<3> 恋せよ乙女 紫電の如く! 前編
上条当麻は絶体絶命という状態を身を持って体験していた。
体はアダムとイブが全裸で世界旅行の如く素っ裸であり、隣には守ると誓った少女居る。
そして、目の前には電撃を今こそ放たんと全身に紫電を纏わせた少女が一人。
ぶっちゃけ逃げ場が無い。
「みみみみ、美琴さん、落ち着いて欲しいでザマスよ!?」
「そそそそ、そうですの、お姉様!落ち着いて話せば――」
慌てて二人で身を寄せてお互いを庇いあう。
まさに戦々恐々。
ついでに言うと抱きあっている少女――白井黒子の肌から直に体温が伝わってきた。やはり温くて気持ちが良い。
「ほぉぅ!?」
そんな事を考えていると頬を赤く染めた白井に裸身を包む布団の下で肌を抓られた。
どこを抓られたかは想像にお任せするが、洒落にならない場所とだけは言っておこう。
ともあれ、絶体絶命な状況という事には変わりが無い。
相変わらず目の前では紫電を散らす電撃少女こと御坂美琴が死神の鎌の如き鋭さの視線を――、
「?」
と、思いきや美琴の表情はまた違ったものだった。
まず赤い。
そして、その顔は口を開け、目を見開き、驚愕という表情で埋め尽くされていた。
彼女の身に纏った電撃は見る見るうちに勢いを衰えさせてゆくと、最後には消えた。
隣で腕に抱きつく白井も何故なのか気付かないようで不思議そうな顔をしている。
「あ、え、と、えぁぁぁ」
意味不明だ。
どの位意味不明かというと、白井の可愛さを理解しない輩くらい意味不明だ。
いかん、惚気が入った。
まぁ、それでもいいか、黒子は可愛いなー、とか思いつつ思考を現実へと再度傾ける。
謎の呻き声の様なものを上げつつ、コチラを見ていた美琴を再度見ると彼女は何かを思い付いたのか身を引いた。
そのままコチラを向いたままの状態で足音すら立てずに何かの達人の如く扉の外まで下がると、
「ごゆるりと……」
扉をゆっくりと閉めた。
軽い扉を閉める音が響き、崩壊した壁の欠片が乾いた音を立てて落ちた。
ぶっちゃけ強度的に大丈夫なんだろうか、と思うがそれよりも――、
「た、助かったのか……?」
「え、えぇ、なぜか知らないですけれど、お姉様は撤退してくださったようですの」
先程まで青ざめていた二人の表情も幾分か楽になり、顔を見合わせる。
「……服、着るか」
「えぇ、そうですわね……」
今更気付いたが、美琴はこれに気遣って一旦退いてくれたのかも知れない。
だとすると、結果オーライと言ったところか。
取り敢えず身を布団から出すと、
「って、あら?」
白井が急に体勢を崩した。
「おわっ!?」
慌てて手を伸ばして支えるがその体はやはり軽い。
ついでに言うと裸身の薄い胸が腕に当たって眠っていた衝動を呼び覚ます。
睡眠時間約一時間。
我ながら再生の早い衝動である。
しかし、ここでその衝動を開放するわけにもいくまい、と腕を引き寄せて白井を腕の中に抱き、その顔を覗きこむ。
その表情は呆然としたものであり、自分でも何が起こったかわからないという風だった。
「大丈夫か、黒子?」
当麻の心配そうな声に白井は瞬きを一つ、二つ。
三つ目で自分の状況を悟ったのか僅かに頬を赤く染めて眉尻を下げて口を開く。
「……腰が抜けたんですの……」
「……あー」
八割方自分のせいだった。
どうしたものか、と思考を走らせるが、こういう時どうすれば良いのか良くわからない。
着替え、といっても白井の着替えはスカートは情事の際の影響で皺くちゃ。
上着は辛うじてベッドから少し離れたところにある椅子に引っ掛けてあり難を逃れていた。
自分はさっさと裸になってしまったから良かったものの、白井の服の被害は甚大だ。
特に下着など元の色がよくわからない色に染まっていた。主に白。
「……」
続いて視線を白井へと向ける。
線の細い、まだ少女と言える体つきの裸身とその体格にあった大きさの胸。
いつもは頭の左右で括られているツインテールも降ろされてロングヘアといった髪型に変貌していた。
その表情は相変わらず眉尻を下げ頬を赤らめて恥らっているというもので、それがまた衝動を揺さぶる。
ただ、その身体の各部には共通点があった。
それは――当麻が張り切り過ぎたために白井の全身を染めたアレが時間を経て固まったものである。
……エロいな。
思考がおかしな方向に走るが仕方あるまい。
何しろ自らの愛する女性の裸体を見たのだ。色々男としての反応が出てしまったとしてもそれは自然な事だ。
「あの、当麻さん?その……当たってるんですの」
「……黒子」
恥じらいの声が更に理性を刺激するのも仕方が無いことだ。
「……当麻さん?きゃっ!?」
疑問の声を上げる白井を答えも帰さずに抱きしめていた体勢から持ち上げ横抱きにする。
