「ねぇねぇ、とうま、とうまぁ♪」
学校から帰宅した上条を、やたらご機嫌モードのインデックスが出迎える。
「今日は、お腹い――――――っぱいケーキを食べさせてくれるんだよね♪」
「おぃ、インデックス。厳しい学歴社会を戦って帰ってきた家主さんに対する第一声が、それですか?
お帰りー、の挨拶がお留守番になってるじゃねーか。
それから、そのやたらめったら長〜い溜めも、如何なものかと上条さんは思う訳ですが?」
「食べさせてくれるんだよね☆」
「き、聞いてねぇ……」
翡翠色の大きな瞳にお星様を浮かべ、口から涎を溢れさせるインデックス。
(こっ、これは不味い!? インデックスのやつ、思いっきり期待してんじゃねーか!)
上条のこめかみに、一筋の汗が伝う。
「ねぇねぇねぇ、ケーキは? たくはいびんの人達が持って来てくれるのかな?」
(人達って、複数形!? あなた、どれ程のブツを想像してらっしゃるんでせうか?)
上条の焦りを他所に、インデックスは落ち着かなげな様子で部屋の中をうろつく。
そして時々立ち止まっては、玄関を覗き込んで、わくわくと胸の前でグー握りを揺らす。
上条の頭の中では、巨大ケーキの周りをぐるぐる周回している彼女の姿が容易に想像できた。
顔面に冷や汗とも脂汗ともつかない大量の汗を浮かべ、上条は覚悟を決めインデックスに告げる。
「あのー、インデックスさん。大事なお話がありますので、落ち着いて聞いておくんなさいまし。
ごほん。我が家の財政事情は破綻寸前と大変厳しい状況でありまして、真に申し上げ難いのですが、
あなた様のご希望に沿えるケーキは、ご用意致しかねると判断せざるを終えない。
とわたくし上条当麻めは、断腸の思いで決断した事をここに表明し、ご理解を頂きたいと存じますが?」
ポカン、と上条の記者会見を傍聴していたインデックスの表情が、最後の下りになると聖母の様に変わる。
そうして、静かに胸の前で手を組むと、目を閉じ祈りを捧げていく。
「主よ。敬虔なる子羊は、今から貴方の教えに背き、大罪を犯してしまうかも知れません。
咎人の罪を赦せず殺めてしまう事を、ここに告白し懺悔します。アーメン」
「ちょ!? なに勝手に人様の死亡フラグ立ててんだ!」
「問答無用なんだよ、とうま!」
健康的な眩しい歯の煌きが上条の目を灼き、ガッキンガッキンと鋼鉄を噛み合わせる音が鼓膜を揺すった。
腰を抜かして玄関の固い床にへたり込み、逃げろ! と訴えかける本能に従いズリズリと後ずさる。
しかし、直ぐにガタンと非情な音を立て、背中がドアにぶつかり止まってしまう。
進退窮まった上条の目に、跳躍体勢に入ったインデックスの華麗なフォルムが素敵に映る。
絶対的恐怖を前にして、目が張り裂けんばかりに見開かれた。
と、絶望に打ち拉がれていた脳裏に、天啓の如くとある事実が思い浮かぶ。
(わっ、忘れてた。これがあったんじゃねーか!?)
それが事態の打開策なるのか、それとも先延ばしになるだけなのか、先の事は全く分からなかったが、
上条は一縷の望みを賭け叫んだ。
「ま、まてまてまてまて待っちくりぃ――ッ!! こここここれを、これをぉおおおおおおッ!!」
負のオーラを纏った肉食獣の御前に、草食上条はガクブルしながら手にしていた小さな箱を差し出す。
「何これ?」
鼻を近付け、警戒するようにクンクン嗅ぎ回るインデックス。
「むむっ。微かに箱から匂うこの香りには、生クリームと苺の甘いエッセンスを感じるんだよ。
もしかして、これケーキなのかな?」
「その通りで御座りますぅぅーっ!」
「ねぇ、とうま」
「はひっ!?」
平坦な声の呼びかけに、ビックウッ! と強制的に背筋が真っ直ぐに伸ばされる。
「覚えてる? 昨日のこと。ニワトリさん並みの記憶力しか持ってないとうまでも、覚えてるよね。
『明日のクリスマスは、もういらないってギブするぐらい、たらふくケーキを食わせてやる!!』って、
確かにそう言ったよね。問い返した私に、『任せとけ!!』って自信たっぷりに言ってくれたよね」
喋っている内に感情の高ぶりを抑え切れなくなったのか、インデックスの大きな瞳に涙を滲む。
「とうまが言ってくれたこと。インデックスは、インデックスは、本当に嬉しかったんだよ。なのに――」
零れ落ちそうになる涙を堪えながら、インデックスは切なく苦しい胸の内を告白する。
「とうまの言葉を信じてた……インデックスの無垢な心はどうなっちゃうのかな」
「お前の場合、無限の胃袋の間違いじゃねーのか?」
「ムギィィ――ッ!!」
「すんません、許して下さい、調子こいた私が悪う御座いましたぁあああ!!」
鳥頭発言にムッとして思わず言い返したが、三角目で凄まれ、上条は慌てて三段活用で謝罪した。
「どうして、あんな嘘吐いたか、ちゃんと説明して欲しいかも」
「うっ…!? 説明つーてもなぁー、普段の食生活から考えてみりゃ分かんだろ。
……ケーキ山程なんて無理だって」
「でもでも、私と入れ違いに、かおりとすているが帰ってく時、二人の前で大見得切ってたもん!」
「ううっ…!? いや、まあ、あれはだな。お前が部屋に帰って来る前に、ステイルの野郎が、
『君には、インデックスを満足させるだけのケーキを用意する余裕なんか、これっぽっちもないだろ?』
つーて小バカにしやがったから、つい、その場の勢いで――」
「見栄張って言っちゃった、と。そういう訳なんだね」
台詞が途中で遮られ、インデックスへと正確に後が引き継がれる。
「うううっ…!? 全くもってその通りで御座りますです。はい」
「とうま、とうま。はっきり言うね。フッ、この甲斐性なし」
「て、てめっ!? いま鼻で笑いやがったな!」
「何言ってるのかな。根本的な原因は、と・う・まの方にあるんだよ。
出来もしないこと言って、人に期待させといて。そんな人に、文句を言う資格なんてないかも。
だいたいとうまは、いつもいつも女の子に期待させるようなこと無自覚で言っちゃってるんだよ。
その気があるのかと女の子にさんざん期待させるわりに、後は知らんぷりだよね。
これって、一体どう言う事なのかな。 釣った魚には餌はやらないって、すけこましの法則?
