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一体どれほどの間、そうしていただろう。
上条は何も言わない。
啜り泣く白井を、ただ見守っていた。
吐き出せるものは吐き出してしまうのが、一番のストレス発散であることを知っているからだ。
後々になって、あれ?女の子泣かせちゃったよ!?おい俺は何やった何やってんの何やりやがった三段活用!という具合に変な罪悪感に駆られてしまいそうだが、この際忘れてしまえと結論付ける。
そんなどうでもいいことに頭を悩ませていた上条だが、ふと気付く。
目の前の小柄な少女が泣き止んでいたことに。
「…見苦しいところをお見せしましたわね」
白井は目元を拭いながら上条へ向き直り、開口一番そう言った。
涙に濡れた彼女の顔に、不謹慎ながら思わずどきりとしてしまう。
平静を装いつつ、上条は言葉を返す。
「気にすんなよ。 誰にだって、泣きたい時はあるだろ」
白井は何も言わない。
ただ静かに、こくりと頷いた。
静けさに満ちた公園に、烏の鳴き声が響いている。
それを合図にしたかのように、日射しは徐々に夕陽へと姿を変えていった。
(あー、何だ? この空気。 上条さんは非常に気まずいですよー)
「…」
「……」
互いに目を合わせられず、白井に至っては俯いてしまう。
数秒の沈黙。
耐えきれず、打ち破ったのは上条だった。
「そ、そうだ。 喉渇いてないか? 何か飲み物買ってくるよ」
あ…、という白井の弱々しい声を無視し、近くにある自販機へ向かう。
(あちゃー…逃げるとか、俺ヘタレ過ぎるだろ。 …つか、相変わらずおかしなもんしかないのか、この自販機。 炭サンレッド? 豚角煮スパイラル? 何だこりゃ)
学園都市が取り入れる飲料メーカーのセンスに絶望しながら、当たり障りのない無難な缶ジュースを買ってベンチへ戻る。
「ほれ、炭酸だけど」
「ありがとう、ございますの」
上条は缶ジュースを差し出し、白井は素直にそれを受け取った。
彼女の目元はまだ赤かったが、幾分か生気を取り戻したように見える。
プルタブに指をかけ、勢い良く引いたぷしゅり、という音と共に、上条は缶ジュースに一口だけ口をつけた。
「その、少しはすっきりしたか?」
あえて主語を口にしないのは彼なりの気遣いか、と白井は笑い、上条に視線を合わせる。
「ええ…多少は、気分がさっぱりしましたの」
茜色に染まる空を見上げながら、そっか、と上条は返す。
彼に倣い、空を見上げた白井は、それに、と続ける。
「1つだけ、はっきりしたこともありますの…」
ん?と上条は首を傾げ、続きを促す意味を込めて空を仰ぐ白井の横顔に視線を落とす。
すると、白井は口をつぐんだ。
僅かに頬を紅潮させ、上条の視線から逃げるようにぷいっと顔を逸らす。
その様子はさながら、どこぞの学園都市第3位の少女を思い起こさせる。
再び訪れる数秒の沈黙。
白井は上条へちらちらと視線を寄越し、その横顔にはますます赤みがさしていく。
頬だけでなく、耳まで真っ赤に染め上げる白井の様子に上条は戸惑いつつも、律義に次の言葉を待った。
白井は固唾を呑んでから、お祈りをするように両の拳を強く握って、意を決したように勢い良くベンチを立つ。
「上条さん」
白井が呼びかけて、ビクりと反射的に上条も立ち上がる。
彼女の纏っていた雰囲気が一変し、その様子に多少たじろぎつつも、上条は彼女の瞳を見据えた。
目の前の少女が、何か重大なことを言わんとしている気がしたからだ。
白井は何度も口ごもりそうになるのを堪え、再び胸の前で拳を握り締めてから、はっきりと告げる。
「わたくし…あなたに恋をしましたの」
「わたくし…あなたに恋をしましたの」
上条当麻は、精神的衝撃を受けていた。
(あれ、白井さん? あなたさっきまで御坂のことで悩んでたんじゃ……あれ? あれ?? どこ行ったんだびりびり!!)
