雨。  
 空から水滴が降ってくるというただそれだけの気象現象が、人間の生活に及ぼす影響はとてつもなく大きい。  
 まず人は水を飲まなくては生きていけない。そしてその水は川や井戸から確保する訳だが、その大元は大体雨水だ。  
 言うまでもなく作物の育ち具合にも降水量は関与する。  
 他にも炊事、洗濯、掃除と、水を必要とする生活動作はいくらでもある。  
 雨。それは生命の営みと切っても切り離せない、天上からの贈り物なのかもしれない。  
 まあ、今現在重要なのはそんなたいそうなことではなく。  
 楽しみにしていたお出かけ(デート)が、急などしゃ降りでお流れになってしまったという事実だけだった。  
 上条当麻は曇天を見上げるのをやめ、室内に視線を移す。  
 そこにはベッドがあった。  
 自室である。  
 本来なら自分の領地であるはずのふかふかエリアは、ただ今絶賛侵略中だった。  
「……………………、」  
 目につくのは鮮やかな金色。ゆるく波打つブロンドがベッド上に放射線を描いている。その隙間から覗くのは、『慣れないおしゃれとかすごくがんばってみました!』って感じのフリフリワンピースを着た一人の少女がうつ伏せに寝転がっている姿。  
 豪雨が降り始めてからかれこれ三時間、ずっとこの状態だ。  
 ふて寝である。  
 超ふて寝だ。  
「……だから別の場所に行こうぜって言ったろ?」  
 上条はこれで何度目になるか分からない台詞を、金色の侵略者に向けて告げた。   
 帰ってくるのは変わらない沈黙。岩か壁か、あるいは人形にでもなったかのように、少女はピクリともしない。  
 まあ、無理もないか、と上条は思う。少女が今日のお出かけをどれだけ楽しみにしていたかは、ここ数日のはしゃぎ様を思い返せば歴然だ。  
 補足しておくと、テンション高く跳ね回っていたとかではない。ただ少女の“喋り方”は本音を隠すのにまるっきり不向きで、そこから心情を汲み取った結果、はしゃいでいた、という表現になったのである。  
 ツンツン頭の少年はベッド脇に腰を下ろし、  
「サーシャ」  
 呼びかけると、少女の肩が少しだけ動いた――気がした。  
「いいかげん機嫌直せって。そりゃ俺も残念だ。でもだからって、せっかくの休日をふて寝してすごすのはもったいないだろ? ほら、地下街とかなら雨でも大丈夫だろうから――」  
「第一の回答ですが」  
 さえぎるように、少女の声。  
 見ると、伏せていた顔がわずかに角度を変え、蒼い瞳が上条の方を向いている。  
「私はすねてなどいません」  
「……すねているやつは大抵そう言うよ」  
 ようやく聞けた声に、しかし上条はため息をもらさずにはいられなかった。が、少女――サーシャ=クロイツェフにはそれが気に入らなかったらしい。  
 言葉が重なる。  
「第一の回答を繰り返しますが、私はすねてなどいません。ただ何週間も前からカレンダーをチェックして、本国から大量に送られてくる服の中からせめてマシなものを選ぼうと連日連夜試行錯誤して、  
やったことのないメイクも練習して、基礎体温まで確認して臨んだ今日という日の予定が天変地異で崩れてしまったことに対し、五体投地で無念と抗議の意を表明しているだけです」  
「……ひねているやつは大抵そう言うよ」  
 結局ため息の数が増えてしまったのは、互いにとって望ましくない結果だっただろう。  
 ようはこの娘、説明好きなのに説明下手なのだ。  
 おまけに天邪鬼。  
 わかりやすいにもほどがある。  
 
「さて」  
 せめて自分だけでも気持ちを切り替えよう、と上条は腰を上げる。  
 サーシャはてこでも動きそうにないし、雨も上がる気配すらない。そろそろ昼食にちょうどいい時刻にさえなってきたので、何か作らなければならないだろう。もともと今日は昼も夜も外食するつもりだったから、冷蔵庫の中身はやや心もとないが。  
「あの」  
 という所で、ふて寝少女が口を開いた。  
 上条は、くるり、と体を向けなおし。  
「なんだ?」  
「……第一の回答を更に繰り返しますが、私はすねてなどいません」  
 言いながら、雪のように白い肌が次第に紅潮していく。  
「うん」  
「補足しておきますが、それは今日という日を楽しみにしていなかったという訳ではなく」  
「わかってる」  
「更に付け加えますが、むしろ期待値が高すぎたがために私は今こうしているのであって」  
 ちらちら上条の目を見ながら、伏せた腕に顔を隠しながら、ぼそぼそと言い訳を続ける金髪少女は、端的に言ってすごく可愛い。  
 もうちょっと見ていたいので、要領を得ていないなぁとは思いつつ、先を急いたりはしない上条である。  
「だから、その」  
「うんうん」  
「…………第一の……うう」  
「なになに?」  
 突っ伏してしまったサーシャの声を聞き逃すまいと、再びベッド脇に膝を着き、耳を寄せる。  
 子鹿のように震える姿が愛しくてたまらず、思わずあちこち撫で回したくなるが、ここはガマン。  
 赤い修道服を脱ぎ捨てた一人の少女は、蚊の鳴くような声で、こう言った。  
 
「第一の……本音ですが、………………やっぱりさみしいので、かまってください」  
 
 上条は素敵なスマイルで答えた。  
 確かに予定とは違ってしまったが、部屋デートだって悪くないだろう。自室なら自室なりのいちゃつき方というものがある。  
 やわらかく小さな体を抱き寄せながらベッドに上がる。  
 昼食のことなんて、二人とも頭から抜け落ちていた。  
 
                      ◇ ◇ ◇  
 
 その頃、天界では。  
「問一。なぜ大雨まで降らせてデートの邪魔をしたのに、あの二人はラブラブオーラを出しているのか」  
 水の大天使様が静かにご立腹中だった。  
 
 
 
 
 

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