「麦のん」  
 
 あまりに突然だったため、麦野の身体はびくりと跳ねた。  
 
「は、ははは、はーまづらぁ……! あ、あんたがそんなに死にたがりだとは思わなかったんだけど?」  
「ぐぇっ! ちょ、ちょっと待てよ麦野。 これには事情が……」  
「問答無用だァ!」  
 
 麦野は片手で浜面の首を掴むと高く持ち上げ、意識を刈り取らんと動く。  
 浜面は地に着かない足を必死に動かし、抵抗を試みるも虚しく、渇いた音と共に泡を吹いて意識を手放した。  
 
 
「ったく! 何考えてんのよあのバカは!?」  
 
 一人ぶつぶつと呟きながら、麦野は学園都市を練り歩く。  
 見る人がみれば今の麦野はこの世で最も相手してはならない人間だろう。  
 彼女は学園都市の第四位にして暗部組織、『アイテム』のリーダーである。  
 そんな彼女が不機嫌で学園都市を歩いている……それは自力での移動能力を持った巨大爆弾が徘徊しているようなものなのだ。  
 取り扱いを誤れば、広い範囲が焼け野原になりかねない危険な存在。  
 
「あぁ、もう浜面のバカバカ!! そもそも何で私が浜面なんかにこんなに苛立たなくちゃいけないのよ」  
 
 しばらく歩き回ると腹の虫が鳴く。  
 ここまでいらつく理由は空腹が原因だと考え、麦野は空腹を紛らわせようとコンビニに入る。  
 目的は彼女の大好物であるシャケ弁だ。  
 コンビニの自動ドアが開き、店内から「いらっしゃいませ」という無機質な挨拶が聞こえる。  
 
「あ……」  
 
 麦野はその目を開いて、レジを見つめる。  
 いつの間に復活したのやら、自分はそんなに長く出歩いていたのだろうか?  
 麦野の目には、確かに買物袋に詰め込まれた商品を受け取る浜面の姿が写った。  
 
「む、むぎ……っ!」  
 
 浜面のただでさえ普段からよろしく無い顔色が更に悪くなる。  
 よほどさっきのが応えたようだ。  
 浜面の反応に麦野のSな部分が満足する一方、忘れようとしたさっきの場面が蘇る。  
 
(「麦のん」)  
(あぁもうっ! 何でよりにもよって浜面がいんのよ! アレ? 私、浜面直視出来ないんだけど何で?)  
 
「なぁ、麦野……」  
「うっさい! 何か用?」  
「いや、用っつーかよ……コレを渡そうと思ってな」  
 
 浜面は片頬を掻きながらもう片方の手で買物袋を渡してくる。  
 中には麦野の大好きなシャケ弁が入っていた。  
 
「いや、何か怒らせちまったみてぇだしな。 麦野を怒らせたままだと居心地悪ぃし」  
 
 浜面の言葉に対して反応が無い。  
 罵声は愚か、独り言すら呟く気配の無い麦野に浜面の胸は不安と恐怖で押し潰されかけている。  
 
「……」  
「あっ。 おい、麦野?」  
 
 突如、浜面の手から買物袋をひったくると麦野はくるりと踵を返し、走り去る。  
 
「んだよ……なんか調子出ねぇな……」  
 
 
(マジでどうなってんのよ私……。 何か浜面のことばっか考えちゃうんだけど……あー、有り得ない。 キモ過ぎ……)  
 
 『アイテム』の隠れ家に麦野は一人。  
 浜面から渡され、引ったくったシャケ弁を口に運んでいく。  
 麦野の舌を満足させる塩の味。 が、麦野はそれを全く感じない。  
 浜面が頭の中をぐるぐる巡ってシャケ弁を味わうどころではないのだ。  
 
「……はーまづらぁ……」  
 
 小さく呟いた浜面の名前は誰もいない隠れ家に微かに響き、自分の鼓膜を震わせる。  
 
「……はーまづらぁ……」  
 
 自分の声は虚しく響くだけ。  
 麦野を知らぬ人間が今の麦野を見れば、淋しさで鳴き声を小さく漏らす子犬のように見えるだろう。  
 「パリイ! パリイ! パリイ!」と以前吠え猛っていた人間ととてもではないが同じとは思えない。  
 しおらしく、はかなく、そしてらしくない麦野がそこにいた。  
 
