真夜中に突然目が覚めてしまった絹旗最愛は、寝なおそうにも喉が渇いている事に気付いてしまった。  
「喉が超渇いて眠れないなんて……。時計ぃ……。う……まだ起きるには超早い時間じゃないですか……? くそぉ……超良い夢を見ていた気がするのですが……、それを考えるとダブルで超損した気分ですよ全く……」  
 そんな文句をぶつぶつと呟きながらベッドから起き出して冷蔵庫の有るキッチンへと向かう。  
 この家は構造上リビングを抜けなければ他の部屋に移動できない作りになっている。  
 なので絹旗も通り抜ける為にリビングに向かったのだが、そこで不思議な光景を見つけてしまう。  
 リビングの片隅には何処から持って来たのか古ぼけたパソコンが一台置いてある。今、そのパソコンの前に誰かが居た。  
 背中を丸めてディスプレイを覗きこんでいるその姿が、ディスプレイから漏れる光に照らされて真っ暗な室内にぼんやりと浮かび上がっている。  
(ん?)  
 じっとそちらに目を凝らしみれば目が慣れて来たのか輪郭がはっきりして来た。無造作に刈られたぼざぼざ頭に、音漏れ対策なのかご丁寧にヘッドフォンをしたその後ろ姿。  
(浜面?)  
 超こそこそと夜中に何をやっているのでしょう、と小首をかしげる絹旗。しかし、その瞳が直ぐにジト目に変わる。  
(……女性2人と同居している身で自家発電とは流石は超浜面ですね。超絶的なキモさです)  
 絹旗の言う通りここには絹旗と浜面以外にも滝壺理后も住んでいる。  
 3LK――つまり1人に1部屋と言う贅沢な間取りのこの物件を見つけて来たのも、ここに有る家具を持ち込んだのも全部浜面だ。  
 誰もその出所は聞かない。それは裏稼業に属する者の最低限のルールだ。  
 そんな場所に、絹旗は始めのうち住む事を嫌がった。  
 それと言うのも――浜面と滝壺がラブラブだったからだ。  
 例えレベル4の窒素装甲(オフェンスアーマー)でも馬には超蹴られたくない――そう言って何度も断ったのだが、結局はなし崩しに共同生活は始まっていた。  
 今では大分部屋に私物も増えて来て、先月は一度も学校の寮には帰っていない。  
 快適かと聞かれれば首を傾げる所もあるが今の所おおむね問題は無かった――これに出くわすまでは。  
 と、そう言う色眼鏡で見なおせば浜面の体が小刻みに動いて見えるから不思議なものである。  
 その状況と予測のおぞましさに全身鳥肌になる絹旗。カッと頭に血が上ったせいで喉の渇きも眠気も何処かに吹き飛んでしまった。  
(超コロス。取り合えず1週間くらいベッドの上で天井を超眺めて過ごすくらいにブチコロシましょう)  
 そう心の中で浜面の今後のスケジュールを立てた絹旗は、すぐ側に有ったダブルのソファーの下に手を差し込むとひょいと片手で持ち上げた――つまり浜面に触るのも嫌だと言う訳だ。  
 そのまま大股に浜面の背後に近付いてソファーを振り上げる……と、そこで絹旗の動きがぴたりと止まった。  
 釘づけになる絹旗の瞳――その先には目に痛い位にカラフルなグラデーションのフレームで囲われたブログが立ち上がっていた。  
 一番上には墨で描いた様にでかでかと『HAMAZの明日はどっちだ!?』と見出しが付けられている。  
 HAMAZ……、ハマZ……、多分、いや間違い無く浜面の事だろう。  
 どうやらそこそこのアクセス件数を誇っているのはカウンター数で直ぐに判る。  
 比較的まめに更新もされているのもずらずら並ぶ更新履歴で察しがつく。  
 そして、メインで表示されているのは今日の更新内容の様だ。  
 実にとりとめの無い、話に一切まとまりも一過性も無い内容がつらつらと綴られている。  
 今日は×××に追いかけられただの、△△△に見つかりそうだっただの伏字の多さにも驚く。  
 しかし、絹旗が固まったのはそこでは無い。  
 最後の一行。このブログにしては唯一かわいらしい――全くもって異質としか思えないディフォルメされた女の子のキャラが2つ、ピコピコと手足を動かしている。  
 そして、その隣にはこうつづられていた。  
『明日もこいつらが笑っていられる様に頑張るぜ!!』  
 浜面の体が傾いだ。かと思うと首がかくんと後ろに倒れた――どうやら眠っているらしい。  
 絹旗はその寝顔を暫くじっと眺めていたが、ふと振り上げた自分の手に有るソファーを思い出す。  
 そしておもむろに、踵を返してソファーが置いてあった元の位置まで戻ると、浜面を起こさないようにそっとソファーを床の上に降ろした。  
 それからキッチンに行って自分専用のマグカップにホットコーヒーを注いで、湯気の立つそれを持ってリビングに帰って来ると、浜面の顔が見えるような位置に腰を下ろしたのだ。  
 