なんで、いつもいつも女の子ばっかり助けちゃうんだよ。そう言う星のもとに生まれたのかな――」
「あっ、あのー、インデックスさん?」
上条には、インデックスが何を言っているのか、はっきり言って良く意味が分からなかった。
けれど、日頃の溜まった鬱憤をまとめて吐き出しているんだろうな、と朧気ながらも推測できる。
自分に非があるのが分かっていたので、暫くの間、黙って拝聴していたのだが、まるで終る気配がない。
(もっ、もう、勘弁しちくりぃぃ――――ッ!!)
大人しく我慢しているのも、そろそろ限界だった。
第一、お小言は、学校で毎日聞かされている小萌のモノで十分過ぎるほど間に合っている。
それに、そもそも上条は、人に説教するのは好きだが、されるのは苦手なのだ。
よって、独善上条は、何時もの常套手段の一つである“餌で釣ってうやむや作戦”を続行する事にした。
「本っ当ぉぉーに、スマンッ!!」
先ずは、遺伝子レベルで染み付いた土下座を綺麗に決めてみせる。
「その代わりと言っちゃあ何だが、財布に残ってた全財産はたいて、これを買って来た」
次に、床に置いた箱の包装紙を破り上蓋をオープンにする。と、周囲に甘い匂いが拡がっていく。
箱の中には、可愛らしい苺のショートケーキが4個並んでいた。
「お前と2個づつわけて食おうかと思ってたけど、俺は1個で我慢する」
無念の感情を抑え付け、相手の目を見据えて、あくまで譲歩を引き出す作戦に徹する。
「これで勘弁してくれ、これこの通〜り!」
仕上げに、ケーキの箱を捧げ持ち再度頭を下げた。
「ひょいぱく」「ひょいぱく」「ひょいぱく」「ひょいぱく」
(おや? やけに箱が軽くなったような……)
頭を上げると、目の前の箱の中には中身のないパラフィン紙と銀紙が空虚に転がっていた。
「俺の苺ちゃんがぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
大切に想っていた相手を理不尽に奪われた魂の慟哭が迸り、ギンッと射るような視線を仇に向ける。
「おひ……、なに全部食ってんだよ」
「もぐもぐ。食べてないよ」
「ほほう」
口を動かしながら素っ呆けるインデックスを、上条は静かな湖面のように凪いだ心境で見据える。
だが、げっぷ、とわざとらしく洩らした声を耳にした瞬間、心の中を紅蓮の炎が吹き荒ぶ。
ゆっくりと両手を伸ばし、ぷにぷにと柔らかそうな頬っぺたに触れる。
「おやー? オイタをしたのは、この口ですかあ?」
「いひゃい、いひゃい。とふまぁー、手を離ひゅんだほっ!!」
頬っぺたを、びろーんと限界まで引っ張ってやると、インデックスが抗議の悲鳴を上げた。
「口の周りに満遍なく付いてる、この芳しい生クリームさんはナンなんだ!!」
両頬を抓る上条の手を振り解いて、何としても頭に齧り付こうと暴れる超接近戦狙いのインデックスと、
そうはさせるか! とアウトサイド戦法を死守しようと抵抗する上条との、壮絶なバトルが始まった。
「……楽しそうだよね」
双眼鏡のレンズに映る、上条とインデックスの様子を眺め、ステイル=マグヌスは物憂げに呟く。
夕暮れ時のそのビルには、普段見られる、業務に追われる人々の影さえ見られなかった。
考えようによっては、実に傍迷惑な人払いのルーンを刻んだビルの屋上で、ステイルは更に言い募る。
「本当に楽しそうだ。あの子はいつでも楽しそうに生きている」
「そうですね。それも、あの子の美点の一つでしょう」
独り言のようなステイルの言葉に、神裂火織が懐かしむように応えた。
「もう一度、あの子の側で、あの笑顔を間近に見たいとは思わないか?」
今度のステイルの言葉は、神裂への問い掛けだった。
「そっ、それは、出来れば、そうしたいとは思っています」
神裂は躊躇いがちに声を詰まらせ、
「ですが、何もこんな方法を取らなくても――」
「甘いな神裂」
弱気な考えを断罪する、ステイルの静かな声が届く。
「あの子との溝を埋める為に必要なら、僕は喜んで道化だろうが何だろうがなってやるさ」
声の中に秘められた強い覚悟に、神裂は言葉を失う。
「……そろそろ頃合みたいだね。それじゃあ、僕達も行こうか」
顔から双眼鏡を離し、ステイルが首を巡らす。
「分かりました」
二人は其々の荷物を抱え、足早にビルの屋上を後にした。
「ぐぬううううううううううううううううううううううううううううううううううッ!!」
「うぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎッ!!」
部屋の中に、上条VSインデックスのくぐもった雄叫びが轟く。
未だ決着を見ないとは言え、情勢は明らかに上条が不利に立たされていた。
床に縺れ合った体勢で、右側面から胴体を蟹バサミにされてしまい、右手の自由が利かない。
残された左手で相手の顎を押さえ、辛うじて噛み付かれるのを逃れているような有様だ。
しかもこれは、インデックスが頭に固執しているからこそ成立する僥倖に過ぎなかった。
(やっ、やべぇー!? 手が痺れてきやがった!)
