路地裏を包む雰囲気はどんな街でも一種独特な感じがある。
その多くの場合は他所者を受け付けないピリピリと肌を指す様な感覚を伴う。
そして肌に感じたその感覚は即ち本能であり、それに従った者は難を逃れ、逆らった者はトラブルに見舞われる。
それは近代科学の最高峰と唄われた学園都市でも同じ事。
だが時には自らトラブルに首を突っ込むもの好きも居る訳で……。
目の前で鉄棒を振り上げた男が声も無く倒れこむと、薄汚れた路地裏に立っているのは私1人だけになった。
辺りには先ほど倒れた男の他にも路上に倒れ伏した男たちが4人居る。
出会った時は先の男と同じ様に獲物をこれ見よがしに見せつけてそれはそれは威勢が良かったのだが……。
「期待外れもいい所だな。この程度では汗もかけやしない」
私はずり落ちた眼鏡を戻してそうひとりごちた。
本来この様な仕事――街に救う不良どもの相手――は私の領分では無いのだが、ちょっと最近ムシャクシャすることがあってな、その、ま、何と言うかストレス発散に付き合ってもらっていたのだ。
それにしてもこいつらのふがいなさと言ったら無い。
時計を確認したらあれから5分しかたっていないではないか。
男5人がかりで女1人。
しかもこちらは動きやすいとは言い難い格好――生地のしっかりとしたブラウスに紺色のジャケットと同色のタイトスカート、濃いめの黒のストッキングにハイヒール――の相手に5分持たないだなんて良く今まで無事に不良をやってこれたものだ。
これならうちの寮の御坂か白井でも捕まえていた方がいくらかストレス発散に……とと、これは寮監にあるまじき発言だったな。
ま、こいつらにも1つ褒められる所がある。それは、
(1人も逃げ出さなかったな)
それにしても、と私は辺りを見回してまたため息を突く。
「面倒だがこのまま放置と言う訳にもいくまい」
簡単には起きられない様にと叩きのめしたのが仇になってしまった。
私はとりあえず警備員(アンチスキル)でも呼ぼうと戦闘の前に放ったバッグを取りに行く。
ゆっくりとゆったりと、まるで全てに安心していますよと言わんばかりの無防備さで腰を九の字に曲げ、左手を伸ばしてバッグを拾い上げる動作に移る。
(ほら、餌はまいてやったぞ?)
内心ほくそ笑んでしまうのはけして私が闘争を好む性質(たち)では無く、何と無く、そう何と無く内から湧き上がる……そう! 癖の様なものだから気にしないでもらいたい。
そんな事はともかく、私の目論見通り背後に人の気配が立った。
ちょっと前から感じていた気配。何処に隠れていたのか先ほどの連中の仲間だろう。
そんな相手は私の背後を取って勝利を確信しているのだろうが、
(甘いな)
その時既に私の右手はタイトスカートの裾を引き上げて足のクリアランスを確保していた。
ジャリっと砂を踏む音が私に相手が自分の間合い入った事を教えてくれた次の瞬間――、
「(フッ!)」
小さくも鋭い呼気と共に、私の身体が左足を軸に独楽の様に回転する。
そして回転すると共に上体と右足が跳ねあがる。
特に右足は蹴り足の力に回転の力を加える事で、つま先はさながら銃口から放たれた弾丸の様に背後に居た相手の胸元を捉えた。
「ッア゛!!」
蹴りを喰らった相手が無様な悲鳴と共に吹っ飛ぶ。
だが私はその結果に違和感を感じていた。
そしてその違和感を証明するように蹴られた相手はすぐさま上体を起こした。
「があああああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛、いいッてええええええええええええええええええええええええええええ!!」
裏路地に響く大絶叫。
胸を押さえるしぐさから当ったには当ったのだろうと推測できるのだが、本来胸を蹴られてすぐに声などで無い。
まして私がさっき放った一撃は先の不良どもを昏倒させたものと同じだ。
「軽い、と感じたのはそのせいだったか」
私はそうひとりごちるとピンと、伸ばしたまま保持していた蹴り足を戻してずり落ちた眼鏡と大胆にめくれたスカートを直す。
その間にも相手は早くも立ち上がっていた。
「しっかしカミジョーさんいきなり女性に蹴り飛ばされるとは思っても見ませんでしたよ? マジデオレガナイヲシタト? だあっ、もう、不幸だああああああああああ……」
身長は私よりもやや低く170あるかないか。
学生服をラフに着こなし足もとはスニーカー。
手には何も持っていないようだが武器を隠している可能性もあるし、先の一撃が効かなかった事から能力者の可能性も考えられる。
能力者――世間一般で呼ばれる超能力者の事をこの学園都市ではこう呼んでいる。
手品にも及ばない様なものからはては漫画の世界のスーパーヒーローの様な馬鹿げた力まで。そんな力を発掘開発する為に学園都市はあるのだ。
目の前のツンツン頭の一見平凡そうな少年も飛んだ食わせ者かもしれない。
現に私の一撃をかわしているのだ。
(面白い)
この街は実に面白い。
こんな少年ですら私を手こずらせると言うのだから。
もしや先ほどの不良たちが逃げなかったのもこの少年が駆け付けるのを待っていたのかもしれない。だとすれば全て合点がいくし、何よりも嬉しい誤算だ。
で当の少年はと言えば、辺りをキョロキョロと見回していたが、「うっわぁ……」と驚いた様な声を上げた。
そして今度はこっちを向くと、
「これ、全部あんた1人で倒しちまったのか?」
「ああそうだが?」
「そっかぁ……。じゃあ俺の出番なんかねえよなぁ……。あは、はははははははは」
何を笑うのか? もしくは余裕の表れか?