「こんなの私らしくない……」  
 
 麦野も自覚しているのか、自分への違和感に身体がむずむずする。  
 
「しっかりしないと……そうよ、私はこの『アイテム』のリーダー、王なんだし。 英語ならキング! ドイツ語ならケーニッヒ! イタリア語ならレッ! レレレ! レレレ! レレレのレッ!」  
 
 無理に自分を発奮させる麦野。 しかしそれすららしくはない。  
 
「はぁ、参ったな……。 こんなの皆に見せられない……」  
 
 絶不調極まりない麦野。  
 誰も来ないで欲しいと願うも、無情にも誰か入ってくる。  
 
「……ッ!」  
 
 焦って麦野はトイレに駆け込んだ。  
 
「ん? まだ誰も来てねぇのか?」  
 
 入ってきた人間、それは他の誰でもなく浜面である。  
 
(なななな、何でよりにもよって浜面が一番乗りなのよ!)  
 
 心臓が激しく脈を打ち、吐息が目茶苦茶に乱れる。  
 ふわふわと足元が地に着いていない。  
 
「麦野が帰ってきてたらちゃんと謝ろうと思ってたけど……仕方ねぇ、いつか帰ってくるだろ」  
 
 浜面が椅子に座る音が聞こえる。  
 しばらくはここに留まると見て間違いないだろう。  
 かと帰ってきたのが他のメンバーならまだしも、浜面相手には平常心を取り戻せるとは思えない。  
 トイレの個室、一人麦野は頭を抱えた。  
 
 そもそも。  
 何故自分は浜面にこうも平常心が掻き乱されるのか。  
 浜面は自分に対してふざけた呼び名で呼んだだけである。  
 首の骨を2、3本折っておしまい、それで良いはずなのに。  
 ひたすらに頭の中で先程の言葉が巡るのだ。  
 
(「麦のん」)  
(あぁーもう! 浜面のバカ!)  
 
 麦野は自分の気持ちに気付いてはいない。  
 気付けば全ての疑問も解決するだろうが、全く気付かない。  
 気付いたところで認めるような人物でもない。  
 故に何度も何度もあの言葉が蘇って麦野は悶絶する。  
 
(えぇい、もう迷ってても仕方がねぇ! 速攻で出て浜面の首を落とす、それで終わりだァ!)  
 
 ようやく決心がついたらしく、麦野はトイレのドアをバン!と開ける。  
 
「はまづらあぁぁぁぁぁぁァッ!」  
「どわぁっ!? む、麦野!? ちょ、ままま待て、落ち着け、話せば分かる!」  
 
 両手を前に出し自身に突進をかける麦野に、声とジェスチャーで制止を呼びかけるが聞こえない。  
 バン、と浜面が恐る恐る前に出した手を払いのけ、浜面に喰らわんばかりの勢いで襲い掛かる。  
 浜面の首を捕えた、そう思った瞬間麦野は身体が前倒しになるのに気付いた。  
 理由は簡単、滑った。  
 浜面の首に伸ばされた両手は浜面の首の真横を通り抜け、麦野の視界にはどんどん近付く浜面の胸。  
 タイミングを外し、浜面の首の真後ろで腕が交差し……、ポスンという音と共に麦野の動きは止まった。  
 同時に二人の時間も。  
 腕は浜面の首に回され、顔は浜面の胸にピッタリくっついている。  
 誰がどう見ても麦野が浜面に獣の勢いで抱き着いたシーンである。  
 麦野にだけ、「シューッ、ポンッ!」という音が聞こえた。  
 頭が真っ白になり動くことができない。  
 
「えーっと、麦野?」  
 
 一方麦野に殺されると怯えきっていた被害者の浜面は突如麦野に抱き着かれ困惑を隠せない。  
 振りほどきたいが臆病な浜面にはそれが出来ない。  
 思考を停止した麦野、ひたすら怯える浜面。  
 このシュールなハグの光景を、誰にも見られていないことが不幸中の幸いだろう。  
 刹那、浜面はドスンという音と共に腹に鈍痛を感じた。  
 全く正気ではない、ただ恥ずかしさと混乱の中放った麦野の拳が突き刺さった。  
 浜面が拳でふらつき、離れたことでようやく二人の時間は動き出した。  
 最も一方は再び意識を手放したため、そのまましばらく時間を止めることとなったのだが。  
 