無理な体勢が祟ってか、左手が悲鳴を上げる。
がしっ、と両手で上条の頭を捕らえ、いただきま〜す♪ と全力を振り絞るインデックス。
対して、左手一本で抵抗する上条が、おあがりなさ〜い♪ と召し上がられるのも時間の問題だった。
劣勢の上条は、一発逆転の打開策を唱え出す。
(だっ、誰か!? 誰か助ちけてぇえええ!? 神様、仏様、サンタクロースさまぁあああああ!?)
「ピンポ〜ン♪」
真摯な願いが聞き届けられたのか、来客を告げるドアホンが鳴る。
「暫し待て、インデックス。お客様がいらっしゃったようだ」
「ふえっ!?」
上条の慇懃無礼な呼びかけに、インデックスが間の抜けた声を漏らした。
(ょっしゃああああああッ!!)
インデックスの反応に、上条は心の中で快哉を叫ぶ。
今まで両者とも、頭に血が昇った白熱した闘いを繰り広げていたのだ。
そこに突然、相手から冷静な声を掛けられたらどうなるか。先ず大抵の者は、虚を付かれて動きが止まる。
普通に言ってもインデックスには通じないだろうと、瞬時に判断した上条の奸計であった。
床を両脚で思い切り蹴り出し、その勢いでズザァァ―――ッ!! と遠く離れた玄関へと一気に滑り込む。
ゴン! とドアに頭をぶつけ、目に火花が散るが今は構ってられない。ドアノブに左手を伸ばして――、
「に、逃がさないんだよ、とうま!!」
床を滑る勢いに手が外れ、インデックスは背中を仰け反らせていたが、今度は反動を使って勢いを付け、
上条の頭目がけ一直線に口から突っ込む。
「ガキンッ!!」「ガチャ!!」
二種類の金属的な音響が重なり合う。
間一髪、首を捻って獣の顎から逃れた上条が、見事、ドアを開ける事に成功していた。
玄関前に倒れ込みながら、喜びが溢れ出し、懐かしのヒーロー番組を見て覚えた歌詞を胸の中で口ずさむ。
(どこの誰かは知らないけれど〜、誰もがみ〜んな知っている〜♪)
窮地を救ってくれた正義の味方にお礼を言おうと、寝転がった体勢のまま首を後ろに仰け反らせる。
ちょうど真下から見上げる格好になった上条が、立っている人物に向け感謝の第一声を発した。
「はい?」
「……なあ。おい、神裂」
「な、何ですか、上条当麻。その抗議する様な視線は?」
顔にべったりと靴跡を刻印した上条の恨みがましい視線に、神裂はつっーと目線を逸らせる。
「いきなり顔を踏み付ける事はねーんじゃねーの? たかがパンツ見られたぐらいで」
「たっ、たかがって!?」
「あっ、いや、ほら前に風呂場で、お前の裸見たこともあったなーと思い出し――」
「ッ!?」
神裂は片手を伸ばし、上条の口を顔面ごと鷲掴みにして塞ぐと、押し殺した声で囁く。
「忘れなさい。今すぐ両方とも記憶の底から抹消してしまいなさい」
聖人の膂力に顔の骨をミシミシと軋まされ、上条は涙目になってコクコクと頷く。
「くれぐれも忘れないように。口外したら許しませんよ」
死のアイアンクローが解除され、歪んだ骨格を揉み解しながら上条は安堵の息を吐く。
(忘れろ、忘れるなって矛盾したこと仰りますけど、上条さんはどうしたら良いんでせうか?)