「じゃ俺はこれで。お邪魔致しましたぁっと」
そう言って背中を見せた少年に、私は無言のままその背後に近付くと首を取ろうとした。
だが私が首を決めようとするよりも早く少年が突然振り返った。
それ位の事は何時も想定しているので特に慌てる事も無い。
この場合の処置としては2つ。
1つは素早く回り込んでもう一度背後を取る。
そしてもう1つは相手との距離を取り直す。
今回の場合は少年の立ち位置周辺に私が倒した者たちが転がっていて回りこめなかったので距離を取る。
そんな私の動きに気付かなかったのか、少年は一瞬目を瞬かせた後、
「あれ? なんか変な感じがしたけど……いやそんな事より、あんた。これだけ大立ち回りして怪我とか大丈夫なのか?」
少年のその一言に私は目を細めた。
そうか。少年は私の今の状態を図っているのだな。弱っていればそれでよし。そうでなければ別の手を……なるほどなるほど。
私は全てを理解するとまず眼鏡を外してポケットに仕舞った。
「ご期待に添えなくて悪いのだが」
「え?」
残念だが君のとぼけ顔には騙されないぞ。
私は一見無造作に、しかし一部の隙も無く少年との間合いを詰めた。
(やっとこれでまともに君とやり合えるな)
その気持ちがにじみ出て自然に口元に笑みが浮かんでしまう。
そして少年もそれに気が付いたのか表情をこわばらせると1歩後ろに後ずさる。
逃げるのか? しかしもう遅い。すでにその時私の右手は抜き手の形を取って彼の顔めがけて吸いこまれたのだから。
「!?」
驚愕に目を見開く少年の頬と髪をかすめて抜き手が空を切る。
外れたか。しかし一撃で倒せなかった事に驚きは無い。
これは負け惜しみでも無く戦う上で常に想定していることだし、むしろこの程度で倒れられては興冷めだ。
右を引き戻すと同時に左の抜き手を今度は胸目掛けて放つ……、がこれも少年が地面を転げる様にしてかわした。
やはり私の目に狂いは無い。
少年は転げざま態勢を立て直すと私の立ち位置と逆の方向に走ろうとした。だがそれ位はお見通しだとばかりに易々と退路を断ってやる。
すると少年は両手を前に突き出して何かの能力を使うのかと私がその前に決め様と拳を固めて踏み込んだ瞬間、
「ちょ、ちょっと待てって!! 何で俺が攻撃されなきゃいけないんだ!? お、俺はただあんたの事を助けようとして……」
何を言い出すのかと思えばまたも小賢しい甘言か。
「そんなだらしのない格好をした奴の話を聞く耳は無い。まずワイシャツのボタンは全部留めて、裾はちゃんと学生ズボンの中に仕舞いたまえ」
これで私が言葉でどうにか出来る相手では無いと解っただろう……と思いきや、何を思ったのか少年はズボンのベルトを外し始めた。
「ご、誤解なんだ……、い、今、今すぐに仕舞うから、いやボタンの方が先か? と、とにかくちょっとだけ待って……」
ああ私は少年の甘言にはまりかけたよ。何か急に全てが馬鹿馬鹿しく思えてしまった。
だが瞬時に気持ちを切り替えられるのも武に身を置く者としては初歩の初歩。
ここは冷静に心をコントロールして……、
「いきなり女性の前でベルト外してチャックを下ろすとは言語道断。覚悟したまえ」
私はそう言い放つとずり落ちたズボンを必死で直している少年に仕掛けた。
一撃でも昏倒する威力を込めた抜き手、そして拳をそれこそ雨のように降らせる。
「ちょ、待ってって!! 今シャひぇ!? ちょ、俺のはなうぉ!! どあああああ、う、うおッ、うわわわわああああああッ!!」
しかしこれも一撃として有効打とはならず、くねくねと身をかわす少年はあまつさえその間にズボンまで直してしまう。
(もう拳筋を読まれたのか。では趣向を変えて)
私は少年の視覚に潜り込みざま体を沈めて体制を崩させるための足払いを放つ。
