいいぞ」  
 
登板初球のボール宣告。  
へっ? と予想外の答えに目を皿にする。  
「こっちも時間掛かると思うしな。 あ、ちゃんと値段は考慮してくださいよ? んじゃ」  
違ッ!そうじゃな──と美琴が言い返す間もなく、当麻は再び服の林に目を向ける。  
楽に行こうぜ、と投げ返されたボールを受け取った美琴は、もう沈んでいた。  
 
「──それじゃ。こっちのは?」  
「んー良いとは思うんだが、姫神を長髪を考えるとこっちの方が──」  
「む。 私が思うに。それよりは──」  
 
和気藹々と服を模索するレベル0の二人の横で、学園屈指のレベル5の少女は放っとかれていた。  
「え、えーっと……」  
何とか話しかけようとするが、うまく輪に入り込めない。  
──とある少女は言った。、輪の中には入れるが、輪にはなれないと。  
しかし今この状況の美琴は、輪の中にさえいなかった。  
そんな状況にもめげず、彼女は再度接触を試みる。  
 
「え、えーっと……」  
「これなんか。どうかな」  
「おっ、どれどれ。 ……ふむ」  
 
「あ、あははー! やっぱり一人だと時間が掛かるかなー……なんて」  
 
「俺としては、少し派手すぎるような気がするなー」  
「そう?」  
ノーストライクツーボール。  
 
「だ、だから……その……しっ、仕方ないからアンタにも……」  
 
「それなら、こっちの方はどうだ?」  
「その色使いは。地味すぎると思う」  
「んーそうか?」  
 
「手伝ってもらう……とか……」  
 
ノーストライクスリーボール。  
どうやら球を見ようとさえしないらしい。  
(こ、ここまでスルーするわけね……)  
もう後がない投手は、下手な小細工や変な意地を張るべきではない。  
そう思ってか、美琴は獲物を狩る鷲のような目つきで周りを見渡して、それを見つけた。  
 
「ね、ねぇちょっとアンタッ!」  
自分でも、少し大きかったかと言うくらいの声に呼ばれた当麻が「んん?」と反応する。  
「何だ? もう服決まったのか?」  
そう言って振り向いた当麻の目は、美琴の手にある服を捉えた。  
「こ……これなんか、どう?」  
おずおずと広げられたそれは、一着の軽い感じなワンピースだった。  
「や、やっぱりアンタの金なんだから、感想くらいは聞いてやるわよ」  
どこか変な美琴な様子に当麻は一瞬怪訝そう顔をしたが、「どれどれ」といって手を差し伸べる。  
そして  
 
「おお、これなら俺もいいと思うぞ!」  
と、当麻は笑顔で美琴にそう言った。  
 
──服の襟の値段シールを指差しながら。  
 
渾身を込めて放ったストレートも、ボールだった。  
予想外の返答に、「えっ? あっ」と美琴は豆鉄砲をくらったような顔になる。  
唖然とする美琴の頭の中で、審判マスクを被った白井黒子が嬉しそうに「フォアボール!」と腕を振り上げた。  
「いやぁそのくらいで妥協してくれるとは上条さん大助かりです!  
  けどまぁ、まだ時間あるし、もうちょっとゆっくり選んでていてもいいぞ?」  
何も知らず嬉しそうに一塁にまで走っていく当麻。  
ほい、と棒立ちになる美琴に服を返して、「姫神ー、それはちょっと高いと思うぞー」と言いながらクルッと背を向けた。  
 
(みっ、見た目より金!? 金に負けたーッ!?)  
誰でも見て分かるように、わなわなと体を震わせる。  
ガーンという音を頭に響かせながら、「そうだ姫神ー、さっきのはちょっと高すぎると思うぞー」と言い服の林に戻っていく当麻を目で追った。  
 
