「よお、待たせたな」
「人を呼び出しておいて待たせるとは超いい度胸していますね浜面の分際で」
この日、絹旗最愛と浜面仕上は場末としか言いようのない映画館で待ち合わせていた。例によって他の人気は全くない。
浜面は薄汚い席の中列に並んで座る。間にビッグサイズのポップコーンを、好きに摘まめるように置いた。
今回は、いつものように絹旗が浜面を映画に引っ張り込んだのではなく、浜面の提案で映画に来ていた。とはいえ色気のある話ではない。
正確には、相談したいことがあるという彼の申し出に、絹旗が勝手知ったる映画館を選んだのである。
「わりいわりい。出かける前に滝壺に捕まっちまってよ。誤魔化すのに時間かかっちまった」
「超反省している気分がありませんね。というか今の会話、超不倫してる間柄みたいで超キモいです」
「仕方ねえだろ、滝壺にできる類の相談事じゃねえんだからよ」
「そこで何故私なのかが超疑問なのですが、まあいいでしょう」
満更でもなさそうな顔で絹旗がポップコーンを齧る。むしゃむしゃ。
一方の浜面は表情を引き締めて深刻な顔になった。相談ごとを頭の中で纏めているのだろう。
そんな浜面の様子を見て、絹旗もやや態度を改めた。
滝壺に相談できないことと言えば、滝壺自身の体質のことか、新チームのことか、或いは彼の古巣のスキルアウトのことか。いずれにしろ少々厄介な事態かもしれない。
「滝壺のことなんだけどよ……」
「はい。なにか、体調の超問題ですか?」
「こう。最近滝壺とする時に、妙に声をあげるっていうかアクションが大きくてな」
「超ちょっと待て」
絹旗が手をかざして浜面の言葉を止めた。彼女の窒素装甲(オフェンスアーマー)なら、この状態から浜面を座席から引っこ抜いて遠投できる。
そして返答次第では座席の端までそうするつもりだった。
「それはいわゆる夜の情事とか、格闘技じゃないのに裸になってくんずほぐれずとか、超ぶっちゃけSEXですか?」
「そうだぜ?」
そうした。
何をいまさら言ってるんだ、的顔をした浜面の顔面を絹旗は空気越しにむんずと掴み、座席の端まで放り投げた。
どごんっ!と左側の方で音がしたが、絹旗は構わずスクリーンを眺める。そこそこ名作ではあるのだが、飽きるほどに見た映画だった。ふあ、と欠伸を漏らす。
クライマックスに差し掛かる辺りになって、よろよろと浜面が戻ってきた。首がおかしな方向にねじれている。
「お、お前な……いきなりしやがるんだ」
「それは超こっちのセリフです。何いたいけな少女に超猥談持ち掛けてるんですか」
「いや、いたいけっつうか物理的に痛い……OK降参だ参りました」
「大体、そんなことは浜面の超ろくでもない知り合いに相談すればいいじゃないですか。超いるんでしょう」
「ああ、いるにはいるけどな。あれはダメだ」
浜面は沈痛な表情で首を振った。既にオチを予期している絹旗は白眼で待機している。
「そんな相談してみろ。絶対仲がこじれるようなこと吹き込まれるぜ」
「超何故です」
「俺だったらそうするからだ」
「超麗しい友情を超ありがとうございます」
予定通りに絹旗の白眼ジト目が突き刺さったが、浜面はどこ吹く風だった。HAP(浜面後で殴るポイント)+1。
さておき、絹旗は思考を切り替えて考える。あまり認めたくはないことだが、この男には新チームのことで借りがある。それに一応滝壺に関わることでもある。
少し迷って、彼女は相談に乗ることにした。問題があるとするならば。
「言っておきますが、私はそういう経験が超ありませんから一般論しか述べれませんよ」
「いや助かる。ありがとよ」
深々と頭を下げる浜面を目の当たりにして、ああこいつは滝壺のことになると本当に真剣なんだと絹旗は思う。アホだけど。
(もしも私だったらどうしたでしょうね)
ふと絹旗は思い出す。少し前に新チームでの仕事で、心理定規に言われたことを。
『あら、貴方達、いつの間にか食い違っちゃってたのね。ふうん』