俗にお姫様だっこと言われる姿勢だ。
「風呂入らないとな。うん。やっぱり汚れたままじゃいけないしな」
「あの、当麻さん。目が血走ってるというか、色々危険な気がするんですのー!?」
腕の中で白井が暴れるが当麻は意を介さずに足を進める。
扉を開け、廊下へと出ると、流石に白井も観念したのか抵抗を止めた。ちょっと淋しいのは気のせいだろう。
当麻は、自分にはそんな趣味はないと心の中で明後日の方向を見つつ、現実の視線を白井へと向ける。
そこには両手を組み合わせて指をこねくり合わせて、視線を彷徨わせている白井が居た。
何事か、と当麻を首を傾げると白井は当麻と目を合わせ躊躇いがちに――、
「あの……わたくし、腰を痛めているんですの。ですから……」
む、と当麻は一旦停止する。ちなみに風呂場までは後数歩だ。
原因は自分にあるのだからそれくらいは把握していたが、そこまで深刻だったのだろうか。
「ああ、わかってる」
自分が出せる限りの優しい声と共に白井の頭を撫でる。
乾燥しているというより、やはり例のアレが乾いて固まった物体の手触りがして何だか妙な感じだった。
目を細めた白井は当麻が暫く撫で続けてから、手を離すと少しだけ上目遣いで、
「で、ですから……優しくしてくれないと、嫌ですのよ?」
頬を限界まで赤らめつつそんな事を言ってくれた。
何かが切れた。
確かにそれを当麻は感じた。
切れたのは自分の中であり、切れたものは世間一般では理性の糸と言われるものだ。
通称、ビーストスイッチ。上条当麻、最後の切り札である。
最後というか、限界に至ると勝手に発動するのだが。
「黒子」
「はい?」
出来る限りの笑顔を向けたつもりだが、何故白井の口元は引き攣っているのだろうか。
まぁ、気にしないでも大丈夫だろう。何しろこれは善意の行動。善意の行動なのだから。
「しっかり洗ってやるからな」
「……滅茶苦茶嫌な予感がするのですけどって、きゃっ!?」
普通に歩いていたつもりだが、何時の間にか目の前に扉が出現していた。
いかん、衝動が感覚を凌駕したようだ。
取り敢えずは曇り硝子の張られた扉のノブへと手をかけて回し、開く。
まず湯の抜かれたバスタブを目に入れ、続いて視線を動かして風呂場に置いてある各種道具を確認。
十分に確認した後、裸の白井を置いてあった光沢のある小さな椅子に座らせる。
「と、当麻さん。わかっていらっしゃると思いますけれど。わたくし、腰が痛くて痛くてこれ以上って聞いてるんですの?」
涙目で、されど頬を赤らめ、何故か期待しているようにも見えなくもない視線を受けつつ当麻は頷いた。
「あぁ、勿論だ。だから、腰に負担をかけないようにする」
言葉と同時に後ろ手に扉を閉めた。
「全然わかってないですのこの人ー!?って、ひゃ、当麻さんのケダモひぁん!?」
◇○◇
朝の道路というのは気持ちよいものだ。
何故なら元々少ない交通量がさらに少なくなり、まるで世界に一人取り残されている様な気分になれるのだから。
そう、まるで世界に一人だけ取り残された様な軽い虚無感と爽快感と、後五割は絶望感。
「どーまんせーまんどーまんせーまん、困った時は直ぐに呼ぼうよおんみょーじぃいいいい……」
凄まじく暗い声でその様なことを呟くのは我ながら非科学的だと思うが、既に訂正する気力すら余っていなかった。
最近聞いた音楽がせめてもの慰めというか現実逃避になっている少女――御坂美琴は空を見上げる。
そこには青い色が広がっており、自然の雄大さをこれでもか、という程美琴へ見せつけていた。
……鳥になりたい。
溜息を一つ。
欝になるのも仕方あるまい。
昨日は夜から今日の朝方まで後輩こと白井黒子と、とある少年――上条当麻を追っていたのだが――、
「はぁ……」
まさか白井と当麻が恋仲になっていたとは予想外も良いところである。
急がなければ当麻が妙な行動に走って白井に迷惑をかけたりフラグを立てたりしてしまうかもしれない、と思ったのだが。
「フラグどころか……もうエンドじゃないのよぉ……」
更に深い溜息を吐く。
目には光がなく、一日中能力を使いながら走っていたせいか服も身体もボロボロだ。
その上肩を落としながら歩いているせいか、その全体像が余計に彼女の今の心境を見る者に伝える。
「ふっ、え、ひっ……」
嗚咽混じりの泣き声。
いけない、と思った時にはもう耐えられなかった。
「ふぇ、ひぐっ、いやだ、よぉ……っ!」
道路の中心に座りこむ。
平日の朝だからかこの時間帯は見事に人が一人もいないため、彼女の行動を見るものはいなかったが、
「う、ひぐ、ふぇええ……っ」
それでも声は響いた。
誰も居ない、何の音も、動きもない空間だからこそ声は響いた。
