「はぁ…」  
 ぴょこぴょこと、二つに結った赤みの強い茶髪を揺らし、白井黒子は歩いていた。  
 普段は多彩な表情を浮かべる彼女だが、今日に限ってはしょんぼりと肩を沈め、地面を見つめながら風紀委員の仕事である偵察兼巡回を行なっている。  
 そんな白井の心情を一言で言えば、落ち込んでいる。  
 理由は至極単純であるが、だからこそ悩む。  
 
「お姉様は……もしかして本当に黒子のことを嫌ってらっしゃるの?」  
 
 普段から白井は、お姉様――ビリビリとんでも中学生、学園都市3位のレベル5・御坂美琴――に邪見に扱われており、うざいだの変態だのと罵られている。  
 白井からすればそれは日常であり、お決まりの応酬なのだが、しかしそこは中学一年生、2週間に一日は弱気になるし、素で凹むこともある。  
 その14分の1が、今日という日である。  
 この巡回エリアは人通りが少ないためか静けさに満ちており、なおのこと白井の神経を沈ませていく。  
 
「お姉様ー……」  
 
 とてとて、という音の出そうな歩幅で、前も見ずに歩みを進める。  
 とてとて、とてとて、とてと――――  
 
「危ねぇっ!!」  
 
 ドンッ、と背面から突き飛ばされるような衝撃に白井は目を見開く。  
「へ…?」  
 押し倒されるような感覚を感じつつ背後へ振り向こうとして、  
「ひっ…」  
 視線の端に迫るトラックに怯み、咄嗟の判断に詰まった。  
 思わず瞑目し、瞬間的に涙を堪えながら身体を強張らせる。  
 自分もここまでか、最期に、お姉様ともっとイチャイチャしたかった。  
 ――なんて、ある意味では彼女らしい想像をして、来る死を覚悟した。  
 が、しかし、いつまで経っても轢かれるような感触は訪れなかった。  
 過ぎ去る騒音と共に、ドスンッ、という何かが地面に落下した音が白井の鼓膜に届く。  
 恐る恐る目を開き、視線を泳がせる。  
 目に映るのは、青く澄んだ空だった。  
(私、生きて、ますの…?)  
 頭は、打っていない。  
 正体の掴めない何かに包まれていたから。  
 突き飛ばされたと思ったのに、不思議と痛い場所などどこにもなかった。  
 
 次の瞬間、横たわる自分を包む温かい何かに気づく。  
 
「いちちっ……大丈夫か?」  
 
 
 
「いちちっ……大丈夫か?」  
 
 聞き覚えのある声の主にバっと目をやり、先ほどとは異なる意味で目を見開いた。  
 
「あっあなたは殿方っ!?」  
 
 殿方、と呼ばれたのはもちろん、言わずと知れた不幸(?)少年、上条当麻である。  
 その上条は今、小柄な白井の身体を、見た目以上にごつごつとした両腕で支えていた。  
 意外と厚い胸板に、白井は上半身を預ける形になっている。  
 
「あれ、何か見覚えあると思ったら、白井だったのか」  
 
 声の主と視線を交え、白井はハッとする。  
 次いでは水辺で遊ぶ鳥の如く身体をバタつかせながら、素早く起き上がる。  
「も、申し訳ないですのっ、わたくしったら、その」  
 彼女はわたわたと、あまりにもらしくない慌てっぷりを披露し、その様子に上条は笑う。  
「まあ、ケガがなくて良かったよ」  
 自然に微笑むその顔に、刹那、白井は頬を赤く染めた。  
 あれ、と思う。  
 もやっとした感情が沸き上がった、ような気がする。  
 ぼうっとした瞳で、白井は上条を見つめる。  
 当の上条は気付かずに、上体を起こしつつ言葉を続ける。  
「いくら白井でも、赤信号は無視しちゃいかんでしょう。 あれじゃ事故に……って、あれ? 確か白井って“空間移動能力者(テレポーター)”だったよな。 もしかして、余計なことしたか?」  
 しかし白井はおどおどとしながら首を横に振る。  
「い、いえっ決してそのようなことは! わたくしはっ、その、考え事をしておりましたし、他に気を回してなかったものですから、殿方の…いえ、上条さんのおかげで、命拾いしましたわ」  
 依然として白井の表情は赤みを帯びたままだが、思考は追いついた模様である。  
 もちろん上条は白井の様子に気づきもしないが。  
 ちなみに、上条は尻餅をついたままであり、白井は膝での半立ち体勢のまま、人差し指をもじもじしながら上条を見つめている。  
「い、いやいや、上条さんはそんな大層なことはしてないのですよー?…って」  
 そこまで言って、上条は先ほどの会話に引っ掛かるものを感じた。  
 
