「あれ、何やってるんですか博士。また原子崩し(メルトダウナー)を魔改造する作業ですか?」  
「君は馬鹿にするが能力を機器で補強するのは今やメインストリームなのだよ。いやマジで」  
「それはわかりますが、基本は制御補助でしょう。生身に破壊兵器を接続する必要性がどこにも見当たらない」  
「そんなもの男のロマン以外の何があるというのだね。想起したまえ、70年代の無茶な内蔵兵器の数々を」  
「あんた女でしょうが。で、結局何してるんです?」  
「うん、義肢の制御用に幻肢のデータを取っていたのだけどね」  
「断面の神経電流ですね。特にこの子の場合、左腕を無くしてずっと意識が戻らないですから怪我を認識してないんじゃないでしょうか」  
「いやそれが消えちゃったのだよ、幻肢データ。脳がどっかで欠落を認識したとしか思えないのだけど」  
「え、じゃあ目が覚めてるんですか?」  
「脳波は覚醒域まで達してないよ。精々夢見ているぐらいだと思うのだけど、何でだろうねえ」  
 
 
 
原子崩しは平凡の夢を見るか3  
 
 
 
PM10:12  
「なんじゃこりゃー!」  
と浜面仕上は建物を前に叫んだ。午後十時過ぎ、夜中の住宅街での行動。近所迷惑極まる。  
即座に横から拳が飛んで迷惑な馬鹿を黙らせた。隣に立つ麦野沈利の仕業である。  
「人の家の前で大声で騒がないでくれないかしら、ねえ」  
「わ、わりい……」  
不機嫌そうに唸る麦野に、浜面は頬に拳をめり込ませたまま謝った。不細工が更に不細工に!  
とはいえ実際、叫び声を上げる程ではないが麦野邸はなかなかの豪邸だった。  
高級住宅街の真ん中に、CMに出てくる二世帯住宅風のどっしりとした建物。電動式の車庫に芝生の張られた庭。掃除は行き届いており、古びた様子はない。  
少なくとも麦野沈利という少女のイメージを損なうような自宅ではない。  
「お前。そのスペックで家が金持ちってどんだけ恵まれてるんだ?」  
「別に金持ちってわけじゃないわよ。ていうか、相談があるんじゃなかったの? ないなら今すぐ帰ってよ」  
「お、おおそうだった。邪魔するぜ」  
 
何故浜面がこんな夜中に麦野宅を訪れたのかといえば、一時間前に麦野へ相談を持ちかけたのが発端だった。  
今のメンバーになってから初めてのライブが終わり、軽い打ち上げをして解散した後のことである。  
ちなみにライブの出来は麦野をして「70点」とのことだったので推して知るべし。  
「よくわからないけどあいつらにでも頼めばいいじゃない。仲良いんでしょ?」  
「いや、ダメだ。旦那や半蔵じゃろくな答えが返ってこねえ。お前を見込んで相談したいんだ、頼む!」  
そこまで言われれば麦野とて悪い気はしない。少し酒が入っていることもあって相談に乗ることにした。  
問題はそこからである。  
適当なところに座って話でも聞こうと思っていた麦野だが、浜面が打ち上げで余った酒を持ってきているのを知って考えを変えた。  
曰く「素面では話せない内容」とのことだが、路上で酒盛りなどプライドが許さない。相談自体を反故にしてもよかったのだが。  
「それくらいならウチに来なさいよ。近いし」  
「そりゃありがたいけど、こんな夜に押し掛けていいのか?」  
「別に、親はほとんど帰ってこないし、一人暮らしみたいなものだから」  
酒が入っていたのだ、間違いない。  
夜風に当たって酔いも醒めてきた麦野は今更ながらに後悔していたが後の祭りである。八つ当たりに殴っても事態は変わらない。  
そうして、浜面は夜中の麦野邸に招かれることになったのだ。  
 