「さ、言い訳を聞こっか?」  
 
 浜面に水をかけ、無理矢理意識を呼び戻した麦野から飛び出した第一声がこれだった。  
 混濁する意識の中、浜面は何の言い訳なのか全くわからない。  
 やがて、今自分が気絶させられた理由を思い出した。  
 
「いや待て! あれは麦野が自分から」  
「そっちじゃねぇんだよォッ!」  
 
 上空から垂直に麦野の拳が振り下ろされる。  
 振り下ろされた腹部を中心に浜面の身体が畳まれ、ぴくぴくと震える。 再び意識が飛びそうになるが、またしても水をかけられ呼び戻された。  
 
「わ、わかった! あ、あっちだな? あ、あれは……」  
 
 浜面がようやく思い出したように語る。  
 何でも、浜面としては『アイテム』ともっと親交を深めた方が動きやすい、だから親交を深めるためにニックネームで呼ぼうとしたらしい。  
 麦野はその『アイテム』の一員として、真摯に取り組む浜面を内心褒めたが、いかんせん内容がよろしくない。  
 
「ってアンタ。 まさか他のメンバーのニックネームも」  
「おっ、ああ考えたぞ。 聞くか?」  
 
 麦野が食いついたと勘違いしたのか、浜面は上体を起こし少し笑顔になる。 別に聞きたくないが、興味が無いと言えば嘘になる。  
 
「じゃあ……滝壷は?」  
「滝壷か? リコだ」  
 
 瞬間、浜面の顎が麦野のアッパーカットで弾け飛ぶ。  
 後ろ向きに2回転半、浜面は俯せで倒れ伏す。  
 
「絹旗は?」  
 
 麦野がゆらゆら近付きながら問う。  
 浜面の顎が言うなと言うが、それ以上に生存本能が言うべきだと警鐘を鳴らす。  
 言わなければ死ぬような恐ろしい目に逢う、浜面はそう予感した。  
 
「あ、アイちゃん」  
 
 こめかみにつま先が刺さる。  
 
「フレンダ」  
「ふ、フレ」  
 
 今度は顔面に靴裏が入る。  
 奇跡的に顔は原形を留めているが、鼻は恐らく折れただろう。  
 
「でぇ? 私は何だったっけ? はーまづらぁー」  
 
 言葉の一字一句に怨嗟と殺意を感じる。  
 とはいえ言わねば殺される。  
 浜面は意を決してゴクリと唾を飲んだ。  
 
「む……麦のん」  
「……」  
 
 瞬間、目を閉じ歯を食いしばる。 どんな攻撃でも耐えれるように覚悟を決める。  
 だが、いつまで経っても何も飛んでこない。  
 拍子抜けした浜面は恐る恐る目を開くが、やはり攻撃が来る気配すらない。  
 やがて上から声が降ってきた。  
 
「もう一回言ってみなさい」  
 
 ヒィッ、と浜面の顔が恐怖で歪み、頭を手で覆う。  
 
「……って、え?」  
「だから、もう一回言えっつってんの」  
 
 聞き違いではないようだ。 もしかして聞こえていなかったのだろうか?  
 
「麦のん」  
 
 同じように身構えるがやはり飛んでこない。  
 
「もう一回」  
 
 浜面は流石におかしさを感じる。  
 
「麦のん」  
 
 とは言え、「言わない」という選択肢は浜面には無い。  
 やはり攻撃は無い。 麦野に何かあったのか、といい加減心配になって麦野を見上げるが仁王立ちした麦野が目に入るだけ。  
 再び視線を降ろしていく中で一つの場所に目が留まった。  
 黒いストッキングなのでわかりにくいが染みが見える。 よく凝視すれば、やはり染みであることがわかる。  
 
「麦のん」  
「なっ……!?」  
 
 麦野に問われる前にもう一度言う。  
 
「麦のん」  
 
 何度でも、浜面は繰り返した。  
 
「あ、アンタは……ッ!」  
「なぁ麦のん。 」  
「……ッ!?」  
 
 黒いストッキングの、黒い染みが大きさを増す。 浜面は麦野が自分の言葉で性的興奮を得ていることに驚くが、それ以上にその事実に満悦していた。  
 
(そういやぁ、麦野って結構レベル高いよな……。 俺が知ってる女の中じゃ五本の指に入るし)  
 
