アステカの魔術師エツァリと、同じく魔術師のショチトルは今日も己を磨く事に余念が無い。  
「さあショチトル。今日も特訓ですよ。頑張って行きましょうね」  
「ああ、よろしく頼むエツァリ」  
 するとエツァリが咳払いを1つ。  
「どうした? 具合でも悪いのか?」  
「あの、ショチトル。一応訓練ですから、師弟としてちゃんとした呼称を付けて頂かないと……」  
「あ、そうだな。済まない」  
 ショチトルは頭を一度下げてから、もう一度エツァリを見あげて、  
「エツァリお兄ちゃん」  
 その呼ばれたエツァリは拳を握り締めて天を仰ぐ。  
「ウィツィロポチトリ……。今日もあなたに感謝いたします」  
 そんなエツァリを暫く見上げていたショチトル。  
「で、今日はどんな特訓なんだ? そろそろ人体を使った本格的なやつを教えてもらえると嬉しいんだが?」  
「いえ。それにはまだ貴女の体力や精神力が追い付いていません。今日もその辺りを鍛えて行こうと思っています」  
「……そうか」  
 エツァリにきっぱりとそう言われたショチトルのテンションが急に下がる。  
「じゃ、またあれか? 永遠と森を彷徨ったりとか、湖に潜って何時間息が止められるかとかあれをやるのか?」  
「いいえ。そればかりでは貴女が飽きてしまうでしょう?」  
「そ、そんな事は無いぞ。あれでもお前と一緒なら結構楽しい……」  
「何か言いましたか?」  
「な、何でもない!! で、今日は何をやるんだ!! 何だってするぞッ!!」  
「そう言っていただけると助かります。では――」  
 そう言ってエツァリが視線を移すと、それに釣られる様にショチトルもそちらを向く。  
「あれに登って下さい」  
 そこには天に向かってそびえる細い柱が立っていた。  
「あれにか? 簡単そうだが?」  
「そうでもありませんよ。あの柱には油が塗ってあります。表面も実に起伏に富んでいますから登りにくい筈です」  
 エツァリの一言にショチトルが不満そうに鼻を鳴らす。  
「フン。あんなもの……私を甘く見るなよ」  
「では証明してみて下さい」  
 その言葉を合図にショチトルが柱に向かう。  
 まず登る前に柱の形状を確かめる。  
(確かに油で滑りやすい。凹凸も不規則だな)  
 そこまで考えた所で、ショチトルはひょいと柱に抱きついた。  
(うむ。思った通り手も足も届く)  
 ショチトルは両の手首、足と足を組んでそれそれ輪を作ると、それを器用に締めたり、緩めたりしながらゆっくりと柱を登りだした。  
 程なくして10数メートルの頂上まで登りきる。  
「ハハッ!! どうだエツァリお兄ちゃんッ!! 登り切ったぞッ!!」  
 頬を真っ赤に上気させ笑顔を見せるショチトル。流石にこの高さを登るのは疲れたのか息が少しはずんでいた。  
「流石ですねショチトル!! では今度は柱を伝って降りて来て下さい!!」  
 
 柱の下からエツァリが叫ぶ。  
(何だ。ここから飛び降りろとでも言われると思ったんだが……)  
 ちょっと拍子抜けしたショチトルだが、エツァリに言われる通りに柱を伝って下に降りる。  
 柱には油が塗ってある。柱の凹凸も思った程危険な角は無く、むしろ丸みを帯びていて手触りも良かった。  
(このまま滑り降りるか)  
 そうショチトルが判断するのも無理は無い。  
 そしてショチトルは柱の締め付けを緩めた。  
 その体はするすると滑り落ちて行く。  
 だが――、  
「!?」  
 突然ショチトルの体が止まった。  
(何だこれは……?)  
 柱をギュッと抱きしめて愕然とするショチトル。  
「どうしたんですかショチトル!!」  
 その言葉にショチトルはキッと鋭い視線を真下に向けると、  
「お、お前ッ!! 何だこの油、それにこの柱は!?」  
「何の事ですか!? いいから早く降りて来て下さい!!」  
 意味が判らないと言う顔をするエツァリの言葉に、ショチトルははめられたと確信した。  
 体が妙に熱いのも、息が勝手に上がるのも柱を登っただけでは無い。  
 何か油に特別なものが混じっているのだろう。それが肌から沁み込んでショチトルの体を熱くする。  
 更に、登るときは何の変哲も無かった柱の凹凸が、滑り降りる時にはショチトルの大事な部分を刺激するのだ。  
「くそっ。こ、こんな事なら柱の油など焼き払ってから登るべきだった」  
 とは思っても時既に遅し。  
 唯一の解決策は手を離して飛び降りるだけだが、それでは後でエツァリに何を言われるか判ったものでは無い。  
「こ、こんな……。くそっ。卑怯だぞエツァリ!!」  
「一体何を騒いでいるんですか!? 早く降りて来て下さい!! 出来ないなら手を離して下さい!! 私が受け止めます!!」  
 その一言にショチトルはカチンと来た。  
「私に出来ないだと……」  
 何も無い宙を睨みつけ中ら小さく呟くと、  
「すぐに降りるからお前は黙ってそこで見ていろ!!」  
 その雷鳴の様なショチトルの声にエツァリは小首を傾げると、言われた通り黙って彼女が降りて来るのを待つ事にした。  
 そんなエツァリの姿に、  
「くそっ」  
 そう短く吐き捨てたショチトルは覚悟を決める。  
 大きく2度、3度と深呼吸してから、  
「落ち付け。取り乱すな。私は大丈夫だ」  
 と呪文を唱えてから、目を閉じ――腕と足の力を緩めた。  
 するすると柱を滑るショチトル。  
「降りてきましたね」  
 安堵と共にひとりごちるエツァリ。  
 
