何で怒っていたのかも思い出せない。頭の中は真っ白になっている。走っている途中で  
涙もすっかり乾いてしまった。御坂美琴が今、確かに感じているのは、  
 耳まで火照りきった顔と体と。走ってきたからではない、が、激しい動悸の治まらない  
心臓と。  
 
――『あいつ』に触れられた胸に残る生々しい感触。  
 
 初めて男に触られた。その男が『あいつ』だった。動悸が治まらない。頭の中は混乱の  
極みだ。でも――嫌じゃ、無かった。  
 寮の部屋に乱暴に駆け込む。白井黒子は居ない。ベッドに倒れこんで、枕を抱き寄せる。  
 深呼吸。冷静になろうと頭を動かす。  
(く、黒子は…風紀委員の訓練とか言ってたっけ…外泊がどうとか……なんか騒いでたけ  
ど…あたし、ひとりか)  
 今晩はルームメイトが居ないことに気がつくと、なぜか触れられた部分の感触が生々し  
く蘇り、心臓がまたドキンと跳ねた。  
 『あいつ』、上条当麻はあの時、『……判ったよ。本当に、本気だな?』そう言って。  
 でもなぜかその目は少し悲しそうで。  
 その瞳を思い出して、胸がキュッと痛む。その瞬間、押さえつけていた何かが忍び出て  
きてしまった。背筋からつま先まで、突然電流が走ったような感覚に襲われ、思わず上条  
に触れられた膨らみかけの胸を手で触れる。  
「んっ」  
 また電流が体を巡る。そのまま、当てた手で自分の胸をまさぐった。  
(あいつの…手が…ここ…、触って……どうして感触が消えないのよ…?)  
 制服の上から胸を触る指に力がこもる。もどかしい。ブラウスを捲り上げて下から手を  
入れ、ワイヤーの入っていないブラジャーをずらして直接指を這わせていく。  
「…ふっ、ふあぅ」  
 
 この手が。自らの胸を這い回るこの手が『あいつ』の手だったら。そう思うと、入り込  
んではいけない興奮に自分が落ちていくような気がした。下腹部に集まるもどかしい感触  
に、枕を掴んでいた手が伸びる。いけないことをしようとしている――よりにもよって、  
『あいつ』を思い浮かべながら。でも、止まらない。ショーツの上から不器用になぞりあ  
げる。  
(…やだ…体操着穿いてない…いつも穿いてるのに…見せる気だったって思われ…)  
 虚ろになりつつある意識の中で、突然そんな考えが頭をよぎる。途端に、ショーツの真  
ん中にぐっしょりと染みができる。下半身からの突き上げるような快感に、抑えられない  
嬌声が漏れた。  
「やっ、あっ、ふああぁっ」  
 胸を触っていた手ももはや弄るだけでは我慢できない。いつしか固く突き上げていた乳  
首を手のひらの中央で押さえつけながら強く揉みしだく。下半身も、濡れてしまったショ  
ーツが指の感触を殺してしまう。引き摺り下ろそうとして、秘所から手が離れてしまった  
ことに強いもどかしさを覚えた。両の太股を擦り合わせて、少しでも濡れた部分へと快感  
が伝わるように腰をくねらせる。その事が却ってショーツを下ろす邪魔をする。悪循環。  
 膝までショーツが下りてしまうと、太股の間に強引に指を差し入れる。  
「やっ、あっ、とうま、とうまぁ…」  
 いつの間にか『あいつ』の名を叫んでいた。それを止める理性も吹き飛んだのか。指が  
秘所の割れ目を激しく上下する――指を中に入れることは無意識が拒否しているが――そ  
れでも自慰の経験など無いに等しい御坂美琴には強すぎる刺激だ。別の指が陰核に伸びる。  
もう一方の手も、小さな乳房を刺激することを止めようとしない。  
 
「と…うま、とおま、やはっ、らめ、ひゃあああああああうううっ」  
 
 何度目かの少年の名を叫ぶのと同時に、御坂美琴は絶頂を迎えた。指の隙間から愛液が  
漏れ出す。鼓膜に残る、少年の名を切なげに呼ぶ自分の声。脳裏に焼き付いて離れないあ  
の顔。  
 そんな感触なんて今までほとんど知らなかったのに。『あいつ』を思い浮かべるだけで  
簡単に達してしまった。真っ白になっていく頭で御坂はぼんやりと思う。  
(そんなんじゃない…そんなんじゃないはずなのに…でも…)  
 しかし、意識はそんな否定など無駄だとでも言うように――掠れていった。  
 