 浜面は頭がふらつくのを感じながら、立ち上がる。  
 立ち上がり、麦野の瞳を見つめる。 互いの瞳に写る、互いの瞳。 その瞳が、次第に大きくなっていき、やがて瞳が瞼の奥に隠れる。  
 
「んむっ……」  
 
 まず最初の感想は「柔らかい」であった。  
 想像したことすらない麦野の唇はとても柔らかく、そしてほのかに甘い。  
 忍ばせ、絡めた舌はぬるぬるして、淫らな感触である。  
 
「ん……んちゅ、ふむぅ……」  
 
 麦野の唇の端から二人分の唾液が混ざった、甘い液体が零れる。  
 口の端から顎を通って喉へと垂れ、やがて服を濡らす。  
 二人の距離がやがて離れると、少しでも長く繋がろうという意思からか、唾液の糸ができる。  
 
「あっ……!」  
 
 下着越しに浜面が秘所に指を這わせると、麦野の腰は砕け、浜面の肩に手を置いて自分の身体を支え無ければ立てくなる。  
 はっ、はっと荒く、浅く、速く、そして艶のある呼吸が浜面の顔にかかる。  
 あの超能力者で、誰よりも優れてて、誰よりも頼れる麦野が自分の支えで立ち、自分の指で喘ぐ。  
 浜面はこの事実に強く興奮を覚えた。  
 
「どうだ麦のん?」  
「ん、はぁ……。 アンタ、一体どこで練習したのよこんなテク……はっ!」  
 
 麦野が身体をびくびく言わせながら問い掛ける。  
 ハッキリ言って浜面はテクも何も無い、ただ指で擦っているだけ。  
 ただ単に麦野が刺激に過敏、それだけの話。  
 
「んくぅ……ふぅ……はぁっ!?」  
 
 ぐじゅぐじゅと音を立てる下着が浜面の手で脱がされていく。  
 
「ちょっ、浜面、そこは……」  
 
 脱がされていくストッキングを見て、麦野は制止をかける。  
 
「大丈夫だ、わかってるよ。 脚を気にしてるんだろ? フレンダに聞いたよ。 俺はそんなの気にしねぇ」  
 
 浜面の言葉に麦野は喜びを感じるが一つ、聞き逃せないことを聞いてしまう。  
 
(フレンダ……ブ・チ・コ・ロ・シ・か・く・て・い・ね……。 上半身と下半身を真っ二つに裂いて殺してやるッ!)  
 
 麦野のフレンダへの殺意はさておき、浜面は麦のストッキングを全て脱がし、直接麦野の秘所を弄っていた。  
 クリトリスを摘み、秘裂をなぞり、その秘境に指を忍ばせる。  
 更に増して反応を示す麦野が浜面は愛おしく感じられた。  
 
(スゲェ……本当にこれがあの麦野、もとい麦のんかよ……)  
 
 優しく、指で内面を撫であげると、びくびくと身体を震わせながらその液体を溢れさせ、浜面の手を濡らした。  
 
「イったんだな、麦のん」  
 
 コクッ、と麦野は頷くだけ。  
 快楽と羞恥で既に声も出ない。  
 ガクガクと力無く震える脚はとうとう崩れ、目線の高さがしゃがんでいる浜面と同じところまで降りる。  
 視線が絡むと二人はどちらからとなく唇を合わせた。  
 
「麦のん、俺我慢できそうにねぇっ……」  
「浜面の早漏野郎」  
「違ぇっ!!」  
 
 心が落ち着いてきたからか、クスクス笑う余裕まで生まれてきた。  
 麦野はフッと笑うと浜面に抱き着き、「良いよ」、と囁いた。  
 浜面はその言葉と共に、麦野を抱きしめながら押し倒す。  
 浜面の腕の中、麦野は脚を開いて浜面を向い入れる。  
 まだ日の高い、二人の夜は明けない。  
 
 
 
「あぁそうそう浜面。 皆の前で麦のんとか呼ばないでよ? 気持ち悪いし。 皆をニックネームで呼ぶのも禁止」  
「はい」  
「あと、二人きりの時に普通に麦野って呼んだらブチコロスからね、はーまづらぁ」  
 

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