浜面仕上は、麦野沈利を膝枕していた。  
 
全幅の信頼を寄せるように、膝の上で丸まっている。  
すやすやと穏やかに寝息を立てているその顔は、殺伐とした学園暗部の生き方にはおよそ程遠い。  
手元が寂しいのか、浜面の腿辺りを両手で掴んで離そうとしないのには苦笑いが沸いてくる。  
ソファーの柔らかい座り心地。麦野の呼吸に合わせて、僅かに浮き沈みする感触。  
足とか落ちないよな、と思って、浜面は横を向いた。投げ出すように一直線にソファーを占拠する麦野の体。  
その一番端っこで縮こまりながら膝を貸しているのは、なんとも自分らしいなんてことを思う。  
 
学園都市暗部組織、アイテム。  
その隠れ家に使われている、改装された一戸建ての家。テレビと、テーブルと、ソファーのある空間。  
いわゆるリビングで流れる昼下がりの時間を、悠々と過ごしていた。  
 
しかし、それも今し方までの話だ。  
 
「……ただいま」  
「滝壺さん、隠れ家にただいまは変じゃないですかね」  
「えーでもー。なんか気持ちは分かる訳よ、私も」  
「まぁ、確かに」  
 
玄関の鍵が開けられ、扉の開く音がする。聞こえて来る3人分の声。  
ついさっきまで二人きりだったが、残るアイテムのメンバーも帰って来てしまった。  
おい麦野、すぐに起きろと言うべきか。それともこの安眠を妨げるべきではないのか。浜面はダラダラと汗をかきながら考える。  
 
「あれ。この超ぼろっちい安物のスニーカーは浜面のじゃありませんか」  
「こっちのブーツは麦野だね」  
「二人とも、先に着てたんだ」  
 
言うまでもなく玄関は一つしかないので見つかるも何もないのだが、それでも浜面はギャァァァァァ見つかったァァァァァと内心で絶叫した。  
靴を脱いで、廊下を歩いて来る複数の足音。一歩一歩近づいて来る気配に、今度はその悲鳴が喉までせり上がって来た。  
 
それでも、浜面はそれを飲み込んだ。  
男が悲鳴を上げるのはみっともないとかそういう意地ではなく、麦野を起こしたら普通に殺されるという情け容赦ない生存本能だった。  
かくも浜面はヘタレである。  
 
 
――それは、一時間と少し前の事。  
 
 
 
 
 
浜面は、テーブルの上に乗せられたノートPCの画面を見つめていた。  
ノートPCには何本かのケーブルが繋がれていて、その一つにカードを差し込むスロットのついた機材がある。  
スキルアウト時代からの十八番、IDカード偽造である。  
 
「はーまづらぁ。何やってんの」  
 
二階から麦野が降りて来た。今日の集合はこの隠れ家なのだが、一番早く着いていたのは麦野だった。  
二番目に来た浜面は、乗って来た車からノートPCと機材を持ち込むと、リビングのテーブルを占拠していた。  
 
「あ、悪い。邪魔なら退くぜ」  
「別に。まだ私と浜面だけでしょ? 他の連中が来たら作業途中だろうとなんだろうと退いてもらうけど」  
 
麦野の方を振り返った浜面に、麦野は手を横に振って答える。  
浜面は「ああ、すぐ終わる」と言葉少なに返事をして、また画面と睨み合いを始めた。  
 
む……と、今のはなんだか邪険にされたような気がして、ちょっと面白くなかった麦野。  
リビングに入ってソファーに座る浜面の背中に近づくと、後ろから頭の左右を拳でグリグリと締め上げた。  
 
「ぬががががががががががが!?」  
「だぁーかぁーらぁー。私は何やってんのって聞いてんのぉ」  
「たたた、滝壺の! あい、IDカードの偽造を頼まれてててて痛ぇ!」  
「よろしい」  
 
一応満足のいく答えを得られて、麦野は手を離した。頭を抱えるような格好で撃沈する浜面。  
麦野は座る浜面の背後に立ったまま、ノートPCの画面を覗き込んだ。何かのプログラムソースがびっしりと並んでいる。  
 