 “考え事をしていた”と、白井は言う。  
 遠くから見ただけだが、今にして思えば、先ほど赤信号を渡ろうとした白井の肩はやけに沈んでいるように見えた。  
 悩み事、というものだろうか。  
 会う機会など数えるほどだが、そのどれもが愉快そうに様々な表情を浮かべていた彼女である。  
 それが彼女らしさであると上条は思っていたため、悩み事、と言われれば、多少の心配は生まれるものだ。  
 まあ、気になるのなら聞けばいい。  
 お節介な思考だと内心で自嘲しつつ、目の前の小柄なツインテール少女に尋ねる。  
 
「白井。 何か悩み事か?」  
 
 
 
「白井。 何か悩み事か?」  
 
 一瞬、ほんの一瞬だが、白井は何を言われているのか理解が及ばなかった。  
 はて、と思う。  
 考え事、という表現をしたのに、何故そんな発想が生まれるのだろうか。  
 表情には出していないつもりだったのだが。  
 そこでふと、ああ、と納得する。  
(あなたは、もとより他人に世話を焼くお人好しでしたわよね)  
 と思考し、内心で頷いた。  
 この間約3秒程度。  
「俺なんかで良ければ、相談乗るけど」  
 真剣な彼の表情に、白井は瞬きを1つ、2つ。  
「えと、とりあえず、立ち上がりません?」  
 サッ、と尻餅をついたままの上条へ手を差し伸べる。  
「おお、悪いな」  
 差し出された手に、上条は右手を伸ばす。  
 白井はふと、伸ばされた右手に目をやり、息を呑んだ。  
 何故か?  
 それは、その右手から肩にかけて、目を凝らさなければ視認できないほどの傷痕や数え切れない生傷があったためである。  
 単なる事故や喧嘩で負うような、生易しい傷つき方ではないと、風紀委員である白井には思えた。  
(何故このような傷が…)  
 瞬間。  
 白井の眼前へと迫る瓦礫を、右手1つで吹き飛ばす上条の姿が、脳裏を過る。  
 (……あなたは、いつもいつも自分ではない誰かを、守っているのですわね)  
 神妙な面持ちで、白井は上条を引っ張り上げた。  
 
 人気が少ないとはいえ、歩道のど真ん中で立ち尽くすのも気が引ける。  
 上条と白井は何気なく辺りを見回し、これまた人気の少ない公園に場所を移した。  
「ええと、何か辛いことでもあったのか?」  
 木目の古くさいベンチに腰掛けた上条は、何とはなしに口を開いた。  
 普段から不幸人間を自称する上条だが、彼は、他人の不幸だけは良しとしない。  
「えっと、その〜……」  
 白井は迷う。  
 打ち明けてもよいものかと。  
 上条は、白井が美琴に心酔していることを知っている。  
 知ってはいるが、それが原因でトラックに轢かれかけましたー、などとは、白井の心情的に言いたくない。  
 何だかんだで命の恩人である上条に、恋の悩み(?)が理由で死にかけましたー、だなんて、申し訳なさ過ぎて告げられるはずがない。  
 頬を引くつかせながら、さてどうしたものか、と思案する。  
 ちなみに、この間約5秒。  
 
 数秒待っても口を開かない白井に上条は、聞いちゃまずかったか、と焦り言葉を紡ぐ。  
「い、いや、別に言えないとか、言いたくないならそれでも構わないんだぞ。 ただ、何か心配で」  
 最後の一言で、白井は撃沈する。  
(ああ! こんな真摯に他人の心配をしてくれる方に嘘を吐こうだなんて黒子のおバカっ!!!)  
 腹を固めなさい白井黒子! どつかれてもしばかれても全てわたくしの責任ですわぁぁ!!と胸中で叫びつつ、真実を告げる。  
 