最初の言葉は二人に向けて。後の言葉は絹旗だけに向けて。
『10単位差か。ま、頑張りなさいな』
心理定規(メジャーハート)は他人との心の距離を読み取るテレパスである。
そこで言う食い違いとは即ち『浜面→絹旗』と『絹旗→浜面』間の心理距離に差があるということだ。そして絹旗への、面白むような哀れむような表情。
(鬱陶しい女です)
自分でもわからないあやふやなものを数字として突きつける女。絹旗が心理定規に抱いたものは、かつてのリーダーと同じ感情だった。
ともあれ、相談が始まる。
「その前に浜面。一つ超確認したいんですが、滝壺さんの体調もありますし、そういうことは控えるように超決めませんでしたっけ?」
「いや、俺も我慢してたんだけどよ。滝壺がいいって言うから……俺も溜まってたし」
「浜面ごときに超セクハラされてますよ私。滝壺さんからってのは浜面の超脳内妄想じゃないんですか?」
「バカ言え。滝壺のあの恥らった視線、軽く震えながら囁く声、耳まで赤くした顔色、俺は全て脳に焼き付けたぜ」
「感動的なキモさですよ浜面。超(スーパー)浜面3とかそんな感じで」
あの無表情淡白無気力と三拍子揃った滝壺理后が自分から性行為を誘うとはちょっと想像がつかない。だからこそ浜面も相談してきたのだが。
「それだけじゃなくてな。実際にしてる時も、こう……」
「何ですかその超キモい手の動きは」
「いや、滝壺の様子をうまく表現できるかどうか不安でな。よし」
浜面は何かを思いついたように頷いて、座席を思い切り倒して仰向けに寝転がった。足は開き気味に放り出している。
突然の奇行に絹旗はドン引きである。
「大体こんな感じだったな……よし絹旗。足の間に入れ」
「ちょっと超なにしてるんですか超何させようとしてるんですかキモい超キモいです」
「状況を再現してるんだよ。別に変なことはしないから、ほれ」
「うう、超なんでこんなことに……」
ちょっと半泣きになりながら絹旗が浜面の足の間に入る。窒素装甲パンチで吹き飛ばせばいいだけなのだが、あまりのキモさに思考停止に陥ったらしい。
体勢としては正常位。ただし男女が逆である。ちなみに浜面は大真面目な顔をしている。変態だ。
「で、前の滝壺はこんな感じだな」
浜面は両腕を体の横に揃え、顔を横に倒して眼を閉じた。どうやら滝壺の様子を再現しているようだ。絹旗は相談に乗ったことを心底後悔している。
「浜面、もう細かいことはいいませんが、腰を細かく動かしてるのは超なんなんですか」
「言うのか言わないのかどっちなんだ。いや、単に振動をだ」
「超聞きたくありません! うう……」
「だからどっちなんだよ。まあいいや。で、最近の滝壺はこんな感じだな」
言って、浜面は両手を伸ばして絹旗の首に回して引き寄せ、同時に両足で絹旗の腰を挟み込んだ。視線はばっちり合っている。
体勢としては絹旗に浜面がしがみ付いてぶら下がる格好になっている。体格差があるのでかなり余り気味だが。
「〜〜〜〜〜〜っ!?」
「どうだ、全然違うだろ? それに前は声もあんまり出さなかったのに、最近はあんあんとだな……絹はべふほっ!?」
轟音。
ノーモーションで男に打ち下ろしの右(チョッピングライト)がぶち込まれた。浜面の体が一瞬深く沈みこみ、座席のばねで跳ね上がる。そこに今度は左のフックが炸裂。
ひとたまりもなく、浜面の体は向かって右に吹き飛んだ。悲鳴と共に座席を飛び越え、ほぼ減速せず側壁に激突。大の字に張り付いた体は、一瞬後床に落ちた。
普通だったら死んでいてもおかしくはない。が、超能力者(レベル5)を相手に生き延びた男は頑丈にできている。
「はー―っ、はー―っ、はー―っ……」
脅威を目の前から排除した絹旗は、ふらふらと自分の席に戻った。スプレー缶を取り出して火照った頬を冷やす。背もたれに頭を預けて真っ暗な天井を見上げると、頭に上った血が降りてくるのを感じた。
