「浜面、おかわり。アイスティーで」
「私も同じの」
「メロンソーダをお願いします」
「……ジンジャエール」
へいへい……と言って、浜面仕上は立ち上がった。
第七学区、いつものファミレス。シャケ弁、缶詰、C級映画のパンフレットと、店で広げるには忍びない私物が我が物顔で卓上に散乱している。
学園暗部組織、アイテム。そのメンバーである麦野沈利、フレンダ、絹旗最愛、滝壺理后は、昼食時をぐーたらに過ごしていた。
そのパシリと言って差し支えない浜面は、席から立ち上がるとトレーを持って各々のコップを回収する。
マトモに食事を注文しているのは、滝壺と絹旗の二人だけである。トレーは料理の一つが運ばれて来た際に乗せて来たものだ。数のあるコップを運ぶのに勝手がいいので、浜面はそれを拝借していた。
これが麦野、これが絹旗……と、浜面はコップが誰のものか覚えながらトレーに乗せる。4人が座る位置と、トレーの上のコップの位置を合わせて目印にした。
店の廊下側から見て、左席に手前から麦野、窓際に絹旗。同、右席に滝壺、フレンダの座り順である。浜面は、その滝壺の隣。
自分の分も注いで来ようかとも思ったが、まだ飲みかけだったので浜面は自分のコップはテーブルの上に残していった。
ドリンクバーではない。ただの水である。会計の時に何を言われるのか分かったもんじゃないので、自主的に浜面は注文しない。君子危きに近寄らず。
席を離れる浜面を見送ると、向き直って絹旗は口火を切った。
「浜面にモテ期ってあるんでしょうか」
ぶは、と噴き出したのは麦野だ。もし何か飲んでいればテーブルの上が悲惨なことになるような笑い方だった。
何がツボに入ったのか、そのまま腹を抱えて頭をテーブルにぶつけた。ごん、と鈍い音が響く。
「ありえない。大体、モテ期って最低限人間に訪れる訳よ」
人差し指を絹旗に突きつけながら、「あれは猿よ」とフレンダは断言する。
さもありなん、浜面の外見的スペックは並の域を出ない。
チンピラという好き嫌いの分かれる付加要素を考慮すれば、並以下という辛辣な評価も全く無いとは言い切れなかった。
「はぁーっ、あー笑った。いや絹旗天才よ。アンタに言われなきゃ人生で一度として考えたかどうか」
ひとしきり笑ってから、麦野はテーブルから顔を上げた。涙まで出て来て、手でそれを拭い取る。
浜面にモテ期。麦野は字を頭に思い浮かべるだけでまだ笑えて来そうな気がした。崩れ切った顔を皆に見られたくないので、それを根性で堪えた。
いやもう、まったく想像もできない。これはむしろ一週して難題の類なのではないだろうか。
まずあれに彼女ができるところから怪しい。その上モテ期突入ともなれば、競馬の一点買いを当てるような話だ。
ふと、麦野は目の前に座る滝壺を見やった。そういえばこの子は浜面にも優しいな、と思い当たった。
いつもぼーっとしてるからごっちゃに見えるけど、実はかなり浜面にアクティブ? むむむ、まさかね。
首を傾げている麦野の横で、発言主である絹旗が話を続けていた。
「そもそも、浜面にはモテ期があったんでしょうか。それともこれからモテ期が来るんでしょうか」
「いやいや、せいぜい小学生ぐらいの頃にしょうもないモテ方をして、それっきりっしょ」
「ははぁ、使い果たしちゃったんですね」
「いい加減にしろっつーの」
がし、と浜面が席の後ろから栗色の髪を束ねる頭を掴んだ。頼まれたドリンクバーのおかわりを持って、いつの間にか戻って来ていた。
「わ、浜面」
「おら、さっさと自分の持ってってくれ」
悪態をつきながら、浜面は片手に持ったトレーをテーブルの高さにまで下ろす。
「くだらねーこと話してねーで」と口頭につけ足してやりたかったが、その後の反撃でメンバー全員から袋叩きにされそうなのでそこは黙っておいた。
不意に浜面は、自分が触れている頭がやたら触れ心地というか、撫で心地の良いことに気がついた。
サラサラときめ細かい、柔らかな栗色の髪。安物の染髪剤でカラーリングした自分とは比べること自体間違っているような代物だ。
小学生か中学生か本当のところは知らねーけど、絹旗こいつもう少し大人になったらどうなっちゃうんだろうなぁ畜生、と浜面は内心で毒づく。
八つ当たりにもなっていないが、何故だかせめて今だけはこいつを図に乗らせてはいけない、と謎の使命感が湧き上がる。
わっしわっしと、頭を撫でた。
そこで、浜面は我に返る。いつまで経っても、誰もコップをトレーから取ろうとしない。
「うわー浜面やっちゃったよ」という視線が突き刺さる。
滝壺だけは相変わらず何を考えてるのか良く分からないが、じーっとこちらを見ている。もろにご愁傷様と言いたげなのはフレンダ、絹旗の目……。
絹旗?