 
 翌日は休日。しかし、御坂美琴は一歩も部屋から出ることはなかった。上条本人がどう、  
とか言うのではなく、上条の姿を思い浮かべながらあんな行為に及んでしまった自己嫌悪  
からだ。  
 隠し続けている『それ』の正体に薄々気づきはじめてしまった。あの時漏れ出してしま  
ったがために。しかし、それが再びあってはならない――そんな気がする。現実の『あい  
つ』。指の感触。妄想の中の『あいつ』。真っ白になったあの時。自己嫌悪。そんなもの  
がグルグルと頭の中を経巡り――  
「お姉様!ただいま帰りましたの!お姉様のいない一夜、黒子は黒子は…」  
 騒がしい白井黒子の声に、少女は現実へと引き戻された。  
「あら、黒子…おかえ…」  
 言いかけて、ルームメイトにそのありきたりな台詞を遮られる。  
「お姉様?何か元気がありませんわ?まさかあの殿方に何かされてしまったとか?そうな  
ら許しませんわあの類人猿!今すぐにでも…」  
 プチッ、と御坂美琴の頭の中で音がする。ベッドの上で膝を抱えていたが、バッと床に  
立ち上がると、  
「あたしとあいつの間に何があろうとアンタには関係ないじゃない!ちょっとは口を塞い  
でたらどうなの?!」  
 思わず叫び声が出る。激昂した台詞を口にして、それでも再び憂鬱な気分だけが戻って  
くる。そのまま床にしゃがみこむ。  
 
 その晩、そして翌朝と、白井黒子は御坂美琴と目を合わせなかった。  
 
 
 翌日の放課後。寝不足も重なって憂鬱な気分が晴れないまま、御坂美琴は街を歩いてい  
た。無意識に上条と遭遇することの多い地区へと足が向かう。  
(あいつの…どこが悪かったの…?どっこも悪くない…それに…あれは…じ、事故だし)  
 朝食中も、授業中も、昼休みも、午後になっても頭の中は少年のことばかり。授業中、  
何の問題が起きなかったのも、レベル5の御坂に対して「たまにはあんなこともあるだろ  
う」と教師が見逃していたからと言うだけに過ぎない。  
 正直なところ、視点も定まっていないような状態だ。道路の向こう側を騒がしい高校生  
っぽい一団が通り過ぎていった。と、そのうちの一人が道路を無理やりに横断し――  
 
「御坂じゃねーか。この前はすまなかったな、わざとじゃないんだ…で、それもなんだけ  
どさ、あ、いやもちろんわざとじゃねーぞ?ま、とにかく何か上条さんがお前を怒らせる  
ことをしたんじゃねーかって心配してたんだ。どっかで話でも…」  
 
 少女の意識がはっきりしたのは、目の前で件の少年――上条当麻が心配そうな顔で自ら  
の顔を覗き込んでいるまさにそのときだった。  
(上条当麻っ…!な、なんで?)  
 自分の理不尽な怒り。その後のちょっとしたアクシデント。そしてその夜…。瞬間的に  
頭の中を駆け巡った記憶に、猛烈な羞恥心が重なった。まるで瞬間湯沸かし器のように全  
身が火照る。  
「み、御坂?そんなに怒ってた、いや、いるのか?話くらいは出来ないか?」  
 上条当麻が手を差し出す。  
 
「…や、やだっ」  
 しかし、御坂美琴自身の意思に反して――むしろ意思が反応するその前に――耳まで赤  
く染めた少女はその手を払いのけると、再び脱兎のごとく駆け出していた。  
 
 呆然と立ちすくむ上条を残して。  
 
 
「なんで?なんであたしがあいつから逃げなきゃ…それに、あいつから声、掛けてくれた  
のに…」  
 上条当麻から思わず逃げ出して、御坂美琴は激しい動悸を繰り返す胸に手をやる。  
 その瞬間、またも『あの感触』、そして、その後のことが急激にフラッシュバックした。  
(あいつがわざとあんなことやるはずないじゃない…絶対やらないわよね…あ、アレだっ  
てあたしが勝手に……ってそれは…関係なくってっ!どうして逃げちゃうのよあたし…)  
 
 何も考えられずに滅茶苦茶に走ってきたが、足は無意識に寮へと向かっていたらしい。  
周りの見慣れた風景に思わずため息が出たが、取りあえずは部屋に戻ってしまうことにし  
た。夕べとさらに様子が違うことを見かねたか、白井黒子がおずおずと何か言ってきてい  
た様だが、耳には入らない。夕食も味が全くしなかった。その頃には白井も声をかけるの  
を諦めたようだが、美琴はそのことにも気が付かなかった。  
 ベッドにもぐりこんで思い出すのは『あいつ』――上条当麻の顔。  
(そう言えば、今日はなんだか心配そうにあたしを見てたっけ…あいつ、何にも悪くない  
のに…)  
 漠然とそんなことを考えながら、御坂美琴は枕へ顔を埋める――。  
 
 
 ちなみに御坂美琴が走り去った後、上条はいつもの面々から  
「いったいカミやん、チュ、チューガクセー、それもとと常盤台のお嬢様に何やらかした  
ねんっ…って、ま、まさかっ」  
とか、  
「君は。そうやっていろいろな女の子をその気にさせて。切って捨てて」  
とか、  
「アンタには本当に見境ってものが無いみたいね?一度頭蓋骨切開して検査でも…」  
等々の散々な罵倒を受けた上、そのことを土御門元春が禁書目録のシスターに告げたため  
に気を失うまで頭蓋を噛まれ、気が付くとまた噛まれると言うことを繰り返したのだが、  
本題には関係ないのでこの程度に留めておこう。  
 

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