新旧様々ながらことごとく全壊、もしくは半壊した構造物群。そんな瓦礫の山の間に広がる雪原に、ポツンと赤い点が見えた。  
 大きく旋回した年代物の軍用ヘリコプターは、機首をそちらに向けるとゆっくりと高度を下げて行く。  
 それにつれて赤い点はやがて人の形となって行く。  
 やがてローターの風が雪を舞い揚げる程近付くと、赤い人物の隣に立っていた豪奢な身なりの少年は、厚手の外套と頭に乗せたケープが巻き上げられない様に押さえるのに必死になる。  
 そんな姿を横目でチラリと見た赤い人物――ワシリーサは鼻の下を指で擦って鼻血の有無を確認して、  
「よし、大丈夫」  
 今まさに着陸姿勢に入ったヘリコプターに視線を戻した。  
 あそこには愛しい人が乗っている。そんな相手にいきなり鼻血でお出迎えと言うのは、流石のワシリーサでもちょっぴり気にしてしまうのだ。  
(それにしても)  
 と、またチラリと隣……ロシア成教の総大主教、クランス=R=ツァールスキーのおたおたする姿を見てしまうと十指をわきわきと動かさずにはいられない。  
(う……抱きしめたい抱きしめたい抱きしめたい抱きしめたい抱きしめたい抱きしめたい)  
 そんな欲望との葛藤のさ中、ヘリコプターがその自らの重量で脚を軋ませながら着陸した。  
 そして待っていましたとばかりに胴体部分の扉が開いた――と次の瞬間、  
「あっ!?」  
 フランツのケープがついに宙を舞った。  
 それを追う様に背中を向ける少年。  
 その華奢なシルエットが雪原を転げる様な姿に、  
「もう我慢出来なーい♪」  
 野獣の目をしたワシリーサが猛然と飛び掛ろうとした。  
 かぎ爪の様に曲げられた両の指が少年の背中に迫る。  
 だが、ワシリーサがクランツを捕まえたと確信した直後、ゴンと言う衝撃と共に視界が俄かに揺れた。  
 それは実際にも金属質の鈍い音がした様で、その音が耳に届いたクランツが驚いて振り返る。  
 そして、その目の前でワシリーサの後頭部からL字型のバールが雪の中に落ちた。  
 キョトンとするワシリーサ。  
 続いてすっくと直立の姿勢に直るとポーズだけ自分の頭をなでた。  
 撫でながら口元が緩んで来てしまう。  
 長い様で短い様で、でも相変わらずで何よりだ。  
「第一の質問ですが何をしているのですか? 補足説明しますと、そちらにいらっしゃるのは総大主教では有りませんか。その背後から襲いかかろうなどと……あなたは何をトチ狂った真似をしようとしているのですか?」  
 そう静かに詰問するように告げたのは、赤いマントにマントに赤いケープを身に付けた金髪の少女。全身をシースルーの服の上から革ベルトで雁字搦めに拘束した姿で、右手にはハンマーが握り締められている。  
 サーシャ=クロイツェフ。ロシア成教『殲滅白書(Annihilatus)』のワシリーサ直属の部下は相変わらず元気そうだ。  
「うふ、うふ、ふふふ」  
 ワシリーサから堪え切れない笑みが漏れ、その不気味な笑みを見たクランツが半歩後ずさる。  
 と次の瞬間、ボンッと爆発する様な雪煙りと共にワシリーサの姿が消えた。  
「「!!」」  
 サーシャも見失った様子でキョロキョロを辺りを見回す。  
 
