黄泉川家一日目
何のかんのとあった挙句、学園都市における保護者の家に身を寄せることになった一方通行と打ち止め、そして番外個体。
横の二人が勝手に出て行ったことに関して怒られたり、無事帰ってきたことを歓迎されているのを横目に見ながら、ほんの少しばかり居心地悪い思いを番外個体は噛み締めていた。
あっさりと自分を受け入れる、黄泉川愛穂と芳川桔梗という二人の保護者。第一位と最終信号の保護者をやっているだけあって、その度量は大きい、らしい。理解に苦しむ人間達だ、と彼女は思う。
しかし、番外個体はそんなことを考えている場合ではない、ということを、早急に自覚しなければならなくなった。
ひとまずご飯にしようとなったところでそれは起こった。
「あ、でもうちのダイニングテーブル、椅子は四つしかないじゃん」
「じゃあリビングで食べる? それとも部屋から椅子持ってきましょうか」
「ミサカはこの人に抱っこしてもらえば良いから大丈夫だよ、ってミサカはミサカは断言してみたり」
缶コーヒーを飲む彼も、肯定するかのように頷いた。それじゃあ食べにくいし――大丈夫だろ――やっぱりお行儀がね――。結局リビングで食べる、ということに落ち着いたが、二人の反応も、その保護者の反応も、何かがおかしい。
『抱っこすれば良い』そういう問題か?
そして入浴のとき。番外個体は骨折しているため、入浴には誰かの介助が必要だ。
「じゃあ私が一緒に入るじゃんよ」
「それなら、最終信号とはわたしが入れば良いのかしら」
「ミサカはこの人と一緒にお風呂に入るから平気だよ、ってミサカはミサカはヨシカワを安心させてみたり」
「オマエ、風呂ン中でまた暴れンじゃねェぞ」
「――ちょっと待って!」
番外個体は慌てた。今、ナチュラルに第一位と最終信号が一緒に入浴することが決まったが、果たしてそれは良いのだろうか? 小学校高学年の女児と、高校生男子が一緒にお風呂、というのは、そろそろアウトなのではないか?
しかし、番外個体の良識は、この家では通用しない。
「? どうしたんじゃん?」
「え、だって第一位と最終信号が一緒にお風呂、って――」
「何か問題でもあるのかしら?」
「え?」
「今日はミサカがあなたの背中を流してあげるねってミサカはミサカはあなたに飛びつきながら宣言してみたり」
「そりゃどォもォ。じゃあお返しに頭洗ってやンよ」
「本当に本当に?! ありがとうってミサカはミサカは早速お風呂に向かってダーッシュっ!」
「転ぶなよォ」
番外個体の困惑を余所に、第一位と最終信号はじゃれあいながら浴室へ向かう。保護者二人も特に疑問は抱いていないようだ。
「…アレ?」
――もしかしてこのミサカがおかしいの? 番外個体は一人首を傾げる。そもそも、二人の発言からして何度も一緒に入浴したことがある雰囲気ではなかったか?
自分の常識が正しいのか。この家の住人の常識が正しいのか。番外個体は一人で悩み続ける。
そして就寝時のこと。
「番外個体はどこで寝る?」
「打ち止めと一緒でとりあえず良いじゃん?」
「うーん。ミサカはどっちかって言うと一人で寝たいから、百歩譲ってソファーでも良いけどね。ちびっ子突き落としてベッド独占するのってあり?」
きゃらきゃらと笑う番外個体。しかし、その笑いは、打ち止めの放つ一言によってあっさりと凍りついた。
「番外個体はミサカのベッドで寝ても良いよ、ってミサカはミサカは許可してみたり。ミサカはこの人と一緒に寝るから心配しないで、ってミサカはミサカは説明してみる」
「…は? へ?」
一緒に寝る? 番外個体の脳が重い音をあげてその情報を処理している間に、打ち止めは一方通行の腕にしがみついた。よくよく見ると、二人のパジャマは色違いだがお揃い、らしい。
「枕一個しかねェぞ」
「あなたが腕枕してくれるから大丈夫、ってミサカはミサカは暗におねだりしてみたり」
「腕痺れンだよなァ…」
「ええ、ダメ? ってミサカはミサカはしょんぼりしてみる」シュン
「…ダメ、とは言ってねェだろォが」デコピン☆
「意地悪なのか優しいのか、どっちかにして欲しいかもってミサカはミサカは額をおさえながら呟いてみたり。じゃあ皆、お休みなさーいっってミサカはミサカは元気に挨拶してみる!」
「おやすみじゃんー」
「おやすみなさい」
イチャコラしながら消えた二人。何事も無かったかのように、保護者二人はお茶を啜っている。
「ねえ…アレ、いいの?」
「何が?」
「だから、第一位と最終信号が一緒に寝るって、アレ」
ああ、アレね――と保護者二人は頷きあった。
「別に、仲良きことは美しき哉ってことで良いんじゃないかしら」ズズズー
「そうそう、二人ともまだ子どもだから、気にすることないじゃん」ズズズー