 浜面の寝顔を眺めながらマグカップを口に運ぶ絹旗。その瞳はぼんやりと夢でも見ているかのようだ。  
 それからどれくらい立っただろう。  
「!!」  
 絹旗は突然我に返って立ち上がる。  
 思わず叫び出しそうになったが、そこは両手で自分の口を押さえて我慢した。  
(わ、わた、わた、私は一体超何に浸ってこ、こんな事をおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?)  
 絹旗は自分の記憶をたどるが浜面のブログを見た辺りからの部分が曖昧だ。  
(ちょ、超浜面の分際でエラソーに私たちの幸せを超祈るような事書くからこっちも超調子が狂ったじゃないですか!! 馬鹿、阿呆、トンマ、間抜け、超浜面ッ!!)  
 両手で口を塞いでむーむーと唸りながら、心の中で罵詈雑言を浴びせかける絹旗。  
 それでも怒りが収まらないのか、何かを探して辺りをキョロキョロすると、テーブルの上に有るものを発見する。  
 それは浜面が買って来たリップスティック。しかも色つきのヤツ。  
 それを買って来るように頼んだのは絹旗だった。  
 ただ、  
(色が付いて無いヤツって超散々言ったのに……。こんな超簡単なお使いも出来ないなんて流石超浜面の脳みそは超鶏並みですよね)  
 そう言ってテーブルから拾い上げて蓋を取ると真っ赤な本体が顔を出す。  
(色を合わせるのって超大変だって何故気付かないんでしょうか?)  
 難しい顔で暫くリップを眺めてから、おもむろに浜面の側に行く。  
 相変わらず幸せそうに眠っている浜面。その寝顔を見ると何だかこうイライラするものがどんどん湧き上がる。  
「自分が買って来たんですから超自分で責任取ればいいんですよ」  
 そうぼそりと呟いて、手にしたリップを浜面の顔に――とここでまた絹旗の手が止まる。  
 次に絹旗の目を奪ったものは鏡。さして大きくは無い鏡には自分の顔が映っている。  
 我ながらなんて幼い顔立ちをしているのだろう。  
 まだ12歳なのだから仕方ないと言えばそれまでだが、絹旗にはそれがとても理不尽に思えた。  
 とここで、絹旗の視線は自分の手の中に有るリップに。  
 
 
 ――いきなり何しやがんだ絹旗!? テメエはお礼代わりに拳をブチかませとでも教わったのか!?  
 ――ふん。お使いも満足に出来ない男が説教とは超片腹痛いですね。  
 ――ずぅわ!? こっちはお年頃のテメエに気ぃ利かして恥を忍んで選んで来たっつのに!!  
 ――超余計なお世話です。その超無駄な気遣いの一〇〇〇分の一でも滝壺さんの体調に超割いてあげたらどうですか?  
 ――うるせえ!! テメエに言われなくても滝壺の生理周期位きっちり把握してるわ!!  
 ――大きな声で何超キモイ事言ってんですかこの超キモ面は……。  
 ――うるせえ誰の面がキモイんじゃ!! テメエも少しはそれでも塗って女を磨きやがれこのアンネも来てねえクソガキが!!  
 ――浜面ブチコロス!! 超ブチコロス!!  
 
