<序奏> 〜グッバイオカマ!よろしく女性化!〜
「が―――ッ!?」
暗い空間に鈍い音と共に男の声が響く。
鈍い音とは男が壁に叩きつけられた音であり、声は苦悶という色を持っていた。
男はまだ若さを持つ、下手すれば女にも見えるような美貌を持った人物だ。
「なにをしていたかはわからないけど。まぁ、僕には関係ないことか」
部屋の闇の中から更に一人の男が歩み出てきた。
右目の下にバーコードの様な刺青を持った赤い髪の神父だ。
二メートル近い長身だが、その童顔のせいか微妙に幼く見える。
彼は大量の指輪をはめた指で口に咥えた煙草を取るとおもむろにそれを投げ捨てた。
その煙草は地面につく前に炎を纏い燃え尽きる。
男――【必要悪の教会】の魔術師であるステイル=マグヌスは燃え滓を踏みつけ、
目の前で壁に寄りかかる男を見下す。
「それじゃあ、さよならだ」
そう言うと同時、ステイルの手に炎の剣が生まれる。
摂氏三千度の高熱を発し、しかし、ステイルを焼くことは無く周囲の物を蒸発させる炎の剣。
ステイルがそれを振り上げると同時、男の表情に変化が起きた。
「―――」
それは恐怖でも絶望でもない。ただひたすらに歓喜を訴える表情。
男は整った口元を獰猛な形に吊り上げたのだ。
……!?
咄嗟に飛び退くが男は動かない。
ただ男は凶暴な笑みを浮かべたままステイルを見るだけ。
短い静寂が二人の間に訪れる。
「ありがとう、と言っておくわ」
男の声が空間に響く。
その言葉の意味にステイルは眉を顰め訝しげな表情を作った。
そして、同時に嫌な汗が額を流れる。
……なんだ、この余裕は。
下手をすれば今の一撃でこの世から消え去っていたというのに男はなおも笑う。
そこで気づいた。
手に持っていた炎剣が消滅しているという事に。
「……っ!?」
「貴女の魔力――確かにいただいたわよ――ッ!」
男は気持ち悪い口調と共に体を前に投げ出し、両手を勢い良く地面についた。
それと共に部屋内に大規模な変化が起きた――地面が光を放ち始めたのだ。
地面を何本かの線が走り、それは円を基礎としてある図形を作って行く。
その図形とは――、
「魔法陣か――!」
「そう……もう魔力が尽きていたからどうしようかと思ったけど、アナタのおかげね」
男がよろめきながらも立ち上がる。
しかし、ステイルは動く事が出来ない。
魔法陣による効果かどうかはわからないが体が言う事を聞かないのだ。
思わず奥歯を噛み締めて目の前でよろめく男を睨む。
「あら、やぁね。形勢逆転されたからって、そんな顔をしたら良い男が台無しよん?」
男はよろめきながらも余裕を持っているかの様な口調でステイルに言う。
ステイルはその口調を気持ち悪いと思いつつも、男を睨み続ける。
「……一つだけ訂正をしてもらおうか」
「?」
男が首を傾げるのを見てからステイルは相変わらず苦々しげな表情で、
「僕がこんな顔をしているのは、貴様如きに【切り札】を使う事になるなんて思ってもいなかったからだ」
男が再度疑問の言葉を発することは無い。
否、あまりに強い感情の奔流に言葉が出ないのだ。
それは恐怖の権化だった。
それは絶望の象徴だった。
それは地獄の業火の化身であった。
「【魔女狩りの王】。ここに来る前にルーンを刻んだカードを色んなトコロに貼り付けておいてね」
まさか、本当に使う事になるとは思わなかったけど、とステイルは溜息を一つ。
一瞬にして目を戦士のものへと変えると、冷酷に己の切り札に向かって告げる。
「焼き払え」
○
朝日が差し込むホテルの一室。
そこそこ豪華に整えられたその部屋の端に設置されたベッドが蠢く。
「……ん」
ベッドにかけられた毛布から漏れる声は少女のものだった。
まだ幼さの残る顔立ちにそこそこ伸ばしたセミロングの、丁度前髪を中央で分けた赤い髪。
目の下のバーコードの刺青が異色を放っているものの、その寝顔は可愛らしいと言っても過言ではない。
少女は数度蠢くと、やがて体を持ち上げるように起こし、目を覚ますために目を擦った。