 
PM10:17  
男連れで帰宅した麦野は、ひとまず浜面をリビングに待たせておいてシャワーを浴びた。  
ライブと打ち上げと熱帯夜でいい加減不快指数も限界だったのだ。次期は7月頭である。  
(男を待たせておいてシャワーってなんだか変な気分ね……変なもの漁ってないでしょうね)  
まるで恋人でも持ったようだが相手が浜面では最悪もいいところだ。一度部屋に戻って着替えその他は取ってきてある。裸でうろつきまわる愚など犯さない。  
さっぱりとした彼女は短パンにYシャツというラフな格好に着替えてから洗面台で軽く化粧をした。例え相手が浜面だろうとすっぴんで男の前に出るなど言語道断。  
ふと気になって下着の色を確認してみた。適当に選んだものだが上下で色は合っている。考えてみれば深夜、自宅に男と二人きり、しかもこれから更に酒が入る予定だ。  
(ばーか、なに考えてるのよ)  
浜面仕上とそんな関係になるなど天地がひっくり返らなければ有り得ない。そもそもあの男には他に惚れた相手がいる。  
防犯グッズの類はバッグに入れたまま自室に放置してある。少し考え、面倒だし取りにいくのはやめた。  
それにいざとなれば、と彼女は軽くシャドーをした。ジャブジャブストレート金的キック。体の切れは普段よりも良いくらいだ。純粋な腕力でも負けるつもりはない。  
そういえば日課のサンドバッグ叩きをすっぽかしていた。まあ、その分は浜面を殴って埋め合わせればいいか。  
麦野がリビングに戻ると、浜面は既にビールを一本開けていた。ソファに腰掛けて、壁際のガラス棚を眺めている。正確にはその中身か。  
「お待たせ」  
「おー……うおっ!?」  
振り向いた浜面がぎょっとして顔を赤くした。視線は麦野の脚に釘付けになっている。そういえば短パンに靴下も履かないので生足剥き出しだ。  
「な、なんて格好してくれてやがるんだ。早く何か履けよ」  
「微妙に嬉しそうな顔してない? なにあんた、足フェチなの?」  
「違うっ、俺はバニーフェチだ! 確かに脚線美もその中に入ってるが、それだけじゃあ落ちねえよ!」  
「キモっ! あんたさあ、マジキモいから死んでくれない?」  
などと言いながら麦野がビール缶を一本取り、プシリと開けて対面のソファに座る。結局生足のままである。  
しばらく目のやりどころに困っていた浜面だったが、ぐびりと飲んで壁際のガラス棚に視線を戻した。  
「なあ、なんかずらずら並んでるんだが。あのトロフィーって誰のだ?」  
「ママのよ。音楽家なの。大体フランスにいるからほとんど帰ってこないけどね」  
「音楽家!? じゃあお前、バンドとか素人じゃなかったのかよ」  
「バンド活動は初めてだったけど、音楽そのものは昔からやらされてたわね。ピアノも弾けるわよ」  
「最初から言えよそういうことは」  
「他にも山ほど習い事はさせられたもの。華道、茶道、踊り、料理、英語、キックボクシング……後なんだったかしら」  
「なんつうかお前のスペックの理由がわかった気がするな。つーか最後のだけはやめさせとけよ両親」  
「なんで? 一番役に立ってると思うけど」  
「俺を殴るのにな!」  
そんなことを話しながら、ぐびぐびとビールを呷り、打ち上げで余ったつまみを口にする。だらけた雰囲気が広いリビングに漂っていった。  
徐々にアルコールが脳に回り、お互い遠慮がなくなっていく。既に浜面は麦野の生足を遠慮なく見ていたし、彼女もそれを気にしていない。  
「そういえば今日のライブ、結構良かったわよ」  
「あー、でも客層が結構五分五分だったのは意外だったな。てっきり男ばっかになるかと思ってたぜ」  
「まあ、図らずとも私のグループに動員かけた感じになっちゃったからね。それで相殺されたんじゃないかしら」  
「ちえっ、ついに俺にもファンができたかと思ったのに!」  
「ばーか」  
ちなみに打ち上げの席でもまるで同じ会話をしているが本人達は覚えていない。  
酔いと夜は確実に深まりつつあった。  
 