もちろん自分の体の大切さを思い知った上条は、この事を口に出す愚挙は犯さなかった。
その代わりと言っては何だが、別な疑問を提示してみる。
「大体なんだってそんな格好してんだ? まぁ、今更お前がどんな格好して来ようが驚かねーけど」
これも以前体験した事だが、入院先の病室での出来事は、上条に鮮烈過ぎるインパクトを与えていた。
その時の衝撃に比べたら、まだこちらの方が一般的だと言える。
「私だって、好きでこんな格好している訳ではありません。似合わないのは、自分でも分かっています」
「えーっと、率直な感想を言わせて貰うとだな」
プルプルと拳を振るわせる神裂に気圧されてしまい、上条は何かコメントしなくてはとの思いに駆られた。
炬燵に足を突っ込んで座っていた自分を口止めする為、神裂はすぐ側まで移動して来ている。
脇に突っ立っているその全身を、取り敢えず上から下まで隈なく眺めてみた。
神裂の今日の服装は、昨日のラフな格好とは様変わりしている。
赤いベロアを基調にした布地と、それを縁取る白いファーが衣装を構成していた。
頭にかぶった帽子がクニャと倒れ伏し、垂れ下がった白いボンボンが顔の横で可愛く揺れる。
肩に羽織ったケープと腕の半ばまで覆うグローブのふわふわ感が、凛とした神裂の生硬さを柔らげていた。
体を被う箇所はツーピースに別れており、大胆に開いたベアトップの胸元から覗く乳房の谷間の陰影と、
ちらっと見える細いウエストラインが、セクシーさとチラリズムを強調し、上条の劣情を刺激する。
慌てて目を引き剥がし、下の方に目線を移動させる。
セミタイトスカートが、腰の艶かしいラインを浮き彫りにさせ、長く形の良い両脚がすらりと伸びていた。
心臓をドクドク言わせ、脚を見下ろしていった上条だが、綺麗な形をした爪先を目にして動きが止まる。
(……あれ? 思ってたより、ずっと小さいんだな、神裂の足って。女の子の足だ)
普段は、がっしりしたウエスタンブーツに覆われていて気付けない、隠されている本来の姿。
露になった素足の華奢さに、上条は戸惑う。
(聖人、魔術師、そんな強いレッテル以前に、俺とちょっとしか歳も違わない……女の子だったんだな)
そんな当たり前な事に気付かされ、今まで思い至らなかった自分に恥じ入る。
上条は、少し呆然として小さな足に見入っていた。
「……あ、あの、上条当麻。どこを見ているのですか?」
下を向いて動かない上条の視線を気にしてか、神裂が短いスカートの裾を押さえ恥ずかしげに口を開く。
「へっ!?」
「私の、その、脚なんか見てもしょうがないと思いますが」
「ああ……。悪い、ボーッとしてた」
声をかけられ、上条は夢から覚めたような呆けた返事をし、改めて目の焦点を合わせる。
神裂はスカートの裾を引っ張る無駄な努力を続けながら、もじもじと肉感的な太腿を擦り合わせていた。
(うおおっ!? け、健康的な男子高校生に、こ、こりは刺激が強すぎませんかあ!?)
扇情的な光景に理性が危険信号を発し、ブンッ! と勢い良く首を真横に逸らせる。
Ouch! 首に走った痛みに本格的に意識が覚醒したのか、ふと先ほどの神裂の発言を思い出す。
「えー、っとだな。しょうがなくはねーんじゃねーか」
上条は横を向いたまま、否定的な見解を発表した。
「は…あ?」
だが、意味が良く伝わらなかったのか、神裂が妙な顔をして曖昧な声を出す。
「いや、だ・か・ら。オマエの脚には一見の価値があるって、そう言ってんだよ」
ヤケクソ気味になって、はっきりと言ってやる。
「ッ!? ななな何の冗談を言ってるのですか、あなたは!?」
「別に冗談とかで言ってるんじゃねーよ。わりかし本心からの意見なんだけどなー」
ぎぎぎっと首を正面に戻すと、改めて神裂の全身をチェックして、
「そのサンタの格好も似合ってると思うぜ」
「あの、こう言うのは、もっと可愛げのある女性の方が似合うんじゃないかと……」
「いやいやいや、神裂さん。上条さん的に、目のやり場に困るほど似合っているのですが」
「そそそそうですか?」
「そうとも。もっと自信を持て、神裂」
上条は徐に立ち上がると、ガシッと神裂の両肩を掴み真っ直ぐに目を見据えて熱っぽく諭す。
「自信、ですか?」
「お前って、長身の上スタイルも良いんだからな。おまけに、その、客観的に見ても美人だし」
「!?」
神裂は目を円くして硬直する。頭の中は上条の言った台詞がぐるぐると回っていた。
「この格好にしたって、セクシーサンタの殿堂入りになっても、ちっとも不思議じゃないぜ!!」
恥ずかしい台詞を続け様に口にしてしまった上条は、最早、自分でも何を言っているのか分からない程、
テンパりまくっていた。
「このまま、ずっと部屋にいて欲しいくらいだぜ!!」
「ずっと部屋に……ですか?」
「おうとも!! ずっと俺の側にいてくれ、神裂」
神裂は、よく回らない頭の中で上条の言葉の意味を反芻する。
力強く情熱的な瞳が、射抜くように真っ直ぐに自分の瞳を捉えて離さない。
「あ、あなたにそう言って頂けただけで、私は……」
見詰め合う神裂の瞳が、涙で潤み始める。
その表情を目にした瞬間、肩を掴んでいた上条の手が緩み、とさっとケープが床に滑り落ちた。
肩から胸元にかけての素肌が剥き出しとなり、上条の目の前に飾ることなく晒される。
神裂は咄嗟に手を上げ隠しかけたが、躊躇いがちにその手を途中で止めた。
「……お、おい、神裂。やけに顔とか、その、首の下なんかも赤くなってねーか?」
「!?」
ビクッ、と神裂の体が震え羞恥に身を竦ませる。
上条に指摘されるまでもなく、胸の鼓動の早まりと、のぼせるような熱さから、その事は自覚していた。
胸の奥に湧き上がる気持ちを伝えようと口を開きかけたのだが、驚きにより動きが止まる。
真っ赤に染まっているだろう自分の顔へと、上条の顔が近付いて来たからだ。
キュッと手に力を入れ内心の動揺を抑え付けると、神裂は目を閉じて唇を差し出した。
コツン、と小さな音を立て、二人のオデコが触れ合う。
「熱は……ない、みてーだけど?」
「???」
意味不明の台詞を呟き遠ざかる上条の顔を、開いた目をパチクリさせて神裂が見送る。
「もしかして風邪か? そういや聖人って、インフルエンザとかに罹患したりすんのかな?」
そこんとこどうなんだ? と至極真面目な顔で尋ねられた神裂は、
「あっ、あなたと言う人は……」
プルプルと全身を震わせ皺枯れた唸り声を漏らすと、再びデスクローで上条の疑問に答えた。
顔面を押さえ、床でひとしきり悶絶していた上条だったが、驚異的な回復力を如何なく発揮し復活する。
涙で霞む目を瞬いてみると、何時の間にやら炬燵の一角に、神裂がちゃっかりと潜り込んでいた。
(一度ならず二度までも……)
むくりと起き上がり、不退転の決意を胸に神裂へと向き直る。
(上条さんのキュートなお顔は、リンゴや胡桃割りのパフォーマンス用じゃねーぞ!!)
