「…君は。本当に無自覚。言葉にしないと判らない?」  
 
 姫神秋沙の端正な顔がさらに近づく。熱っぽい吐息に混じって、小さな声で(姫神はい  
つも小さな声なのだが、さらに小さな声で)呟いた。  
「それとも言葉よりも。行動の方が良い?」  
 熱い吐息が上条の耳に掛かる。もはや姫神の方向を向くことも出来ない。身体はがちが  
ちに固まってしまっているし、声も出ない。  
 もはや姫神のなすがまま――と思った瞬間。  
「あ」  
 背中から姫神がはぎ取られた。あ、と言ったのは姫神である。  
 兎にも角にも危機は去った。後ろに振り向く。瞬間、  
 
 ゴッ!  
 
 頭突き、そう、何故頭突きかはともかく頭突きを食らって上条は床へと崩れ落ちる。  
「貴様は一体どんな手管で姫神さんに――か、仮にも教室でこんなことをさせてるのっ!  
一度地獄でも見てきた方がよさそうね貴様は! それより姫神さん、このバカにこんなこ  
とさせられて…」  
 吹寄制理であった。  
 おそらくは全く自分の意志で上条に張り付いていた姫神を引き離すと、すべての罪は上  
条に有りと頭突きを食らわせたのだ。そのまま、姫神を気遣っているのか説教しているの  
か判らないような内容の言葉を件の少女に向かって呟きながら廊下へ出て行った。  
 引きはがされた姫神愛沙だけが、母犬から離された子犬のような目で上条を見ているが、  
吹寄がそれに気付く様子はない。  
「い、痛てえ… カミジョーさんが一体何を…」  
 あまりにも的確な攻撃に痛みが鼻に抜け、目尻に涙が滲み出るが、とりあえず立ち上が  
って学生服に付いた埃を払う。  
 その時初めて、自分が取り囲まれていることに気が付いた。  
 
「上条……?」  
「姫神さんがおとなしいと思ってえらいことをしてくれるじゃねえか…」  
「カミジョー属性の裏技か? とりあえずロクなもんじゃねえな」  
「制裁だな」  
「ああ、制裁だ」  
 
 クラスの男子生徒が上条を取り囲みつつ、どうやら一つの合意に達したらしい。上条の  
顔面から血の気が引く。唇の端だけが引きつっていくのがよく判った。  
「み、みなさん? そんな不穏な空気を漂わせて一体――ぎゃああああああああ」  
 上条のアンニュイな昼休みは、保健室への護送で幕を閉じた。  
 
 
「…なんかこう、身体がこのベッドに馴染んでるような気がするんですが…学校でもこう  
だったの俺?」  
 午後の授業もすでに始まっている中、全身の痛みを堪えつつも、保健室のベッドであま  
り嬉しくはない想像が過ぎる。  
 なにしろ上条当麻は記憶喪失だ。1学期、保健室に頻繁にお世話になっていたとしても  
おかしくはないし、否定するための記憶がそもそも無い。  
 もっとも、あまりにも入退院を繰り返しているここ数ヶ月が異常なのであって、それが  
保健室のベッドにまで印象が重なっているだけなのかもしれないが。  
 保健室には誰もいない。  
 最後の情けと土御門が上条をベッドに運び込んだときにも保険教諭はいなかった。土御  
門曰く『ここの保険教諭のさぼりなんて日常茶飯事だぜい』とか言っていたから、今日も  
サボタージュの最中なのだろう。  
 ともあれ、そう言うことなら普段からベッドに縁のない生活である。  
 惰眠をむさぼったってバチは当たらないだろう。ここにいる原因だって、身に覚えのな  
い『制裁』によってなのだから。  
 そう思うと、眠気が身体に忍び込んでくる。最近は眠るに耐えれるようになったとはい  
え、ユニットバスでの睡眠は身体に優しいとは言えない。  
 瞼が重くなる。誰かが髪を撫でた。そのまま頬に触れる。そして、そのまま眠りに――  
 
「って誰っ!」  
 
 一気に目が覚めた。半身を起こす。横を見ると、  
「そのまま眠ってても。私は構わなかったのに」  
 何故か、姫神愛沙がベッドの横に座っていた。  
「姫神? 授業は?」  
 昼休みの行動への疑問よりも先に、彼女が授業中にもかかわらずこの場へ居ることへの  
疑問が先に出る。  
「サボタージュ」  
「サボ、っておい姫神、いいのかよこんな所に来てて」  
 上条の言葉に、少女は少し俯きながら呟いた。両手の指を所在なげに膝の上で絡ませる。  
少し顔が赤らんでいることには、上条は気が付かなかった。  
「私のせいでこんな目にあって。看病くらいは。それに」  
「……それに…?」  
 何か悪い予感のようなものが上条の脳裏を過ぎる。  
「君と既成事実を作っても。ここなら邪魔が入らないし」  
 