「でも」
「さすがに手を出しちゃうのはまずいような気もするけど、あの子のことだから、最終信号が嫌がったらしないでしょうし、無理はさせないでしょうしね」ズズズー
「ま、黄泉川さんとしては、合意の上でかつきちんと避妊さえしてくれれば許すじゃんよ」ズズズー
「そもそもあの子が手を出すなんてこと、まだまだないと思うけどね」ズズズー
「そうそう。あ、桔梗、煎餅いる?」パリポリ
番外個体は納得した。この家では自分の常識は通用しないらしい。常識が通用しないのは、何処かの冷蔵庫くらいでいて欲しいものである。
黄泉川家三日目
打ち止めは一方通行の膝の上で、何かの本を読んでいる。今日も今日とて、平和な日々はまったりと過ぎていく。
しかし番外個体のストレスはマッハだった。いちいちいちいちベタベタイチャイチャしている二人と同じ空間に置かれ、誰一人としてツッコミを入れない。それは意外と苛立つものである。
「…ねぇ」
ついに意を決して、番外個体は第一位に声をかける。
「べっつに第一位の性癖が何であっても気にしないけどさ、ロリコンペド野郎。見せられ続けるこっちの気にもなって欲しいんだけど。うざい」
「「?」」
「心底わけのわからない、って言う顔をそろってしないでもらえるかな。ミサカのストレスけっこうヤバイんだけど」
魂の抜け出しそうな溜め息を吐いたところで、目の前の二人に効果はない。もぞりと動くと、打ち止めは一方通行に向かい合うようにして彼の膝の上に座りなおす。
「…あなたはロリコンさんだったの? ってミサカはミサカは首を傾げてみたり」
「ンなわけねェだろ。つーかオマエ以外の女に興味ねェし」サラリ
「もう、あなたってば昼間から大胆なのねってミサカはミサカは真っ赤になってみる」/////
「だ・か・らっ! 第一位が最終信号とベタベタしてる光景がミサカ的にロリコンペド野郎にしか見えねぇから慎めっつってんだろーがクソったれがぁああああああああっ」
びっしいいいいっ、と人差し指を突き立てて、番外個体は絶叫する。決まった。さすがに自分達が批判の対象になっていることを理解した二人、痛くも痒くもないといった様子の一方通行とは違って、打ち止めの方は若干傷ついたらしい。
「っ! ミサカのせいであなたがそんな風に見られるなんて、ミサカはミサカはショックを隠せない」ショボン
「気にするな。俺はオマエのためなら、ロリコンだのペドだのっつった汚名だって甘ンじて受けてやらァ」フッ
「あなた…っ! ってミサカはミサカは感動してみる」ジーン
「バーカ。当然だろォ」
「ミサカ、あなたがそんこと言われないように、早く大人になるね、ってミサカはミサカは誓ってみたり」
「別にオマエはオマエのペースで成長すりゃ良いだろォが」
「ありがとう、ってミサカはミサカはあなたにぎゅっと抱きついてみる」
「礼を言われるようなことじゃねェよ」ナデナデ
「ふふふー。あ・な・た」
「…クソガキィ」
「そこおおおおおおおっ!良い話にしてんじゃないっ!そして抱きつくなキスとかしようとしてんじゃないっ!」ゼェハァゼェハァ
効果はゼロだった。どっと疲れた。罵倒も挑発も煽りも、バカップルには効果がない。しかしそんな番外個体の苦労を慮ることなく、二人はソファーの上でいちゃいちゃし、あまつさえどこか親のような視線を彼女に向けている。
「番外個体にはちょっと早かったかな? ってミサカはミサカは姉としての余裕をみせてみる」フフフ
「ナリはアレでもオマエの妹だしなァ、製造番号順に考えて」ウンウン
「え、どっから突っ込み待ちなの? ってミサカはいいかげんテメェら死ねば良いのにという思いを隠せないよ」
黄泉川家七日目
そろそろ馴染んだ味となった胃薬を今日も服用する。そんなことから一日が始まることになるなんて、ロシアであの二人と対峙したときからは思っても見なかった。
番外個体をそのようにした原因の二人は、今はテレビを仲良く見ている。知ったこっちゃない。
いちいちいちいちイチャイチャイチャイチャしてパステルピンクの空気を放ち続けている二人に、心身ともにストレスを溜め。
ミサカネットワーク内に溢れる、(バカップル死ねばよいのに、と(リア充は爆発すべきです、と(鬱陶しい滅びろ、と(いちいち報告イラネ、と(デレ期一方通行マジうざい、と――と言った怨嗟の声に、憎悪と悪意を溜め。
ついにそれが溢れ出したのは、二日前のことだった。
「あひゃひゃひゃひゃっ! ミサカ、もうあなたを殺さずにはいられないみたい。死ね、第一位っ!」
「っ、」
ロシアで決意した通り、一方通行はクローンに攻撃することをなるべく忌避するように行動している。突き出されたナイフを間一髪避けたが、つ、と服の繊維が僅かに飛んだ。
