朝。浜面仕上は、自宅のベッドで布団に包まっている。
携帯電話から流行りのメロディが鳴っていた。
布団から顔を出さず、う、んぅと呻きながら手探りで探す。ベッドの脇、低いテーブルの上に置いてあった。拾って通話を押す。
「……あぃ」
『ぷっ』
失礼な声がスピーカー越しに聞こえた。寝起きの間抜けな声がお気に召したようだった。
あはは、とひとしきり笑ってから電話の主が話し出す。
『寝てたの? 悪いわね』
「……麦野?」
『おはよ、浜面』
布団から顔を出す。仰向けになって話しやすい体勢に。ぼやけた目で卓上時計を見ようとしたが、良く見えなかった。
「何」
『ん、今日の仕事がキャンセルされたみたい。細かい内容は今はいいから、とりあえずそれだけ覚えといて』
「了、解」
キャンセル。少し得をした気分だった。具体的な話については次の集会で聞けるだろう。
ふぅ、と息を吐く。頭がまだ上手く働かない。内容を反芻する。麦野。仕事はなし。電話の相手は、麦野。
「麦野」
『何、質問?』
そういえばまだ、これを言ってない。
「おはよう」
スピーカーの向こうで、一瞬、声を詰まらせるような気配がした。暫くノイズだけが聞こえてくる。
ややあって、おずおずとした返事が返って来た。
『……おはよう』
「おぅ……」
『いや、ってか言ったし私』
照れ臭いのか、自分につっこんでしまう麦野。平静ならそれに何か言えたかも知れないが、今の浜面にそこまで頭は回らない。
微妙に間が持たない。だからだろうか、少し優しい麦野の声。
『起こしちゃってごめんね』
「いーって」
『今度、私にモーニングコールしていいよ』
「考えとく」
そこまで言って、大きなあくびが出た。降って湧いた休み。ゆっくりしてもばちは当たらないだろう。
「悪い、もうちょっと寝かしてくれ……」
『はいはい』
苦笑する声。最後に、冗談めいたような言い方で麦野が言った。
『おやすみ』
ああ、とだけ浜面が返事をする。それっきり、どっぷりとまた眠りの中に落ち込んでいった。
朝。麦野沈利は、自宅のベッドで布団に包まっている。腕にはくたびれた古いぬいぐるみ。
携帯電話からお気に入りのメロディが流れていた。
夢の中から浮上させられて、ぐずぐずと枕もとに置いたそれに手を伸ばす。ほとんど何も考えずに通話を押した。
「……んぅ」
『おはよう、麦野』
「……」
浜面。
寝ぼけた頭ではまだ何も良く分かってなかったが、安眠を妨げられた恨み節を言う気は一気に失せた。
これって、もしかして。淡い予感が胸に生まれる。
「なーに」
可愛い声が出たのは眠気のせいだ。しかし我ながらこの質問は、ずるい。
『モーニングコール』
言葉少なに浜面が答える。と、それだけじゃ変だと思ったのか、照れ臭そうに付け加えた。
『や、やれって言ったのお前だろっ。なーに、じゃねぇよもう……!』
電話の向こうの浜面が想像できて、麦野の頬が勝手にニヤけていく。
これをやるためにわざわざ早起きしたのだろう。おかしくって、頭から布団を被った。布団の中に、私と、ぬいぐるみと、携帯。
「うん。おはよ、浜面」
『……おはよう』
「ね、浜面」
寝起きのテンションは無敵だ。なんでも言えそうな気がしてしまう。
「沈利って言ってみて」
一瞬、浜面が迷う。しかし拒んで機嫌を損ねるのもなと思い直して、言った。
『沈利』
「……、」
喉の奥から変な声が漏れそうになった。そうとは知らず、浜面が続ける。
『沈利。おはよう、沈利』
「……ふっ、あっ、あは……あはははは……!」
それを堪えていたら、今度は笑い声が止まらなくなった。
もう、ほんと、どうしようこれ。
よほど麦野の様子が面白いのか、釣られて浜面まで笑いだす。馬鹿話に付き合うような呆れ声。
『なんだよさっきから』
「くすぐったい」
『何が。どこが』
良く分からないが、他に言いようもない。甘えた声でもう一度「くすぐったいのーっ!」と言った。
布団から顔を出す。笑みに緩んだ頬が熱かった。
『そんだけ笑ったんならもう目も覚めただろ?』
「うん」
『じゃ、切るぜ。それに、今日アイテム集合かかってるしな。二度寝すんなよ?』
「うん。ばいばい」
『また後でな』
電話が切れる。部屋に静寂が戻る。ちょっと寂しいような気もしたが、長々と引き留めるのもよくない。
また後で。また会えるからいい。
起き上がる。大きく息を吸い込んだ。またモーニングコールしてくれないかな、と思った。