上条当麻と言う人間は。相当に鈍感だと思う。
ほら。今もこうやって。私がずっと視線を送っていても全然気が付いてくれない。
「姫神ちゃん。教科書の128ページからお願いしますなのですよー」
あ。今あくびをした。あれ? そうかと思ったら目を閉じた。
「姫神ちゃん? 聞えていますかー?」
あ。こくり。こくりって。授業中なのに。寝た……の?
「姫神ちゃん!!」
「はい?」
急に大声がしたので少しビックリした。
それから気が付けば。視界の端にピンク色をしたものが上下している。
なので視線をそっちに向けると。むくれた顔をした小萌先生が。腰に手を当ててこっちを睨んでいた。
「何?」
「何じゃないのですよ姫神ちゃん! 今は授業中なのですよ、じゅ、ぎょ、う、ぎゅ、う! 判っているのですかー!」
「小萌先生。そんなに興奮しなくても。今が授業中なのは判っている」
そう答えると。小萌先生の顔が髪の毛の色と同じ位ピンク色に染まる。
「判っているならちゃんと返事をして下さいなのですー!! さあ姫神ちゃん教科書を持って!! 128ページから読んで下さいなのですよー!!」
やっと小萌先生が興奮している意味が理解出来た――そうか。私は指名されていたんだ。
そう気が付けば。教室中の視線が全て私に集中していた。
(皆が私を見ている)
そう意識すると途端に顔が熱くなって来た。
私は慌てて教科書を手に取ってページをめくる。
そしてその合間にチラッと視線を彼に向けてみた。
(寝てる……)
相変わらず彼の関心の中に私は居ない様だ。
私は君にこんなに関心を持っているのに。
失礼だと思う。本当に。本当に。
放課後。
彼に不平不満をぶつけようと待ち構えていたら。彼は土御門君と青髪君に連れて行かれてしまった。
暫く呆然と立ち尽くしたが。多分彼は直ぐには帰ってこないだろう。
ならば作戦変更。
「あいさ、いらっしゃい。さぁ、あがってあがって♪」
暇を持て余していたのだろう――この学園都市(まち)に来て2番目に友達になった。インデックスと言う名前の少女が嬉しそうに出迎えてくれた。
綺麗な銀髪に綺麗な青い瞳をした外国の少女は。何時も真っ白な修道服を着ているから。多分。修道女なのだろう。
私が胸から下げている十字架も彼女がくれたものだ。
それにしても。この少女は何故。彼と一緒に暮らしているのだろうか?
「どうしたの、あいさ? 変な顔して」
「あ。何でも無い。それより今日来たのは――」
訪ねた訳を説明をしようとした時。何かが足元を走り抜けて行った。
「スフィンクス!?」
そう名前を呼ばれた三毛猫は。一度だけ振り返ると私が来た方向――エレベーターのある方に向かって走って行ってしまった。
「あ、こら、また逃げだして! 駄目なんだよ!」
そう叫びながら彼女が飛び出して来た。
そしてそのまま猫を追って居なくなってしまった。
暫くまた呆然とする私。
「おじゃまします」
取り合えず。留守番も兼ねて中で待たせてもらう事にした。
相変わらず雑誌やら。食べ散らかしたスナック菓子の袋やら。台所には洗っていない食器がそのまま置かれている。
以前から少女の生活能力が壊滅的だとは知っていたから特には驚かないが。これはちょっと酷いので。申し訳無いが片付けさせて貰おう。
雑誌は本棚へ戻す。
ゴミはゴミ箱に捨てる。
食器は洗って。水気を取って食器棚に仕舞う。
「よし」
ひと仕事を終えて一息つく間も無く誰かが帰って来た。
「ただいまぁ」
彼だ――待ちに待った相手が帰って来た。
早速出迎えようとした所で。私の中にふっと悪戯心が芽生えた。
そのまま私は玄関に向かう。
彼はまだ靴を脱いでいる所だ。
(大胆になれ。私)
私は大きく深呼吸しながら自分自身に気合を入れる。
そして。おもむろに下げられた彼の頭を抱きしめた。
「お帰りなさい」
「ただいまインデ……」
彼の声が途中で凍りつく。
それ以上に。私の心が凍りついたのは言うまでも無い事だった。
「彼女とは何時もあんな事を?」
お互い座って開口一番に私がそう切り出すと。彼は視線をさ迷わせながら。引き攣った頬を指でかいた。
「いや……ま……」
「否定しないんだ」
「あ、い、いやぁ……」
