「……不法侵入って知ってるか」  
「ちゃんとお邪魔しますって言ったもん、ってミサカはミサカは頭頂部の痛みに思わず涙目になってみる……」  
 小さめのショルダーバッグを抱えた打ち止めは割とガチの涙を浮かべながらソファに腰掛ける。  
 他人の気配には人一倍敏感なつもりだった一方通行だが、今回は迂闊にも彼女が話しかけてくる直前まで  
その存在に気が付かずにいた。  
(……クソ、平和ボケしやがって)  
「なんでミサカに会うなりそんな疲れたような顔するの、ってミサカはミサカはムッとしてみたり」  
「何でもねェっつの。荷物その辺にでも置いとけ」  
 ずいっと押し付けられる打ち止めの頭を適当に追い払う一方通行の視界に、ふと彼女の髪が映る。  
 普段伸ばしっ放しにしている長い茶髪が、今日はツインテールだった。  
「……」  
「……あ、髪型、似合うかな? ってミサカはミサカはちょっと緊張しつつも尋ねてみる」  
 視線に気が付いた打ち止めが髪の一房をつまみながらこう聞いてきた。  
 何で緊張するのかはよく解らないが、どうやらこちらの意見が聞きたいというのは確かなようなので、  
一方通行は素直に自身の主観を述べることにする。  
 
「似合わねェ」  
 
 その言葉を聞くや否や、顔を真っ赤にしてヘアゴムをむしり取る少女の構図が完成した。  
 
†††  
 
(……なんであの人ってあんなにデリカシーが無いのかなぁ、ってミサカはミサカは嘆いてみたり)  
 打ち止めは洗面所で髪を整えている。鏡に映る自分の拗ねた表情がかなり不細工だったのに慌てて、無理やり  
口角を上げてみた。無論それを見ているのは打ち止め本人だけなのだが、ここは自分の家ではないのだから  
どんな場所でも女の子としての品位を崩してはいけない。  
 ――好きな人の部屋に泊まるなら、尚更である。  
「……クチバのばか、ってミサカはミサカはこっそり八つ当たりしてみたり」  
 打ち止めは童顔の割に背が高い方だ。同級生と比べても身体のつくりは女性としてかなり完成している。  
 だからまあ、同級生たちと違って自分にはツインテールが似合わないと言われるのも分からなくはない。  
「ミサカがもうちょっと小さかったら、似合うのかな……」  
 お姉様譲りの茶髪、すらりと伸びた手足。友人たちに大きいと褒められた胸はお母様に似たのだろうか。  
 同じ容姿でも、お姉様や他のミサカのことなら素直に綺麗だと言える。けれど、やはり自分のことに客観的な  
自信など簡単には持てそうにない。  
 クローンでなくとも、自分の身体に何かと思うところがあるのは年頃の少女なら誰もに共通することだ。  
 一方通行は、自分のことをどう見ているのだろう? 打ち止めにはそれが気にかかって仕方なかった。  
「……、」  
 いつからそうだったのかは分からない。  
 だが、彼女は随分と前に、自分が一方通行に対して家族愛以上の感情を抱いていることに気づいてしまった。  
 これまで歩んできた、同世代の子供より圧倒的に短い人生の中で、打ち止めはあらゆる感情を学んできた。  
 友達と笑い話をすると楽しい。他人に冷たくされると辛い。抱き締められると伝わる体温に幸せを実感する。  
街路樹の桜を美しいと感じる。可愛い子猫を見ると撫でてみたくなるし、逃げられるとやっぱり悲しい。  
 世界は打ち止めに対して、たくさんの色を見せてくれた。  
 だからこそ、どんなに辛く苦しいことがあっても、少女は決してこの世界に絶望しなかった。  
 明るく前向きに生き、そのひたむきな姿は周りの人間の考えをも変えていった。  
 いつしか彼女は、周囲に愛され、世界に祝福される少女へと成長した。  
 そして、彼女もまた、人を愛することを覚えていった。  
 平凡な少女のようにとは言えなくとも――それでも、感情の内側に隠された、恋というモノを知ったのだ。  
「……はう……」  
「いつまで洗面所占領してやがるンだクソガキ」  
「ひゃあっっっ!?」  
 甘ったるい思考に浸って、完全に油断していた背中から掛けられた声に全身を震わせる打ち止め。  
 真っ赤になった自分の頬が鏡に映っているのが途端に恥ずかしくなり、慌てて彼女は鏡越しの一方通行に  
視線を集中させる。  
「お、女の子が洗面所に籠もってるときにズカズカ入ってくるなんてやっぱりあなたにはデリカシーがないっ!  
ってミサカはミサカは逆ギレしてみたりーっっ!!」  
「くっだらねェ。俺の部屋ン中でどこに行こうと俺の勝手だろォがよ。文句があンなら帰れ今すぐに」  
「なになになんなのその冷たい態度はーっ!! ってミサカはミサカは悲しみに打ちひしがれてみる!」  
 