 
 そんな事を思い出しながら、ふと気が付けば鏡の中には真っ赤な唇をした自分の顔が。化粧っけの無い幼い顔立ちにそこだけ艶やかな色合いが妖しい雰囲気を放っていた。  
 絹旗は鏡に映った自分の顔を見て鼻で笑おうとして失敗した。  
「な、何ですかこの超水商売チックな色は? ささ、流石浜面が選んだだけあって、くく唇が超汚された気分です」  
 慌てて言い繕おうとするがどもってしまって更に格好悪い事になる。  
 そんな自分にがっかりしていると、またもや視線は浜面へ。  
(まだ寝てます……。超どう言う神経してるんでしょうか?)  
 超狸寝入りじゃないでしょうね、と絹旗は顔を近づけた。  
 と突然浜面が椅子の上で器用に寝がえりを打った。  
「!!」  
 絹旗の唇に何かが触れた……と思った次の瞬間、飛びのいた絹旗の体は放物線を描いて先ほど持ち上げたソファーの上にダイブ。そのままソファーごと床の上に倒れると、ごろごろと転がって壁に激突して止まった。  
 慌ててガバッと立ち上がって浜面の下に駆け寄る。  
 すると――、  
「まだ寝てる……」  
 
 超どうなってるんですかこの男は、と絹旗はどっと大きなため息を吐いてから、床に落としてしまったリップを拾い上げた。  
「超良かったです……折れて無い……」  
 そこまで言って神妙な顔になる。今日の自分は超どうかしてます、と絹旗はそれ以上考えるのを止めにした。  
 と有る事が気になって浜面の顔をくいっと動かしてみた。  
(やっぱり……)  
 浜面の頬にキスマークを見つけて苦虫を噛み潰したような顔になる。  
 絹旗はその顔のままマグカップを拾ってキッチンに向かう。  
 そしてマグカップを流しに置いて側に有ったキッチンペーパーで口元を些か乱暴に拭うと、自分の部屋に戻って布団を頭まで被った。  
「浜面なんて滝壺さんに超怒られればいいんです。そうなんです。超そう言う意図だったんです」  
 絹旗は布団の中でそう呟いた。  
 リップは手の中に潰さない様に握られている。  
 その内どっと疲れが襲って来た絹旗は、大きなあくびをするとそのまま深い眠りに着くのだった。  
 
 
 翌朝。  
 何時もよりゆうに二時間は遅く起きだして来た絹旗は、リビングで朝食をとる滝壺とばったり遭遇した。  
「滝壺さん、お早うございます」  
「ンはよう、きぬはた」  
 食パンを齧っていた滝壺が口を話して挨拶を返す。  
「何だ今日は遅いじゃねえかよ?」  
 死角から浜面の声――そちらを振り返って絹旗は目を見張る。  
(キスマーク!?)  
「何だよ絹旗? 俺の顔なんかまじまじと……って、おい!? 俺には滝壺って彼女が既に……」  
「……寝言は超死んでから言って下さい浜面。さわやかな朝が超台無しです」  
 死んだら寝言なんか言える訳ねえじゃねえかとかぎゃあぎゃあ騒ぐ浜面を無視して自分の指定席に座ると、さっと目の前に目玉焼きとベーコンが乗った皿が置かれた。  
「浜面。ベーコンは超カリカリにして下さいって言ったじゃないですか? それからこの目玉焼きは超焼き過ぎです」  
「作って貰ってんのに毎度毎度注文が多いなテメエは? てかそれでもう卵もベーコンも終わりなんだよ。悪ぃけど我慢して食べろやコラ」  
「超譲歩しますが、次は有りませんからね?」  
「へいへい、気を付けます」  
「ンク。はまづらも、きぬはたも、仲が良さそうで羨ましい」  
「「仲なんて(超)良くねえ(ありません)!!」」  
「そう?」  
 浜面は滝壺に向かって何やら言い訳を開始したが、こっちは関係無いですとばかりに絹旗は食事をしようと前を向いた。  
 とふと何かが気になって視線を上げた。  
 そこには浜面の横顔。そして頬にはキスマーク。  
 絹旗は何だそれかと視線をテーブルに戻そうとしてハッとする。  
 そして改めて浜面の頬を見て愕然とした。  
(い、色が……違……)  
 そう。絹旗のリップの色は血の様な赤。対する今浜面の頬に見えるのはピンク色。  
 その事に気付いた絹旗は首がもげるような勢いで隣に座る滝壺の顔を振り返った。  
「ぶい」  
 滝壺のブイサインを前に絹旗はその場で昏倒した。  
 
 
 
END  
 

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