『とある誰徳の英国王室』
とある和やかな昼下り。上条当麻は公園のベンチで1人、焼きそばパンを頬張っていた。
日曜日だというのに補習に出ていた上条だったのだが、担任の小萌が午後から用事があるとかで午前中だけで解放された。
それならいっそ休みにして欲しい、と上条は思うのだが、忙しい時間を割いて熱心に教えてくれる愛らしく小さな担任教師には口が裂けても言えない。
とりあえずは午後から暇になってしまったので夕方までの時間をどうするか、まずそれを決めなければいけない。
焼きそばパンの残りを口に放り込んだ上条は、口をもぐもぐさせながら次のパンを取り出すべく、横に置いてあった袋を物色する。
まだまだ沢山の種類のパンが詰まっているこの袋は昨日、通りかかったパン屋のタイムセールで買ったものだ。
1つ100円という破格の安さ――実は新商品開発の失敗作なのだが上条には知るよしもない――に即買いした。これと同じ物を3つインデックスに渡してあるので、上条はこうしてのんびりとベンチで昼食を楽しんでいられるのだった。
「さあーって、次はな、ん、に、すっ、か、なぁ……」
「何をしてるの少年?」
「ふえ?」
急に声を掛けられて顔を上げてみれば、目の前には金髪サングラスに、真っ赤なレザージャケットと、これまた真っ赤なレザーのミニスカート、極めつけに真っ赤なタイツに真っ赤なハイヒールと、全身真っ赤なパンク女が立っていた。
「だ……、誰?」
その一言にパンク女は律儀にずっこけて見せると、
「あれー? 私ってそんなに印象薄かったの? これでも結構第一印象は気にしてるのだが……。うーん……」
口元に拳を当てて考え込んでしまう。
(何か関わってはいけないって感じがビシバシするのですが……)
目の前で服装がどうだとか演出がどうだとか独り言を言っているパンク女に、気付かれないように立ち上がったろうとした。
しかし――、
「ん? 何処に行くつもりだお前?」
「え? 何か取り込み中みたいだから邪魔しちゃ悪いかと思って場所を移動しようと……」
そこまで言った所で、「余計な気遣いありがとー」とパンク女にぐいと肩を掴まれてベンチに押し戻された。
「私はお前に用が有ってここに来たのだし、大人しくそこに座っているの。か、み、じょ、う、と、う、ま」
目と鼻の先まで顔を近付けられてドギマギしていたのもつかの間、パンク女がサングラスを外してみせる。すると現れた少しきつめの碧眼に、
「キャ、キャーリサ!?」
思わず上条が叫ぶのも無理は無い――先のクーデターの首謀者にして、英国王室第二王女が目の前に居た。
そのキャーリサは眼を細めると口元を掌で隠しながら上条を見下ろして、
「あら、あらあらあら、私を呼び捨て? ふーん……。流石は英国の危機を救った男は一味違う――とは言えだ。この厚顔にして不遜な振る舞いは万死に値するの」
その一言に上条の顔がびくぅっとあからさまに強張る――とそれを見たキャーリサが堪え切れずにぷっと吹き出した。
「嘘嘘。冗談だしー。そんな堅苦しーのは私も得意では無いから、ト、ク、ベ、ツ、に、お前には私を呼び捨てにする事を許してつかわすの」
頬に手の甲を当てながら上から目線で宣言するキャーリサの姿に、上条は「不幸だ……」と心の中で呟いてガックリと肩を落とす。
だがそうしても居られない。そう改めて気力を振り起こしてキャーリサに向き直ると、
「何しにここへ?」
「愛しのお前に会いに――」
即座に返って来た言葉に目が点になる。
確かに上条は年上が好みだ。昨今はロリコン疑惑も囁かれるが、自称する分には誰にも迷惑がかからないのでその看板を降ろすつもりは今の所無い。
そして、恋愛の対象は外国人だって変わらない。上条は人種や肌の色で人を差別したりはしないのだ。
(いや待てよ)
そこで上条は盛り上がる自分の心に待ったをかけた。
世の中には色々な愛の形が有る。親愛、友愛、家族愛、兄弟愛、夫婦愛……。
『母さん』
『刀夜さん』
咄嗟に思い浮かんだ馬鹿親カップルのいちゃいちゃ妄想を吹き飛ばして元の思案に戻る。ここまで僅か1秒。
(そ、そうだ。俺の勘違いに決まってんだ。土御門とかにフラグフラグ言われてたから俺もどうかして……)
「って言ったらどうする?」
「冗談かよッ!? ちょっとドキドキしたじゃねえかテメエ! この、カミジョーさんのドキドキを還せッ!」
心の葛藤とは裏腹にやっぱり期待していた上条は、キャーリサに向って負け犬の遠吠えよろしくキャンキャンと喚き散らす。
そんな上条の剣幕に、やや毒気を抜かれてキョトンとしていたキャーリサだったが、「ふん」と詰まらなそうに鼻を鳴らすと上条に膝の上に何か投げた。
「ん?」
膝の上に投げられたそれを拾い上げた上条。白を基調とした豪奢な封筒には金を混ぜ込んだ蝋でシーリングされている。
「何だこれ?」
「書簡よ」
「書簡?」
そう言われてもいまいちピンとこない上条は、その書簡を光にかざしてみたりする。
「そ。女王からお前宛の書簡」
「じょ、女王からの書簡って、あ、あの女王からの!?」
驚く上条にキャーリサの冷たい視線が突き刺さる。
「他に誰がいるのだ? そんな事はどーでもいいから、さあ早くそれ開けて読め」