 鬱陶しそうにしている彼の素振りに少なからずショックを受けていた打ち止めだったが、  
「貸せ」  
「ふぇ? ……って痛たたたたたたっ!! なっ何してるの!? ってミサカはミサカは突然鷲掴みにされた  
髪の毛の痛みに絶叫してみる!」  
 いきなり後ろの髪をガッシリと掴まれ、うろたえた悲鳴が上がる。  
 一方通行の方は何らそれを意に介さず、その両手で彼女の髪の毛を一つにまとめていく。  
「ヘアゴム貸せっつってンだ。気が変わらねェうちに早く動け」  
「え、え、あ、ヘアゴム!? ってミサカはミサカは……!」  
 戸惑いながらも、打ち止めは手首に掛けていた茶色のヘアゴムを渡す。  
 それを受け取った一方通行は、女性的にすら見える細い指を使って彼女の髪を梳き、上の方へ器用に  
持ち上げていった。  
 頭の頂上よりやや下で大体をまとめつつも、ほつれた髪の束を時折うなじから拾い上げる。  
 首筋や耳たぶに柔らかく掠めていく指先のくすぐったさに、打ち止めは肩をぞくりと震わせた。  
「あ、……にゃぅ……!」  
(……ちょ、なんで変な声出しちゃうのかなぁミサカは!? これ色々とまずい状況で……あああうああうう  
吐息が首にかかってなんかいい香りとかするし意外に大きな手の感触が気持ちよくってうあああああああん  
なんかもう無理ミサカはミサカは何だかいっぱいいっぱいで今にも泣いちゃいそうだったり……!!)  
 ……俗に、人間がくすぐったいと感じる箇所は性感帯になりうると言われるのだが、生憎とそんな知識など  
インプットされていない打ち止めにとっては、ただただくすぐったさに身をよじるのみの結果となった。  
 そうこう悶絶しているうちに、彼女の茶髪はヘアゴムで一つに縛られ、一方通行の手が離れていった。  
 一房としてはみ出すことなく丁寧にまとめ上げられたそのヘアスタイルは、  
「……ポニーテール……? って、ミサカはミサカは呆然としてみる……」  
「不満なら外せよ。ま、さっきよりかは断然そっちのがマシに見えっけどなァ」  
「どっ……どうせミサカにツインテールは似合わなかったですよー! ってミサカはミサカは反骨精神を  
露わにしてみたり!」  
照れもあってやたらとムキになってしまう打ち止めだったが、数年前まではごく自然に受け入れていたような  
事にここまで意識してしまう自分が恨めしかった。それとは対照的に、いたって平然とした一方通行の様子に  
やっぱりいつまでも自分は子供扱いなのかと無念を感じずにはいられない。  
だけど。  
「……で、でも……えっと、それは……、」  
「?」  
「……あなたは、こっちの方が、す、すき、ってこと……かな? って、ミサカはミサカは確認してみる……」  
 尻すぼみの声で尋ねるのが精一杯だった。なんだかとんでもなく気恥ずかしいことを聞いているような  
気がして、打ち止めは目線を下に逸らす。全身から湯気が出るかと思った。感情の発育段階が常人とは  
やや異なっている彼女にとって、こんなに羞恥を感じたのは多分、幼い頃お風呂上がりに出くわした時以来だ。  
 鏡に映った一方通行は怪訝そうに眉をしかめつつ、それでも問いにはきちんと応えてくれた。  
「あー……別にそこまでは考えちゃいねェが、まァさっきよりはイイかと思っただけだ」  
「……、ほんとう? ってミサカはミサカは……」  
「何で嘘吐く必要があンだよ」  
「――なら……、うん、いいの」  
 打ち止めは小さく頷き、誰に言うともなく呟いた。  
髪型にしろ何にしろ、友達が良いと言ってくれても、一方通行が良いと思わないのなら、意味が無い。  
好きな人に、少しでも気に入ってほしい。彼女にとって髪型や服装だとかいうものの意味は、それだけなのだ。  
「……あなたが、似合うって言ってくれる方が、ミサカは嬉しいから。だから外さないよ、ってミサカは  
ミサカは言ってみる」  
小さな頃だったら何でもなかったような台詞でも、今言うには相当の思いっきりが必要だった。  
理由は、とても単純なもの。  
 その言葉ひとつひとつに込められた想いが、ほんの少しだけ、けれど確実に色を変えていたからだ。  
「……、はァ?」  
――だというのに肝心の一方通行はというと、目が思いっきり意味不明ですと訴えていた。  
「何だよそりゃ。どォしてオマエの髪型決めンのに俺の意見がそこまで重要なンだ」  
「……皮肉とかじゃなくて素でそう聞いてくる辺りがミサカ虚しくなっちゃうんだけど、ってミサカはミサカは  
なんかもう悲観に暮れてみたり」  
驚異的な鈍感っぷりである。一万近いフラグを建築しておいてミリ単位も気付いていない某ツンツン頭も  
大したものだが、そんな彼を馬鹿にする一方通行も負けていないと思う。  
 