数え間違えだと浜面は思った。アイテムは4人。フレンダ、滝壺、絹旗……絹旗。4人、いや違う。
浜面は、頭を撫でていない方の手に乗ったトレーに視線を逸らした。アイスティーが二つ、それからメロンソーダとジンジャエール。
席の位置に合わせて持って来たから、目安になっている。ジンジャエールは滝壺、メロンソーダは絹旗、アイスティーはフレンダ。最後の一個は。
「……ムギノ、サン?」
ちょうど浜面は、席の後ろ側から戻って来ていた。髪色の良く似た二人が同じ席に座っていて、左右の二人を見間違えたのだろう。
自分が今撫でているこの頭は。窓際に座る絹旗最愛ではなく。廊下側に座る、麦野沈利のものだった。
「あ、あわ、あわわわわわわわわ」
「浜面。短い間だったけど、楽しかったよ」
「フフフフフフフレレレたたたた助助助け」
「さらば浜面! 学園都市の空に散る!」
「絹絹絹旗超超超超超」
既に浜面のことを思い出の中に放り込もうとしているフレンダと、映画の煽り文のような表現で浜面を見送ろうとする絹旗。
超笑えねーよと言いたかったのだが、ガタガタと全身の震えが止まらず、呂律も回らない。
手だけは相変わらず麦野の頭をさわさわ撫でているのだが、震えのせいで単に止まらなくなっているだけだった。
とにかく、手を放して土下座でもなんでもして許してもらわなければ命は無い。
トレーを落とすようにテーブルの上に放り出して、やっとの思いで浜面は撫でている手を離した。からん、とコップに入った氷が大きく鳴る。
それとほぼ同時に、麦野の斜め前に座るフレンダは目を丸くした。
気のせいか麦野、なんていうか満更でもない顔をしていたような。
「……?」
じっと目を凝らした。まったく唐突に頭に手を乗せられ、がしがしと撫でられた麦野。
何故か、ぽぇーっと呆けた表情をしている。焦点の合わない目。今にも隣の絹旗に体を預けてしまいそうな気の抜けた様子。
浜面の手が離れて、思わず口にしてしまったその言葉は、麦野の人生でも五本の指に入るぐらい、不覚だっただろう。
「……あれ? もう終わり?」
……!?
驚いたのはフレンダだけではない。本人を除く、浜面も、滝壺さえも含めて麦野の正気を疑った。
思えば。学園都市第4位の超能力者、学園暗部のリーダーともなれば、人に頭を撫でられることなんて、まずありえない。
麦野の場合それは子供の頃からずっとのことで、頭を撫でられる感触は生まれて初めてと言っても良かった。
だから、予期せず訪れたまったく未知の感触にどう対処していいか分からず、それはそれとしてこれは何なのか知りたくてもうちょい身を委ねていたかったのが、思わず口から漏れてしまった。
女の細さを競うような指とは違う、荒削りな手触り。それでいて、どこか優しさや気遣いを感じるような撫で方。
ぐしゃぐしゃと、せっかく整えた髪を乱されても、どうしたことか嫌な気分は欠片もなかった。
不思議だった。本当に、これはなんなのだろう。自分は何を感じているのだろう。麦野は手を離した浜面に向き直って、見上げた。
「……はーまづらぁ」
「う、お」
浜面も、また曲解する。これは撫で続けていればお許しが出るかも知れない。
ひとまず自分の身の安全しか頭に入っていない為、それが何を意味するのか深く考える余裕はなかった。
また頭に手を乗せる。「ん」、と小さく麦野が声を上げた。無抵抗。両手を内股に挟んだ女の子ポーズ。
人に見られているとかそういうことを気にしている場合じゃないと、浜面はまだ焦っている。口を挟む余地がなく、静観せざるを得ない他の面々。
くしゃくしゃ。
「あうー」
「……」
「うにゃーっ」
目を瞑って、完全にお任せモードに入った麦野。
頭から背筋にかけて、甘い痺れが走っている。首を少し動かして、頭のツボというか気持ちいいところに浜面の手を誘導する。
凄い。凄い。何これ。加速度的に麦野の思考力が低下していく。ここに至って、ようやく自分が気持ちいいと感じていることを麦野は自覚した。
頭を撫でられるのがこんなに気持ちいいなんて知らなかった。
結構、力がないとイイところに入らないかも。女の子の手じゃきっと無理。浜面の手だから気持ちいいのかな?
「……浜面ってやっぱり男の子なんだぁ」
ふぐっ、と浜面は息を詰まらせた。
釣られて、僅かに手が止まる。その気配を察して、麦野が目を開けた。口をむすっとさせながら、無言で「もっと」と訴えている。
なんだこれ。何やってんだ俺。なんでそんな俺に無防備なの麦野。
ドバン! フレンダが手をテーブルに叩きつけて、立ち上がった。
麦野大好きっ娘として、引く訳にはいかなかった。
「は、浜面! 後で胸でも何でも触っていいから、私にも頭を撫でるコツを教えて!」
「浜面超凄いです! なんですかその手、猛獣殺しとかの能力が備わってるんですか!?」
猛獣呼ばわりされても麦野は意に介さない。そんなことはどうでもいいから、もっとこの新発見麦野スイッチを刺激して欲しい。
騒ぎ始める二人を尻目に、滝壺がぽつりと呟いた。
「……モテ期」
「違っ!?」という浜面の叫びが木霊した。