文句を言おうと口を開けたが、一言も声が出せずに、パクパクと金魚の物真似に興じる。
何故なら、神裂が唇に薄い笑みを貼り付け、少しも笑っていない目付きでこっちを睨んでいたからだ。
(恐っ!? な、ナニがなにやら分かりませんが、生きてて申し訳ありませんでしゅぅぅ――っ!!)
空想世界で、ぺこぺこと何度も土下座を繰り返し、神裂大明神様に必死に許しを請う。
触らぬ神に祟りなし。この言葉の意味を、上条は身を持って体得するのだった。
仕方なく文句を言うのは諦めたが、ここで少し疑問に思っていた事を聞いてみることにする。
「しっかし、どっから調達して来たんだよ、それ?」
再びケープを羽織り露出度を控え目にはしているが、そもそも普段の格好とのギャップがあり過ぎた。
「神裂が自分で買うわきゃねーだろうし――、んん!? もしかしなくても、またアイツかあ?」
顔を顰めながら、壁を隔てた隣の部屋を凝視する。
壁から浮かび上がるように、サングラスをビッカーッ! と光らせ高笑いするアイツが見えた気がした。
「ステイル用はそうなのですが、これを用意したのは残念ながら土御門ではありません」
アイツと言う単語だけで、上条と完璧に意思疎通を成し遂げた神裂が溜め息を吐く。
「ああ。やっぱ、アイツが一枚噛んでステイルの衣装用意したのか。それなら納得だなーって――、
いいっ!? じゃ、じゃあ、神裂のは他の誰かが用意したってことか!?」
「ええ。ですから、残念ながらと申しました」
「土御門以外に、こんな酔狂なモン用意するヤツいんのか?」
一般人がネタで買ったりするのは分かるが、聖職者にサンタコスプレを平然と渡すヤツが他にもいるとは、
上条は驚きと共に、聖職者達の規律の乱れを憂慮してしまった。
「そ、その、お恥ずかしい限りですが。イギリス清教内には、困った者が後二名ほど居りまして」
「土御門の同類が二人も!?」
「いえ、流石に土御門ほど酷くはないとは思いますが、性質は似たような物かと」
「――で、今回は、その内の一人って訳なのか。誰だよ一体?」
「これは、バカ女……失礼、最大主教が用意しました」
「はあああ!? 最大主教って一番のお偉いさんだろ? まったく、何やってんだか」
「それは、私も全くの同意見なのですが――」
神裂は声を途切らせ、当日の状況を思い返していた。
「神裂ぃいいい!? ステイルと日本に行きけるというのは本当なの!?」
ドバンッ! と豪快に自室のドアが開けられ、最大主教ローラ=スチュアートが部屋に転がり込んで来た。
「ええ。これから直ぐにでも空港に向かいますが、部屋に入る時はノックをしてからにして下さい」
出立の準備をしていた神裂は、多少驚きながらも、やんわりとマナー違反をたしなめる。
「そ、そんなぁ〜。せっかく神裂の分も用意したるのにぃぃ〜」
「あなたが何を落ち込んでいるのかは知りたくもありませんが、私の分と言うのは?」
「今度のクリスマスパーティーで着る衣装のことでありけるのよ」
「は?」
「いや、やはり私一人だけというのも恥ずかしゅうことでもありけるし、盛り上がりに欠きてと思いて、
ほら、これを用意していたのだけれど」
ローラは、手に持っていたビニール袋に包まれた赤と白が入り混じった衣装を神裂に手渡す。
「露出度の最前線たる神裂には、それに相応しきモノにて敬意を表せねばと思いて、ほら見て見て、
ミニスカサンタをバージョンアップにせし、セクシーサンタにしたるのよ」
「何故、私がこんなのを着なくちゃいけないんですか!」
「ナニを言いてるの、神裂。二人でサンタ衣装を纏いて歌い踊りければ、受けし事は明白なりなのに。
せっかく今日の公務はキャンセルして、二人で特訓を始めたらんと思い描きていたというのに……」