 
PM11:04  
「そういえば、相談ごとって何だったの?」  
「おお、それ、それだ! そのために来たんじゃねえか」  
本題に入ったのは飲み始めて三十分も経過してからだった。どうして最初からそうしなかったのか。  
既にテーブルの上にはビールの空き缶がごろごろと転がり、冷蔵庫からそのまま食べられるものがつまみとして持ち出されていた。  
麦野はソファに寝そべってチビチビと自分で割ったウイスキーを舐め、浜面は柿の種を一粒ずつぽりぽりと齧っている。だらけきった雰囲気。  
「忘れてたの? ばーかばーか」  
「お前だって忘れてたじゃねえかばーかばーか」  
アルコールが脳に回ると低レベルになるらしい。お互い。  
ともあれ、ようやく話が本題に入った。お互いにミネラルウォーターを一口飲んで、少しは頭をしゃっきりさせる。  
浜面の深刻そうな表情。麦野のどうでもよさそうな体勢。  
「実は滝壺のことなんだけどよ」  
「ふーん」  
「もうすぐ夏休みだろ? だから、それまでに滝壺に告白して、ウハウハな青春を楽しみたくてよ」  
「ふーん」  
「頼む麦野! 滝壺と付き合えるように手伝ってくれっ!」  
「あんた馬鹿ぁ!?」  
往年の名言とともに麦野がビールの空き缶を投げつけた。こーん、と頭に当たっていい音が鳴る。両方とも空っぽである。  
浜面が即座に逆切れした。もはや単細胞生物並の判断力しか残ってない。  
「いってえな何しやがる!」  
「そんなの勝手にすればいいでしょ? 女一人口説けない不良ってあんたどんだけへたれなの?」  
「うるっせえな! どうせ女心なんかわからねえから相談してるんじゃねえかお願いします」  
どういう風に感情が繋がったのか突然頭を下げて麦野に擦り寄る浜面。どさくさ紛れに足を触っている。完全に酔っ払った親父の動きというか、ぶっちゃけキモい。  
纏わりついてくる男をげしげしと蹴りで引き離しつつ、麦野が水割りをすする。それでも律儀にアドバイスをするのは彼女の性分だろう。  
「鬱陶しいわねえ。女を落とす手順なんて大体決まってるでしょ」  
「一応考えたんだけどな。まず駒場と半蔵が路上で滝壺に絡む、そこで颯爽と参上した俺が滝壺を助けて後はホテルにゴーとかどうだ」  
「エロマンガの見すぎじゃないの馬鹿なの死ぬの? 普通にデートに誘ってポイント稼いでから告白すればいいじゃない」  
「う……やっぱそれしかないのか。誘えば来てくれる、とは思うけど多分暇なら……」  
「何、あんたデートの一つもしたことないの? 童貞?」  
「うるせえなほっとけよ余計なお世話だ!」  
「じゃあ帰れよ。人の家で酒飲んでないで一人でなんとかすればいいじゃん」  
「ごめんなさいごめんなさい」  
浜面が縋り付いて謝る。キャラも羞恥もあったものではない。生足に触りたいだけかもしれないが、これは彼のスケベな根性が為すもので純愛とは関係がない、多分。  
少し脱線して浜面の経験値の話になる。  
「デートっていうか、女子と一緒に映画見に行ったことは何度かあるけどよ」  
「ふーん、で、どんな落ちが付くの? 脳内? フィギュア?」  
「実物だ! まあ落ちはつくんだけどな。近所のガキで、年齢制限のある映画見たいとかで詐称に付き添ったんだよ」  
「なに、マセガキがピンク映画見たがったわけ? っていうかそれフラグ立ってない?」  
「アホ。一応スプラッターの分類だと思うんだが。どれもこれもすげえつまらないC級で、そいつも後悔してたな。その時はまだ小学生で、今年中学になったぐらいだぜ」  
「ふーんはーん。はいはいごちそうさま、ばーかばーか」  
お互い対面に座り直して、また酒を啜る。つまみが切れたので、麦野が戸棚からナッツの袋を探し出してきた。  
しばらく二人でぼりぼりとかじった後、話が本題に戻る  
 
