初春飾利は雨に打たれながら走っていた。
花飾りや髪はぺしゃんこになっている。
制服は幾らかの防水加工が施されているはずなのだが、今では水を吸うだけの代物に成り下がっていた。
このまま風紀委員の仕事に行ったら、白井に「初春……貴女、天気予報を見ていなかったんですの? 午後三時からの降水確率は90パーセントと言っていたじゃありませんの」と呆れられるだろう。
(だってだって、期間限定スペシャルラブリーイチゴチョコパフェが食べたかったんですよう! 白井さん!)
それに、オープンカフェを出た頃は怪しい色をしていただけの空だったのだ。
色の濃くなった制服が重い。
足にスカートが張り付いているので、走るのにもいつも以上に体力を要した。
もともと初春は運動をあまり得意としない。全速力で一気に第一七七支部まで戻るのは至難の業だった。
諦めて、雨宿りできそうな屋根の下に入る。学園都市でも数々の店舗を設けるファミリーレストランの屋根だった。
店内は暖房が効いているのだろうが、ずぶ濡れの状態では入店できない。
はあぁ、と初春はため息をこぼした。
湯気の出た暖かい料理が客に運ばれている様子がこんなにも眩しい。料理はいらないから、あの輪に混ざりたい。
ドリンクバーを凄い勢いで往復している少年とか、シャケ弁を美味しそうに頬張る少女とか。……シャケ弁?
黙認した。
とりあえずいいなぁいいなぁ、とひたすら羨ましがっていたら、いつのまにか入り口の近くまで来てしまったらしい。
自動ドアをくぐってきた客にぶつかってしまった。
「す、すみません! ……あ」
「痛ってえな……――あ? 初春じゃねえか。って、ワオ」
携帯を片手にした垣根帝督がいた。
垣根はずぶ濡れの初春を見て、わずかに引いたようだった。
初春は垣根の後ろを確かめる。他の人の気配がなくて、不思議とほっとした。
「垣根さん……一人ファミレスなんて寂しい男ですね」
「いやいや、全身びしょ濡れの女に貶されてもよ。どうしたのお前、花に水でもやってた訳?」
「何のことですか?」
初春は笑顔で返した。
何でもない、と垣根が言う。どうして一歩後ろに下がったのか、よく分からない。
「しかしな、風邪引きコースまっしぐらじゃねーか。傘は持ってねえのか」
「何、変なこと聞いてるんですか? 持っていたら濡れるわけがないじゃないですか」
こうなったら開き直る。初春は腰に手を当てて堂々と宣言した。傘は持っていない!
折りよく横殴りの風が吹いた。初春のスカートは重くて捲れなかったが、冷気が身体に突き刺さる。肩を抱く初春に、垣根は考え込むように空を見上げた。
「お前、家に寄ってけ。近くだし、風呂貸してやるから」
「え…………」
急な提案に初春は驚く。
垣根は傘を開きながらつまらなさそうに続けた。
「タオルもあるし、身体拭け。制服は乾燥機に放り込めばいいだろ――…………おい、なんだテメェその目は」
「いえ……」
じめっとした目で初春は垣根を見ていた。全身で警戒する。
「俺は心配して言ってやってんだぞ。テメェのぺらい身体になんて触んねえっつってんだ」
「……」
間が置かれた。
ファミリーレストランの前で睨み合う二人の横を、食事を済ませたカップルが通り過ぎてゆく。
「分かりました。信じましょう」
初春は垣根の傘の中に入った。もう雨と同化出来そうな状態だから必要ないと思ったのだが、彼が傘を初春に傾けていたのだ。
それに垣根の学生寮に着くまで、初春は一度も新しい水滴を受けなかった。垣根の肩が濡れていて、少し嬉しかった。
垣根の部屋は初春のそれより二倍以上の広さがあった。二段ベッド十個は置けるだろう。
初春は先にあがって近くの扉の中に消えた垣根の靴と、自分の靴を揃えてマットを踏む。
靴下にも水が溜まっているから、先には進めなかった。
「靴下脱いで、そこにあるスリッパ適当に履け。風呂は今から沸かすから、服乾燥機にいれたら着替えろよ」
風呂場にいるのだろうか。垣根の声は壁に反響している。
「ありがとうございます。でも垣根さんてば、何だか手際が良すぎて逆に怖いんですけど!」
「とっととスリッパ履けよガキが」
ひょい、と扉から垣根のうんざりした顔が覗いた。
初春は立ったまま靴下を脱ごうとする。片方つま先から外したところで、足がもつれた。
とと、と慌てて体勢を立て直すと、いつのまにか目の前に垣根が立っていた。
「……座れ」
「あはは!」
初春は言葉に甘えることにした。
