12月26日、上条宅――
その日は特に何もする気が起きず、ぼーっとテレビを見ていた上条は、唐突に鳴り響いた電話の音ではっと覚醒した。
慌てて周囲を見渡すと、インデックスはコタツに突っ伏して静かに寝息を立てている。
三毛猫はコタツの上のミカンの横で毛繕いなんぞを始めていた。のんきなものである。
ちらりと上条を見て、くぁ、とあくびらしき仕草をして──、再びペロペロと毛繕いを再開する。
ふりふりする尻尾がインデックスの顔の前で行き交い、鼻先をかすめたりしている。
ともあれ、電話には出なきゃならない。トゥルルル、トゥルルル、コール音はその間も鳴り響く。
携帯電話全盛の時代だが、学生寮には別に各部屋に据え置きの電話も用意されている。
上条は玄関先に赴き、そっと受話器を取る。
「はい、上条です──」
『あ、上条ちゃんですかー?』
飛び込んできた声は、聞き慣れたものだった。
「何だ小萌先生か」
『何だとはご挨拶ですねー。……ところで上条ちゃんは今暇ですかー?』
「まあ特に用事はないですけど」
ちらりと居間のほうを見て、苦笑混じりに告げる。
『それは良かった。では少々頼みごとがあるのですよー?』
上条は嫌な予感がした。こういう切り出し方をする時の小萌先生が切り出す用件は
殆どパターン化しているため、返し方も同じものにならざるを得ないのだ。すなわち
「カンベンして下さい小萌先生。上条さんの今年の夏は夏休み全部返上して補習漬けの実りなき青春を送ったのです。
せめて冬休みくらいは勉強を忘れ、何も考えず楽に生きるのも人生と言う歯車を回すために必要な潤滑油だと
思うわけでして、メンテナンスには正月三が日まで掛かるため上条商店は臨時休業、また来年の再会を心より――」
上条は早口でまくしたて、携帯のスイッチを――
『ちょっと待つのです上条ちゃん!補習じゃありませんから先生の話を聞いてください!!』
上条の手がピタッと止まる。
「補習じゃない?嘘つけ!この俺に強制的に不幸を運んでくる目的以外で女性が俺に掛けて来るわけないだろ!騙されねーぞ!」
『うう。不憫な上条ちゃん。すっかりやさぐれてしまって。だけど大丈夫です。今宵の小萌先生は幸福のメッセンジャーなのです!』
なんだかやけに弾んだトーンで小萌先生が告げる。この先生、ノリノリである。
『実はですねー。先生は年末の福引で何と高級霜降り肉を当ててしまったのです。
ですが賞味期限があるので早めに処分しないといけないわけですが人手が足りないわけで』
「肉?つまり肉か!小萌先生は肉と戦うための助っ人に俺を呼んでいるわけだな!
ようし待っていろ小萌先生!不詳上条当麻、カロリーと戦う婦女子の強い味方として馳せ参じる所存ですよ!」
バックに炎が噴き上がりそうな勢いのテンションの急上昇率。この男、もっとノリノリである。
『よ、喜んでもらえてるようで何よりなのですよー?』
『ところで、上条ちゃん、その、シスターちゃんのことなんですけど』
その一言に、上条の眉がピクッと動く。上条は恐る恐る後ろを振り向くと、
彼女は相変わらずコタツに突っ伏して寝息を立てたままである。
「……わかっている。大丈夫だ。アイツは今すっかり眠りこけているからな」
かの暴食シスターの腹具合(キャパシティ)の底なしぶりは小萌先生も知るところである。
いつだったかこの子をすき焼きパーティに参加させた時には、開始3分で男子高校生
5,6人を相手取って壮絶な肉争奪戦を繰り広げ、それら全てを制圧して肉王者に輝いた実績があるほどだ。
そのような猛者を家庭用鍋にお呼びしたらどうなるのかは火を見るより明らかだった。
『シスターちゃんには申し訳ないのですが、適切量のお肉をお弁当に包んであげるということで
ガマンしてもらいたいところなのですよ』
そうしてくれると上条としても大助かりだ。腹いっぱいにはならずとも肉のお土産となれば
インデックスも文句は言うまい。…多分。
『──そ、それじゃあ待ってますからね、上条ちゃん』
若干引き気味に小萌先生が電話を切る。
「わかった。すぐ行く。色々気を遣ってくれてありがとう小萌先生」
言って、上条は受話器を置き──
「お出かけなの? とうま」
くるりと振り返ったそのすぐ先に、インデックスが立っていた。
胸を張って。傲然と。そびえるように。
「うわ!?」
思わず後ずさる。さらには背後、コタツの上からどうしたんだメシか―? とバカ猫までがひょっこりと顔を出していた。
