英国の日本人街。とある日本料理店。  
 一人の客がおもむろに呟いた。  
「―――美味である」  
 屈強な男だった。だが、全身から漂わせる雰囲気は疲労に疲労を重ね疲れ切った重い空気だった。  
 しかし、運ばれてきた料理――鮮やかな生魚の切り身が載せられた、酢飯の握り――を口へ運ぶたび、  
重い心が、重い体が軽くなるのを感じた。  
 ミソ・スープは温かく、味わい深かった。  
「……美味である」  
 仕舞いには涙さえ浮かべていた。  
「は、はあ……ありがとうございます」   
 ……一方で、その客に出した料理の皿を片付ける少女――五和は当惑していた。  
 自分達があれだけボロボロになり、とある少年の協力を経てようやく倒した聖人と呼ばれる男の面影は  
どこにいってしまったのだろう?  
 大体の事情は知らされているが、複雑な心境だった。  
 すると、その男――後方のアックア、あるいはウィリアム=オルウェルと呼ばれる男は重い口を開いた。  
「あのクーデター以来、運び屋の魔術師に尾行される毎日である。  
 背後にはあの男が、そして姫からの資金提供があったに違いない。  
 安らぎ泊まれる宿もなければ、食事をする一時もどこからかカメラが向けられているのである……」  
「……はあ」  
「しかし、である。私は今、尾行を振り切り、まともな食い物を口にしている。  
 これほど嬉しいと思えたことはない……」  
「……ええと、ごめんなさい」  
 五和は思わず謝っていた。  
「何が、であるか?」  
「いえ、まあ、いろいろと……。実際にあなたを見るまで、本当にこんなことになっているなんて  
 信じられなかったので」  
 ウィリアムは日本茶を喉に一気に流し込むと、大きな息を吐き出した。  
 
「フムン、私にも想像はできなかった。しかし、現実は見ての通りである」  
「……それではお勘定ですけど」  
「待つのである。ああ、それとコックに美味かったと伝え―――」  
 ふと、その女性がウィリアムの目に入った。  
 ハンディタイプのビデオカメラをウィリアムに向けながら『続けて続けて』と手を振る女性。  
「―――ぬうううおおおおお!?」  
 ウィリアムの行動は早かった。大きな呻き声を上げながらも財布をポケットに戻して店の出口へ向かって  
全速力で駆ける。  
 しかし、それを阻むものがあった。  
 極細の鋼糸がウィリアムを進路遮るように張り巡らされたのだった。  
 そして発せられたのは少女の声だった。  
「お客さん、お勘定!!聞いてるんですかッ!お勘定です!!」  
 五和がウィリアムの元へずかずかと歩いていく。  
 唸りながらもビデオカメラが向けられていることに気づいたウィリアムは財布を取り出して紙幣を渡すと、  
五和は鋼糸を仕舞い込み、にっこり営業スマイルで言った。  
「ありがとうございましたー」  
「ぬおおおおああああっ!!」  
 と、同時にウィリアムは駆け出した。  
 
 
 十数分後。料理に含まれていたとある科学都市の睡眠薬の効果によって昏睡した、ウィリアム=オルウェルが  
スーツの男に回収されている。  
 
 
 数日後、某所にて。  
 朝早く、天蓋付きのベッドから身を起こした女性の部屋に棺桶のような箱が置かれていた。  
 丁寧にラッピングが施された、赤いリボンが結ばれたその箱は大きい。  
 人一人がそのまま収まりそうな大きさだった。  
(一体誰が……?)  
 寝起きのため思考がまだはっきりしていなかったが、寝巻きのまま彼女はリボンを解いていく。  
 ふと、一枚のカードが置かれていることに気づいた。  
「メリークリスマス……?」  
 クリスマス。確かに昨日はクリスマスだった。公務の忙しさもあり、とてもクリスマスだったとは思えない一日だったのだが―――  
「……ふふ」  
 思わず頬が緩んだ。  
 こんなもの置いていくサンタクロースはどんな顔をしていたのだろうか?  
 身勝手なことを言っていいのなら、自分が今想像しているサンタクロースに会いたかった。  
 包み紙を丁寧に剥がしていく。  
 まるで少女のように胸の高鳴りは止まらなかった。  
 最後に、蓋に手をかけた。  
「メリークリスマス」  
 
 

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