「む……なんだか体が重たいな……昨日魔力を使いすぎたか……。んー……ん?」
伸びをすると同時に感じる違和感。
なんだろう、と体をチェックしてみるが特に問題は――、
「――ッ!?」
と、視線を降ろしたところで少女の動きは停止した。
少女の視線の先にはぶかぶかになった服の隙間から見える僅かに膨らんだ慎ましげな双丘。
何時の間に服が巨大化したのだろう、と一瞬現実逃避に走るがそれはない。
つまり、服が大きくなったのではなく――体が小さくなったのだ。
少女は凄まじい速度で布団を抜け出すと即座に走り出す。
扉を開け、廊下を走り、再び扉をぶち開けて洗面所へと飛び込むとすぐさま洗面台の前へと立った。
洗面台に設置された鏡に映るのは一人の可憐な少女。
「……なんだ、これは……」
急いで走った来たせいか、それとも寝返りが激しかったせいか、それは乱れた黒いTシャツを着た己の姿だった。
「っ!」
鏡の両端に手を付いて己の顔を凝視する。
背は30cm以上縮んでいるようで、それに合わせて体も小さくなっている。
キレ目な目付きを持った美少女と言っても遜色ない整った顔立ちを持った少女。
右目の下にあるバーコードの刺青からかろうじて過去の自分の姿を見出せると言ったところか。
というか、そのせいでこれが自分だと認めざる得なかった。
「待ってくれ。なんで僕がこんな……」
頭を抱えてしゃがみ込むと同時、
「ステイル、起きていますか?」
ドアをノックする音が響いた。
ビクゥッと体を震わせて顔を上げる。
……しまった、このホテルには神裂達も―――ッ!
「待――ッ!」
声を出そうとしたが咄嗟に口を塞ぐ。
この声では自分がステイルだと言っても信じて貰えそうに無い。というか、色々拙い。
ならばどうするか。
思考を走らせるものの上手い考えは出てこない。
このまま寝ている振りをして神裂が去るのを待つしか――、
「おや、神裂さん。鍵が開いている様でございますよ?」
「シスター・オルソラ。それはピッキングって言うんですよ」
「アニェーゼさん。それは言わないお約束でございます」
扉を開く音が聞こえる。
勝手に入ってくるなぁー!と思うが、時は既に遅し。
ステイルがいる洗面所まで足音が聞こえて来た。
洗面所の扉は開きっぱなしのため、このままではすぐに見つかってしまうだろう。
それは拙い。
いや、直接会って話した方が良いのだろうが、まだ心の整理が出来ていないのだ。
故に今誰かに会うのは拙い。
どこか隠れる場所は無いかと周囲を見渡し、ある一点でステイルの目が止まる。
おそらく接敵まで後数歩と行ったところ。
だから、ステイルは迷わなかった。
……洗面所はバスルームと繋がっている――ッ!
即座に奥まで足音を立てずに急ぎ、扉を開けてバスルームに飛び込む。
同時に洗面所の入り口の方を歩いて行く足音が聞こえた。
恐らく足音の数からして神裂とオルソラ、最近イギリス清教に改宗したアニェーゼの三人。
息を殺して、扉の隙間から見てみれば丁度三人が扉の前を通り過ぎるところだった。
「しかし、ステイルがこんな時間まで起きてこないなんて珍しい……余程疲れていたのでしょうか?」
「まぁ、あれだけ派手にやっちまえばそりゃ疲れるでしょう。最後なんて自分で死にかけてたじゃないですか」
「【魔女狩りの王】の炎が天井に燃え移って、あわや大惨事になりかけるところでございましたからね」
案外普通に会話出来ているオルソラに驚きつつもステイルは額に青筋を浮かべつつ三人の声を聞き続ける。
しかし、会話が不意に切れる。
何事か、と聞き耳を更に立てると神裂の声が聞こえた。
その内容とは――、
「……何故ズボンだけが落ちているのでしょうか……」
ピシリ、と確かにステイルの時だけがその時停止した。
確認のために急いで視線を降ろすと、
「ぶっ」
何も生えていない――大切なところ丸出しの下半身が見えた。
慌てて顔を真っ赤にして視線を上げるが、頭の中は沸騰状態。