「お、起きてたのか、インデックス」
尋ねると、インデックスはえへんと胸を張り、そして腰に手を据えた。
「そりゃ起きるんだよ。特にとうまが私を置いていこうと企んでいる時はね!」
鋭い眼光であった。どこに行くと言い訳しようにもテコでもついて来ると言って聞かない顔だこれは。
「悪いインデックス、今からちょっと出かけるんだ。だから何か適当に食べててくれ」
しかし…。しかしだよ?せっかくの肉の機会にインデックスを連れて行った日には
またも食卓の肉を喰らい尽されて自分は一口もありつけない未来が容易に想像できる。
であればこそ、ここは譲るわけにはいかない。
ごめんな、と手をかざす上条に、インデックスはぎらりと犬歯を輝かせる。
「こもえの家に行くんだよね?」
敢えて聖母の如きニコニコ顔で尋ねてくるインデックス。
こうなれば白状するしかあるまい。
「え? ああ、そうだけど」
「そうなんだね」
インデックスはにっこりと微笑んだ。
「お肉を食べるんだよね?」
微笑みで人を殺せる瞬間があるとするなら正にこの時だろう。
聖母の微笑みの後ろに般若が浮かんでいるように見えた。
インデックスの後ろでは、毛繕いを完了させたバカ猫が外出完了いつでも行けますと
修道服の中に潜り込んでにゃーとなく。
そしてインデックスは両手を後ろで組むと、一歩近づき──微笑んだ。
「それなら──答えはもう、一つしかないよね?」
「……………そう、みたいだな…………」
もはや上条に選択権はなかった。
さようなら久しぶりのカロリー、上条は顔を引きつらせて、そう呻いた──。
「……で?」
思わず零れ落ちた呻き声は、かなり引きつった顔の結標淡希のものだった。
月詠小萌宅、居間──
「本日はお招きいただき、誠にありがたく――」
感激したようにテーブルの上のみを視線がロックオンしている暴食シスターは
何も聞いちゃいない。首根っこから手を離したら即肉にかぶりつかんばかりの勢いだ
「……上条ちゃん?」
「正直、悪かったと思っている」
小萌先生は嘆息したものの、来てしまったものはしょうがないということで
上条とインデックスに座布団を渡してあげる。
「あ、そういえば上条ちゃんには言ってませんでしたね。
この娘が先生の新しい同居人の、結標淡希ちゃんなのですよー?」
先生がそう言って紹介してくれたのは、上条と同い年くらいの少女だった。
身長は恐らく150cm前後、髪は頭の後ろで二つに束ねている。
服装はラフなTシャツ姿で可愛らしいワンポイントの刺繍なんかがついていたりする
外出中より家の中のほうが露出が少ないというのはどうなんだろう、と上条は思った。
上条当麻は実はここより以前に結標淡希と対峙している。
正確には対峙するはずだった、と言うべきか。
以前に樹形図の演算者の残骸をめぐるとある事件に巻き込まれ、
その残骸を持ち逃げして白井黒子を傷つけたこの少女を上条は追い、
本来は戦うことになっていたはずが、何者かの介入により
結標淡希はダウン。拳を固めて追跡していた上条は気勢を削がれながらも
怪我人となった彼女を放っておけず、病院に運んでやった縁があったりするわけだが。
ともかく、食卓につく上条当麻とインデックス(+バカ猫)
そして月詠小萌と結標淡希。この4人が今回の戦争の参加者である。
結標はそっと小萌先生の傍に寄って耳打ちするように
「(ちょっと、何でせっかくの機会にこんな奴らを呼ぶの?
特にあっちの白いのは白いのに全てを吸い込む黒い穴じゃないの!)」
もはや恒星誕生の圧縮空間扱いである。存在そのものが特異点だ。
「(仕方ないじゃないですか。日頃ひもじい思いをしている上条ちゃんたちに
せっかくだから久しぶりに美味しいものを食べさせてあげたかったのですよー)」
「(あたしはアイツも気に入らないの!出来るなら顔合わせたくなかったのに)」
「(? 結標ちゃん、上条ちゃんとお知り合いですかー?)」
結標はワタワタと手を振って
「初対面!初対面よ!!断じてあんなのと知り合いじゃないから!!!」
思わず声を荒げてしまい、小声にするのすら忘れてしまう。
あんなの、と呼ばれた男は頬をぽりぽり掻きながら結標の横顔を見ていた。
結標は男の顔を一瞥するとプイッと目をそむけてしまう。
心なしか顔が紅潮しているような気がするが小萌先生は特に気にしなかった。
結標は小萌先生を今一度自分のもとに引き寄せ、
「(前々から思ってたけどアンタはお人よし過ぎるのよ!!
