『暴走するは我にあり』
『上条当麻の力が暴走した!!』
土御門からその事を聞いたのが12時間前。
さらにインデックスがさらわれたと聞いたのがつい2時間前の事。
そして……。
「上条当麻……」
神裂火織は目の前に立つ人物を認め、名を口にしてもまだ信じられずにいた。
姿も形もいつものあの、ちょっと間抜けでおちゃらけたごく普通の今時の日本の高校生。
そして神裂(じぶん)と、その仲間の窮地を何度も救ってくれた恩人と呼ぶのもおこがましいと思うほどの恩人。
「上、条、当、麻」
神裂はもう一度噛締めるように上条の名前を口にする。
「神裂……、そこをどけ」
上条の言葉と共に吹き付ける威圧感を前に、神裂は、かつて天使を、そして二重聖人を前にしても感じなかった悪寒の様なものを感じていた。
(怖い……? この私が恐怖を感じている!?)
神裂はその考えを振り払うかのようにかぶりを振ると、上条の前に立ちはだかるかのように両手を広げた。
「上条当麻。貴方は判ってるんですか今の状態を? 今の力の暴走した貴方をこのランベス寮に入れる訳にはいきません!!」
「神裂」
しかし上条は、引き返すどころか一歩足を踏み出す。
神裂には上条の靴が砂粒を踏む音がやけに大きく聞こえた気がした。
「ひ、引いてください上条当麻!! 後は必ず私が何とかします!! 約束します!! だから、だから……」
(私に再び力を使わせないでください……。もう……貴方に向かって力を使わせないで……)
神裂の心が悲鳴を上げる。
しかし、その心の声は上条に届かない。
「インデックスがいないんだ……」
「だ、だからそれは私が探して――」
「駄目だ!!」
「!?」
今日出会ってから初めて聞く上条の怒りのこもった声に神裂の肩が大きく跳ねる。
「お前らじゃ無理だ。インデックスは俺が探す。だから……、どけ神裂」
「どきません!!」
神裂は左右に伸ばした腕に再び力を込めた。
上条は神裂の視線に固い意志を感じて、軽い苛立ちを感じて奥歯を噛締めると、
「アンジェレネやルチアみたいになってもいいって言うんだな」
上条の一言に、神裂の脳裏に先ほどの光景が浮かぶ。
それは、生まれたままの姿で、上条の足にすがる様にして呆けていたルチアとアンジェレネの姿。
2人の顔は、まるで古い絵画にある神の祝福を受けた人々のように満ち足りた笑顔を浮かべていた。
どんな力が作用したのか神裂には皆目見当がつかない。
元より上条は魔術の素人であり、しかも『幻想殺し(イマジンブレイカー)』の性質上魔術は使えないはず。
(気をつけるのは右手。ならな……)
神裂は改めて覚悟を決める。
「貴方にそれが出来るのであれば」
そして次の瞬間神裂は一気に上条との間合いを詰める。
「上条当麻。抵抗しないで下さい。貴方に無意味な怪我をして欲しくはありません」
神裂はその言葉の通り上条を傷つけずに拘束するつもりだった。
上条の右手の力を警戒して上条の左手側に回り込んだ神裂は、上条の左の二の腕と肩に手をかける。
あとはそのまま組み伏せるだけ――しかし次の瞬間、神裂の髪を結っていた帯が音も無くはじけ飛んだ。
「!?」
そしてその後を追うように、服も、ブーツも、そしてウエスタンベルトまでもがはじけ飛び、まるで紙吹雪の様に宙に舞う。
支えるものを失った七天七刀が地面に落ちて固い音を立てる――今、神裂は生まれたままの姿になっていた。
そんな神裂は、ほどけた長い黒髪が流れ落ちてくるのをむき出しの素肌で感じながらも、未だに自身に何が起きたかを理解していなかった。
ただ茫然と上条の横顔を眺めている。
しかし、そんな神裂を状況の変化は待ってはくれない。
続いて神裂は急激な虚脱感を味わう。