前代未聞。自分の体を見て顔を赤くするとは、と自分を叱咤する一方、仕方ないとも思う。
誰だって異性の体を突然見せられたら、顔を赤くする事ぐらいあるだろう。
別にステイルが初心な訳ではない。
手で黒いTシャツの裾を押さえて隠すが今度は服の隙間から未成熟な胸が見えて更にステイルの顔を赤くさせる。
「〜ッ!」
なんとか試行錯誤してボタンを止めた上で裾を押さえるという事で落ち着いた。
気持ちを落ち着け、再び扉の隙間から神裂達の会話に耳を傾ける。
どうやら、三人はステイルのズボンを見て停止していた様で会話は左程進んでいないようだった。
「そりゃ……ねぇ」
「あら、なぜ顔を赤くしているのでございますか、アニェーゼさん?」
「う、五月蝿いですよ、シスター・オルソラッ!」
「?」
なんだか色々誤解されている気がするが、今は誤解してでもいいからさっさと出て行って欲しかった。
しかし、続いてオルソラの楽しそうな声が聞こえた。本当に楽しそうな声が。
「あら、こちらにはトランクスが……」
ステイルが目を見開くと同時に洗面所にオルソラが入ってきた。
急いで扉から視線を外し、内部に隠れる。
「……ステイルには下半身裸で寝るような癖があるのでしょうか……?」
「シスター・カオリ。それをマジで言っているようなら私は貴方を尊敬しますよ?」
「あら、バスルームの扉が……」
君は扉の開閉を調べる達人か何かかー!と心の中で叫び声を上げるが、それどころではない。
このままでは見つかってしまう。
ならば、と用意してあった逃走経路へすぐさま飛び込み蓋を閉めた。
縮んだこの体だからこそ出来る芸当。
まさかバスタブの中に入っている等とは夢にも思うまい。
……勝った!第三部完……ッ!
いけない、混乱していて以前あの馬鹿の所で暇つぶしにと呼んでいた本の台詞が混じった。
バスルームの扉を開ける音。
「ステイルさん、コチラでございますか?」
入ってると思うなら何故開けるのか、それは彼女にしかわからない。
おっとりしているようで狡猾な部分がある女性、それがオルソラ=アクィナスだとステイルは勝手に思う。
声を殺して身を固め、オルソラが去るのを待つ。
暫く摺ると、彼女の溜息をつく音が聞こえ、続いて足音が遠ざかるのが聞こえた。
……行ったか?
少しだけバスタブに乗せた蓋を持ち上げてバスルームの扉を見ようとし、
「見つけたでございますよー!」
凄まじく元気な声と共に蓋が取り上げられた。
罠かー!と今日何度目かわからない心の中の悲鳴を上げるが、目の前ではオルソラがキョトンとした顔をしていた。
引き攣った表情で視線を返すステイル。
「シスター・オルソラ。見つかったんですかってぇ――!?」
「アニェーゼどうかしたとぁー――!?」
神裂とアニェーゼが固まりながらも扉を開けたままの状態でこちらを見ているのが見えた。
視線をオルソラへと戻す。
すると彼女は凄まじく良い笑顔で瞳を輝かせながら頬の横で両手を組み合わせ――、
「あらあらまぁまぁ!とても可愛らしくなったのでございますね、ステイルさん!?」
「そんなわけあるかぁー!?僕だって好きでこんなか……っこ……」
あ、と口を開いた状態のまま思わず硬直してしまう。
……鎌をかけられた……!?
今のステイルは、右目下のバーコードの刺青さえ隠してしまえば髪の色だけが似ている少女に見える筈。
オルソラ達が一目で自分だと看破出来るはずが無い。
だからこそ、オルソラは本人かどうか確認するために鎌をかけたのだろう。
「ステ……ステイルなのですか……?」
「これは、また……」
「とっても美人でございますよー?」
驚愕の表情を作るアニェーゼと神裂の二人とは別に相変わらずの笑顔をステイルに向けるオルソラ。
ステイルはもうどうしたら良いのかわからなくなってバスタブの隅で涙目になりながら震えていた。
この時の構図を表すならば、蛇に睨まれた蛙という表現が正しかっただろう。
ステイルの受難は始まったばかりだった。