 とにかくなんというか悔しい打ち止めであった。先程のドキドキハラハラを返してほしい。  
お姉様の気持ちがちょっと分かるかも、と呟きながら肩を落として洗面所を立ち去っていく打ち止めを  
見送り、相変わらず「意味分っかンねェ……」とでも言いたそうに首を捻っている一方通行。  
そういう鈍感な所も嫌いではないのだが、改めて彼女はこう思うわけである。  
 
(……あの人に気付いてもらうのはやっぱり相当困難だよね、ってミサカはミサカは再確認してみる……)  
 
†††  
 
「信っじられない冷蔵庫にまともな食材が一切入っていないなんてーっ! ってミサカはミサカはあなたの  
廃退的食生活に警鐘を鳴らしてみたりっ!!」  
 と、一方通行に叫んできたのは、一束にまとめた髪の毛をピコピコと揺らす打ち止めであった。  
「……あ? 何だいきなり」  
「何だじゃないよ缶コーヒー以外は冷凍食品とレトルトしか見当たらないこの惨状について少しは危機感を  
感じなさい! ってミサカはミサカは変な所で常識知らずなあなたにお説教してみる!」  
「常識をガキに説かれる覚えは無ェな。別にそればっか食ってる訳じゃねェよ。大抵その辺の店で適当に  
食ってくるし」  
「なん、だと……? 外食がどれだけ高カロリーか知らないの!? ってミサカはミサカはダイエットの  
憎き敵の存在をお知らせして……にぎゃああ駄目だこの人絶対ミサカより体脂肪率低い!! ってミサカは  
ミサカは世の不平等さに身を投げて慟哭してみたりぃいい!!」  
なんかマセたガキが自分の腹周りを抱えてもんどり打っているが、一方通行としては食事やらダイエット  
だとかは基本的にどうでもいいことである。ぶっちゃけ缶コーヒーさえあれば当分は生きられる気がするし、  
何か食べるにしろ自炊よりも外食やレトルトの方が手軽だからそうしているまでなのだ。  
黄泉川のマンションに居候させられていた時はたまに作らされたりもしたが、自分一人で食べるだけの  
ことにそんな労力を使うのは馬鹿馬鹿しい。  
そう思ったのが、『どんなに失敗しても美味しそうに平らげてくれるクソガキ』が彼の一人暮らしの生活に  
欠けていたからなのかは――あまり深く考えたくないところである。  
「でもでも、あんまり偏食だと病気になっちゃうよ? ってミサカはミサカは膝カックンでもしたら容赦なく  