「いきなりどうしたの?!ってミサカはミサカは慌ててみたりっ!」
「胸に手ぇ置いて考えろクソ上位個体!」
華麗な動作で番外個体のナイフを弾き飛ばした一方通行。それに対し、電磁波を発生させて番外個体は電極に一瞬のバグを発生させる。コンマ一秒にも満たない、ほんの少しの動作の乱れが、命取りとなる。
床の上に転がされた少年に、嘗ての暗殺者は俊敏な動きで近付いた。
「 死 ね 」
「やめてええええええっってミサカはミサカはわって入ってみるっ」
上位個体命令文を飛ばして、番外個体の動きを阻害することに成功した打ち止めは、両者の間に飛び込んだ。番外個体から庇うようにして、彼女は倒れている一方通行にしがみつく。
「大丈夫、あなた? ってミサカはミサカは気遣ってみたり」
「大丈夫だ。心配いらねェ」
「待って、今すぐマウス・トゥー・マウス方式であなたにミサカの愛を注入するから、ってミサカはミサカは「それ一般的にはキスって言うんだよクソったれがあああああああっ」
そして思わず、番外個体は禁忌を犯す。彼女の銃口は、まだ幼い少女に向けられた。撃つつもりは全く無かった。
しかし。
「?!」
キン、と音がして、番外個体の髪の毛が数本千切れた。彼女の真横を先ほど彼女が落としたナイフが飛んだのだった。全てのベクトルを制御下においた少年はゆるりと立ち上がる。
「さて――」
歪んだ笑みを浮かべた白い悪魔。その背から、人間には異質な翼が噴出する。
「覚悟はできてンだろォなァァあああああああ?!」
「ひ、」
恐怖が番外個体の心を塗りつぶす。床の上にへたり込んでしまった番外個体は、動くことさえできなかった。ギラギラとした瞳が彼女をとらえる。殺される、という予感がぎちぎちと彼女を押し潰す。
殺される。白い悪魔が、ゆっくりと彼女に近付いてくる。その一歩が、彼女の命が終る瞬間へのカウントダウンだった。
だが、運命はまだ彼女を見捨てはしなかった。
「ミサカは大丈夫だから、ってミサカはミサカはあなたに抱きついてみるっ! あの子を攻撃しちゃダメっってミサカはミサカはあなたを制止してみたり」
その恐怖の対象に、何の躊躇いもなく少女は飛びついた。彼女の言葉を受けて、途端に彼は大人しくなる。
そして更に保護者二人もその場に乱入する。
「はいはい、私の家を壊すなじゃーん」
「あら、それが噂の羽? 初めてみたけど興味深いわね」
そうこうしているうちに勢いがそがれたのか、彼の背中から噴出していた翼の勢いが緩やかになった。
「あら、もうその羽しまっちゃうの? もう少し観察させてくれれば良いのに」
「いやいや、家が壊れる前にしまってもらわないと困るじゃんかよ」
「なら出てるうちに、一緒に空を飛んでみたいかもってミサカはミサカは興味津々!」
「チッ、仕方ねェなァ。しっかりつかまってろよォ?」
「わーい、行って来まーすってミサカはミサカはぎゅっ!」
「おう、お空のデートに行ってらっしゃいじゃーん。ご飯までには帰ってくるじゃんよー?」
打ち止めをお姫様抱っこした一方通行は、そのまま窓から空に躍り出る。そのまま二人は上空500メートルのデートに出かけてしまった。愛の飛行である。
結局そういうオチなのか。がっくりと力の抜けた番外個体は、再び崩れ落ちた。
「うーん、あの子に気を使わせちゃったみたいね」
芳川はへたれこんでいる番外個体を支え起こしながら、窓の外に小さくなった二人を目を細めて見送った。
「…どういうことなの? ってミサカは意味がわかんないんだけど。単にデートしたかっただけじゃないの?」
「あんな戦闘もどきがあった状態で、キミとあの子が一緒にいるのはいつも通りに振舞うのは難しいでしょう? ワンクッション入れるための措置でしょうね」
「ま、デートしたかった、ってのも否定できないじゃん」
カラカラと笑う黄泉川に、芳川は肩を竦めて見せた。あのお子ちゃまは、どうやら自分や第一位よりも何歩も先を行っているらしい。
とりあえずこの日、番外個体は学んだ。――あのバカップルには、手を出してはいけない、と。
故に、自分自身で溜め込んだストレスと、ミサカネットワークで溜め込んだストレスを発散する術を見失った番外個体の歪みは、彼女の胃を襲った。
生まれてからまだ一月もたたないのに、既に胃薬を手放せなくなりつつある自分が悲しい、と番外個体は思う。
心配して気を使ってくれる最終信号と第一位の気持ちはありがたくないわけではないが、そんなことならもっと空気読め、と思わずにはいられない。
そんなわけで、平穏な日常が破られて、再び怒涛の戦いの日々に突入したときに、番外個体はほんの少しだけ嬉しくなったのだった。
おわり。