普段から日も差し込まないこの路地裏――ましてや日が落ちて暗闇と化したこの場所に、ひっそりと身を隠す1人の男が居た。  
「さーてと、すっかり日も暮れた訳だが――」  
 そうひとりごちた上条当麻は、  
「後はこの格好でどう帰るかが問題だな」  
 そう言ってもう一度自分の姿を確認する。  
 全身銀色でぶかぶかの服は、ちょっとでも身じろぎするとシャカシャカと奇妙な衣擦れ音を出す。  
 頭はバイクのフルフェイスを縦に潰した様な、これも銀色のヘルメットを被っているが、これもサイズが大きくて視界も音の聞こえも悪いし、重くてバランスも悪かった。  
 病院で借りたこの異常に目立つ防護服を着た上条は、裏通りから裏通りへと移動しながら、何とか自宅としている寮まで半分の位置まで帰って来ていたのだが、残す道のりには、大通りを横切らなくてはいけない場所が一か所だけあった。  
 上条は、斜めになったヘルメットを両手で正しい位置に戻すと、  
「もう、この時間になれば出くわす奴に知り合いは居ない筈だ」  
 ただでさえ人目を引くこの格好で往来を歩くのは自殺行為だ。  
 さりとて目指す寮まで帰る為には、人通りのある場所を通らざるを得ない。  
 そこで上条は一計を案じて、多くのまともな学生が寮に帰るであろう時間まで、この場所に潜んでいたのだ。  
「万が一、ビリビリにでも合ってだ。万が一ヘルメットが取れて、万が一、ビリビリに妊娠御手の効果が、万が一出でもしたらやべえからな。万が一……、万が一だけどな」  
 効果は上条に好意を持っている相手に対して、てき面に現れると言うのだが……。  
「ま、俺がビリビリに好かれてるとか、それこそ万が一有りえねーから。御坂妹の時は何かたまたまだったんだろ、たまたま、たまたま、たま、た……。不幸だ……」  
 自分で言っていて何だか落ち込んでしまう上条だった。  
「あぁー、チクショウ! なんかやっぱ腹立って来たぞ! 何で俺がこんな不幸な目に合わなくちゃいけねぇんだよ? 世の中理不尽だ! 俺の青春を返せ! ラブラブな学園生活はどっちだ!?」  
 ダンダンッ! と荒々しく足を踏み鳴らして、しばし自分の不幸を呪った上条だったが、  
「むなし……。さっさと帰んべ」  
 路地から、銀色の頭を覗かせると、キョロキョロと辺りを見回して人通りを確認する。  
「よし! よぉぉし……。誰も居ない。つー訳で、絶好のチャーンス、到、来!」  
 小さなガッツポーズもそこそこに、上条は全力で裏路地から飛び出し、目の前にあった歩道と車道を分ける背の低い街路樹をひょいと飛び越して――大型バスの目の前に飛び出した。  
「どぅおわぁあ!?」  
 上条の叫び声をバスのブレーキとタイヤが悲鳴を上げる音がかき消す。  
 その場で咄嗟に身をよじって着地位置から飛んだ上条は、無理に体制を入れ替えたせいで着地に失敗して、派手に路面に転がる。  
「あだッ!? うごッ! ぐげ、がが」  
 2度、3度と、路面を転がる間に、ヘルメットは脱げて明後日の方に転がって行く。  
 やがて壊れたおもちゃの様に転がっていた上条の横をギリギリでバスが通りぬけて行く。  
 大型バスは上条の倒れた位置から十数メートル先で停止した。  
 そして、バスの中から人影がひとつ、倒れている上条の方に向かって走って来る。  
「だ、大丈夫ですか!?」  
「イテテ……。もぉ、何で俺ばっかりこんな……。不幸だぁ……」  
「あれ? もしかして上条さん?」  
「んあ?」  
 そう言われて顔を上げると、目の前には二重瞼にショートカットの良く見知った少女の顔が、  
「上条さん! 私です! 五和です!」  
(え、何で? 何で五和がここに?)  
「大丈夫でしたか? はいおしぼりです」  
 