「じゃあそういうわけで、今から滝壺に電話してデートに漕ぎ着けなさいよ」  
「今かよ!? いやほら、流石に夜も遅いし寝てたら迷惑だろ? それに酒も入ってるし」  
「何言ってんの馬鹿浜面。そんなだからいつまで経っても童貞なのよ。思い立ったら吉日って言うでしょ。どうせ明日になったらまた怖じ気づくんだし、酒の勢い借りるぐらいで丁度良いじゃない。寝てたらメールにすればいいんだし」  
「いや、まあそうかもしれないけどよ……」  
「大丈夫だって、多分。だってあの娘がイジめられてるところ助けたのはあんたでしょ? きっとフラグ立ってるって。デートしたらその最後に告白されてもおかしくないわよ、もしかしたら」  
「むむむむむ」  
麦野は怪しげな口調で無責任に煽り、浜面は眉根を寄せて悩み始めた。二人とも息はかなり酒臭い。  
程なくして、唸っていた浜面がやおら大声を上げながら立ち上がった。  
「わかった! 俺は童貞をやめるぞ麦野ぉー!」  
「よしそれでこそ馬鹿浜面よ。はい、餞別よ。使いなさい」  
「おう!」  
麦野が自分の携帯から滝壺の番号にかけ、そのまま浜面に渡す。別に嫌がらせではなく純粋に親切である。酔っていた。  
携帯を耳に当てて息を詰める浜面。十秒弱で、呼び出し音が途切れる。どうやらまだ起きているらしかった。  
『もしもし、むぎ』  
「滝壺! 俺と付き合ってくれええええ!」  
間違えた。  
麦野が携帯を素晴らしいハンドスピードで取り返した。ばーかばーかと罵った後、麦野が通話を替わる。  
「ごめんごめん滝壺。今のは気にしないでね」  
『むぎの? はまづら? どういうこと?』  
「だからきーにーしーなーいーでーってば。ちょっとお願いがあるんだけど、こいつとデートしてくれない? えーと」  
一旦携帯を離す。はまづらー、次の日曜でいい? いいけど俺に話させろよ!  
浜面に通話が替わる。  
「つーわけでさ、明後日。一緒に遊びに行かないか?」  
『特に予定はない、けど、むぎのも来るの?』  
「は? いや来ねえけど。じゃあそうだな、駅前に待ち合わせで、十時な!」  
『うん、おやすみ、はまづら』  
「おう!」  
通話が切れた、その瞬間。浜面は歓声と共に飛び上がった。  
「よっしゃああああ! やったぜ麦野!」  
「やったじゃない浜面。あんただってやればできるのよ」  
「ああ、これもお前のおかげだ! ありがとうな!」  
「よかったわね、じゃあ――――帰れ」  
にこやかに祝福していた麦野が唐突に無表情になって携帯をひったくり、ハンカチで綺麗に拭ってから消臭スプレーを吹き付けた。  
それからしっし、と追い払うように玄関を示す。心底面倒くさそうな仕草だった。  
「これで相談は終わりよね。早く帰ってくれない? あ、ゴミは持ち帰ってね」  
「待て、麦野」  
それを浜面が力強く遮った。まるで親友に大切なものを託すような、決意に満ちた表情。  
「どんなデートにすればいいのか、教えてくれないか?」  
「やだ」  
 