崩れ落ちそうなもやしボディ(番外個体談)を気遣ってみる」  
「ご心配おかけしましてどォも。つーかそろそろ痛い目見てェか?」  
「その拳の構えは怖すぎるので止めてほしいんだけど、言ってくれれば食材ぐらい買ってきておいたのに、  
ってミサカはミサカは今夜のお夕飯どうしようと途方に暮れてみたり」  
「……食材があったとして、誰が作るンだよ」  
「必殺料理人ミサカを舐めないでいただきたいなぁ、ってミサカはミサカは誇らしげに腕を組んでみる」  
やたら育った胸を反らしてドヤ顔を晒す打ち止めだったが、一方通行の中での打ち止め料理歴は、焦げた  
野菜炒め辺りで止まってしまっている。小学校の調理実習レベルだ。しかしまぁあれから二・三年も経った  
今ならその腕も少しは進化しているのだろうか。  
 だがどちらにしても、そろそろスーパーは閉店時間である。  
「そりゃ期待してやっても良かったが、何にしろもうタイムオーバーだ。さっさと準備しろクソガキ」  
「えーっ早速ジャンク街道まっしぐらな選択!? ってミサカはミサカは愕然としてみたり!!」  
「いっちいち喧しい野郎だな。オマエの食いてェモン食わせてやっからイイ加減黙れ」  
「……っ! ベニーズ新商品・お箸で切れちゃうやわらかビーフステーキwith自家製ゆずレモンソース!!  
ってミサカはミサカは所望してみる!!」  
「オイ、カロリー計算はどこに行った?」  
 
†††  
 
そんな訳で外出のお時間である。  
「♪教室のー窓ーからーさくーらのー雨ー♪ ってミサカはミサカは卒業式定番ソングを口ずさんでみたり!」  
「…………………………、」  
電飾のぼんやりとした光に照らされた夜道を軽いスキップで進んでいく打ち止めを眺めているとなんとなく  
疲労感が増す一方通行。果たして十五歳とはこんなに騒がしい生き物だっただろうか。試しに彼は自分の  
十五歳時代を振り返ってみるが……直後、思わず片手で頭を抱えた。アレは一方通行のクソったれな半生の  
中でも最も痛かった時期に違いない。  
「む? 上半身だけロダンの『考える人』みたいなポーズだけど何をそんなに思い悩んでいるの? って  
ミサカはミサカはお悩み相談室を開講してみる」  
「別に。ファミレスならついさっき禁書目録のヤツを放り込んだばかりなンだがなァって思ってただけだ」  
 