「やっぱり。否定しないんだ」
私はムカムカしていた。
ひとの気も知らないで惚気やがったなコイツ。
私はテーブルを避けて這って回り込むと。彼の肩をドンと押してやった。
「うおわっ!?」
案の定彼は苦も無く床に転がった。
そのお腹の辺りに私は馬乗りになる。
「ひ、姫神ッ!?」
彼の声が驚愕に裏返る。
おかしい。私はこんな事をする為に来た筈では無いのに。
でも私は止まらない。
太ももの辺りに彼のお腹の感触を感じる。
彼の胸に掌を当てると。固い感触と共に彼の力強い鼓動が感じられた。
早鐘を打つようなとはこの事か。
きっと。私も。同じ位ドキドキしている。
私はそのままグイッと体を前に倒す。
すると長い髪がサラサラと滝の様に彼の顔に落ちて行く。
そして。私はそのまま更に上体を倒すと――。
「ひめ」
まだ何事か言う彼の唇に自分の唇を押し付けた。
ひくんひくんと彼の体が小さく跳ねた。
一度。唇を離して彼の瞳を覗き込んで見る。
「なん……で……?」
唖然としてそんな事を聞いて来るなんて。君はどこまで失礼なのか。
私は苛立ちに任せてもう一度口づけをした。
今度はさっきよりも無遠慮に。考えうる限り生々しく。
まずは押し付けた唇を。首をねじって押し付けて彼の唇を割る。
そしてこちらも唇を開くと。重力に従って口の中に溜めこんだ唾液が彼の中に流れ込む。
「う゛」
そこに私の舌も一緒に潜り込ませて。彼の舌を抑え込む。
「う゛、こ」
彼が呻き声と共に私の唾液を嚥下する。
ゴク。ゴクと音が聞える度。私の内側から何かがせり上がって来る。
「どう? これで判ってくれた?」
唇を唾液まみれにして荒い息を履く彼を見下ろす。唇を離した私はまずそれを彼に聞いてみた。
すると彼は。
まずこちらをチラリと見た。
その視線が不意に外される。
「ごめん」
その瞬間。私の中で何かが砕け散った様な気がした。
今。何処かの公園のブランコで揺れている。
そして。その隣にはあの子――インデックスが私と同じ様にブランコに乗って揺れていた。
そんな彼女の左頬が赤いのは。私が頬を打ったせい。
正確には彼に向って振り下ろした。それを彼女が代わりに受けたのだ。
そして私の左頬が赤いのは彼女に打たれたせい。
そして。彼女に手を引かれるまま。気が付けばここにいた。
「私。駄目だね。やっぱり彼の側にいる資格が無い」
冷静になって考えれば。私が彼にした事は全部ただの我がままだったのだと判る。
もう彼に合わせる顔が無い。
もう駄目だ。消えてしまいたい。
「それは無理かも」
「え?」
まず私はその言葉に我が耳を疑った。
そうしてから慌てて横を向く。
「資格が有るか無いかはとうまが決めるんだよ。あいさが駄目だって、無理だって決めたって……とうまが諦めなかったら無理なの」
「それは。そう。だけど……」
だけど。
「彼。ごめんって言った」
自分でそう言ってズンと心が重くなった。
彼女から視線を前方に戻す。そして地面をじっと眺めた。
その視線の先に影が出来た。
「あいさ」
「何?」
呼ばれたので心無く返事を返した。
すると彼女は公園の入口の方を指差した。
その仕草。意味は理解出来なかったけど何かが私の心をかき乱す。
(まさか)
そして。彼女の指差す先。その人物はまるで示し合わせたように現れた。
「姫神!! インデックス!!」
馬鹿げている。本当に。本当に馬鹿げている。
息を切らして彼が目の前に立っても何か信じられない気がした。
「さ、探したぞ、姫神っ」
「ごめ……ん。なさ……い」
急にのどがひり付いて言葉が上手く出ない。
そもそも頭も回らないから喉がまともだったとしても何も言えなかっただろうけど。
そんな時だった。
「あいさ」
言葉と共に髪を引かれる感じがしてそちらに振り返った。
無防備に。まさか彼女にキスされるなんて思わなかったから。
「!?」
「な、何やってんだインデックス!?」
ギョッとしている間に柔らかい感触は直ぐに離れた。
「私だってとうまにキスした事なんてないんだから」
「おいちょっと待てよインデックスさん。カミジョーさんすっかり置いてけぼりなんですけど……」
何か雑音が煩いけど。今。彼女は何と言った?