「うおわッ!?」
(勝機)
少年の状態が完全に浮き上がったのを機に、沈めた己の身体を縮めたばねと見立て、ばねが伸び上がるような感覚でまっすぐ上、少年のあご目がけて掌底を突き上げた。
勝利の確信は無い。もし勝利を確信する時があるとすればそれは相手が倒れた姿を見たときくらいだろう。
ゆえにその一撃を放った瞬間に心の揺らぎは無かった筈だ――腹部に重い一撃を感じるまでは。
「がッ!」
「ッ!」
腹に一撃をもらって若干狙いが反れたせいで少年はたたらを踏んだ程度で倒れる事無く、一方の私は急所は防いだものの肺の空気を奪われて追撃の手が出せなかった。
「わ、悪いッ!? と、とっさに足が出ちまって。大丈夫かあんた!?」
威力が殺がれたとは言え顎に一撃を受けて何故少年はあんなにぴんぴんしているのか?
当たった感触から察するに身体は生身と変わらない。
特に首が強い……いや、そんな程度では無いな。何かの能力で瞬時にダメージを軽減出来るのかもしれない。
その上「今」の私のスピードに付いてこられるのだからかなり厄介な相手と言えるな。
私は1つため息をつくと腹部に付いた汚れを払う。
「やるじゃないか君。少し驚いたぞ」
そう言って私は少年に笑いかけた。
それだけで少年がびくっと身体を震わせる。ふふふ、解っているじゃないか。
私は口元に笑みをたたえたまま、まずジャケットを脱ぎ棄てた。
次にシャツの胸ボタンを1つ、2つと外して、袖ボタンも外す。
そしてハイヒールのかかとを手首の捻りだけでへし折り、最後にタイトスカートの裾を股の位置まで引き裂いた。
「あんた一体……?」
私の行動に驚愕する少年……。この意味が判らないか?
「すぐに判るさ。君の体で」
そう呟いた直後、私はグンと身を沈めると一気に少年との間合いを詰めて、その勢いのまま掌底を少年の腹に叩き込む。
そして少年が九の字に身体を折り曲げた所で更に間合いを詰めてガラ空きの後頭部に肘を落とした。
声も無く路上に倒れる少年を私は無表情のまま見つめる。この程度か、とは言わないよ少年。
「手前味噌だが私を本気にさせた事を誇るといい、と言っても君には聞こえないか」
私は独り言を聞かせる様に少年に言葉を投げかけた後、もうそれ以上は興味を無くした様に背中を向けた。
2撃目は余分と言えたかもしれないが手応えのある2発。少年が万に一つ立ち上がる事など無い。
しかし、そう高をくくっていた私の背後で少年は立ち上がった。
(!!)
驚いて振り返った私の視線の先で少年の身体がゆっくりと沈み込む。
迎撃……咄嗟にそう考えてから身体が動くまでの数瞬がこれ程永く感じた事は無い。
全身に気を巡らせ、拳を作り、狙いを定め、溜めこんだ力を目標目掛けて一気に解放する――しかし放たれた必殺の一撃は目標の顔面では無く少年の右手に受け止められる。
だが既に二撃目を放つ準備も出来ている。この距離と先ほどの手応えから考えて仕損じる可能性は皆無に等しい。
ただし、とここで付け加えさせてもらうと、それはもちろん拳を放てればの話、なのだが……。
そして私は少年に拳を放つ事が出来なかった――いや、正確には拳を放つ必要が無くなってしまったのだ。
何故か? それは少年の瞳を見てしまったから。
力強く、そして真摯な光を湛えた瞳を見た瞬間に何故だか私は少年に拳を握った事を後悔した。
そしてその直後のドンと言う衝撃に息を詰まらせた私は、不甲斐無くも自らの意識を手放してしまったのだ。
気付いた時自分が何処に居るのか判らないと言う状況に初めて出来わした私は相当に戸惑ったが、多分状況を理解した後の方がもっと悲惨だった。
何故かと言えば……、そのぉ……、しょ、少年に……、抱きしめられていたから……。
(!!)