 だが、  
「ん?」  
 ショチトルの様子に気付いてエツァリは片方の眉を上げた。  
(降りて来るスピードが速すぎる)  
 そう感じた時にはショチトルの可愛らしいお尻が目の前にまで迫っていた。  
「ショチトル!!」  
 慌てて抱き止めたエツァリ。  
「大丈夫ですかショチトル!!」  
 慌ててショチトルの顔を覗きこむと、その顔は淫らに蕩けていた。  
「はえ?」  
 呆けた顔を見せるショチトルに、  
「あのショチトル?」  
 何故だかエツァリは赤面してしまう。  
 しばし無言で見つめ合う2人。  
 と、徐々に正気の光を取り戻し始めたショチトル。今度はその眉が吊り上がる。  
「はめらな、エツァリ!!」  
 まだ呂律までは無理だったのか、舌足らずのままエツァリに噛みつく。  
「おまえはまたこんなひきょうらてらどつかってッ!!」  
「な、何を怒っているんですか!?」  
「あぶりゃにびやくをまぜたらろ!! それでわらひをこんなはひらにのぼらへて!! だいじらところがごんごんしていっちゃららろ!!」  
「はあっ!?」  
「わらひはおもちゃら!? おまえのおもひゃらのか!!」  
 大声で支離滅裂に喚き散らすショチトルに、エツァリは彼女を抱きしめたまま困ってしまう。  
「まいかいまいかひば、ばかに、ひて……ふぇ、ふぇぇ……」  
「ああ、泣かないで下さいショチトル……」  
「ないてらいッ!! これはこころろあせッ!!」  
「はいはいそうですね。そう言う事にしておきましょうね」  
「こどもあつかいするらッ!! わたひはいちにんまえら!!」  
「そうですね。私がいけなかったんですね」  
 そうして今日も2人は仲良く口げんかをするのだった。  
 
 
「て感じでお前は義妹(あのこ)とぉ……。ゆるさんぜよ海原!!」  
「また何を勝手に妄想しているのか知りませんが、魔術の練習で油を塗った柱など登ったりしませんよ」  
 勝手に妄想して勝手にぶちギレした土御門に、エツァリはうんざりしたような顔で、見舞いに持って来たリンゴをウサギに剥いて皿に載せた。  
 それを手に1つ取ったショチトルは、  
「でも、こぶの付いたロープに油を塗ってその上を跨がされた事はあったな、エツァリお兄ちゃん?」  
 その瞬間病室の時間が止まった。  
「何ぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!?」  
「シ、ショチトル!?」  
 驚愕する2人を前に、ショチトルはリンゴを一かじり。  
「うん。旨い」  
 土御門とエツァリが顔を見合せ、  
「海原ぁぁぁああああああああああアアアアアアアアアアアアアア!! 一発殴らせろぉぉぉォォォォオオオオオオオオオオオオオオオ!!」  
「チィィィ――――――――――――――」  
 ドカッ、バキッと音が響いて倒れ込む2人に、  
「だから1人で来いと言ったのだ、馬鹿」  
 ベッドの上のショチトルは詰まらなそうにそう吐き捨てると、残りのリンゴを口に放り込んだ。  
 
 
 
END  
 

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