垣根が出てきた扉の奥は脱衣所で、正面に洗面台とドラム式の洗濯機が並んでいる。洗濯機は脱水、乾燥も可能の物だ。左右にスライド式の扉があって、右は風呂場だった。
広さは言及するまでもない。
ちなみに左の扉を開けてみると、冷蔵庫みたいな機械がでん、と置かれていた。見ていないことにした。
初春は酷い有様になった制服と下着を脱いで洗濯機にいれ、脱水のスイッチを押した。
ごうんごうんと中で服が回る。
透明な洗濯機の蓋には裸の少女が映っていた。垣根の言葉を思い出している少女の目はやけに空ろだ。
確かに、初春の身体は発育途上のそれだった。胸も気持ち程度しか膨らんでいない。尻は平べったい。お腹は凹んでいるほうだけど、くびれがあまりない。
見つめていると、だんだん怒りがこみあげてきた。子供は子供扱いを一番嫌うのだ。
むすっとした顔で、垣根が用意した着替えを手に取る。ジャージだった。
(垣根さんって、よく分かんないです)
今までの経緯から推して、白シャツの出番だと思っていた。
ともかく身体を拭いてジャージに着替えた初春は、リビングに来ていた。
いい匂いが鼻をくすぐる。温かい紅茶の香りだ。背の低いテーブルに、湯気を放つマグカップが二つ用意されていた。
垣根はソファに座らず、カーペットの上に胡坐を掻いている。初春はその横にちょこんと膝を折った。
「お前が着てると、俺が大男みたいだな。上だけでも外出歩けるんじゃねえ?」
ゆったりした造りのジャージは、上着の長さが初春の膝上まできている。さながらワンピースだ。
「上だけ……」
初春は下着を一切履いていない。
「垣根さんの変態! 痴漢! 変態! 痴漢! バカ! ロリコン! 痴漢!」
「はあ?」
眉をひそめた垣根をよそに、初春が真っ赤になって悶々していると、頭にタオルを被せられる。さらに上から手を乗せられた。
今日初めて垣根の肌が触れて、初春は心臓がどっかに飛びそうになる。
「かかか垣根さん! 手は出さないって言ったじゃないですか!」
「拭くだけだっつの。何想像してやがんだ、エロ春」
髪をごしごしと拭かれる。花飾りを気遣ってか、垣根の手使いは優しかった。跳ねる髪先が当たって顔が痒くなる。
「で、お前は何でこんな濡れてた訳?」
「それはもちろん、期間限定スペシャルイチゴショートラブリーチョコパフェを食べるためですよ!」
甘いものへの愛は天気予報に負けたりしないのだ。
理解できねー、と垣根は興味なさそうに言った。その息が頬にかかって、垣根との距離が近いことに今更気がつく。
初春は思わず振り向いてしまった。
垣根の顔が、かすかにぼやけて見える。それだけ隙間がなかった。
淡くても、垣根が端正な顔立ちだということは明確だった。目は吸い込まれそうなくらい透き通っている。鼻は高いし、くちびるの形もいい。
(――――あれ、れ?)
初春は振り向いたことを後悔した。
先ほどとは違う意味で、顔が赤くなるのを感じる。
耳元で鈍い音がしている。
脈だとすぐには理解できなかった。それが変だとも思えなかった。それくらい余裕がなくなっていた。
(何でだろう。何だか、垣根さんに、くっつきたい)
垣根の服の裾を手探りで掴む。垣根はそちらに目を動かしただけで何も言わなかった。
無意識のうちに、初春は顎を前に出していた。鼻先が一瞬触れ合う。
「かきねさ、」
名前を呼んだら、既に唇が合わさっていた。初春からではない。
垣根から、初春はついばむような口付けを受ける。ちゅ、ちゅ、と鳴る音は小鳥が鳴いているようだ。
初春は目を瞑って息を止めていた。こういう時の呼吸の仕方が分からなかった。
音が止んで、初春ははぁっと大きく息を吐き出す。
「……キスの仕方分かんねえの?」
垣根は呆れているようだった。
「……っ今、馬鹿にしましたね! 言っときますけど、垣根さんが思うほど私は子供じゃないですからね。知ってることだって沢山ありますよ。キスだって、そ、その先だってちゃんと知ってます!」
「へー。そりゃすげえ」
温度を変えない垣根に、初春は今度はこちらから口を押し付けた。
「13歳がにじみ出てんな」
そしたら離れざま、垣根がそう呟く。
ぐっと彼の顔が沈んできた。触れる柔いものが深くなる。それまで乾いていただけの感触に、水気が混じった。
「――……んっ」
本気で息が出来ない。
初春は耐えかねて口を開けたが、吐いたはずの息を温い何かで戻された。
(舌? 舌?)