 
PM0:23  
持ち込んだビールが尽きたので、浜面は近くのコンビニで酒と雑多なつまみを買い込んできた。  
酒の種類はワインとチューハイが中心。意外とアルコール度数が高いので注意しよう。  
そのまま締め出してやろうかと余程考えた麦野だったが、家の前で一晩中騒ぎそうだったのでやめにした。  
つい先程まで、お互い世にも醜い言い争いをして結局押し切られていた。あれをまた繰り返したくない。  
「ただいまー」「おかえりー」とやり取りをして、再びリビングで向かい合う。手にはワインとチューハイ。  
「つうかさ、もう私以外に相談すればいいじゃない。あんたら三人揃ってデートもしたことないの? モテないブラザーズなわけ?」  
「仕方ねえだろ。旦那はロリコンだし、半蔵は幼馴染がいっつも付いて回ってるしな」  
「あんたはどうなのよ。一緒に映画行ったんでしょ?」  
「できるわけねえだろ。あんなクソ映画見せたらその時点で終わるわ!」  
「ったくこれだから浜面ときたら。つくづく使えないわね」  
話の合間にぐびぐび、と口当たりの良い液体を喉に流し込む二人。浜面のほうは自棄も入っている。  
「じゃあ垣根にでも聞いてみればいいじゃない。あいつこそそういうジャンルのスペシャリストよ」  
「あー、あいつかよ。いや、ちょっと色々あって垣根とはなあ」  
「バンドのことなら別に恨んでないって言ってたわよ。今は彼女と一緒が楽しいってさ」  
「くそっ、あのリア充が! 一瞬でも後悔して損した!」  
ビーフジャーキをがじがじと歯噛みする浜面。麦野はチーズ鱈を肴にしている。  
「まあ、お前だって負けず劣らずだろ? 男と付き合いまくりのスキルなんてこんな時にしか役に立たないじゃねえか」  
「あんた私のこと尻軽女だと思ってない? 言っておきますけどね、確かにデートはあんたの十倍はしてるけど、彼氏持ったことはないわよ」  
「はあ? なんでだよ」  
「ま、あんたみたいな奴等がうじゃうじゃ寄ってくるってことよ。でも、私は私に見合った相手にしか自分を許すつもりはないから」  
「うおお、そういうもんか? プライドたけえな」  
「滝壺だって基本的にそうでしょ? ああいう大人しいのに限って、中身はドロドロの打算的よ」  
「うそだー! 俺の滝壺に限ってそんなわけがあるかー!」  
 
 
 
PM0:47  
「だーかーらー、どいつもこいつも映画にカラオケに食事にショッピングって、そんなのどこでも出来るっての! 一体何をアピールしたいのよ男ってのは」  
「ちげえんだって。男ってのはな、まず失敗したくねえんだ。カッコ悪いところ見せたくないんだよ。だからとりあえず博打なところは避けるんだって」  
「知ったことじゃないわよ。こちとら男なんて見飽きてんのよ。博打ぐらいしなきゃ勝ち目ないでしょーに」  
「そもそもお前の好みがわかりづらいんだよ。つーか、お前そもそも男必要なのか? いらんだろ?」  
「あー、そう。それほんとに思うわ。周りがギャーギャー騒ぐのもうんざりだし。何であんなに必死になれるの? 病気?」  
「医者でも温泉でも治せねえっていうからある意味そうだけどさあ」  
麦野家のリビングで二人がぐらぐらと頭を揺らしながら益体もないことを話し続けている。  
既にお互い酒は手にしていない。つまみを口慰みに時折齧るだけであるが、完全に酔いが回って本題はすっかり忘れていた。  
二人とも、とろんと瞼が落ちかけている。このままでは眠り込むのも時間の問題だろう。  
「なんていうんだ? 一人だとふと空しくなる時があって、その隙間を埋めて欲しい相手っていうのか」  
「ぶっちゃけヤりたいんでしょ正直に言いなさいよ」  
「ちげえよ! いや、そういうのもあるかも知れんが、断じてそれだけじゃねえ!」  
「どうでもいいわよ、そんなの。性欲は一人で処理できるし、大体自分の中は自分で満たせばいいだけの話じゃない」  
「そういうさ、結局ナルシーなんだなお前は。そんだけすげえ奴ではあるけどさ。でもな、愛ってのはいいもんだぜ」  
「わっかんないっての。わっかんないっての。私は一人で充分よ」  
 