「これ、どこの施設の?」  
攻撃された場所を両手でさすりながら、涙目になって浜面は顔を上げた。  
「あー? 施設っていう程のもんじゃねぇな。第七学区の公共図書館だよ。大したセキュリティもかかってないから、オリジナルのソースをほぼ丸コピーでいける。まぁ、個人情報みたいなのはダミーやらで回避してるけどな」  
「ふぅん」  
 
名義上は学園都市の生徒なので何も後ろめたいことなく図書館は使えるのだが、住所やその類の不意の流出を懸念した上での偽装カードだ。  
貸し出し延滞の催促などを始め、それらの情報を利用されることが多々あるので、学園暗部組織の一員としては念を入れておきたい事情があった。  
 
麦野はソファーを回り込むと、浜面の反対側に座った。奇妙に真ん中に距離のある空間。  
そのまま、麦野は携帯電話を取り出していじり始めてしまう。知的好奇心は満たされたので、もう興味はないらしい。  
気ままなリーダーに肩を竦めると、浜面はまた作業に没頭する。  
 
暫くして。不意に、浜面は自分の耳を気にし始めた。  
 
「……?」  
 
妙な動き方をする浜面に気付いて、麦野は携帯から視線を上げた。  
浜面は顔をしかめながら、頭を右に傾け、左に傾けている。何かの異物感に苛まされているらしい。  
その一方で、空いた手で景気良くキーボードを叩いた。同時にテーブルの上のカードリーダーが動作中のランプを点灯させる。  
 
「っし、こっちは終わり、なんだけど……お、うお」  
 
とうとう、浜面は小指を左耳に指し入れてしまった。人前でそれはデリカシーがないだろ、と麦野は呆れ返る。  
辛抱堪らなくなって、麦野は横から抗議の声を上げた。  
 
「ちょっと、みっともないんですけど」  
「あー、いや、ちょっと、あら、あら」  
「もーホントにこの馬鹿は……ったく、耳痒いの?」  
「なんつーか、ゴロゴロ言ってる……」  
 
麦野は溜息をついた。このまま自分の横で耳の穴をかっぽじられ続けていても困るしウザい。  
ソファーの肘掛けに頬杖をつきながら、麦野は思考を巡らせた。  
ここは隠れ家とはいえ、普通に生活できる道具も揃っている。そういえばどこかで綿棒を見たような……。  
 
「確か、そこの棚。綿棒あったんじゃなかったっけ」  
「お、マジで?」  
 
麦野がテレビ脇の棚を指差した。言われた通り、立ち上がって浜面はそっちに歩く。小さな戸棚を開くと、綿棒のパックを見つけた。  
「うおー助かるぜー」と言うと、浜面はそのパックを手に取って席に戻って来る。ついでにテーブルの上のティッシュ箱から一枚引き抜いた。  
またソファーの席に座って早速耳掃除を始める浜面を横目に、ようやく鬱陶しいのが終わると麦野は思っていた。  
 
ところが。  
 
「おわああああ奥行った奥転がってった! うええ気持ち悪ぃ!」  
「だあああああああ何やってんのよもうさっきからウッザいわねぇー!」  
 
事態をこじらした浜面に、軽く麦野がキレる。  
しかし浜面的にはそれどころではなく、耳のどこに落ちていったのか必死に綿棒で探っていた。聞けこの野郎ぶっ飛ばすぞと麦野は言いたくなる。が、まぁしかし、確かに焦る気持ちは分からなくもない。  
 
麦野は壁時計を見た。アイテムの集合時間まで、時間の余裕はかなりある。  
自分は時間に空きがあったから先にこっちでのんびりしていようという腹積もりだったし、浜面は浜面で作業の時間を大目に見積もっていたのだろう。  
 
「……」  
 
ああ、仕方ない。下っ端まで含めて、私はアイテムのリーダーだ。  
皆の前じゃ示しがつかないけど、誰にも見られないのなら、世話を焼いてやらないこともない。っつーか、集まった場で耳のことまだ気にされてても目障りだし。  
 
体のどこかがむず痒くなって来るのを自覚しつつ、麦野はソファーに座ったまま、体一つ分ぐらい浜面に近づいた。  
揺れるソファーに気がついて、何事かと浜面が麦野を見返した。俯いたまま、ぼそっと麦野が呟く。  
 
「……貸しなさい。私やったげるから」  
 
とても、顔を見ながら言える台詞ではなかった。  
 
 

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