 心の中で呟く上条の目の前に、何処から出したのか五和がおしぼりを手渡す。  
「お、おう、サンキュ」  
 何とはなしに受け取った上条は、顔についた泥汚れや汗を拭きとると、そのおしぼりを五和に返した。  
「「それで」」  
 上条と五和は同時に言葉を発して、お互い口ごもる。  
「「どうぞ」」  
 今度はお互いに、右手を差し出して、その手を引っ込める。  
「「あの」」  
 再び上条と五和は同時に言葉を発したところで、  
「五和。お前が先に喋れ」  
「あ、はい。すいません――あの、何でそんな恰好してるんですか?」  
「え?」  
 そう言われて、自分の格好を改めてマジマジと見た上条は、  
「おわッ!?」  
 素っ頓狂な叫びを上げると、広いどおろの真ん中で所在無げに転がっていたヘルメットに向かって突進すると、ガボッと頭に被った。  
 そんな上条後を追って来た五和は、  
「大丈夫ですか?」  
「い、五和ッ!」  
「は、はい!?」  
「お、お前何とも無いか?」  
「あの、お、仰っている意味が良く判らないのですが?」  
「こう、胸が苦しいとか、頭がぼぉッとするとか、そう言うの無いか?」  
 形相も凄まじくヘルメットがぶつからんばかりに近づいて来た上条に、五和は顔を真っ赤にすると、  
「え? いえいえいえいえ、そ、そそそ、そんな事は全然全くありませんよ! はははははは、どうしたんですか上条さん一体急にそんな事、はは、あははははははは」  
「そ、そうか」  
「じゃ、俺はちょっと用事が有るから行くわ」  
「え? 上条さん――」  
「そこの君ちょっと待つの」  
 早々とこの場から逃げようとした上条の背中に、五和とも違う、聞き覚えのある女性の声が突き刺さったのはその時だった。  
 瞬間、ぎくりと足を止めて、油の切れた機械の様にぎこちなく後ろを振り返った上条が目にしたのは――真っ赤なレザーのジャケットに、これも真っ赤なレザーのタイトスカートを履いた、金髪碧眼の女性だった。  
 上条は一目で、この全身真っ赤な女性の正体が判った。  
(キャ、キャーリサ!?)  
 英国の第二王女は、ヒールの音も高らかに上条に近づいてくると、  
「ん? んん――――」  
 遠慮なしに頭から足の先までねめつけた。  
 そして、  
「お、学園都市には宇宙人が居るのかと思ってワクワクしたんだけど、何だ、誰かと思えば上条当麻だったの」  
「ひ、久しぶりだな……ですね」  
「何時ぞやはよくも私をぶっ飛ばしてくれたけれど、その後命がけで守ってくれたし。うん、水に流してやるしー」  
「そ、そいつはどうも」  
 
 そう言って遠慮無くヘルメットをポンポン叩くキャーリサに、上条は若干気押されながらもそっけなく言葉を返した。  
「じゃ、俺は用事が――」  
「まあ待つの」  
 そう言う仕掛けか、背中を向けた上条の体は、ヘルメットに当てられたキャーリサの指を視点にくるりと180度回転して、キャーリサの方に向き直った。  
「あそこに有るバスな。アレにはランベス寮の御一行様が乗ってるの――実はこの度、イギリスにも科学ってのを取り入れよーと思って見学に来た訳だし」  
 と言いながら、親指でバスを指さしたキャーリサは、今度は上条のヘルメットに顔を近付けると小声で、  
「(と思ったのは私だけだし。後の連中は全員御目付け役な訳だが)」  
「そ、そりゃ大変だな」  
「そー思うだろ? 女ばっかりで色気も無いし。そ、こ、で、だ」  
 唇の端を持ち上げてにやりと笑うキャーリサに、上条は背筋に寒いものを感じて肩をすくめた。  
「上条。お前も付き合え」  
「えー!?」  
「不服なの?」  
「い、いや。お、俺、こんな格好してるの実は病気なんだよ。うん。すッげえ病気で、皆にうつしちゃまずいから俺はこれから家に帰って閉じこもる」  
「ほー?」  
 じり、じり、と後ずさりする上条をキャーリサは再び頭から足の先までねめつけると、  
「いいから来るの」  
「ぐえッ!?」  
 上条をヘルメットごとヘッドロックしたのだ。  
 みしみしと音を立てるヘルメットに食い込む赤い腕。  
 豊満な胸も押しつけられているのだが、残念な事にヘルメット越しの上条には伝わらない。  
「王女様のご指名なんだから黙って来るのが誇り高き英国騎士だし」  
「だ、誰が英国騎士だ!? 俺は日本のコーコーセーだ! 止めろ! コラ! ヘルメットが取れんだろ!?」  
「ほらほら、ヘルメットが取れるのが嫌ならさっさと歩くの。みんなー、御客様だしー! ほらほら、見て。上条当麻だし。我らが英雄が来てくれたの!」  
 ずるずると引き面れて行く上条と、満面の笑みで凱旋するキャーリサの後ろでは、  
「か、かみじょう、さん、はぁ、はぁ」  
 いつの間にかおしぼりを口元に当てて頬を上気させた五和が、悩ましげに腰をくねらせていた。  
 
 
 

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