 
AM1:05  
「だからバニーの何が良いって言うとさあ、本来有り得ないところで有り得ない服装をしてるって背徳観って言うのか。スクミズとか体操服とかと同じなんだよ」  
「(うとうと)」  
「特にバニースーツって仕事着だろ? いやナースも捨てがたいけどあれは露出がないからな。大人の色気と仕事の背徳観がマッチしてるのがいいところなんだよ」  
「(うとうと)」  
「仕事っていってもいかがわしいものばっかりじゃないぞ。カジノだってそうだけど、バラエティのアシスタント役だってよくバニーじゃねえか。考えてみればそれが受け入れられてるってすごいだろ?」  
「(うとうと)」  
「もちろんバニースーツ自体の、機能的な色気の出し方もあるけどな。惜しむらくは体の線がもろに出るから着る人間が限られるということで」  
「(うとうと)」  
 
 
AM1:23  
「結局私に才能なんて無かったのよ。どこまで行っても四位止まり。だからママは私に見切りを付けて妹を留学させたの」  
「…………」  
「他にも色々やったけど、どれも似たような結果で。私だってこれでも努力したのよ? ああでも、やっぱり中途半端だったのかな」  
「…………」  
「自分の実力が頭打ちになるっていうのは、すごく老け込んだ気がするのよ。それが怖くて、本気で打ち込まずに逃げ場を用意して」  
「…………」  
「パパは日本にいるけど、仕事が忙しくて殆ど帰ってこないのよ。ベンチャー系の社長をやってて。別に冷たくされてるわけじゃないけどさ」  
「…………」  
「ああいう仕事も興味があるし、そっちに進学しようかとも思うけど、才能がなかったらって思うとね」  
「…………」  
「わかってるわよ。そんなもの無い方が普通だって。でもさ、なんでもできるってことは周囲からそれだけ期待されるってことなのよ? 自負を持たなきゃ潰されるわよ」  
「…………」  
「でも結局、期待にも自負にも応えられるだけの実力はなくて……ちょっと聞いてんの、浜面!」  
「……ぐー」  
 