そんな時、彼女は見た。  
 
当麻の向こうの、美琴に向けられた姫神の目を。  
 
表情といえば、先ほどの三人で会話していた時のものとさほど変わらない。  
しかし美琴は、姫神の瞳の中に映る感情を読み取った。  
それは、女にしか分からぬような微妙な心理。  
美琴に向けられたのは憐れみや労りではなく、大げさに言えば誇らしさや優越感というものに近い。  
無論姫神にとっては、美琴を馬鹿にしたワケではない。  
ただ単に、上条当麻が美琴より自分の方を気にかけてくれる。  
そんな少しの自信が、無意識に生まれ───美琴が読み取ったのである。  
この刹那のアイコンタクトは、姫神が「そう?」と服に視線を向けたことにより終了する。  
 
 
だが、このままでは終われない一人の少女がいた。  
むしろ、彼女の中で別の何かが始まってすらいる。  
(上等じゃないの……!)  
美琴の中の、「年上への若干の遠慮」という樹に一筋の雷が落ちる。  
やがて、その樹はパチパチと小さな小さな火の粉を外へ舞い上げ、ゆっくりゆっくりと大きくなっていった。  
 
 
「……姫神、まだ決まらないのか?」  
はぁ、と溜息をつく当麻の横で、いつもより少し目を細めた姫神が三、四着の服を眺めている。  
これでも(当麻の意見を聞いて)絞った方なのだが、難しい一手なのか、かれこれ半時間以上も長考していた。  
が、小さな「うん」という声とともに、姫神の目が元の大きさに戻るのが見えた。  
「決めた。 このベージュにする」  
「そのセリフはもう三回目だな……まぁ決まったのならいいんだけど」  
ホッと当麻は安堵の胸を撫で下ろす。  
「んじゃー早速行くか。 ベージュは秋っぽくていいな、さっきのブラウンも良かったけど」  
と、今まさにそのブラウンのコートを元に戻そうとした姫神の手が止まる。  
「……やっぱり。このブラウンの方が。いやいや。こっちの赤のチェックも」  
ブツブツ呟きながら、再び双眸が細められた。  
「ちょ、また振り出しかよっ!? もうこのやり取りも累計七回目ですよお客さん!」  
だああっ、と時間だけを消費させる千日手に頭を抱える当麻。  
 
因みに、当麻の方も幾度の余計な一言がなければとっくに終局しているのだが、この少年に気づくはずもなかった。  
そんな当麻を余所に、「やはりこれが。いや。でもこちらも」などと再び長考に入る。  
(駄目だ……何か変化がないと……)  
ガクリと肩を落とす当麻は最早藁にも縋る思いだった。  
 
 
そんな時だった。  
 
「──ぇ、……ちょっと……」  
 
ん、と当麻は微かな何かを聞いた。  
はっきりと聞き取れなかったが、自分を呼ぶ声のようだ。  
 
「う……後ろよ後ろ」  
 
ようやくそれが美琴の声だと分かると、この状況を脱出できるという期待を胸にゆっくり振り向いた。  
「ほら姫神そろそろ時間が、なぁみさ……」  
か、と最後まで言い切れなかった。  
そのままの状態で、数秒が経過する。  
「? どうし……」  
硬直に気づいた姫神も美琴の方を振り向き、やはり同じように止まる。  
 
そこにいたのは、ショートパンツにフェミニンなピンクのキャミソールを着た美琴だった。  
 
少し露出が多い故か、決して堂々とは言えない態度で立っている。  
「………何よ、言いたいことがあるなら……さっさと言いなさいよ」  
どこか赤くなっている顔を逸らしながら、チラチラと横目で当麻の反応を見る。  
一方の当麻はというと、振り向いて口を空けたままの状態で放心している。  
その期待していたが予想外の反応に、美琴も少し戸惑う。  
(あれ?何固まってんのよコイツ。 ……もしかして結構良かったとか、いやいやそんな……)  
そして若干混乱した美琴までが黙り込み、三人とも無言のまま時間が過ぎた。  
だが、終にその静寂も破られることとなった。  
 
