「おやすみなさい、きぬはた」
「超お休みです、滝壺さん」
学園都市の第18学区にある1LDKのマンションで、二人の少女が就寝の挨拶を交わした。
部屋の主である滝壺理后はシングルのベッドに、居候の絹旗最愛は脇のソファベッドで毛布を被っている。お互いの距離は2m程。服装は滝壺が就寝用のジャージ、絹旗がストライプのパジャマだ。
本来絹旗はリビングで寝ているが、たまには一緒に寝ようということでソファベッドを部屋まで持ち込んでいた。かなりの重量だが、絹旗の能力を使えば一瞬だ。
部屋の内装は滝壺らしく殺風景なものだが、所々にぬいぐるみや化粧品の類が置いてあるのは絹旗が持ち込んだり寄贈したものである。
滝壺がリモコンで消灯すると、すぐに部屋を夜の帳が包み込んだ。学生の街である学園都市の夜は静かだ。
「…………」
「…………」
沈黙。小さく呼吸をする音だけが部屋の中を反響する。
そうして30分も過ぎた頃。
ふと、シングルベッドから囁くような声。
「きぬはた、起きてる?」
「…………超起きてますけど、なにか?」
ソファベッドから返答。もぞりと寝返りを打ったようだった。
暗闇の中。滝壺は天井を見上げて、絹旗はシングルベッドに背を向けて、途切れ途切れに話をする。
「きぬはたは、はまづらのこと、好きなの?」
「…………」
「…………」
「…………」
沈黙。
「……よく、わかりません」
「うん」
「別に、あいつが好みかって言われれば、むしろ嫌いな面の方が超多いんです。超馬鹿だし、超アホだし、超不細工だし、超スケベだし」
「うん」
「そこは超否定しないんですか」
「私も、はまづらは頭は良くないし、あまりかっこよくもないし、ちょっとHすぎると思う」
知らないところで恋人にボロカス言われる浜面。
「でも、それでもはまづらは、私にとってのヒーローだから」
「……麦野さんを倒したのは、超偶然以外の何物でもないと思いますよ。それを当然として扱うのは、浜面には超重すぎます」
「超能力者(レベル5)を倒したからじゃない。私にとって、はまづらがヒーローなのは、私が本当に困った時に、助けに来てくれるから」
「…………」
滝壺が淡々と言葉を紡ぐ。その声音に誇らしさはなく、どこか暗いものだった。絹旗は体を丸めたまま、奥歯を噛んだ。
「やっぱり超わかってないじゃないですか。浜面は無能力者(レベル0)だし、精々車泥棒が超関の山だし、そんな風に思ってたらいつか超死にますよ」
「わかってる。けど、それでも私ははまづらを信じてる」
「そういうのを超妄想だと言うんです」
「本当は、私がはまづらを守らないといけないのに。私は大能力者(レベル4)なのに」
大能力者であることなどこじつけだ。そんなことを抜きにしても、滝壺理后は浜面仕上を守りたいと心底願う。
けれどもそれは不可能だ。能力が使えず副作用に苦しむ滝壺では物理的に不可能なのだ。
故に、滝壺にできることは信じることしかない。ネガティブな信頼。あとは精々、足手纏いにならないように自分を見捨てる程度だ。
だから
「だから……私が浜面を好きになっても超許してやる、ですか?」
「もしも、きぬはたがそうなら。私は、とても悔しいけれど、とても安心できる」
「……ふっ、くくくくくく……滝壺さんも超難儀なことですね」
絹旗が毛布の中で噛み殺すように笑う。
絹旗最愛が浜面仕上を守るのならば、それは滝壺理后にとって受け入れるべきことなのだ。自分の感情よりも、ずっと。
合理的な判断ではある。そもそも人を好きになることが、合理的であればだが。
「でもそれじゃ、私が浜面のことを好きだろうってのも、滝壺さんの超願望じゃないですか」
「きぬはたは、はまづらのことが、嫌いなの?」
「嫌いじゃないです。けれど、好きかって言われると超わからないです。だって合理的な理由は超何もないのに」
「ないのに?」
「……一緒にいても超気楽なんです。誰かと一緒に何かをしたいって思えたのは超初めてなんです」
絹旗最愛は12歳にして学園都市の最暗部に生きる少女である。
その人生の前半はモルモットとしての過酷すぎる能力開発に費やされ、失敗作の烙印を押された後は裏の仕事に回された。
そのこと自体を絹旗は何一つ悲観していない。彼女は若干12歳にして、既に熟年サラリーマンのような達観を得ている。
仕事は仕事として、余暇で趣味を楽しめればそれで生きていけると割り切っているのだ。そして彼女はその趣味を、他人と関わらず一人で映画を見ることに定めた。
絹旗はその能力が示すように、自分の心を守る強固な殻を備えている。