「インデックス? 確かあの人は今お姉様と遊んでるはずだけど、ってミサカはミサカは姉妹間での  
メールのやりとりの頻繁さと仲良しっぷりをアピールしてみたり」  
「……あァ、まだ超電磁砲が一緒に居やがるのか」  
「うーん、本当にお姉様が心底苦手なんだね、ってミサカはミサカは途端に機嫌が悪くなったあなたの  
様子に苦笑して……あれ? 『まだ』?」  
「……ファミレスで暴食シスターに適当なモン食わせてた時に居合わせてたンだよ。ったくあの女、  
顔合わせる度に癪に障ることばかり言いやがる」  
「……、ラブコメ? ってミサカはミサカは状況に当てはまりそうな語句を無理矢理捻り出してみたり」  
「そのクソ喧しい口を無理矢理捻り潰してやろォか」  
何やら思案顔でブツブツ呟きだす少女の後頭部に手刀をビシビシと叩き込む一方通行。  
「あうううう痛たたたたたた、ってミサカはミサカは悶絶しつつも秒速確保ォ!!」  
……が、打ち止めの方もいつまでもやられっぱなしでは終われないらしく、無駄に元気な掛け声と共に  
頭へ両手を回し、彼の左手をキャッチした。  
 ――そして、何故かそのまま手を繋いだ体制に移行する。  
「……何してンだオマエ」  
「ふっふーん、事あるごとにミサカを連打する悪い手はこうして捕まえておくんだからっ! ってミサカは  
ミサカは内なるレジスタンス精神を露わにしてみたり!」  
「レジスタンスなンざ革命が成功しなかったら歴史上ただの暴動として処理されンだよ。で、いつまでも  
そォやってウザったくはしゃぎまくってる分にはオマエの革命はまだまだ遠そォだよなァ」  
平たい声で応答しながらも軽くうんざりし始めた一方通行だが、まぁバイタリティ豊かなのはコイツに  
とって悪い傾向ではないかと思い直し、とりあえず握られた手を振り解いたりはしなかった。  
……実のところ打ち止めのテンションははしゃいでいる訳ではなく、少々ギクシャクした空気を打破  
すべく『昔通りの接し方』をしてみようとした結果、後から恥ずかしくなって自爆した故のヤケクソ  
だったのである。くどいようだが、一方通行はそんな乙女の葛藤を察知できるほど気の利く性格ではない。  
ただ、以前より細く柔らかい女性的な形に変化していた彼女の右手が、妙に熱っぽいことだけが感触から  
伝わってきた。  
「……体調でも悪りィのか」  
「うにゃっ!? え、えーとえーとっ……あの、だっ大丈夫だ問題ない! ってミサカはミサカは精一杯の  
元気アピールをしてみたり!!」  
声を掛けた瞬間バネ仕掛けの人形のように全身を跳ねさせ、ハンドバッグを持った左手をわたわたと  
振り回す打ち止め。面白いくらいに百面相を繰り広げる少女の様子を一方通行は呆れ半分で眺める。  
本気でコイツは何がしたいのだろうか。どうにも居心地の悪い空気に溜め息を吐こうとした彼だが、直後、  
二人は同時に足を止めることとなる。  
 
緩い風に乗って、ビルの隙間から誰かの悲鳴が聞こえたからだ。  
 
「……今の……女の子の、叫び声? ってミサカはミサカは……」  
 打ち止めは途端に不安げな表情になり、繋いだ手に力を加えてこちらを見上げてくる。  
「――、」  
その傍ら、久々に肌で感じた不穏を前に一方通行の内部にこみ上げてきたのは、強い嫌悪感だった。  
 平和ボケから目を覚ますには、あまりにもお誂え向きな感触だ。  
今の学園都市はひとまず平穏を保っている。あらゆる人々を傀儡のように使いつぶす『プラン』が  
潰え、その計画に組み込まれていた少年少女達自らの闘いの末に、罪の無い子供たちが食い物にされる  
ことのない楽園が、とりあえず表面的には完成している。  
だが、小綺麗に整えられた皮相を剥がしてしまえば、そこにはまだ醜い影が生き残っていた。  
完全な安寧など有り得ない。平和とは常に何かを犠牲にして成り立っている。それは一方通行にとって  
吐き気がするほど馴染み深い理屈だ。覆すことはほとんど不可能だと解っている。  
それでも――たとえキリが無くても、目の前のクソったれに立ち向かうしか、平和を求める手段は無いのだ。  
「……オマエは警備員に通報して、この場所と状況を知らせろ。俺の名前を出せばすぐ動く筈だ。出来るな?」  
「あなたはどうするの……? ってミサカはミサカは問いかけてみる」  
「止めてくる」  
心配そうな彼女の言葉を、一言で断ち切る。  
 絡められた指を外すと、打ち止めはじっとこちらを見据え、真摯な様子でこう言った。  
「……危ないことはしないでね、ってミサカはミサカはお願いしてみる」  
 