それはさながら体の中から生命力が抜き取られて行くような喪失感。
その感覚に耐えられない神裂は、軽く気を失いかけて、
「うぉっとと!?」
上条に抱きとめられた。
「さすが神裂。やっぱ『聖人』ってのはすげーんだな」
「か……こ……」
未だ喪失感が癒えずに声の出ない神裂は、目の前にある上条の顔に弱弱しく訴えかけるような視線を送る。
「俺の力は、今右手だけじゃ納まらなくて体を覆ってる。多分さっきの感じからすると……そうだな、半径2、3メートルってとこか」
上条の言葉に神裂はぼやけた頭の中を総動員して、状況を整理して行く。
そんな事など露とも意識していないのか、神裂の顔をじっと見つめていた。
すると、そんな神裂の頬に徐々に赤みが増して来た。
そして――、
「ぅおっと」
神裂は上条の腕の中から抜け出そうとするが――、上嬢の両腕は神裂の細い腰にがっちりと巻きついてびくともしない。
「は、放してください!!」
それでも諦めずに全力で上条から離れようと、上条の胸を両手で押す。
「さすが神裂。で、放してもいいけどさ。俺から離れると見えちまうぜ……っと、その……大事なところとか」
こんな時に上条(てき)に気遣われて、しかも妙に照れくさそうに言われてしまった神裂は、
「くぅおんのぉぉぉぉおおおおおおおおおおお!! 放せこのド素人が!!」
「うわっ!? は、放すって……いてっ!! コラァ!! 聖人が爪立てんな!!」
上条は、シャツの上から掻きむしられた痛みに我慢できずに神裂を解放する。
一方、自由になった神裂は自分の置かれた状況をまじまじと確認する。
(は、裸……)
そしてふと視線に気が付いて顔を上げると……ばっちり上条と目が合った。
「や、やあ」
まるで見てますよと言わんばかりに挨拶してくる上条に、とっさに辺りを確認した神裂が取った行動とは!?
「見んじゃねえこのド素人が!!」
「うわっ!?」
最も的確であり、最も迂闊な行動――上条に抱きついたのだ。
「う゛……」
(これで2度目……。私の裸を2度もさらしてしまった……)
それ以上に恥ずかしい堕天使エロメイド(かっこう)も披露しているのだが、取り合えず神裂は『裸』に固執したらしい。
「恥ずかしいのか神裂?」
「こ、これが恥ずかしくなくて何が恥ずかしいというのですか!! もし何かあるんだったらすぐこの場で教えて下さい!!」
神裂が言う事も尤もである。
上条も判ったのか、うんうんとうなずいている……、が神裂からすると馬鹿にされているようで気分が悪い。
「そ、そもそも貴方が悪いんですよ!! 私の言う事を聞いて下がってくれれば、こ、こんな事に――」
神裂は恥ずかしさと怒りと、そして何だか整理のつかないもやもやを言葉にして上条にぶつけていたが、そんな時上条に、「神裂」と名前を呼ばれるとドキッとして黙りこんだ。
そのまま暫く黙って見つめあっていたのだが、
「な、何ですか……?」
我慢できなくなった神裂の方が先に音を上げた。
「だ、黙って無いで何か言ってください。あ、貴方が、わ、私を呼んだのですよ?」
本当はこの場から逃げ出したい――しかし、何故か体はそれに反して上条の首の後ろに回した手に力を込めてしまう。
(こ、これではまるで……)
神裂はある考え行きあたってその身を固くした。
するとまるでこの時ばかり察したかのように上条が動く。
「恥ずかしいの忘れさせてやるよ」
「は?」
そして間髪いれずに神裂の呆けたように開かれた唇に、上条の唇が重なる。
「――――――――――――――――――――ッ!!?」
声にならない叫びが神裂の喉から絞り出されるようにあふれては上条の口の中に吸い取られて行く。
それからどれほど時間がたったのだろうか?