ギョッとして突き放そうとするがビクともしない。
それどころか更にギュッと抱きしめられてしまい、私は抵抗するのを止めざるを得なかった。
すると、
「テメエ一体何のつもりだよ」
その声に私は内心自分に向けられたものかと思って叱られた子供の様に首をすくめてしまった。
それほどに今までの少年とは違う低い、底冷えする様な声が少年の身体を伝わって来る。
「あ? 何言ってんのか判んねえぞッ!!」
別の男のどなり声……?
すると先ほどの言葉は自分に向けられた物では無い――その事に何故だかホッとしてしまう私を置いて話は先に進むようで、
「今お前俺たちを狙っただろ? 何のつもりだ?」
「はぁ!? あったり前じゃねえかこのボケッ!! こりゃ、オ、ト、シ、マ、エ、だっつうの!!」
話が見えない。
狙ったとやらが何の話かも判らないが、何故少年が相手にそれを問いただすのか? 彼らは仲間では無いのか? それとも仲間割れ……?
私はその時少年の瞳を見て感じた事を忘れて、まだそんな誤解をしていたのだ。
「そう言う事かよ」
ちょっと待ちたまえ。何故そこで君が私の喧嘩を勝手に買うのだ?
「おい君」
「今絶賛取り込み中なんですけどなんですか?」
やはり先ほどと違ってつっけんどんと言うかやや冷淡な返しに私は一瞬口ごもるが、
「き、君はあいつらの仲間ではないのか?」
「はぁ、何度も勘違いっつたじゃないっすか? 大体誰があんな馬鹿っぽい奴らとつるむかって言うんだよ」
呆れ交じり否定の後は独り言に近かったが、うむ確かに。
先ほどまではあんなに信じられなかった少年の言葉を、私はごく簡単に受け入れてしまった。
と、そんな会話をしていた私たちに、まるで現状を思い出せとばかりに殺気が向けられる。
その洗練さとはかけ離れた怒り任せの殺気は正にド素人のそれだ。
だがそれだけに何をしでかすか判らない部分もある。
何分にもここは能力者の街なのだ。
「君」
「いやちょっと動かないで下さい」
「そうは言ってもだな」
動けなければ相手を倒す事も出来ないではないか。
そうして少年の制止も無視してぞもぞと腕の中で身じろぎをしていると、
「いちゃいちゃしてんじゃねえぞゴラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
男の叫び声と、すぐさまそれをかき消す様なガリガリバリバリと耳障りな破壊音が路地裏に大音量で響き渡る。
そしてやっとの思いで振り返った私が見たのは、だらしない身体をだらしない服装で包んだ肥満漢と、その肥満漢の両脇で壁を削りながら渦を巻く黒い物体を見た。
轟音はその黒い渦がビルの壁面や路面を削り取る音だった。
そして、男は相変わらず怒りにまかせて何か叫んでいる様だが音が煩くて聞えない事に気付いていない様子だ。
この隙に一撃見舞ってやろうかと少年の腕の中で身じろぎするのと男がこちらに向けて両手を突きだすのは同時だった。
その瞬間、ゴリッバリッと黒い渦がひしめき合いながらこちらに向かって進みだす。
(!!)