 と、その頭上から怪鳥の如くにワシリーサが舞い降りた。  
「ッ!?」  
 その事実に半ば驚きながらもハンマーを振るサーシャだったが、その腕をかいくぐる様にしてがら空きの胴と腰にワシリーサの腕が巻き付いた。  
「あっ!?」  
 ふわっと地面を離れた脚にサーシャの口から声が漏れる。  
 更に触れられている部分がもぞもぞとして全身に鳥肌を立てた所で、  
「んんんんんんんんんあああああああああああああ、サぁぁぁぁぁああああアアアアアアシャちゃんんんんんんンンンンンンンンンンンンンンンンンンン!!!」  
「はわわわわわわわわわわわわ!?」  
 感動の抱擁――と呼ぶにはちょっと一方的な背中からの抱きしめに、サーシャはまるで人形の様に翻弄された。  
 そのまま暫しした後、  
「はぁ♪ サーシャちゃん分補給完了☆」  
「だ、第一の発言ですが……、あなたと言う人は……あなたと言う人は……」  
「何かな?」  
 わなわなと震えるサーシャに対して、ワシリーサはあっけらかんと相槌を返す。  
 そしてサーシャを地面に下ろすとくるりと自分に向けさせて、  
「さてと、無事だったのかしらサーシャちゃんは?」  
 そう言って顔を覗き込まれてうっと言葉に詰まってしまう。  
 自分をロシア成教から逃がす為に、目の前のこの女性は世界を敵に回したのだ。  
 そうは見えないから今まで忘れていたが、彼女は命の恩人だった。  
「ん?」  
「だ、第一の報告ですが、ただいま無事に帰りました」  
「ご苦労様でした」  
 そう言われてサーシャは全身がむず痒くなった。  
 何だかんだでいい様にワシリーサにまた操られているではと、心の何処かで警鐘が鳴り響くが、目の前の笑顔になら騙されてもいいかなとも思えてしまっていた。  
 だが、  
「はいはいはーい! 茶番しゅーりょーう!」  
 その言葉と共にパンパンと手が打ち鳴らされる音に、サーシャはハッとしてそちらを振り返った。  
 と、そこに立っていたのは十九世紀頃と思しき古めかしい意匠の全身黄色尽くめの女。  
 キツイメイクにピアスだらけの顔をぐにゃりと歪めると、口の端からだらりと鎖が垂れ下がった。  
 ヴェント。  
 このロシアからサーシャが逃げる手引きをし、  
 ――――私って暗部だからさぁー、やる事も無いし暇だから付き合ってあげるわ。  
 そう言ってここまで付いて来た女は、サーシャに向かって軽く肩をすくめてみせた。  
「あなたがワシリーサね。噂はかねがねジジイから聞いてるわよ。重度のペドなんだって? おーおーそっちにも可愛いガキ侍らせちゃって趣味をしていらっしゃる事でぇ!」  
 まるで出方を伺う様なその言い草に聞いているサーシャがドキリとした。  
 
 だが、ワシリーサの方はと言うと、返事をするどころか視線さえ向けない。  
「私の顔が見れない? あらあらもしかしてロシアの魔女がビビっちゃってんのォ!? ぎゃははは、いいっていいって! 今んところあなたとやり合う気は無いからそんなに怯えなくってもだーいじょーぶよーん♪」  
 今度はあからさまな挑発。  
「第二の質問ですがあなたは何をしようとしているのですか? 補足説明しますとその行動は明らか――」  
 と、サーシャが言った所で手で口を塞がれた。  
 その事にキョトンとしていると、ワシリーサにまた背後から抱きしめられた。  
 そのワシリーサは、サーシャを抱いたままヴェントに向くと、にっこりと笑みを浮かべながら、  
「お礼がまだでしたわね」  
「あ?」  
 何を言い出すのか、とヴェントの顔が若干いぶかしむ表情になった所で、  
「ご、く、ろ、う、さ、ま♪」  
 その言葉は明らかに目上の者が目下の者を敬う言葉。相手がサーシャならまだしも、ローマ正教の最終兵器と呼ばれる『神の右席』に対して余りに無謀では無いか。  
 だが、ヴェントはふむと小さく息を漏らすと、  
「あなた悪意が無いのね」  
「悪意を向けて欲しかったらもう少し有能になる事ねお嬢ちゃん(ディエーヴゥシカ)☆」  
 その言葉を合図に大爆笑した2人はサーシャの目の前で固い握手を交わした。  
「小耳にはさんだんだけど1人でロシア成教ブッ潰したんだって?」  
「ああ、大した事無いわよ。仮にもここの一番張ってたんですから、それ位出来なくっちゃあねえ」  
 言葉とは裏腹に胸を張るワシリーサの姿に、サーシャは隣を歩きながら内心底の知れなさを改めて感じていた。  
 と、ヴェントがおやっと言う顔をして、  
「そう言えばあなたちょっと若返って無い?」  
「第一の同意ですが、確かに」  
 そう言われれば別れる前に比べると肌艶が違うとサーシャも首肯する。  
 するとワシリーサは「ばれたか」と、ぺろっと舌を出してから、  
「これはちょっとチョンボってねぇ。それで身体造り直したの。十八歳よじゅ、う、は、ち。ピッチピチよん♪」  
 そして何をアピールしたいのか、若干自己主張が増した胸――サーシャの目測より――を下から持ち上げてみせる。  
「羨ま……いや厚かましい女だな。あなた後どれ位生きるつもりよ?」  
「世の中に美少女美少年がいる限り!」  
 それにはヴェントとサーシャは唖然としてしまうしかない。  
「いやマジで凄いわ。私には真似できない」  
「そんなに褒められちゃうと照れるなぁ♪」  
「第二の発言ですが褒めていないと思います」  
 そんな事を言いながら一同は、1人ポツンと取り残されていたフランツも仲間に加えると瓦礫の山に戻って行く。  
 地下にはまだ広大な居住空間が残さされている。  
 そしてそこには質素だが温かい食事が待っているのだ。  
 戦勝の、そして新たな戦いの前祝いがこれから始まろうとしていた。  
 
 
 

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