ホルモンバランスが崩れていると、ときめいたりもしないのかしら。  
 ふと考えてしまうのは、結漂が時間を持て余しているからだ。  
 ”彼女たち”を呼び出した海原は姿を見せない。  
 土御門は「ちょっとコンビニ行ってくる」と手を振ったきり、三十分はもう帰らないでいる。  
 であって必然的に結漂は前述のホルモンバランスを崩してる彼と二人きり、  
 廃墟と化したビルに取り残されていた。  
 骨組みが剥き出しになったビルの柱は冷たい。  
 寄りかかっていては、体温を奪われてしまいそうだった。  
 結漂は柱から背を浮かす。  
 少し離れたところにいる一方通行に歩み寄った。  
 彼は先ほどまでの結漂と同じ体勢に加え、他人を拒絶するように腕を大きく組んでいた。  
「ねえ、一方通行」  
「あァァ?」  
 凄みがかった声で返される。  
 一方通行は明らかにこの状況に苛立っているのだが、  
 これは時間厳守を破った海原の責任であって、結漂に罪はないのでそっと怯えるだけにしておく。  
「あなたって、ときめいたりするの?」  
 結漂は思ったままを口にした。  
 回りくどい質問では更に機嫌を損ねかねない。  
「……お前と違って変態じゃねェから、ワリィな」  
「何で変態の話になるの!? ショタコンとかロリコンとか関係なくよ!  
 っていうか私はショタコンじゃないから!」  
 思わずむきになるが、鼻であしらわれた。  
「話がずれたわね」  
 自然と胸の前で握っていた手をほぐして、結漂は咳払いをひとつした。  
「あなたって、異性に興味なさそうじゃない?  
 この場合の異性は変態的な意味を除いての恋愛対象に当たるわよ」  
 って、なんでいちいち説明しなくちゃいけないのかしら。  
 一方通行が変なことを言うからだ。  
 
「だからね、つまり、貴方があまりにも思春期の少年っぽいことをしないし言わないから、  
 異性を見ていてときめくこともないのかしらって、ちょっと不思議になったのよ」  
「くっだらねェ……」  
 言葉通り呆れたのか、一方通行の纏う空気が和らいだ気がした。  
「俺がどうのって言う前に、周りはどうなンだよ?  
 普通の女なんざ、みなさンそろって同じ顔だし同じ動きしかしねェし  
 同じことしか言わねぇだろォが。それにどうときめけっつゥンだよ」  
 なるほど、と結漂は納得する。  
 予想通りときめくことは無いらしいうえ、  
 外側に興味を示さない一方通行の態度もその要因だったのだ。  
「そんなことないわ。貴方が気づいてないだけよ」  
 逆に彼が街行く女性に興味を抱いたとて、恐れられるばかりかもしれないが。  
「世の中の女は男をときめかせるツボを心得ているし、使っているんだから  
 ……だからいい加減こっちを見てくれないかしら」  
 結票は問答を始めてから一度もこちらを向かない一方通行を促す。  
 一方通行はだるそうに目で答えた。  
「例えばね、こんなのとか」  
 結漂は後ろ手になって、腰から屈む。一方通行を上目遣いで見あげた。  
「こんなのとか」  
 続けて小首を傾げて微笑する。  
 だが一方通行は無言のままだ。  
「……こんなのとか」  
 続けて変な模様(言ったらどうなるんだろう)のシャツの裾をくい、と遠慮がちに引いた。  
 しかし一方通行は至って平常時と変わらない様子である。  
「……こんなのとか!」  
 露出した身体とふくよかな胸を利用して、前屈みになって化石式お色気ポーズをとる。  
 加えて先ほどの上目遣い。これ最強。  
 だがしかし反応がない、ただのしかばねのようだ。  
 肩透かしを連続で受けてしまい、結漂は最後には一方通行と同じく腕を組むはめになった。  
 これではただ行動が痛い子で終わる。  
 
「あら、諦めたわけじゃないわよ」  
「何も言ってねェぞ……」  
 蔑むような視線を送りかけられるが、結漂は先手を打った。  
 一方通行との距離を減らす。彼の顔に顔を近づけた。  
 視界がぼやけないていどとはいえ、鼻先や唇は触れそうなくらいの  
 至近距離で見つめ……訂正、睨み合う。  
 吐息を間近で感じる。  
 しかけた結漂の方が胸が騒がしくなるようだった。  
 だがしばらくして、結漂は異変に気づいた。  
 目の端にちらちら入るものがある。  
 それは堅く握られた一方通行の拳に見えた。  
「なっ!」  
 結漂は驚いて顔を離した。かつてそれを顔面で受け止めた記憶が瞬時によみがえる。  
 一方通行はどうやら別方面で胸を打たれたらしい。  
「ま、まって! まってっ……」  
 制止を聞かず、拳は高く掲げられていった。  
 結漂はぎゅっと目を瞑る。  
 耐え難い緊張に背筋がぴんと張る。衝撃を待つ。  
 しかし下りたのは拳にしては鋭くて、小さな痛みだった。  
 その実前回同様顔の中心に下りると思っていたのに、今悲鳴をあげているのは別の場所だ。  
「ウッゼェ、近づくンじゃねェよ」  
 ゆるゆると開けた視界の先で、一方通行が中指を伸ばす。  
 額を弾かれたのだった。  
 理解したとたん一気に身体の力が抜けて、結漂は膝を折った。  
 だが急に姿勢を変えたためかよろける。一方通行の腕にしがみついてしまう。  
「あ……」  
 結漂は慌てて離れるが、ぞっとする笑みがそこにはあった。  
 さーっと結漂の顔に青が走る。  
「お叱りが足りないってかァ」  
「ちが、ちがうわよ、不可抗りょ……」  
 言い切らないうちに結漂は二度目のでこぴんを食らうのであった。  
 
 
「――え? 何なのアレ……」  
 少しばかり遠くで、ブラックコーヒーとカフェオレとココアの入った  
 コンビニ袋をぶら下げた土御門が一体いつから呆然と立ちぼうけしていたのかは、  
 ご想像にお任せしよう。  
 

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