この前だってせっかくの夕食の買い溜めを孤児のガキどもに全部あげて来たとかあったし!
そんなことじゃあすぐに誰かに良いように利用されて終わりなのよ!)」
「(でもでも、あの時は結標ちゃんだって『それなら仕方ないわね』って認めてくれたじゃないですかー?
結標ちゃんも何だかんだワルぶっても根っこのとこでは困っている人を見捨てておけない心根の優しい娘なのです。
先生はちゃんとわかっているのですよー?)」
「だから違うって言ってるでしょ!アンタは本当に人の話を聞かないわね!!」
ニコニコと笑う小萌先生の襟首を掴んでがくがくと揺さぶる結標。
「あ、あのー・・・小萌先生・・・、と、結標・・・」
急に呼びかけられて、二人の顔は呼びかけた少年のほうに向く。
「早くメシを始めてくれないと、俺一人でいつまでもこいつを押さえ続けるのはそろそろ限界なんだが」
見れば、少年は犬歯を剥きだしにしてホットプレートに飛び掛らんとする暴食シスターを後ろから羽交い絞めにしていた。
――食卓は戦場だった。
しかし派手さはない。むしろ極めて静かだった。
物音ひとつしない。静止画のように4人は箸を構えたまま動かない。
しばらく、肉がじゅうじゅう焼ける音のみが部屋に響いていた。
拮抗していた沈黙を一番最初に破ったのはやはり白い少女だった。
彼女は英国人(?)でありながらも巧みな箸さばきを用い、ともすれば
手先が見えないかと思われるような高速の肉独占技術を開陳、
箸一杯に肉を掴んで即座に自分の口へ放り込む――
「がちんっ!」
――かに思われたが、白い少女が口に放り込もうとしたその刹那、
急に肉が消失し、少女の立派な白い牙は何もない虚空で鳴り響いた。
ツインテールの少女がにやり、と笑った気がした。見れば彼女の皿には
先ほど白い少女が独占していた大量の肉がそっくり移動している。
ツインテールの少女は改めて、皿から肉を自分の口に運ぼうとするが、
慌てていたのと、肉が多すぎたこともあって箸からすべてがこぼれ落ちる。
少女はしまった、と思った。白い少女とツンツン頭の少年は
いやしくも勿体無い精神に満ち溢れた「3秒ルール」という俺ルールに護られているため
地面に落ちた肉だろうがモノともしないだろう。
しかし、ツインテールの少女のプライドは落ちたものを犬のように拾って食べる、などという
はしたないマネを許さないのだった。
しかし、その時だった。虚空に向かって突き出される激しい動きを見せる高速の箸があった。
箸は、ツインテールの少女が落とした肉が地面につくまでのほんの1秒弱ほどの間に
物凄い速さで回収を完了させ、自らの口に放り込んでいく。
身長130cm前後のミニ教師だった。
能力者でもないのにこの動きは只者ではなかった。場にいる他の三人は戦慄する。
しかしいつまでもぼうっとしている暇はなかった。
戦わなければ勝ち取れないのだ。今この場では実力のみがモノを言い、
勝った者が全てを独占できる。そこに聞こえのいい平等主義や博愛主義は存在しない。
たった今目の前でミニ教師に肉を掠め取られた二人の少女は、即座にプレートの肉に照準を切り替える。
二人の箸がプレート上で交錯した。そして300gほどの肉を挟んでギリギリと空中で吊り合っている。
その上では激しい視線のぶつかり合いも展開されている。
まるで剣豪同士の鍔迫り合いのようだった。気を抜いた瞬間に斬られる緊張感がついて回る。
二人の少女は、敵がいるとしたらこの女だろう、と一瞥した段階で既に実力を認め合っていた。
そんな少女らがまるで劇画のようなシリアス且つ漢くさく熱い戦いを繰り広げている隙に、
第三者の箸はひょいひょいとお肉を手中に収めていく。
ミニ教師は丸くて赤いほっぺたをおさえて「うまうま」とばかりに至福の笑みを浮かべる。
またも漁夫の利を奪われた。それを自覚した少女たちは、一度自分の箸を引っ込める。
300gの肉は半分から真っ二つに裂け、150gずつの肉はそのまま少女たちの口の中へ。