はぁ〜、と盛大な溜め息を吐き、へなへなと床に倒れ伏して失望感を全身でアピールするローラ。
「急遽、日本行きをステイルから言われた時は戸惑いましたが、私にとっては幸運だったみたいですね。
あなたの悪ふざけに付き合わなくて済む、正当な理由が出来ましたから」
安堵の笑みを浮かべ、神裂はビニール袋を返そうとローラに近付く。
「それは日本に持ちて行きけるのよ、神裂」
ローラが床に倒れたまま顔を神裂に向け宣言する。
「はあ!?」
「ステイルが日本行きを決意したるのは、私が先日それをステイルに見せし事が原因、と思いけるのよ。
なれば、必ずや日本にて必要になりけると私は確信したるのよ」
「ちょっと待って下さい。これを見て、ステイルは日本行きを言い出したんですか?」
「うむ。目の色が輝きにけるから間違いなしよ。ナニやらイベントを企画せし匂いがしたるわね。
こうなりては、それに参加したりて大いに場を盛り上げし事が神裂の責務、と私は思いけるのだけれど」
「どうして私がそんな事しなくちゃならないんですか!? そんな事出来ません!」
「安心するのよ、神裂。こんな事態もありてと思いければ、ほら裏に振り付けを書きていたの」
袋を裏返して見ると、手足を曲げたり、くるくる回る棒人間が矢印付きで幾つも描かれた紙が入っていた。
グシャッ、と袋を掴んだ神裂の手に力が篭る。
「私が考案せし、このオリジナルの振り付けさえあれば完璧。受けは貰ったも同然なのかしら。
時は短しといいけるも、私もロンドンにて応援したるから神裂も頑張りてマスターせしよ♪」
「やかましいこのド素人が!!」
「ッ!?」
「さっきっから黙って聞いてりゃベラベラと!!
そもそもテメェがサンタの衣装なんか用意しやがったのが根本的な問題なんだろうが!!」
口調が変わった神裂が、ローラの頭目がけ袋を投げ付ける。
寸前でゴロゴロ床を転がり回避したローラだったが、神裂が旅行鞄を手にするのを見て慌てて立ち上がり、
「ひっ、ひいいい!? すている、ステイルーっ!!」
助けを求めて、脱兎の如く部屋の外へと逃げ出した。
追跡劇は玄関にまで及んだが、運良く女子寮まで神裂を迎えに来ていたステイルに遭遇したローラは、
長身の影に隠れ、追って来た神裂に向け強気で言い放つ。
「セクシーサンタを持ちて行けなしなら、最大主教の名に置いて日本行きは御法度にせしよ!!」
「ステイル退きなさい。このバカ女を成敗してやります」
神裂が腰を落として七天七刀の鯉口を切る。
「いい加減にしないか、神裂。飛行機の時間に間に合わなくなる」
「ですが――」
「最大主教に何を言っても無駄なのは、君も良く分かっているはずだ。構うだけ時間の無駄だ」
「ステイル!? 何気に酷き事を言いけると思うのだけれど?」
「最大主教、神裂には持って行かせますので邪魔しないで下さい」
「……う、うむ」
苛々と殺気立つステイルに、二対一になられては不利だと感じたローラは大人しく引き下がった。
一方、納得いかない神裂が何か言いかけるが、ステイルは片手を上げてそれを制止する。
「文句は飛行機の中で聞かせてくれないか、頼む」
神裂も渋々ながら、この場はステイルの顔を立てて矛を収めた。
回想を終えた神裂は、ブンブンと何往復も首を横に振り回し、忌々しい思い出を叩き出す。
もっとも、その行為の一尾始終を見ていた上条の目には、神裂がサンタ帽子の白いボンボンを揺らせて、
パフパフと頬を叩いている可愛らしい仕草にしか見えなかったのだが。
「あの時はそれしか選択肢が無かったとは言え、ステイルが少々強引に話しを纏めてしまいまして、
これを持って来ざるを得ない状況になってしまったのです」
「詳しい状況は分かんねーけど、別に持って来るだけで着る必要は無かったんじゃねーのか?