「心配すンな」  
自由になった左手で少女の頭を軽く撫でてやりながら、彼は出来る限り優しい声音で答える。  
 
「ここにいろ。すぐに終わらせる」  
 
†††  
 
 強姦現場に出くわしたのは、初めてのことではなかった。  
どれもこれも状況は似たようなものだ。二・三人で女一人を囲み、ナイフを突きつけて動きを封じる。  
もし抵抗してきても一・二発殴れば簡単に大人しくなる。あとは無力な女を好き放題に陵辱出来るのだから、  
なるほどレイプとは実にお手軽なストレス発散手段なのだろう。  
目の前のソレもまた同じような光景だった。路地裏の袋小路、殴られたらしい頬を腫らした少女は  
もはや殆ど暴れることもなく四つん這いにされ、口と尻へ充血した汚らしい物体を強引に挿し込まれていた。  
既に全身は白濁した液で汚れ、ガツガツと膣を抉られる度に小さな身体はひどく揺さぶられる。  
打ち止めと同じくらいの年頃の子供が為す術もなくグチャグチャにされていく光景は、胸糞悪いチープな  
アダルトビデオのようにも見えた。  
それらを一瞬のうちに視界に収め――学園都市最強の中で、何かの糸が切れる音がした。  
 
「よォクソ野郎共。随分とお楽しみじゃねェか」  
 
腰を振って善がる間抜け面な男の背後に肉薄した一方通行は、引き裂いた笑みを浮かべて敵の襟首を  
掴み取り、後ろに引き剥がした。  
学園都市第一位の超能力は既に発動している。ほんの無造作な身振りでさえ、人体に深刻なダメージを  
与えることが出来る。事実、一方通行が適当に放り投げた男の身体は宙を掻き切り、コンクリートの壁に  
勢いよく衝突していた。肺から血を吐き出す耳障りな音が、薄汚れた灰色の世界に響く。  
突如現れた白い髪の襲撃者を前に残党が慌てて構えを取る。  
が、それらは全て一方通行の前では意味をなさない。  
武器を持とうが能力を使おうが、所詮第一位の火力には到底及ぶはずもない。  
「ハッ、ズボンずり下げながら銃握ってるってェのもシュールな絵面だがよォ、まァあれだわ――潰す」  
彼は極めて愉しそうな、それでいて苦いものを奥歯で噛み砕くような、壮絶な笑みを浮かべた。  
 未知の怪物を前にして怯えが暴発するかのように二丁の拳銃が火を噴く。  
 対して丸腰の一方通行は、一切の迷いなく敵の懐へと真っ直ぐに突っ込んでいった。  
 