彼女は。まだ。キスをしていない?
と言う事はもしかして……。
「私が? 彼の?」
「知らない。でも、私はとうまとはしてないのはまぎれも無い事実なんだよ」
チョット不貞腐れた感じに言う彼女が何だか可愛らしく見えた。
「ごめん」
「謝ってる割りに嬉しそうなんだよ」
「そ。そうかな」
私は自分の頬に手を当てた。
ちくっと痛んだのは先ほど頬を打たれたせいだろう。
でも。熱いのはきっと違う。
私は彼がもっと進んでいるものと思っていた。でも。本当は違っていた。
そんな私の目の前に掌が差し出される。
視線を上げれば。
「えっと、ぅ……、な、何だ、そのぉ……帰ろうか?」
彼は困った様な表情をしていたから。
「迷惑だった?」
彼は何と答えるだろう?
けど。答えを貰う前に手を掴まれて引き立たせられた。
そのままポンと彼の胸の中に収まる。
ああ……。遠い記憶では何度も味わった気がするのだけど。意識してこうされるのは初めてかもしれない。
「(迷惑なんかじゃねえよ)」
「え?」
今度は本当に聞えなかったから聞き返したのだ。
なのに君と来たら。
「インデックス」
今度は頬を膨らませている彼女に掌を差し出しているのだから。
「この。女の敵」
至近距離から脛を蹴ってやった。
「ぐあ!? 何をするんですか姫神さん」
「何をするかじゃ無い。君は。一度女の子で痛い目を……いや。これ以上ライバルが増えても困るからいい……」
ふふ。本当にどうしてやろうかこの野郎。
「げっ!? 姫神の顔に深い陰影が……!?」
「(あいさ、あいさ)」
「何?」
いつの間にか回り込んで来た彼女が何か呼んでいる。
「(面白い事を思い付いたんだよ)」
彼女はとってもとっても悪い顔をしていた。
だから私は一も二も無く彼女の言葉に耳を傾けた。
「それで一体全体何故俺は縛り上げられて下半身丸出しなんでせう?」
ちょっと2人掛りで隙を突いて彼を縛り上げた。
案外ちょろい。思わず笑ってしまうくらいだ。
「ふふふ。知りたい?」
「いや全然知りたくないしその前に縄を解いてズボンをはかせて欲しいのだが?」
「駄目なんだよ。それじゃあ何のためにとうまをこんなにしたんだか判らないかも」
「インデックスまで!? つかもう聞きたくないけど何をするつもりなのかおし……何で2人とも服を脱いでるんですか!?」
「「知りたい?」」
「いや知りたいとかそんなんじゃ無くてこの話は何と無くいい感じに終わるんじゃなかったのかッ!?」
「ありえない」
「幻想だね」
私と彼女は目配せしあってにっこり微笑む。
一方。彼は顔をあんなに引きつらせて。
「ふ、不幸だああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
まだ泣くには早いと思う。
おわれ