思考を整理する。議題は滝壺について。
絹旗は耳年魔の類である。性交の体験はない。なので条件は推定のものになる。
しかしそれでも、話に聞く滝壺の豹変は納得しかねた。
いわゆる性交と言うものは(男は最初かららしいが)回数を重ねるごとに快感を得られるものらしい。だからこそ浜面は下手なりに悩み努力しているのだろう。
それなら単純に慣れたということだろうか。否。彼には残念な話だが、おそらく滝壺は人よりも感度が鈍い。それは図らずも現場を目撃してしまった絹旗の感想だ。
理由は度重なる体晶の使用による感覚の鈍化によるものかもしれないし、単に生まれつきの性質なのかもしれなかった。
性交時に常に受け身を貫く、いわゆるマグロ状態なのも、結局はあまり気持ち良くないからだろう。滝壺にとって性交とはサービスであり、楽しむものではないのだ。
とはいえそれは浜面を愛していないという訳ではない。むしろ逆だ。愛しているからこそ『我慢』できる。
愛しているからこそ努力し、愛しているからこそ我慢する。
(超陳腐な悲劇ですね。お互いに超愛しているからこそ傷つけあう)
それが二人の間にある唯一の空隙なのかもしれなかった。
(……)
思考を戻す。
長々と推論したが、結局妥当な結論は一つだ。
息も絶え絶えで戻ってきた浜面に絹旗は結論を話した。
「演技じゃないですかね」
「ぜえっ、ぜえっ、お前絹旗……何?」
「浜面のテクニックがいきなり超上達したとか、滝壺さんの感度がいきなり超上昇したとか、そんな可能性よりは滝壺さんの演技だと考えた方が超妥当だと思います」
「いや、まず何よりさっきの仕打ちについて弁明はないのかよ」
「超うっさいですよ浜面。いつまでもそんなことを気にしてるから浜面なんです。せっかく私が超答えてあげてるんですから大人しく浜面しとけばいいんです」
「一体俺の名前はどういう動詞かつ形容詞なんだ……で、えーと。演技だと?」
「普通に考えれば超そうじゃないですかね。心当たりはないんですか?」
「…………」
浜面が考え込む。滝壺がそんな演技をする理由を。
絹旗も考え込むが、それは浜面が考え込む理由とは違う。その場所は既に通り過ぎている。
滝壺にとって性交とはサービスである。要はそれをちょっと過剰にしただけに過ぎない。それは浜面にとっては認め難いことなのかもしれないが。
問題は何故それが今なのだということ。何か、そうしなければいけない理由でもあったのだろうか。
二人して黙りこみ、傍目には映画に集中しているように見えていた。そんな時、不意に絹旗の携帯が着信を知らせる(マナー違反です)
「もしもし」
『きぬはた』
「なんでしょう、滝壺さん。そちらからかけてくるなんて超珍しいですね」
『ごめんなさい、きぬはた。いま、何してる?』
「映画観てますよ。10分単位のショートフィルムなんですが、今日は超外れの日みたいです」
『はまづらも、一緒?』
「いえ? 何が悲しくてあんな超浜面と一緒に観なきゃいけないんですか。初見のラーメン屋で唐辛子大量に使うぐらいの超愚行ですよ」
咄嗟嘘をついたことに意味はない。体をかがめて、隣の男に内容が聞かれないようにする。
『でもはまづらは、最近きぬはたと、よく映画観てるって言ってた』
「いやー、それはあれです。世の中には一人で観るには超拷問の超C級というものがありまして。そういう時の超生贄程度には役に立ちますよ」
『でも、きぬはたは最近、はまづらと仲いい』
「超名誉棄損で訴えていいですか?」
『寝言で、はまづらの名前、何回も呼んでた』
「――――そ」
れは
「うわあ、初めて自分のこと超キモいって思っちゃいましたよ。その後、超殴るとか超殺すとか言ってませんでしたか?」
「そういえば、言っていた気がする」
言ってたのか。
その後、帰る時間と夕食について簡単な打ち合わせをした後、絹旗は携帯を切った。直後、頭を抱えてしゃがみこむ。
(超私のせいですか――――!?)