気が付けば神裂は幸せそうな笑顔を浮かべて上条の肩に顔を埋めていた。
そして、うなじに上条の吐息を感じながらぽつりと、
「上条当麻……。好き」
そう神裂は言葉をこぼした……。
神裂が目を開けて最初に飛び込んで来たのはオルソラの顔のどアップだった。
「あらあらおはようございますなのでございますよ、神裂さん」
「オルソラ!?」
鼻先もふれ合わんばかりの位置――しかも神裂のベッドの上で半ば神裂に覆いかぶさるような格好で微笑むオルソラに神裂は何故か戦慄の様なものを感じた。
「今朝は朝食の当番ですのに珍しく起きていらっしゃらなかったので起こしに来てみたのでございますが、お名前をお呼びしましても一向にお起きになられなかったものでございますから心配したのでございますよ」
「そ、それは、申し訳ありませんでしたオルソラ。あ、ありがとうございます」
神裂が動揺もあらわに謝罪と礼の言葉を述べると、やっとオルソラは神裂を解放した。
しかしその顔は相変わらずにこにこと楽しそうで、神裂は何故かその顔に不安を掻きたてられた。
「ど、どうかしましたか?」
どうしても捨て置けずに聞いてしまった神裂だったが、すぐにその事を後悔した。
何せ相手はこの曲者ぞろいのランベス寮でも一二を争う感性と話術を持ったオルソラ(あいて)。
はたして、オルソラは神裂の問いかけに笑みを深めると、ベッドに腰掛けて神裂の顔を覗き込んだ。
その見透かされたような感じに神裂は黙っていられず、
「な、何か?」
「ふふ……『上条当麻』」
「いっ!?」
神裂はその名前を耳にしたとたんに心臓が跳ねあがるのを感じた。
(な、何ですかこの感覚……?)
そう言えば夢の中で上条が出てきた気が……、などと考えていると、
「そう言えばあの方はどうしていらしゃるのでございましょうね? また困った人を見つけては助けている……そんな所でございましょうか」
「オルソラ……」
彼女も上条に助けられた1人――そう思うと複雑な気分になる神裂は、
(んな!? わ、私はただ借りを返したいだけで、それ以上の感情は……!!)
自分の気持ちが整理できずにひとりあたふたとしていた。
そんな事だから、
「あ、そう言えばお鍋をかけっ放しにしていたのを思い出したのでございますよ。さ、神裂さん御一緒に」
そう言ってグイッと腕を引かれるまで、オルソラの接近に気付かなかった神裂はよろめいてベッドから落ちそうになる。
「危なっ!! オ、オルソラ!? せめて身づくろいくらいさせ――」
「いえいえ、たまには『裸エプロン』と言うのもよろしいものでございますよ? 特に妙齢の女性の『裸エプロン』には核に匹敵する破壊力があるとある本で読んだ事がございます」
核とはまた物騒でございますね、などと自分で言った言葉に突っ込みを入れるオルソラに、言葉の衝撃にしばし呆然としていた神裂だったが、
「一体何の本を読んでいるのですか貴女は!?」
「上条当麻」
「ッ!?」
またもや跳ねあがる心臓に、後何回かで私死ぬんじゃなかろうかと胸を押さえて心配になる神裂をよそにオルソラは急に遠い眼をすると、
「年頃の若者の部屋ともなると色々と生々しいものが見て取れるのでございますよ」
(オルソラは私の知らない上条当麻(なにか)を知って……)
などと考えていると、シーツを握りしめていた手をグイッと引かれて神裂は我に返る。
するとそこには最初と同じ満面の笑みのオルソラがいた。
「ささ。それではいざまいりましょうか。わたくしたちの戦場(いくさば)へ」
「戦場って。ど、何処に行くつもりなのですか貴女は!? せ、せめて下着くらい着けさせてください――――――――――!!」
やっとシーツだけは死守した神裂が、その後『エロ包丁、壱の刃』の名を頂くのはまた別の話。
END