「ま、待て姫神っ、しょ、正気にっ…」  
 
 上条の制止に少女が答える様子はない。  
「私なら正気。お昼休みも。今だって」  
 そう言って、姫神秋沙が顔を寄せてくる。手を伸ばして止めようと思ったが、掛けられた布団と  
身体の痛みに邪魔をされて少女の接近を易々と許してしまった。  
 薄桃色の唇が上条の耳に近づく。熱い吐息が掛かった。同時に顔には艶やかな髪がはらりと  
落ちてくる。髪と肌の甘い香りが、上条の理性を籠絡すべく強烈な刺激を加えてきた。  
「はふっ…」  
 甘い香りにクラクラしていると、その次の瞬間には唇で耳を甘噛みされていた。  
「うおっ」  
 背筋に電流が走る。頭が呆然としてきた。そこを、  
「えいっ」  
 上着の詰め襟を脱がされてベッドに寝ていた上条だったが、その下のTシャツを無理やり姫神  
に捲り上げられた。頭を抜かれ、肘あたりまで脱がされたところで少女の手が止まる。  
 たまたまぴっちりしたスポーツタイプのTシャツだったためか、無理やりに引き上げたシャツが  
腕を縛り上げたような格好になる。  
「ひ、姫神っ、いきなり何をっ…上条さんに緊縛の趣味はってそうじゃなくってっ…」  
「さっきも言ったけど。君と既成事実を」  
 そう言って、姫神秋沙は上履きを脱いでベッドにはい上がると、少年の上に跨った。そのままそ  
の胸元にしなだれかかると、上条の胸に指を這わせる。  
 
「君の身体。本当に傷だらけ。私を守ってくれたときの傷は…どれ?」  
 
 吐息をやや荒くしながら、頬を染めた姫神が呟く。そのまま、胸元にあった傷のうち、目立つひと  
つに唇を匍わせた。胸元に走る柔らかな感触に、声が漏れる。  
「はうっ…ひ、姫神っ、いきなり剥いたあげくにそんなっ…ふっ…」  
 上条の抵抗の言葉に、さらに興奮を覚えたのだろうか、少女は胸元に唇を乗せたまま上目使い  
で少年を見つめると、他の傷を撫でながら言う。  
「君の傷は。他の女の子を守ってあげたときのモノの方が多いんだね。きっと。君は誰にでも優し  
いから。私も君にとってはその他大勢」  
「ば、バカ言ってるんじゃねーよ姫神、誰がどうなんてそんなこと考えてなんかいねーよ、それより  
この縛り上げたようになってるTシャツをどうにか…」  
 上条の言葉に、少女は少しだけ顔を上げる。  
「誰でも一緒なの? そうだよね。君にはあの子が。インデックスがいるから。あの時だって――」  
 少年の上に跨って呟く少女は、明らかに落胆と判る陰を瞳に浮かべる。  
「襲われたのがたまたま私だっただけ。他の子でも。きっと君は同じことをしてた」  
 大覇星祭初日、ローマ聖教の魔術師・オリアナ=トムソンに襲われたときのことを思い浮かべた。  
 あのあと、病院で銀髪のシスターは確かに『とうまはあいさと一緒にいると楽しそうだもん』と言っ  
ていたけれど。  
 この少年は、不幸だと呟きながらも、誰とでも仲良くやっている。誰といても楽しそうにしている。  
あの銀髪のシスターと居るときは格別に。少なくとも、姫神秋沙の目にはそう映っている。  
 
「姫神? 確かに他の誰かがあんな目にあったとしても、もちろん俺は許せないし俺が  
何とか出来るなら助けてやりたい。でも、姫神は大事な友達なんだ。あの時居たのが  
たまたま姫神だったからなんて、俺はそう思わない。  
 ところでこの縛り上げたTシャツを…」  
 
 あの時居たのがたまたま姫神だったからなんて、俺はそう思わない――その言葉が  
姫神の心を打つ。背筋がゾクゾクと痺れて、跨っていた上条の身体を太股で強く締め  
付ける格好になる。  
 
「…私…だから。助けて…くれた? 同じ…ことがあって…も。君…が来てくれる?」  
 頭に血が上る。興奮が視界を霞ませた。そのまま上半身を起こしてセーラー服の裾に  
手を掛けると、一気に脱ぎさった。ライムカラーの可愛らしいブラジャーを残して、姫神秋  
沙の白磁のような肌が露わになった。  
「ぐほっ! ひ、姫神、姫神さん! ちょっと! ダメいきなりそんなのはっ!じ、自分を大  
切にっ…」  
 叫ぶ上条を潤んだ瞳で見つめながら、それでも上条の言葉は半ば無視する形で少女  
は見せつけるように胸を張る。最近は吹寄あたりと仲良くしているので目立たないが、姫  
神秋沙のスタイルは決して悪くはない。むしろバランスが取れていて、その黒髪と白磁の  
肌とが相まって芸術品のようですらある。  
「…君に見て…欲しかったから。…君のおかげで。傷も残ってない。…私、綺麗かな…?」  
 上条の鼻からツー、と赤い液体が垂れた。少年の顔はとうに真っ赤になっていたが、そ  
れでもその液体が際だって目立つ線を上条の頬に付けていく。  
「いやだからっ、そんな女の子が自分の肌を安売りしちゃダメっ、姫神さんっ? 秋沙ちゃ  
ん、あ・い・さ!?」  
 ただでさえ赤かった顔をさらに紅潮させた姫神秋沙が、急に上条に強く抱きついてきた。  
残すところブラジャーのみとなったその胸の柔らかい感触と、脇やお腹のなめらかな感  
触がシャツを捲り上げられた上条の肌に直接触れてくる。  
 脳が沸騰しそうになった。そこに、姫神が耳元で興奮に声を掠らせながら呟く。  
 
「さっき言った台詞。最後の一言。もう一度言って」  
 
「へ? えー? あ、あいさ?」  
 姫神秋沙の巻き付いた腕が、さらに力を強めた。  
 
 

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