「私は一人で生きてきたし、一人で生きていけるんです。でも、浜面と一緒に映画を見るといつもより超楽しいんです」
「うん」
「これが友情だって言うのなら、超不本意だけど納得もできるんです。恋人としては欠点多すぎですけど、友人としてなら浜面だっていいところは超あるんです」
「うん」
「でも……浜面には滝壺さんがいると思うと、そういうところを見ると、そういう相談をされると……胸が超痛むんです」
「……うん」
いつしか絹旗の語る声には嗚咽が混じっていた。その表情を滝壺が見る術はない。絹旗が泣く姿など、誰も見たことがない。
明日になれば毛布に染みこんだ涙も乾いているだろう。けれど今だけ、彼女は年相応の少女になっていた。
誰もが忘れているかもしれないが、絹旗はまだ12歳の少女なのだ。
どうしてよりにもよって浜面仕上だったのか、その理由すら少女にはわからない。
ただ、それを自覚した時は既に先約済みだった。だから痛みに耐えることしかできなくて。
「超卑怯じゃないですか。私がそこにいてもおかしくなかったのに、滝壺さんばっかり超卑怯じゃないですか」
「私も、きぬはたのことが、ずっと羨ましかった。私にきぬはたみたいな力があれば、はまづらを守れるのにって、ずっと羨んでた」
隣の芝生は青く見える。
しばらく部屋に沈黙が戻った。絹旗の嗚咽が小さくなっていき、消える。
お互い、この奇妙な現状のことを考えていた。少しでもボタンが掛け違えばこうはならなかっただろうに、どんな偶然なのだろう。
「……超冷静に考えると浜面ごときを美少女二人が取り合ってるなんて超正気の沙汰じゃないんでしょうね」
「他人から見ればそうかもしれないけど、私は後悔していないし、浜面にもさせたくない」
「その決意にだけは負けます。物理的には超完勝ですけど、精神的には超完敗です」
もぞもぞと、絹旗が体を返してベッドの方に向ける。
また、しばらく静寂。
次に沈黙を破ったのは滝壺だった。
「きぬはた、取り引きしよう」
「薄々予想は付きますがどんなですか」
「はまづらを半分あげるから、はまづらを守って」
「……あのですね、ケーキじゃないんですから超簡単に分けないでください」
「でも、そういうことだから」
「滝壺さんは超そんなのでいいんですか」
「私には選択の余地がない。私だけならはまづらのために死ねればいいけれど、それじゃはまづらは幸せになれない」
幸せ。
絹旗は、不意に出てきたその言葉に面食らった。なんだろう、それは。そんなものには一度たりとも触れたことがない。
同時、得心したこともある。幸せになるという、そんな得体の知れないものを背に付けているから、滝壺はこんなにも強いのだ。
いつか自分もそれを求める時が来るのだろうか。
あるいは、いつの間にか求めていたからこそ、あんな男のことを好きになったのだろうか。
「……わかりました。けれどもう一つ超問題があるんですが」
「なに」
「これ超私達だけの話し合いですから。当の浜面の合意が取れてません。拒否されることも超考えられますよ。というか普通そうなります」
「ああ」
絹旗の指摘を、滝壺は鼻で笑った。いや、淡々とした調子なのは終始変わらないのだが、何故だか絹旗にはそう思えた。
「そんなの、バニースーツ着て迫ればすぐ落ちるから」
「……うわあ。恋人にそんな風に超見切られていることに同情すべきなんでしょうが、浜面なら超有り得そうで困ります」
バニーか、バニーならなんでもいいのか。
「はまづらも、きぬはたのこと、女の子として意識してる。だから」
「あああ、超すみません滝壺さん。泣かないで」
「泣いていない」
「それじゃ一緒にバニーでも着ましょう。なんか我ながら超有り得ない提案ですけど」
「一緒に?」
「いや、だって流石にその……超怖いですし」
毛布を被って顔を赤らめる絹旗最愛に
見えないながら、滝壺理后はくすりと笑って頷いた。
次の日。
恋人に呼び出されて部屋を訪れた浜面仕上を待っていたのは、赤と白のバニーだった。
「ぱんぱかぱーん。超おめでとうございます。浜面は浜面の分際で世界一ラッキーな男に選ばれました。幸運残量はこれで超マイナス突破でーす」
「はまづら、これからもよろしくね」
「ぶふっ!? おおおおなんじゃこりゃー! 天国か! 俺は死んだのか!? 誰か頬をつねってくれー!」
「リクエストに答えて、浜面超ストレート!」
≒浜面超愛してるストレート
浜面仕上は鼻血の尾を引きながら盛大に宙を舞った。
学園都市は今日も平和である。