彼女の中で線が繋がってしまった。つまり『絹旗が寝言』→『滝壺が危機感』→『サービス演技』という流れだ。
滝壺と絹旗は同じ部屋で暮らしている。寝言云々も有り得るだろう。そして滝壺理后はその手の鎌をかける人間ではない。
意外だったのは、滝壺が絹旗を脅威と捉えて対抗してきたことだった。どこか捨て鉢なところがあり、その手の執着心はかなり薄いと思っていただけに。
やはりそれだけ浜面との関係が大事であり、そして不安だったのだろう。これで絹旗も第三者ではなくなってしまった。
そこまで考えたところで今度は浜面の携帯が鳴る(マナー違反です)来た!
『はまづら』
「お、おお滝壺じゃねえか。どうした」
『はまづら、いま、何してる?』
絹旗は素早く手を伸ばして浜面の携帯に手を添えた。能力を使用し、窒素の層で携帯電話に伝わる周囲の背景音楽を変調させる。同じ映画を観ているとバレないように。
何事かと見返した浜面に、絹旗は身振り手振りで誤魔化すことを要求した。貴方に届けこの思い、でなければぶっ殺す。
「あ、えーとな。昔の知り合いと久しぶりに駄弁ってたんだよ。スキルアウトの時のな」
(ふう)
『はまづら、何か私に、隠してることない?』
(超直球キター!)
安堵も束の間、ど真ん中を貫かれて傍から聞いていた絹旗が凍る。だが意外にも、この対応は浜面が危なげなくこなした。
「なんだよ、隠してることって。俺がバニー好きだとかそういうことか?」
『それは、知ってる。はまづら、私の知らないところで、危ないことしてそうで、心配』
「大丈夫だって。自分の身の程ぐらい弁えてる。変なことには顔は突っ込まねえよ」
……思えば、絹旗の新チームの手伝いをする時点で、浜面は滝壺に隠し事を抱えているのだ。嘘をつくことに対する心構えは既にしていたのだろう。
そうさせたことに絹旗は後悔していないが、後ろめたい気持ちにはならざるを得なかった。だが、同時に薄暗い何かもある。
『はまづら、何かあったら、私に言って欲しい。私は、大能力者(レベル4)だから』
「おいおい、今のお前は……」
『私の『AIMストーカー』は一度記録したAIM拡散力場の持ち主を徹底的に追い続ける。例え太陽系の外に出たって私はいつでも検索・捕捉できる』
「なんでそこで唐突流暢に能力説明!? 俺は正真正銘の無能力者(レベル0)だし、滝壺お前能力使えないだろ!」
『じゃあ、私の『AINOストーカー』は一度記録したはまづらを徹底的に』
「怖えよ!」
(滝壺さんが超壊れてますね……)
背筋に冷たいものを感じて、絹旗は映画館の中を見回した。能力を使わなくても尾行は出来る。
当然、二人の他に座席の人影はない。が、最後列の向こうにある防音扉が今小さく開いていたような……気のせいだろう。
ともあれ浜面も、滝壺もいくつか軽い約束事(できれば今日の夕食に行く等)をした後、携帯を切る。ふう、と同時に溜息が漏れた。
珍しく、本当に珍しく絹旗が殊勝な顔をして浜面に小さく頭を下げる。
「超一応ですけど浜面には謝っておきますね。色々私のせいで超面倒なことなったみたいですし」
「いきなり謝られても超キモいぞ絹旗」
下げた頭でそのままヘッドバッドをかます絹旗。胸元に頭部直撃した浜面はその場で声も出せずに悶絶した。
そんな男を見下ろして、絹旗は深くため息をつく。それは諸悪の根源である自分に対する嘆息だった。
(それにしても、超どうしてこんな浜面ごときを、私は)
寝言で呼んでしまったのか。寝ていた時の自分を殴りたい。そうでなければ、こんな馬鹿な相談の当事者になることもなかったのに。
それでもどうしてか、絹旗最愛は憂鬱ではなかった。
今日も学園都市は平和である。