炎の少女ステイル〜マールボロは危険な香り  
 
「しくじった」  
 髪を真っ赤に染めて両耳には大量のピアス、右目の下にバーコードの刺青を入れた少女  
は、三日前に呟いたのと寸分違わぬ苦々しげな口調で吐き捨てた。  
 少女の背後では、真っ黒な修道服に全身をぴっちりと包み、顔以外に肌が露出している  
ところがないのにやたらとお色気を振りまいているほのぼのシスターさんが、洋服を取っ  
替え引っ換えしながら少女を着せ替え人形にしている。  
「シスター・オルソラ、そっちのほうが似合ってたのでは?」  
「ルチアさん、あなた様もそう思います?」  
 サイズがちょうど同じくらいだったからと、最初は已む無く、しぶしぶながらといった  
感じで少女を自室に導きいれた、ルチアと呼ばれたシスター――『アドリア海の女王』の  
件でロンドンに逃げ延びたローマ正教の戦闘部隊の一人――も、いつの間にやら着せ替え  
ごっこに夢中になって、少女を連れてきたシスター、オルソラと服選びに没頭してしまっ  
ている。  
 少女はいかにも『困った』という風に、部屋に入ってきた、世界に20人しかいないと  
いう聖人の一人である神裂火織に目線を送ったが、その神裂も  
「もう少し派手なくらいが良いんじゃないですか?」  
 などと言い出す始末である。  
 
「いい加減にしてくれないか? 僕は問題が解決するまで当面着る服がない、と言っただ  
けなんだ。こんな目に合わされる必要は全くないはずだろう?」  
 
 下着姿のまま(実はその下着もルチアのものだ)、体や腕にも刺青が見える赤い髪の少  
女が痺れを切らして叫ぶ。まるっきり男口調だが、周囲の少女たちもまた動じる様子はな  
い。  
「何を言いますかステイル。ここを頼ってきた以上は恥ずかしい格好で街を歩いてもらう  
わけにはいきません。少しくらいは我慢しなさい」  
「そうですよブラザー・ステイル。せっかくお貸しするんです、似合ったものを着てもら  
ったほうが服も喜びます」  
「まあまあ。こんなに素材がよろしいのに、遠慮しては駄目なのですよステイルさん」  
 少女を取り囲む3人が口々に意見を叩きつける。  
 それを聞き、赤い髪の少女ステイル・マグヌスは、着せ替え人形を続けさせられること  
へ苦々しげに溜息を吐いた。  
 
 
 そう。  
 この少女こそ、『必要悪の教会』でも屈指の魔術師にして炎のルーン使い、ステイル・  
マグヌスその人なのである。  
 何故にこんなことになってしまったのか――元凶は三日前に遡る。  
 
 
「しくじった」  
 数年前にイギリス清教を裏切り、地下で魔術結社などという馬鹿馬鹿しいものに血眼に  
なっていた元上司の始末を命令された。  
 その男は、例えば天草式のように流れながら活動をしていればもう少し手応えもあった  
ろうに、同じ場所に拠点を構えると言う愚を犯していた。それなりに力のある魔術師であ  
ったから、しばらく姿を眩ますことが出来ては居たものの、見つかってしまえば一箇所に  
居を構える敵など、逆にステイルの敵ではない。  
 作戦は完璧だった。雑魚どもは控えている『必要悪の教会』の手勢がすべて制圧してい  
るだろう。  
 ところが、最後でしくじった。いや、作戦としては成功の範疇なのだ。  
 しかし、完璧な包囲網の元、天草式に学んだ布陣術で強化された魔女狩りの王を伴い挑  
んだ戦い――実際は戦いにもならなそうだった――の決着も着こうかというとき、一瞬気  
が緩んで怪しげな術式を受けた…様な気がした。それに気を取られている隙に、  
「自害されるとは…生け捕る余裕は十分にあったのに……あの男と関わってからどうも上  
手くいかない気がする」  
 
 禁書目録の件で関わった日本人、科学側の拠点である学園都市の住人、上条当麻の姿が  
頭に浮かんだ。  
「ちっ…。面白くない。何故僕があんなやつのことを思い起こさなければならないんだ」  
 毒づきながら、懐からマールボロの箱を取り出すと、一本取り出して火を点けた。  
 その拍子に、今度は学園都市で出会ったとある女性を思い出す。  
 