ステイルの野郎が強引に着させたって線は、物理的に無理がありそうだからな」
そんな事をしようものなら、まずボコボコに叩きのめされるのが落ちだろうな、と簡単に予測できた。
「はあ。元より私も着るつもりは無かったのですが――」
言い難そうに言葉を濁す神裂。
――では何故? と上条の頭に疑問が浮かんで来たが、続く説明であっさりとそれは氷解する。
「ステイルが覚悟を決めたみたいに、あの子の為に道化になるのも厭わない、と私に言ったものですから、
私もあの子の為になるのなら、とつい思ってしまいまして」
「なーんだ。やっぱ、おまえのお人好しが徒になったのか。人が良過ぎんのも困りもんだな、神裂」
「あなたにお人好しなんて言われたくありません! 何処まで自分の事を棚に上げてるんですか!」
「うおおっ!?」
「少しは自分の言動を顧みて御覧なさい! いつもいつもあなたは――」
「ストップ、ストップ、すとぉぉ――――――っぷッ!!」
やばい! と上条は少し前に見た光景を思い出し、慌てて神裂を止めに入る。
暴食魔人に続けて憤怒聖人の説教コンボを喰らうのは、是非とも勘弁して貰いたかった。
「わっ、分かりました。神裂さんが御苦労なさっている事は十二分に理解致しましたとも。
ところで、ステイルのヤツは、自分からあれを着てんのか?」
神裂の怒りの矛先を逸らす為、ステイルへと話しの矛先を向ける。
「ええ。今回の件はステイルが発案したみたいですし、正直言って私も対処に困っていた部分があります」
「道化になる、って格好付けんのは別にイイんだけどさー……」
上条は神裂から少しだけ視線をずらすと、後ろの光景を眺め、溜め息混じりに言葉を吐き出す。
「サンタやピエロすっ飛ばして、いきなり赤鼻のトナカイになってどーすんだよ、アイツは!?」
四つ足のトナカイの着ぐるみが、背中にインデックスを乗せ部屋の中を闊歩していた。
「上条当麻。今さら君は、何を当たり前の事を言ってるんだ」
上条の声を聞きとがめたトナカイが、ぐるりと大きな頭をこちらに向ける。
「そこまで堕ちやがったか、ステイル」
「以前にも言ったはずだ。この子の為なら僕は何だってする、と」
「あー、確かにそんな風なセリフ聞いたような記憶あるけどさー。それって、こう言う意味だったのか?」
「それは愚問だね。僕はたった一つの願いを叶える為に、この子の笑顔を見る為にだけ存在している。
この子が笑ってくれるのなら、それらの全ては僕自身の誇りへと繋がっているのさ」
(……どうして、こう俺の周りには、思い込んだら一直線みたいなのが多いんだろ?)
またしても自分の事は神棚に祀って置いて、上条はそんな考えを抱く。
こっちを向いている頭部の中で、ステイルが唇の端を曲げ、ニヒルな笑みを刻んでいる光景が浮かんだが、
(そんな格好でされても、バカにしか見えないんだけど。ん? バカって馬鹿だよな。鹿だから別にいっか)
ほとんど投げやりに、再び歩き出したトナカイを見ていることにする。
「こんどは、あっちに行って欲しいかも♪」
ハイよー、シルバー! とマスク・オブ・ゾロになりきり、馬上から号令をかけるインデックス。
ヒヒーンッ! と嘶きを上げ、スピードアップで応えるステイル。
(トナカイってのは馬じゃなくて鹿だろーが、鹿ぁッ!! サンタさんに謝りやがれッ!!)
喉まで出かかったツッコミを辛うじて飲み込む。
そうして、楽しそうなシスターと、早くもヨロヨロとよろけヘバリ始めている神父を交互に見比べる。
(まぁ、本人が幸せなら、それはそれで構わねーんだけど……)
トナカイ―ご主人様の命令に忠実に従う奴隷―を見詰める上条の瞳には、言い様のない悲哀が漂っていた。
「ところでさー、神裂。そのでっかい白い包みは?」
涙を誘う光景を振り払おうと、上条は違う話題を振ってみる。
幅1メートル高さ1.5メートル以上の物体が、神裂の脇に置かれていた。
「ああ、これですか。色々あって、すっかり忘れてました」
ひょい、と軽い動作で神裂が包みを目の前に持ち上げる。
眼前に迫った物体に、上条は反射的に右手を出しかけたのだが、
「触らないで下さい。これの外装と中の空間には、とある術式が施されています」
有無を言わせぬ神裂の声に、ビクッと手を引っ込めた。
「出発までの短い時間で、女子寮の皆がオルソラ指揮の元、総出で作ってくれた物なんですから。
せっかくの好意を、あなたも無碍にはしたくはないでしょう?」
テーブルの上にゆっくりと置かれると、炬燵の足がギシッと軋む音を鳴らす。
「やけに重そうだな」
「重さはそれ程でもないのですが、嵩張るので持ち運びには少々苦労しました」
神裂が軽々と扱うので中身がすかすかだと思っていたのだが、とんだ間違いだったようだ。
一般人と聖人の筋力の差を改めて認識し、顔面がずきずきと痛み出す錯覚を覚えた。
上条には意味不明の言葉の羅列を神裂が口にする。
包みが淡く青白い光を放つ。表面に幾筋もの横線が現われ、上部から蛇腹の様に折り畳まれ始める。
発光がおさまった後の炬燵テーブルの上には、白い巨塔が聳えていた。
「あなた達、二人の為に作ったクリスマスケーキです」
「……これ、ウエディングケーキの間違いじゃねーのか?」
「わ〜い。大っきいケーキだあ♪」
天辺を見上げて素朴な疑問を抱いた上条だったが、インデックスにはそんな細かい事など関係ないらしい。
包みが解放され、辺りに漂い出した甘い匂いに誘われ、子犬のように素っ飛んで来た。
目を輝かせてケーキに見入ると、部屋の中を走り回って喜びを表現し始める。