「ここでか?」
「ちゃんと読んだ所も確認して来いって言われたの――ったく私は伝書鳩か何かっつーんだ全く」
「(そんな可愛げの有るもんじゃ無えだろ……)」
「何か言ったか?」
「いや全然」
瞬間キャーリサのジト目が、書簡に視線を落とす上条のツンツン頭を捉える。
「……ほら、ぐずぐずしないで早く読むの」
言葉と一緒にキャーリサの平手打ちが上条の頭を直撃した。
「イテッ!? 何すんだ……ああ、読みます。すぐ読みますから少し待てって……」
キャーリサに脅される形で書簡の封を開けると、中からふわりとさわやかな香水の香りが漂う。
その香りにキャーリサが「あの色ボケババア」とののしるのを無視して、中から手紙を取り出すと、綺麗な便箋に、これも綺麗な日本語でこう書かれていた。
『英国女王の権限を持ってキャーリサの全人権を上条当麻に譲渡する。好きにしていいよ(ハート)』
「ぶッ!!?」
「どうした?」
急に吹き出した上条に、腕を組んでイライラとつま先を上下させていたキャーリサが振り返る。
そこで全身真っ赤にして肩を震わせている上条と目が合う。
「お、お前この内容知ってんのか?」
一瞬言われている言葉が理解出来なかったキャーリサだったが、急に嫌な予感に囚われた。
「――ちょっと貸してみろ」
そう言って上条から書簡を引ったくり、その文面に目を通したキャーリサは――書簡を滅茶苦茶に引き裂いて、力の限り地面に叩きつけた。
「ちっくしょーあのクソ女王(ババア)!! どーりで私にお目付け役の1人も付けない訳だし!!」
あの時、日本製の『コタツ』なるものに入ってオレンジを頬張っていた時に、向い側からこれを放って来た女王のやけににやけた顔を思い出す。
「犬猫の子供でもあるまいに実の娘を書簡と一緒に送り付けるとはどー言う神経してんの!!」
キャーリサは引き裂いた手紙を憎き女王(あいて)に見立ててガシガシと蹴り付けた。
そんなキャーリサの様子に、ただただ黙って見守る上条。その真中は穏やかでは無い。
(これってもしかして、世に言う『据え膳』と言うものではなかろうか……?)
心の中でそう呟いてみて、事の重大さに上がった血の気が一気に引いた。
その寒気に身震いする上条。
(これは冗談か? 冗談だよな。そうだ冗談に決まってる。あの女王の壮大な冗談に決まって……)
「なあお前……」
半ば現実逃避しかけていた上条に、キャーリサの不機嫌そうな声が掛かる。
頬を真っ赤にして涙目の瞳を釣り上げたキャーリサは、あの時の数段上の殺気を放ってこちらを見つめている。現実に戻っても上条の悪夢は覚めないらしい。
「な、何だよ? 何しに来たんだよお前は?」
キャーリサの苛立ちが移ったのか、上条は思わずぶっきら棒にそう返した。今思えばこの一言がまずかった。
気にするなとか、こんなの冗談だろとか、こんなふざけた約束は受けられないとか言っていれば、少しは違った結果もあったかもしれないが……全ては後の祭り。
とにかく、そんな上条の一言にキャーリサの中で何かがぷちっと切れた――。
「判った。こうなればお前の子供でも孕んで帰らなければ愛するイングランドの土は踏めないし――」
淡々と抑揚無く言葉を吐き出すキャーリサは、上条に噴火直前の山をイメージさせた。
「おま……何馬鹿な事言って……」
逃げ場のないベンチで、それでも逃げようとする上条の手を、キャーリサがぐいと掴む。
「馬鹿とはなんだ馬鹿とはッ! これは私の王女としてのプライドの問題だし!! お前は黙って従ってればいーの!!」
そして、これが火事場の馬鹿力と言わんばかりに嫌がる上条をずるずると引っ張って行く。
「馬鹿ッ!? コラ、ふざけんな! そんなん承諾できるか!? ってオイ! 聞けっての、コラ! マジで人の話を……」
上条が抵抗するもどうなっているのかキャーリサを止められない。
やがて2人は公園の入り口に止まるタクシーの横へ。キャーリサが窓をノックするとドアが開く。そこへ間髪いれず上条を放り投げた。
「つべこべ言わないでお前はタクシーに乗るの!」
しかし上条もただ黙ってタクシーには乗せられない。両手を入口に引っ掛けると、後ろからぐいぐいと押し込む力に必死で耐える。
とここでキャーリサは、あろう事か上条の背中をドンと蹴り付けた。
「ゴガッ!? ちきしょう蹴りやがったぞこの馬鹿王女!? ってイテ! くそっ……あがッ! マジで止めて止めてもう蹴らないで……」
スカートの中が見えようがお構いなしに蹴り付けるキャーリサに、上条も抵抗する気力を失って後部座席に押し込められる。
その上に覆いかぶさるようにキャーリサが乗り込むと、タクシーのドアが自動的に閉じた。
「ホテルまで直行して」
キャーリサの合図で車は走り出す。
先ほどの扱いとは若干変わって、柔らかくていい臭いがするものに押さえつけられて身動きの取れない上条。微かに窓から見える景色に、
(何か良く判んねえけどホテルって……ホテルってやっぱり……あれか? 不幸だあああああああああああああああああああああああああああ――)
世の男たちが聞いたら殴り倒されそうな心の叫びを上げていた。