初春の身体が強張って硬くなる。
他人の舌が自分の口の中にあるって、おかしい。
口内には唾液があるのに、垣根は平気なのだろうか。どうか平気であって欲しかった。初春がそうだからだ。むしろ、垣根のものだったら飲み干せる自信すらあった。
でも、その前に初春が飲み込まれてしまいそうだ。力が身体の芯から抜けていく。
垣根の重さにやられて、初春はカーペットの上に倒れてしまった。頭が痛くなかったのは、垣根が手で庇ってくれていたからだ。
「――――はぁっ」
ようやく口が自由になる。
左右にうろついてしまう目で、垣根を探した。上にいることが分かると、初春の頭の中は沸騰する。
「垣根さん……」
垣根の顔が耳元に寄った。
「 」
――ずっと切望していた言葉を囁かれて、涙腺が緩む。喉がからからになって、返事は出来なかった。代わりに垣根の袖をいっそう強く握った。
「ん……っ」
首筋がちりちりし始める。垣根の歯が当たっているのだ。
垣根は初春の首や鎖骨を音を立てて噛みながら、手でジャージを捲りあげた。
露出したわずかな膨らみに、垣根の手が添えられる。長い指でゆっくり揉まれた。
「あ、う。ごめんなさい、ちっちゃくて……」
「そんなことねーよ。世の中にはお前くらいのが好きな奴だっている。俺とか」
涙の向こうで垣根が笑っている。
妖艶で、大人っぽい。
「興味ないってぁ、んっ、言ってた、ん、くせに」
胸の突起に吸いつかれて、びくつく。垣根の髪が膨らみの上を滑ってくすぐったかった。
(……あ、電気)
垣根の髪の色で、部屋の中が明るいことを思い出した。
初春の見た本の中では、初春が体験しているような光景はいつも暗闇の中にあった。
だがせいぜい午後四時を回ったところだろう。電気は元から点けられていないから、暗くしようがない。
だから初春の肌の色や身体の形は、全てありのまま垣根に晒される。
これから起こることを先読むと、羞恥で気がおかしくなりそうだった。それでなくても頭はくらくらしている。何か、垣根に話しかけないともたない。
「あ……っ、あの、ぁっ! 垣根さん、おいしい、ですか?」
垣根は赤ちゃんみたいに初春の胸を扱っている。ときどき突起の天辺を舌で掬うのが、動物がミルクを舐めるようだった。
「ああ、美味いよ」
「そ!? そうですか……」
やばい。予想以上に素直だ。自分で質問したくせに墓穴を掘ってしまった。
「ひゃっ」
今度は指で弄くられて、初春は身をよじった。
膝を閉じて、そこで、下半身に違和感を覚える。
股の間が濡れていた。雨水の名残ではない。だが確かに液状のものが太ももと太ももを繋いでいる。もじもじと動かすと粘り気があった。
「何だよ。早く触って欲しい?」
「え、いや、あの、これは」
「どれ」
「あ……っ!」
ズボンのゴムの下を簡単に通り抜けて、垣根の手がそこに当てられる。
割れ目にそって、彼の指が上下に往復した。
くちゅ、と変な音が漏れて、初春は死んでしまいたくなる。
「顔を隠すまで恥ずかしがることはねえよ。普通の反応だろ」
「だって、だってだって、汚いし」
「好きな女のは汚くねえんだ。覚えとけ。何の役にもたたねえけどな」
初春が自分で触ったことがない場所に、垣根の指が少し潜った。
「あ! ぁっ、や……っ。あ」
優しくかき回しながら、だんだん奥に侵入してくる。
垣根の皮膚の質感が、とても深い場所から伝わってくる。
ぞくぞくと変な寒気が背筋に上った。
「垣根さっあ、んんっあぁ」
ずるずるとゆっくり抜かれる。
惜しかった、もっと居て欲しかった、と思っていたら、また入ってくる。引き止めたくて下半身に力がこもった。
「初春」
初春が銜えていないほうの手で、垣根が額を撫でてきた。
彼は初春の前髪を横に避けて、顔中に口付ける。流れている涙を唇で拭ってくれる。
「……ベッドに行こうな」
垣根が指を抜いた。一緒に中から液体が押し出てきた。
初春は小さく頷いた。
垣根が連れて行ってくれるなら、きっとどこにだって行ける。
雨が窓を打っていた。オープンカフェを出てから随分経つというのに、止む気配が全くない。
掛け布団を剥いでゆっくり起き上がると、下っ腹につんとした痛みが走った。
こらえて、初春は枕元に脱ぎ捨ててあったジャージを被る。
裸はやはり恥ずかしい。
横で転寝している垣根も何も着ていないのだが、赤信号みんなで渡れば怖くないみたいに上手くはいかない。
(第二位でも、疲れて眠ることなんてあるんだ……)
静かな寝息を立てている垣根の頭を撫でる。それはそうだ。垣根だって人間なのだから。
初春はジャージのズボンに入れておいた携帯を取った。
果たして今何時なのだろうと思い――瞬間、初春は青ざめた。
夢のような空間から、一気に現実に引き戻される。
携帯画面を開き、一番最初に飛び込んできた文字は新着メール10件。内八件の差出人は白井黒子であった。
「……何て、言い訳すればいいんだろう」
期間限定スペシャルラブリーイチゴチョコパフェが大きすぎて食べるのに苦労した、でも通用するだろうか。