 
AM2:00  
「ぐー、ぐー……」  
「すー、すー……」  
 
 
AM3:21  
「っ!」  
麦野が目を覚ました時最初にしたことは、自分に覆い被さる影にストレートパンチをぶち込むことだった。  
狙いも付けずに放ったそれが、見事浜面の顔面にめり込む。ぐはっ、と悲鳴を上げながら後ろに吹き飛んだ。  
「ふっざけんじゃないわよ! あんたいくらスケベでもそういうことする奴じゃないって思ってたのに、見損なったわ!」  
「ま、待て待て待て! 別にやましいつもりはないんだ! 顔が赤かったからタオル掛けよう思っただけだ!」  
「はあ?」  
凄まじい剣幕の麦野に殺されてはたまらないと、浜面は証拠のタオルを投げ渡した。冷たい、濡れている。  
受け取ったそれで顔を拭くと、顔の火照りがいくらか取れたようだった。仕方なくトドメを刺すのは中止する。  
「あー……寝てたの?」  
「みたいだな。つっても俺もさっき起きたばっかだが」  
携帯を確認すると午前三時半頃。深夜もいいところだ。どれだけ寝てたのか考えてみたが、そもそも何時寝たかがわからない。  
なにか益体もないことを延々と話し続けていた気もするが、全くさっぱり思い出せなかった。  
まだ酒が残っているらしく、頭がぼんやりと微熱を持ったようで、深く考えることができないのだ。  
まあいいか、と麦野は追求を放棄した。それより  
「ねえ、肝心要のことは忘れてないでしょうね」  
「肝心……って、ああデートのことだろ? 忘れるわけねえって」  
「ならいいけどね。明後日、中央公園に十時、忘れるんじゃないわよ」  
「……あれ、十一時に駅前じゃなかったか?」  
お互いに顔を見合わせ、首をひねる。結局結論はでなかったが、まあアルコールが抜ければ思い出すだろう。  
がさがさと浜面が机の上に散乱したゴミを袋に入れていくのを、麦野は額をタオルで冷やしながらぼんやりと眺めていた。  
このタオルと同様、ゴミ袋も麦野が寝てる間に家のどこかから探してきたのだろう。  
(あー、危なかったかも)  
男の前で無防備に寝こけてしまうとは、とんでもない失態だった。しかも相手はスケベ根性旺盛。襲われていてもおかしくなかった。  
浜面仕上とそんな関係になるなど冗談ではない。  
とはいえ咄嗟に口走った通り、麦野はある程度浜面を信用していた。少なくとも滝壺を想う強さの分だけは、自分を襲うのを躊躇うだろうと。  
実際のところ、そうだったわけだが。自分は魅力的ではないのかと、少し複雑な気分になる。  
(ふう、まだアルコールが残ってるわね。少し頭冷やさないと)  
「うーっし。じゃ、そろそろ帰るわ。邪魔したな、麦野」  
「ほんとに邪魔だったわよ」  
膨れたゴミ袋を持ち、腰を叩きながら浜面が立ち上がる。ふらふらと玄関に向かうのを見て、麦野は自分の部屋に一度引き上げた。  
ベッドにダイブするのではなく、ジーパンと薄い上着を取り出して着替える。そのまま玄関に向かい、ちょうど浜面が家の外にでたところで合流した。  
「麦野?」  
「私も行くわ。ちょっと外の空気に当たりたいし」  
「は、俺の家にか?」  
「私の家だけ知られてるのなんて気に食わないもの」  
言いながら、扉の脇に置いてあるシティサイクルを起こして鍵を開ける。いわゆるママチャリだが、十万円近くする高級品だ。  
それを見て浜面が焦った顔をする。嫌な予想をしたのだろう。  
「おい、まさか自転車に走って追いつけって言うのか?」  
「まさか。あんたが前、私が後ろ。迷惑かけたんだから片道ぐらい働きなさいよ」  
うげえという顔をしながら、渋々と浜面がサドルにまたがる。麦野はその後ろ、荷台に座るのではなくステップに両足をかけて浜面の肩に両手を乗せた。  
麦野が後ろで一段高い視界を確保する形になる。密かに胸の弾力を期待していた浜面はがっかりである。  
 
ともあれ、ふらふらと蛇行しながら二人乗りの自転車が発進した。不安定なのはバランスが悪いのが半分、アルコールが残っているのが半分である。  
べしべし、と後ろの女が手頃な位置にある頭をチョップして加速を促す。  
「ほーらー浜面、もっと飛ばしなさいよー」  
「ちっくしょう。わかったから人の頭を気楽に叩くんじゃねえ」  
「どうせこれ以上悪くなりようもないじゃない。あー、いい風。歩きじゃ温くてたまらないわ」  
浜面が気合を入れてペダルを踏むと、自転車が速度を増して安定性を持った。  
深夜の住宅街を二人乗りの自転車が風を切り走っていく。周囲に物音はほとんどしない。明かりは道端の街頭のみ。  
なんだか不思議な気分だった。まるで夢の中を走っているような。  
今なら普段は言えないようなことも口走れる気がした。アルコールが残っているのもある。  
「ねーえ浜面。私って結構いい奴でしょー」  
「んだとこらー! だったら俺は超イケメンだぜー」  
無意味な大声。どうせ付近に聞いている人間などいないのだ。通りかかった家の犬が飛び起きて吠え出したが、それもすぐ後方に。  
「あはは、そうねー。とてもイケメンじゃないしその上馬鹿だけど、あんた結構いい奴かもねー」  
「馬鹿は余計だこの野郎! まあ、お前も思ったほど悪い奴じゃないかもなー」  
暗く無音の町の中、馬鹿みたいに騒ぐ。そういう真似を、今まで麦野はしたことがなかった。  
幼い頃から習い事に明け暮れ、気付けば大きくなりすぎていて。周りに人は多かったが、心を許せる人間は一人もいなかった。  
だから  
「じゃあさ、私達ってなんなのかしらねー」  
「なにって、そりゃあ――――ダチだろ!」  
まるで夢の中のようだったが  
この時のことを、麦野沈利はこの先決して忘れることはなかった。  
 