顔を会わせればやれ猿人類だ馬の骨だのと突っ掛かってきたあの白井が何故?というビッグな衝撃だった。
普段から相当数の女性に好意を浴びせられている上条だが、如何せん自覚がなく、未だ一度として告白された経験はない(厳密に言えばあるにはあるが、上条にその自覚はない)。
故に上条はどぎまぎし、相手があの白井黒子というのも手伝って余計に混乱してしまう。
いくら何でも、この展開はあまりにも突然で――
「わたくしでは、いけませんかしら?」
驚きを、隠せなかった。
目の前にいるのは、確かに“あの”白井黒子だったのだから。
顔を上気させて、唇を震わせて、覗き込むように見上げてくる、愛らしい少女だったのだから。
落ち着け落ち着け、深呼吸、新呼吸――なんだよ新って。
「えと、お、俺なんかと一緒にいると、きっと不幸に巻き込まれるぞ?」
どう返事をすればいいかわからず、苦し紛れに適当なことを言った。
ふるふる、と白井は首を振る。
「どんなことでも、あなたと一緒ならばきっと楽しい思い出になりますわよ」
「…何で俺みたいな冴えない奴なんだよ。 白井なら、もっと良い男が見つかるだろ?」
我ながら卑屈な言葉であると上条は思うが、それでも白井はいいえ、と首を振る。
「あなたじゃなければダメですのよ、上条さん」
「別に、俺なんかじゃなくたって…」
ぶつぶつと呟き、俯き始めた上条に白井は一歩近づき、彼の傷だらけの右手を両手で優しく包んだ。
「逃げないでくださいまし、上条さん。 わたくしは…あなたのお気持ちを聞きたいんですのよ」
そう言って笑みを浮かべる彼女は、何者をも優しく包み込む天使のように可憐だった。
彼女の透き通るような瞳が、上条の心を掴んで離さない。
白井に熱い視線を注がれながら、上条は考える。
脳裏に浮かぶのは、強い瞳を持つ白井黒子、弱々しく涙を流す白井黒子、温かい笑みを浮かべる白井黒子。
その全てに、
「俺は、――」
――手繰り寄せていた。
白井黒子の、その細腕を。
――抱き締めていた。
白井黒子の、薄く細い小柄な身体を。
「お前が可愛くて仕方ないよ、白井」
「お前が可愛くて仕方ないよ、白井」
肩越しの、告白だった。
その言葉は、やけにむず痒くて、白井の頬を真っ赤に染め上げるには十分過ぎるほど甘ったるいものだった。
白井は、抱き締められる。
ぎゅっと、強く。
互いの存在を確かめ合うように。
ぎゅっと、強く。
白井もお返しとばかりに腰へ手を回し、抱き締め返す。
ぎゅっと、ぎゅっと。
強く抱き締めるほど上条は彼女の柔らかさを感じ、同時に女性特有の甘い匂いをすぅ、と胸一杯に吸い込んだ。
「……受け止めていただくというのは、なかなかに心地良いものですわね、上条さん」
「…だな。 何か俺の心臓、さっきからうるせぇし」
「わたくしもですわよ」
へへ、と上条は小さな子供のように笑った。
いくらでもこの温もりを噛み締めていたい上条だったが、まだやりたいことがある。
込めていた腕の力を緩め、背中に回していた手を白井の肩へと静かに乗せた。
「白井……」
「…下の名前が、いいですわね」
「じゃ、じゃあ……黒子」
互いに、互いを見つめあう。
うっとりと、蕩けるような瞳を向けてくる白井に、非常に恥ずかしく感じるものの、我慢する。
身長差があるため、上条が少しばかり屈む形になった。
ゆっくり、ゆっくりと顔を寄せ合い、瞳を綴じて、軽く、口づけをする。
「ん……」
ちゅっ、という定番の音が上条たちの鼓膜に届いた。
「もっと、ですの…」
甘えるように、上条の首へ両手を回しながら、白井はねだる。
上条はすぐさま応えた。
「んっ……」
先ほどより、深く、唇を重ねる。
「もっと……」
さらに、深く。
もっと、深く。
互いの口を啄むように、唇を重ね続ける。
「んぅっ……んむ……」
何度も、何度も。
唇を、求めあった。
そのうち息が続かなくなり、どちらからともなく顔を離していた。
人間には、主となる呼吸器官が2つしかないことを否が応にも実感してしまう。
「熱い、ベーゼでしたわね」
「…恥ずかしい言い回しするなよな」
白井の頭へ自然と手が伸び、ふわりとした手つきで撫でた。
白井はくすぐったそうに目を細め、上条の為すがままになっている。
今なら何となくお姉様の気持ちもわかりますわね、と内心で呟き、頬を弛ませた。