「……ぷっ」  
(……………………ぷっ?)  
当麻の口から、声ではなく音が漏れた。  
そして  
 
「ぶあっはっはっはッ! に、似合わねーッ!! これっぽっちも!」  
 
へっ、と面を喰らう美琴を余所に、上条当麻は「ぷふーっ!」と笑い続ける。  
「さらにもう秋なのに何だそりゃ、御坂先生は寒さにも負けない北風小僧ですか? わははっ!」  
「……あ」とようやく服の季節的違和感を感じた美琴に、当麻がふふははへへと笑う。  
「な、何よっ! 別にすぐに着るわけじゃないわよ、ってその下品な笑いを止めいっ!」  
(人の気も知らないで、コイツは……!)  
やや涙目になりながら、ぶるぶると硬く拳を握り締める。  
が  
 
「それならまださっきのワンピース着てた方が可愛かったかもな」  
 
放電一歩手前だった美琴に、当麻がそう呟く。  
──結果的に、この一言が二人を救うことになった。  
更に当麻は続ける。  
「そういや普段制服と体操服しか見てないからなぁ。そうなるのも当然か」  
「あ、アタシだってちゃんと選べるわよ!」  
「おやおやぁ、センス×ステータス持ちの美琴さんが何を仰いますかっ! ……男の俺より悪かったり?」  
「……そこまで言うならアンタが選んでみなさいよ! 口だけだったらタダじゃおかないからね」  
「おーおーこの幾度と値段に見合わない良質を揃えたカミジョーさんだぞ? 朝飯にもなりませんな」  
自信満々にそう言う。 因みに今朝の発言はあんまり覚えていない。  
「ぐっ、言ったわね。それじゃあ……」  
 
(あれ? それじゃあ?)  
と、ここでようやく美琴は気づいた。  
(……もしかして、そういう流れ?)  
今自分は、望んだ状況にいることに。  
「んじゃースマンが姫神、ちょっと行ってくる。 こっちを待たず先に会計は済ましといていいぞ」  
「……うん。こっちはまだ時間が掛かるから」  
即ち、二人きり。  
(うっ、うわぁ……………よ、よし……)  
小さな胸の中で、大きさに比例したガッツポーズをする。  
「この辺はあんまりお前向きの服じゃないから、向こう方の動きやすいのがいいかなー」  
「別にゆったりしたのでも……ま、まぁいいわ。ほら、さっさと行く」  
「あーはいはい。 んじゃー姫神、また後でな」  
「……ごゆっくり」  
そして、二人は一人になる。  
 
 
手元の服を眺めながら、姫神秋沙は思う。  
(……まぁ。彼は今までずっとこちら側。何より。優先するのは彼女の方)  
むしろ、姫神にとって今まで付き添ってくれてただけで充分だった。  
今彼女の右手にあるのは、少年が最初に進めたブラウンのダッフルコート。  
(……やっぱり。これかな)  
視線が、手元の服からこの場を離れようとする少年へと移る。  
 
そんな時、彼女は見た。  
 
当麻の斜め後ろにいる、姫神に向けられた美琴の目を。  
 
表情は、明らかにニヤけている。  
さらに姫神は、その瞳の中に映る感情を読み取った。  
それは、誰にでも分かる明らかな心理。  
もちろんそれは姫神に向けられているもので、  
一言で言えば  
 
(……勝った?)  
 
どうやら知らぬうちに方法も条件も不明な勝負が始まって終わったらしい。  
やがて美琴は視線を当麻に移し、その後ろに付いて歩いていった。  
 
 
「…………」  
いつもの姫神なら、何事もなかったかのように長考に戻っていただろう。  
しかし今日の彼女は、歩いていく二人の後ろ姿を見続けている。  
(…………………………………………むか)  
視線の交差による摩擦熱が、少しだけ姫神の心を暖めた。  
 
 

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