住宅街を抜けて国道沿いに出ると、周囲はすぐに賑やかさを取り戻した。  
24時間営業のコンビニや飲み屋の看板が道路を照らし、国道を夜間トラックが轟々と行き来している。  
夢の中から現実に引き戻されたようだった。  
「あんたの家ってどっちの方なの?」  
「もっと先。川向こうだよ。言っとくが俺の家はお前の家みたいな屋敷じゃなくてごく普通の一軒家だからな」  
「んなことわかってるわよ。別に期待も何もしてないから」  
二人のテンションは先程までが嘘だったように落ちていた。風に当たることで酔いが覚めて来たこともある。それでもまだアルコールは残っているが。  
二人乗りの自転車が、先程よりは速度を落としながら歩道を走って行く。再び進路が蛇行しだすが、今度はそのことに麦野は文句をつけなかった。  
少し先の十字路で、横断歩道の歩行者用信号が点滅しだす。ここを渡るのが川向こうへの最短距離だ。  
「あ、信号変わるわよ。早くしなさい」  
「わかったから頭叩くんじゃねえ」  
ぐん、とペダルが踏み込まれる。スピードを上げた自転車が、横断歩道を渡ろうとして  
半ばで、突然、横からのハイビームが二人を照らし出した。二人乗り自転車の影絵が、路上に長く伸びる。  
 
「「―――――っ!?」」  
咄嗟に光の方向、左側を振り返った浜面が見たものは  
間近に迫る、目玉のように並んだライトの強い光と、大型トラックののっぺりとした鼻先だった。目が、眩む。  
今、まさにこの瞬間、自分達が轢かれそうになっていると、電流のように直感した。  
そこまでの反応しか出来なかった。  
不運の一つ目は、トラックの運転手が深夜の直線道路と前日の寝不足でうとうとしていたこと。そのため、信号無視をしたのみならず反応が遅れた。  
不運の二つ目は、浜面と麦野が酔っていたこと。そのため注意力が低下し、横断前に左右確認を怠った。でなければ、赤信号に減速せず突進してくる大型トラックにどちらかが気付いただろう。  
だが不運は重なり、浜面は振り向いただけでそれ以上は何も出来ず  
どん、と背中を強く押されて、自転車ごと前方に弾き出された。  
振り向きもせず、即座に麦野が、自分も吹き飛ぶ勢いで浜面の背中を突き飛ばしたのだ。  
それによって、前方に進んでいた自転車は更に加速し、浜面を載せたままトラックの鼻先から逃れた。  
逆に、麦野は前方に向かうベクトルが相殺することで、ふわりと空中に取り残され  
その表情を、振り返った浜面は、視界の端に見る。  
何故だか、ひどく満足そうな顔だった。  
「麦野――――っ!」  
直後。  
ゴガンッ!という異音とともに。彼女の体は大型トラックに跳ね飛ばされ、宙を舞った。  
 
 
 
AM3:45  
――――天地がひっくり返った。  
最初に彼女が感じたのは全身がばらばらになるような衝撃。  
そして、数瞬の浮遊感。  
その後再び、体の左側に凄まじい勢いで壁が叩きつけられ  
最後、顔の右側に、焼けるような激痛が走った。  
そこまで、だった。  
彼女の許容できた痛みはそこまでが限度で  
麦野沈利の意識は、ブレーカーが落ちるように、そこで途切れた。  
 
 

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