「お、お姉様が、実はわたくしを嫌ってるのではないか、と……し、真剣に悩んでおりましたのっ」  
 
「……………………へ?」  
 
 思わずといった具合に、上条は目を点にした。  
 
「で、ですからっ! お姉様がわたくしのことを、いつもいつもうざいとか変態とか仰るのでわたくしはっ! 実は嫌われているのではないかとっ」  
 
 勝手に盛り上がる白井を尻目に、本気で心配しちゃった俺がバカみたいじゃないか…と肩を落としつつ沈む上条。  
 どんよりとした空気を漂わせ始めた上条に気づき、白井は上目遣いで覗き込む。  
「あの…怒りませんの?」  
 白井の視線に気付き、上条はハッと我に帰る。  
「いや、別に。 え、つか何で?」  
「いえ、その、」  
 罪悪感を感じている白井は言葉に詰まり、居たたまれなさから視線を逸らす。  
 んー、と一瞬だけ考え込むが、やはり何も心当たりのない上条は首を傾げた。  
「よくわかんねぇけど、二人とも無事だったんだし、結果オーライじゃないか?」  
 まるで本当に何事もなかったかのように、上条は笑みを浮かべていた。  
 やはりどこかズレている。  
 漠然と白井はそう感じたが、しかし、そのズレた優しさこそが、上条という人間の本質なのかもしれないとも思えた。  
「…あなたには敵いませんわね」  
 目の前に立つヒーローのような男の笑顔は、弱冠13歳の少女にとってあまりに眩しすぎるものだった。  
 
「話は戻るけどさ」  
 と切り出したのは上条だ。  
 頭を掻きながら、返事を待たずに言葉を続ける。  
「1つ言わせてもらうと」  
「言わせてもらうと?」  
「気にしすぎだろ」  
「へ?」  
 きょとんとする白井。  
 くりくりとした瞳をぱちぱちと瞬き、?マークを浮かべている。  
 
「いや、だから、それは白井の勘違いだと思うぞ、って言ってんの」  
 
 上条は呆れるような、幼い我が子を眺める父のような表情で、目の前の少女を見た。  
「何故そう言い切れますの?」  
 白井は僅かに眉を曇らせ、拗ねたように問う。  
 対する上条は、ぽりぽりと頬を掻き、薄く溜め息をついて、  
「何故って……お前こそ、何で嫌われてるなんて思ったんだ? いつも御坂と一緒にいるお前が、何でそんな弱気なことを言う?」  
「そ、それは…」  
 白井は言葉を濁らせる。  
 確かに、これといった原因はない。  
 今日から一週間前を振り返っても、これといって特別な出来事などなかったのだ。  
 あえて言うならば、今日の湿気の強い天候に気分が滅入っていた、ということくらいか。  
「白井。 お前は今まで、御坂の何を見てきたんだ? あいつのこと、好きなんだろ。 事情は知らない。けどさ…ちょっとやそっとのことで、簡単に人を嫌うような奴だったか? お前の知ってる、御坂美琴という人間は」  
 少なくとも、上条は知っている。  
 誰かのために涙を流した御坂美琴を。  
 誰かのために死に物狂いになっていた御坂美琴を。  
「違うよな。 あいつは、確かにちょっとびりびりしてるが、根の優しい奴だ。 それは、傍にいたお前がよく知ってるだろ?」  
「……ええ」  
 そんなこと、ずっと前から知っていた。  
 他でもない白井黒子は、御坂美琴を知っていた。  
 誰に対しても平等で、誰に対しても思いやれる、包容力のある憧れの先輩を。  
 それが白井にとっての御坂美琴であり、全てだったのだから。  
「自信を持てよ。 そして信じろ。 お前の憧れた、御坂美琴という人間を」  
 上条は言い放ち、目の前の少女はわなわなと震えて始めた。  
 つつ、と温かいものが白井の頬を伝う。  
 彼女はそれに気付き、目頭が熱くなっていく。  
 塞き止めていたはずの何かが、止めどなく溢れてくる。  
 らしくもなく、誰にも遠慮せず少女は泣き始める。  
 上条は柔らかい手つきで、涙ぐむ少女の頭を優しく撫でていた。  
 
続く  
 

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