『またこんなキザったらしい名前の煙草を選ぶなんて。さてはあなた、映画俳優か何かに  
憧れて喫煙を始めたクチなのですかーっ!?』  
 
 自分が一緒に居た頃の、禁書目録のシスターによく似た雰囲気だった。  
(コモエ・ツクヨミ…とかいったか…?)  
 何故かイライラが募った。点けたばかりの煙草を吐き捨てる。  
「馬鹿馬鹿しい。仕事も終わりだ。撤収するぞ」  
 このときステイルはらしからぬミスをしていた。  
 何らかの術式を受けたのにも拘らず、自分に対して魔力探査をしなかったのだ。このと  
きその手順を怠らなければ、その後、後から思えば自殺したくなるほど恥ずかしい大騒ぎ  
をせずに済んだはず、だったのだ。  
 
 
 その三日目の朝。  
 ステイル・マグヌスは最大主教のお間抜け書類に悩まされることもなく、さわやかな朝  
を迎えていた。  
 毛布を払い、手を伸ばして伸びをする。  
 ベッドから上半身を起こし、再び手を伸ばす。袖が妙に余っている。おかしいな、と思  
いつつも袖を上げようと片腕を寄せると、上腕がなにやら柔らかいものに当たった。驚い  
て下を見る。するとそこには――  
 やたらブカブカになって、ちゃんとボタンを閉めてあるのに艶かしく開いてしまってい  
るパジャマの胸元に、谷間が出来ていた。  
「なっ、なっ、な…」  
 慌ててベッドから飛び出そうとして、ズボンの裾を踏んづけてコケた。したたかに打ち  
付けた鼻を押さえながら立ち上がる。痛さに涙が滲んだ。が、今は痛みよりも鏡である。  
裾の長さにさらに何度かコケそうになりながらも、バスルームに飛び込んで鏡を見る。  
 そこに写っていたのは。  
 
 大きすぎて片方の肩からパジャマがずり落ち、悩ましげな胸元を晒す、真っ赤な長髪の  
美少女だった。  
 呆然と口が開く。  
 自分の体を直接見回す。そして、再び鏡を見る。  
 やはり、鏡に映っているのは赤い髪の美少女。  
 『必要悪の教会』の猛者、ステイル・マグヌスは自分の姿を見て卒倒すると言う稀有な  
経験をすることになったのだった―――。  
 
 
 再び目が覚めても、この悪夢は覚めなかった。恥を忍んで、ローラ・スチュアートに事  
態の説明はしなければならないだろうが、このままでは外出も出来ない。  
「神裂くらいにしか釈明できまい…なんとか着るものくらいは調達してもらおう」  
 そう思い、教会から与えられた携帯電話(何故か学園都市製だった)を掴むと、小さく  
なってしまった手のひら――身長は40cmは縮んでいるようだった――に悪戦苦闘しなが  
ら神裂火織の部屋へと電話を掛ける。  
 神裂の部屋に掛けたはずなのに何故か電話に出たのはオルソラ・アクィナスで、電話を  
替われと押し問答しているうちに事情を喋らされ(実はオルソラは尋問の達人なのかもし  
れないとステイルは後から思った)、その納得するとも思えない理由をあっさり肯定する  
と、ステイルの部屋に押しかけたオルソラはまるで拉致でもするかのようにランベスの女  
子寮へと彼(もはや彼女といったほうが正しい)を連れ去った。  
 
 ここで話は冒頭へ戻る。  
 周囲では自分に着せるための服の話でかしましい声がする。  
 煙草を喫おうとしたら、「この部屋は禁煙です!」とルチアに煙草を箱ごと取り上げら  
れた。ルチアに腕力で負けたときは精神的なダメージも大きかった。  
 とりあえず、今この瞬間は耐えるしか無さそうだ。  
 それ以上に深刻な現実があるのだが、目先の騒動に耐えていたほうがまだ精神的にまし  
かもしれない。  
 それでもその可憐な唇からは。  
「ふっ、不幸だ……」  
 と、どこかで聞いたような呟きが漏れるのだった。  
 

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