ふと、白井は思い出す。 話は変わりますけれど、と前置きし、
「上条さん。 どうしてこんな辺鄙なエリアで、わたくしたちが鉢合わせしたんですの? その制服、確か第7学区にある高校のものですわよね。 第7学区からこのエリアまで、割りと距離がありますわよ?」
最もな疑問だった。
上条はうっ、と一瞬言葉を詰まらせる。
聞くも涙、語るも涙な不幸物語を思い出し、上条は肩を落とす。
気持ちを切り替えるためにコホン、と咳払いを1つ。
早口言葉の如く状況を説明した。
「えー、学校帰りに行こうと思ってた特売セールのために普段よりデブになってた財布を抱えて走ってたら
唐突に草陰から出現した野良猫に財布盗まれて必死に追いかけてようやく捕まえたと思って
周りを見渡せばいつの間にかこんな見知らぬ場所にいてしかも人気がなくて
誰かいないかと探してたらお前が轢かれそうになってて何か勝手に体が動いてた」
「相変わらず不幸の連続ですのね」
くすり、と白井は穏やかに笑みを漏らす。
「まあ、しら…黒子のその可愛い笑顔が見られるなら、俺は十分幸せですけどねー」
「んまあ、嬉しいことを仰ってくださいますのね。 お姉様にも少しは見習ってほしいものですわ」
腕を組みながら美琴についてぷんぷんと愚痴り始める白井に、上条は問いかける。
「御坂のこと、もう平気だよな?」
ふふ、と小さく笑みを漏らし、白井は瞳を輝かせながら、
「ええ、わたくし、まだ諦めませんの。 お姉様のこと」
彼女らしい宣言を、力強い表情で言い放った。
「え?」
「お許しくださいませ、上条さん。 黒子は、欲深い女ですのよ」
そう。
白井は決めた。
御坂美琴という憧れの先輩も、上条当麻という愛しのヒーローも、全て手に入れてみせると。
当の上条は、面食らった表情から僅かに口を尖らせて、
「…まあ、黒子らしいけどさ」
でも、と上条は続ける。
「俺は、お前を誰かに渡す気なんか、さらさらないからな?」
「上条さん……」
先ほどのように蕩け始める白井の瞳に、上条は視線を重ねる。
「黒子……」
ゆっくりと、顔を寄せ合おうとしたその時――
ピピピピピッ!!という電子的な音が鳴り響く。
発信源は、白井のポケットに仕舞われた携帯からだった。
「何ですのこんなタイミングでっ!!」「何でこのタイミング!?」
憤る上条を横目に、素早く白井は携帯を操作する。
見れば、それは着信だった。
通話ボタンを押して耳に当てる。
「はい、白井で――」
『白井さん! 第17学区でスキルアウト数名が一般人に暴力を振るってるわ! 至急現場へ急行してちょうだい!』
白井にとっては聞き慣れた上司の声だった。
緊急性の高い用件であるためか、返事も聞かずに通信は切れた。
一瞬だけ呆気にとられた白井だったが、すぐさまその表情は風紀委員のそれになる。
勢いよく上条へ振り向きながら、
「上条さん、わたくしっ」
「大事な用なんだろ? 早く行ってやれ」
上条は笑う。
まるでそんなことは全てわかっていた、とでも言うように。
「…はいですのっ」
「無茶はすんなよ?」
心配性な彼の一言に、引き締めた顔は思わず緩む。
「上条さんにだけは言われたくありませんわね」
そう言って白井は上条と軽い口づけを交わし、それもそうかと上条は苦笑いを浮かべる。
「では、そろそろ参りますわ」
「ああ、行ってこい」
満面の笑みを浮かべながら、
「ごきげんよう、上条さんっ」
ひゅん、という音を立てて、白井黒子は姿を消した。
(行っちまったか…)
人気のない公園。
沈みつつある夕陽。
ムードは限りなく良好だった。
上条が1人であるという点を除けば。
上条は思う。
しら…黒子は、あんなに可愛い女の子だっただろうかと。
気付けなかったのは、きっと彼女のことをちゃんと見たことがなかったからだろう。
我ながら見る目がなかったな、と溜め息をついて、ふと周りを見渡す。
あれ?と思った。
ここは公園である。
人気はない。
上条は1人である。
案内図は見当たらない。
ここはどこ?
わかりません。
携帯は?
充電切れです。
今何時?
17時過ぎです(公園の時計を参照)。
白井黒子は?
可愛いです!
今日のあなたは?
「かなり幸せかも……だけどっ、やっぱり不幸だぁぁぁぁっ!!!」
不幸で幸福な少年の叫び声は、今日も学園都市に木霊する。
終わり