スピードは遅いがかわしたりすり抜ける事が出来る様な代物では無い。
そう私が判断した矢先、少年が思い掛けない行動に出た。
少年は私を押し退けると黒い渦に自ら突っかかって行ったのだ。
「君いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
思わず伸ばした手は一瞬遅く空を掴み、代わって渦が巻き上げる土砂が飛礫となって少年と私を襲う。
咄嗟に両手で顔や頭を覆った私は、その手の隙間から少年が黒い渦に飛び込むのを見た。
と、次の瞬間巨大な黒い渦はぐにゃりと形を歪めたかと思うと、今度は風船の様に内側に凹み、最後は砂の様に崩れて路上に黒い山を築き上げた。
パラパラと砂の落ちる様な音を聞きながら私が呆然としていると、暫くして砂山の向こうから少年がそれを乗り越えて戻って来た。
その手には見覚えのある丈夫だけが取り柄のセカンドバッグが握られていた。
少年はしゃがみ込んだ私に視線を合わせる様に自分もしゃがみ込むと、私の手元にそれを置いた。
「あんたのだろ?」
「あ、ああ、済まないな」
すると少年は私の言葉を無視するようにキョロキョロしてから、
「えとジャケットはぁ……」
「何処にでもある既製品だ。多少財布は痛むが君が気にする様な事は無い」
「じゃヒールを」
「君に今ここで直せるとでも? 元より自分で折ったのに何故君がそんな事を気にするのだ?」
「スカ……」
「以下同文」
すると少年は本当に困った様な顔をする。
私はそれがおかしくてクスリと笑ってから、
「では、立ち上がるのに手を貸してくれないか?」
そう言って右手を差し出すと、少年は満面の笑みを見せてから私の右手を手に取った。
その瞬間、ドキンと心臓が飛び跳ねたが、表面は至って冷静を……、
「顔が赤いけどどうおぅわぁ!!」
気付けば照れ隠しに手首のスナップだけで投げ飛ばしてしまった後に私自身が一番驚いた。
「だ、大丈夫か君!?」
「不幸だ……」
おほん。改めて立ち上がった少年に右手を差し出して引っ張り上げてもらう。
その時思わずよろけて少年に抱きとめられたが、ここはぐっと我慢して……。
(ん?)
背中に直接的な感触と言うか人肌の温もりを感じて頭の中に疑問符が湧いた。
と思った次の瞬間、背筋に悪寒と言うか電流と言うか表現し難い感触がして全身総毛立つと共に、私は思わず少年を突き飛ばしてしまった。
「ぐはッ!!」
「大丈夫か君ッ!?」
張り倒して置いて大丈夫かも無いものだが……。
「今日は女難か厄日のバーゲンセール? ふ、不幸だ」
「申し訳ない……」
今度は私の方が少年を助け起こす羽目になる。本当に申し訳ない少年。
などと頭の中でそんな事を考えながらグイッと腕に力を入れた時、背中の方でピリピリと布の裂ける音……なるほど、先ほど本気を出した時に破れたのだな。横着して通販などを使うとすぐこれだ。
「はぁ……」
「え?」
「いや何でも無い。こちらの都合だ」
ため息の理由は誤魔化したが、背中の破れ目までは誤魔化せない。
流石にこの格好で人目に付くのは不味い。さてどうしたものか……、
「?」
どうやって家に帰るかを考えていた私の肩にその時何かが掛けられた。
咄嗟に手で掴むとそれはワイシャツ。そして振り返ると少年はTシャツ姿になっていた。
「随分と洒落た真似を、しかも臆面も無くするのだな少年」
「あ、いやぁ……」
照れ隠しなのか鼻の頭を掻く仕草すら何だか慣れている様に見えて癪に障る。
こんな少年が私よりも上だと……?
私はそんな少年の手を取ってグイッと引き寄せた。
「え?」
初めて会った時と同じ間抜けた表情がこちらを向く。
思えば女らしい事をしたのはつい先日の事で、それ以前は言い寄って来る貧相な連中や女相手に苦労したものだ。
やはりこうして並ぶと少年の方が背が低い……が、この位の歳だからすぐに私を追い抜くだろう。
「へ?」
顎に手を当て上向かせると不思議そうにこちらを見つめる目が少し恥ずかしい。
この顔を見ない方法は2つ。
1つは突き放す事。
そしてもう1つは……、
「!?」
唇を重ねると少年の身体がビクッと跳ねた。
これだけ近ければ少年の顔など気にする必要も無い。
しかし真似事は何度もさせられたが、キスをしたのはこれが初めてなので勝手が判らないな。
白井に借りたテキストによればこの後舌を絡めてお互いの愛を確かめ合うそうだがそれにはまだ少し時期が早い。
なので取り合えず今日はこの位にしておくか。
「な、な、な」
唇を放した途端、その唇をパクパクさせる少年に「さあ何故だろうな」と言葉を返す。
気が多いとか人恋しい訳では無いのだが、どうやら私は1個の異性として少年を気に行ってしまった様だ。
(さてそれを何処からきり出そうか?)
少年のワイシャツをぐっと握りしめた私の頭の中は今その事で一杯だった。
END