…ここは仕切り直しだろう。
この女は強敵だが、さりとて敵はこの女だけではない。この女に構っている間に
肉を全て持っていかれてしまっては元も子もないのだ。
ツインテールの少女がどうしたものかと思案していると、一人の少年が目に入った。
先ほどからの人外の域に達するお肉争奪戦から取り残され、未だに一切れもありつけない
ツンツン頭の少年である。
少女は一計を案じ、敢えて彼の目の前にお肉を座標移動させてみた。
少年は目を輝かせ、お肉に箸を伸ばす。
暴食少女はそんな少年にかぶりつくように襲い掛かってくるが
少年は暴食少女をかわして何とかお肉を死守して見せた。
そう。これがツインテールの少女の妙案。
何も自分が件の強敵を直に相手にする必要はないのだ。
適切な時に適切な小物をあてがっておけば、勝手に仲間割れの末に自滅してくれる。
その間に自分は悠々と…
と、思ったら、自分の目の前にあったお肉がない。
ふと横を見れば、ミニ教師が変わらない笑顔でうまうましている。
ツインテールの少女はきいーっと唇を噛み締めた。
敵の敵は味方と言うか、味方もまた敵なのはこちらもまた同じだった。
こうして食卓の戦いはストックのお肉が尽きるまでの10分の間に
延々と心身ともに醜い傷跡を残して終わるのだった。
「ごちそうさまでしたーー」
激しい戦いは終わった。
最終的には小萌先生の一人勝ちと言っていい結果に終わり、
インデックスと結標もかなりの量を戴いたものの、満腹には至らず
少々不満げな顔が見えている。
「ごめんなさいなのですよー。先生、お肉が始まったら手加減できなくて」
相変わらず天使のような笑顔を浮かべて謝罪する小萌先生。
一番真っ先に警戒すべきはこの名物教師であったのだ、と
インデックスと結標は己の眼力の浅さを悔いた。
そして、もっと悔いている男が一人いた。
「俺、結局殆ど食べられなかったし・・・」
身長168cmの彼に必要なカロリー摂取量は約1800(kcal)
しかしながら今回の場合、300摂取できたかどうかと言うところである。
貧乏学生の彼にとっては切実な問題であったのだ。
上条当麻がため息をついていると、
小萌先生がこっそりと近づいてきて、懐から小さな包みを見せる
「(こんなこともあろうかとほんの少し隠しておいたのです)」
上条の目が輝いた。
「(シスターちゃんに見つかったらダメなのですよ?)」
上条は、思わず小萌先生の両手を掴んで涙目になりながら、
首を勢いよく縦に振り、「コクコクコク」と頷きつつ、
強い感謝と感激の気持ちでむせび泣いたのだった。
――そして、上条とインデックスは帰路につく。
「ねえねえとうま」
ん?と上条はインデックスの顔を覗き込んで
「どうしたインデックス?」
「あーん、して」
見るとインデックスの手には箸があり、
そこに挟まれた立派なお肉が。
「お前、持って帰ってきちゃったのか?」
一瞬呆れ顔になる上条を前に、インデックスは顔を紅潮させると
「違うもん!本当はずーっとあーんして食べさせてあげたかったけど
二人きりじゃないと出来ないからずっとガマンしてたんだもん!」
インデックスはぷりぷり怒りながらも、箸を上条の口に近づける。
上条はそんなインデックスの箸にパクッとかぶりつくと
「うん、美味い」
笑顔で応えてやった
「そっか。良かった」
そしてそんな二人を物陰から見ている影がひとつ
「全くこんな路上で何やってるわけ?
周りが見えないお子様たちはこれだから困るわね」
何故か憮然とした表情で毒づく
「・・・・・・ばか」
そういうと、影は振り返らず自分の足で走っていった
せっかくの食事のあとに能力の副作用で吐いてしまうわけにはいかなかったからだ
上条はふと左ポケットに違和感を感じた
「あれ?小萌先生、おまけしてくれたのかな?」
ともかく、ウチについたら賞味期限を過ぎないうちに
美味しく召し上がろう、と上条は切れていた油の補給のためにコンビニに向かった
おしまい