その様を見た上条は、ふと数刻前の出来事を思い出した。
(そっか。あの時、幻視した光景は未来予知だったのか)
巨大ケーキの周りではしゃぐインデックスを見て、俺にもこんな能力があったのか、と感慨深げに頷く。
「あれ? ナンか忘れてるような……?」
頭を傾げて疑問符を浮かべたが、直ぐに思い至った。
「ステイル!?」
そう広くもない部屋を見回すと、部屋の隅に打ち捨てられたトナカイの残骸を発見する。
献身的に主人に仕えた後に残されたのは、壊れた玩具がポイ捨てされる無常さのみだった。
w目頭が熱くなるのを感じ思わず目を背けかけたが、トナカイがとある雰囲気を纏っているのに気付く。
屍の様に横たわるトナカイの姿からは、どこか大切な仕事を遣り遂げた漢の充実感が滲んでいた。
「無茶しやがって……」
上条は華々しく散った英霊に向かい、手向けの敬礼を送った。
過酷な労働に従事した結果、虫の息になってしまったステイルは放っといて、上条は神裂に声をかける。
「……で、これはどうやって切り分けるんだ?」
眼前に聳える偉容を眺め、現実的な問題点を指摘する。
「家には、こんなのカット出来るような長い包丁なんてねーんだけど」
一番長い刃渡りの物でさえ、真ん中まで届きそうもない。
「それに、一刻も早くしねーと、インデックスのヤツがダイビングをかましそうだ」
はしゃぐのを止めたインデックスが、ランランと目を光らせながらジリジリとにじり寄って来ていた。
「仕方ありませんね。あまり、こんな事に使いたくないのですが」
上条の危機感を帯びた質問に、神裂はボソッと答えると、スカートの裾を気にしながら立ち上がる。
その手に携えられているのは、神をも両断するとさえ言われている七天七刀。
「お、おい!? それ本当に使っちゃって良いのか?」
「はやく、はやく、はやく、はやく!」
上条とインデックス、まるっきり意味の違う二種類の声援をその身に受け、神裂が裂ぱくの気合を放つ。
「はッ!!」
研ぎ澄まされた剣技が、クリスマスケーキへと存分に揮われ、空間に閃光の軌跡を走らす。
「「おォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」」
二人の感嘆の叫びと拍手喝采の音が一つに重なり、部屋に大きく響いた。
隣の部屋から響いて来る騒々しい音に耳を傾け、土御門元春は苦笑を浮かべる。
(ねーちんとステイルが日本に来るって聞いた時には、これでクリスマスの予定もパーかと嘆いたが――)
昨日の朝早くに、突然ステイルから連絡があり、今から日本に行くと告げられたのだ。
用意してくれと頼まれた物品名を聞いて、土御門は目眩を感じた。
どう考えてもステイルと上条との間に一悶着が起こり、後始末に忙殺されるのが目に見えたからだ。
前々から、くれぐれも今日の予定は空けといてくれと頼まれていた土御門としては、まさに晴天の霹靂、
上条の不幸が感染したのかと天を仰ぐ気持ちだった。
(まさか、カミやんが大人しく引き受けてくれるとはにゃー。お陰で今夜はのんびり出来るぜい)
「にゃー、舞夏」
苦笑をおさめると、今日の約束の相手である義妹の土御門舞夏に声をかける。
「学校の友達とか、お隣さんみたいに、大勢でパーティーをする方が良かったんじゃないかにゃー?」
「んー、皆でワイワイやるのも好きだけどなー。兄貴と二人きりで過ごす方がもっと好きだぞー」
土御門の心の琴線をくすぐる台詞を、さらりと口にする舞夏。
和んだ気持ちがそうさせるのか、壁を隔てた騒音が、今日という日を賑やかに演出するBGMに聞こえた。
「兄貴ー、あーん」
「にゃっ!? あ、あ〜ん」
クリスマスケーキを一掬いフォークで切り分けた舞夏が、土御門に差し出す。
オレに、こんな素敵イベントが!? と驚愕したが、これを断るのは己の存在理由を否定するに等しい。
自らの生き様に照らし合わせて結論を導き出すと、顔をこれでもか! とニヤケさせてケーキを頬張る。
「なーなー、美味しいかー?」
「う〜ん。舞夏の料理は最高だにゃー」
まさに至福。土御門は天にも昇る想いで甘いケーキを味わった。
「もっと食べなー。ほら、あーん」
満面の笑顔を見せる舞夏の甘い誘いに、土御門は白旗を振って陥落し口を開く。
せっせと土御門の口にケーキを運ぶ舞夏の手の動きが、加速度的に速くなって行った。
「ちょっと、お皿とか片付けてくるー」
空っぽになったケーキの箱や皿などを持って、舞夏が台所へと消えて行く。
椀子蕎麦の絶妙なコンビネーションでケーキを完食した土御門は、まだまだあるテーブルの料理を眺める。
己の胃は、お腹いっぱいだにゃー、と訴え掛けているが、舞夏が腕を揮った料理を残すと言う選択肢など、
義妹萌えの自分には端から在りえるはずがなかった。
(オレは……オレは……禁書目録になりきるぜい!!)
隣室におわす並ぶ者なき大食い王者の面影を胸に秘め、ある種、悲壮とも言える覚悟を決める。
そして、ケーキの一気食いで渇いた喉を潤そうと、先ほど栓を抜いたシャンパンをグラスに並々と注ぐ。
底から沸き立つ幾つもの気泡の揺らめきが、ゴクリと喉を鳴らせて誘惑する。
(よく冷えてて、美味そうなんだにゃー)
手に取ると、グラスがびっしりと冷たい汗を大量にかいていた。
そのまま一気に飲み干そうと口にしかけたが、ふと思い留まり手の動きを止める。
(おっと、忘れてたぜい。その前に――)
土御門は隣室の壁に向けグラスを掲げると、ささやかな感謝の言葉を捧げた。
「Merry Christmas カミやん」