顔を両手で押さえるが漏れる声は抑えきれない。
そして、止まることはない。
そもそも、ここまで我慢出来た事すら奇跡とも言えたのだ。
今泣いたとしても誰が咎める事が出来ようか。
「ひ、ぐ、んっ、う、ぇえええ――」
大粒の涙が頬を伝い、指の隙間から零れ落ち、服を、アスファルトを濡らす。
どうしてだろう、と思う。
もう少し早く自分の気持ちを素直に伝えていれば変わったかもしれない。
もしかしたら、白井ではなく自分を選んでくれたかもしれない。
でも――、
……そんなのただの、妄想じゃない……ッ。
涙が止まらない。
自分が情けないというわけでも、白井に当麻が取られた事が悔しいというわけでもない。
ただ悲しいのだ。
純粋な色の感情の奔流は留まる事なく美琴に涙を流させる。
いっそこのまま涙が枯れるまで泣いてしまおうか。
そう思った瞬間だ。
「必然。諦めたら、そこで試合終了ですよ?」
男の、聞き覚えのない声が響いた。
声に驚き勢い良く顔を上げてみれば、そこには一人のサラリーマン風の男が立っていた。
オールバックの緑髪が妙に目立つ眼鏡をかけた長身の男だ。
「……誰……?」
声を出すと同時、自らの顔が涙でびしょ濡れという事に気づく。
急いで腕で強く顔を擦り、涙の跡を消し去ろうとするが、それで消えるわけもなし。
きっと、今美琴の顔は長時間泣いたせいで目も当てられないような状態だろう。
しかし、目の前に立つ男はそんな事も気にせずに柔らかい笑みで続けた。
「自分でもよくわからないですが……貴方が泣いているのは――諦めようとしている様に見えたので」
的を射た言葉。
その言葉は正確に美琴の心中を射抜き、封印しようとしていた事柄を貫いた。
故に美琴は男を睨み、
「なにも知らないのに知ったような口を聞かないで」
拒絶の言葉を口にする。
対して男は参ったなぁ、と苦笑いをしつつ腕を後ろに回して頭を掻き、
「まぁ、なんでしょう。私にもあった、と思うんですよ。確か。無駄だとわかっていても走り続けた時が――」
表情をそのままに美琴へと告げた。
唐突な言葉のせいか、それとも諦めようとしていた自分と正反対の存在を見つけたからか、美琴は言葉を失った。
少しだけ、ほんの少しだけ、男の言葉の続きを聞きたいと思ってしまったのだ。
「私は一応、目的を達した、と思うんですけどね。……まぁ、守りたかった人はどこかで幸せにやってると思いますよ」
「……不確定形ばっかりね」
「森然。まぁ、記憶喪失なもので」
苦笑いを浮かべたまま言う男の口調は軽い。
もしかしたら、言いたい事が溜まっていて嘘混じりに告げただけなのかもしれないが――。
男の言葉には嘘が感じられなかった。
「……でも、だったらなんでその守りたかった人と一緒に居ないのよ。それって失敗したんじゃ――」
言葉は途中で美琴に向かって立てられた男の指によって妨げられた。
「大事なのは、後悔せずに走り抜けたどうかです。失敗した、と思うのは諦めて後悔した時だけですよ」
男は今度こそ本物の笑みを作って、
「少なくとも私は後悔はしていない筈です。だから、貴方も突っ走りなさい。まだまだ若いんですから」
「最後、親父くさいわよ……」
あはは、と男は笑うと再び頭を掻く仕草を見せる。照れ隠しのつもりだろうか。
「それじゃあ、言いたい事も行ったので、それじゃあ」
「……待ちなさいよ」
「はい?」
去ろうと背を向けた男を一声で呼び止める。
だが、美琴は数瞬だけ言おうか言わざるべきか、と少しだけ俯いて迷い。
それでも、言わなければと自分を奮い立たせ、座ったまま相手を見上げ視線を合わせる。
「あ、ありがと……」
男の表情がキョトンとした驚きの表情へと変化する。
しかし、その表情はすぐさま何かが払われたかの様な笑顔へと変わり、口を開く。
「どういたしまして」
それだけを言うと男はスーツを整えながら今度こそ背を向けて去って行った。
革靴の踵がアスファルトを打つ音が段々と遠ざかっていき、最後には消えた。
それから数瞬の間。
「……」
美琴は顔を上げた。
そうだ、何を迷っていたのだろうか。
自分は上条当麻が好きだ。最初は認めたくなかったけれど、確かに彼が好きなのだ。
だから伝えよう。
彼には白井が居るし、彼の事だからきっとこの想いは成就することはない。
それでも、伝えたいと思った。少しだけでも、後悔しないために。
思いは体を動かすための原動力となる。
美琴はすぐさま立ち上がり、振り向いた。
涙の跡は残りっぱなしだろうが、構わない。
振り向く先には逃げてきた道がある。ならば――その道を戻れば。
「伝えるのよ」
思いが口に出ると同時、美琴は走りだしていた。
己の逃げ出した場所へ、己の想いを伝えるために。