学園都市最強の『駆逐』は、ものの二分で終了する。  
 
†††  
 
殺されない代わりにトラウマものの恐怖をたっぷりと刷り込まれた血だるまの肉塊を軽く蹴飛ばし、  
一方通行は電極のスイッチを指先で押し戻した。  
呻き声と遠くからのサイレン音だけが響く路地裏の隅で、澱んだ空気を薄く吸いこんだ彼は、小さく  
舌打ちをした。  
 目線を下にずらし、一言。  
「……来ンなっつったろ、クソガキ」  
「……、」  
唇を噛み締めた打ち止めは、少し離れた場所でへたりこむ少女を介抱しながらこちらを見上げてきた。  
「……警備員はもうすぐ着くよ、ってミサカはミサカは報告してみる」  
「そォかよ。そのガキはどォした」  
「ミサカの能力で気絶してもらったの。これ以上色々見て余計に混乱させちゃったら可哀想だし、って  
ミサカはミサカは生体電気からバイタルを確認しつつも自身の主観を述べてみたり」  
 ぐったりと力無くうなだれる少女は完全に意識を失っているらしい。確かに、辺りの惨状から考えると  
無駄に騒がれるよりは眠っている方がこちらも気が楽だ。  
一方通行は二人の前に屈むと、着崩れた制服が辛うじて肢体に纏わりついている少女の腹へ手を伸ばす。  
ホックが外れかけたスカートを少しだけずらし、下腹部の肌に掌を押し当てた。もう片方の手で再び  
チョーカーのスイッチに触れ、ベクトルを制御する。  
「それは、何してるの? ってミサカはミサカは尋ねてみる」  
「緊急避妊ってヤツだ」  
本来は、不用意な性交後に特殊なホルモン剤を服用することで排卵を遅らせ妊娠を防ぐという行為を指す  
言葉だが、彼の能力でも似たような事が出来る。排卵周期を確認して、より安全な日程にズラしてやれば  
よいのだ。無論身体に良くはないが、望まない妊娠をするより数段マシだろう。  
 
演算に集中するため軽く目を閉じていると、真っ暗な視界の中、打ち止めの小さな声が聞こえてきた。  
「……危ないことはしないでって言ったのに、ってミサカはミサカは静かに非難してみる」  
今にも泣き出しそうなその声音は、一方通行の耳にざらついた感触を残していく。  
「……、」  
悪かった、と動く唇からは音を伴わない息が吐き出されるだけだった。  
結局一方通行はあの時から大して変わってなどいない。彼の加減など、辛うじて相手の命を奪わなかった  
ということだけだ。一度目の前の人間をクソ野郎だと認識してしまえば、相変わらずこの手が生む破壊を  
抑えようとする理性はすぐ弾けてしまう。  
血と苦痛を伴わない手段では、一方通行は平和を希求できない。何年経っても、彼は追いかけ続けた  
『あの男』のようなヒーローにはなれない。  
 当たり前だろう。人間は他の誰かには一生なれない。そんな解りきった事実に、一方通行は自嘲の笑みを  
零した。相変わらず奴へのコンプレックスが全身に染み付いているのを目の当たりにして、つくづく間抜けだと  
自覚せざるを得ない。  
「……拳銃、どォせオマエが持ってンだろ」  
「あ……」  
普段ベルトに挟んでいるはずの銃が、ついさっきの襲撃の時から見当たらない。いつ盗ったのかは知らないが、  
一方通行の隙を突いて抜き取るとは全く大した手際である。これも、同居している番外個体の影響を受けて  
成長してきた結果であろうか。いずれにしてもあの『妹』には後々説教が必要なようだ。  
叱られるとでも思ったのか、怯えるように下を向く打ち止めだったが、一方通行は彼女を非難しなかった。  
打ち止めが一体何を思って銃を奪ったのか――彼にはそれが十分理解できていたからだ。  
「返せ」  
電極のスイッチを押し戻し、意識が無い少女の身体を自分の着ていた上着で覆い隠しながら、学園都市最強の  
超能力者は平坦な声で要請した。  
「俺ならどうとでも出来る。だが、オマエがそンなモンを持ってるのを警備員にでも見つけられたら面倒な  
ことになる」  
第一位はともかく、元々軍用クローンとして世界中から認知されている妹達の一員が武器を所有している  
のを見られて彼女にメリットは無い。それは、ようやく打ち止め達が周りから得た信頼を崩す可能性すらある。  
打ち止めは一瞬逡巡したが、やがて諦めたように手元のハンドバッグを漁りだした。  
少女的なデザインの小物に混じって、真っ黒な鉄の塊が内部に収められている光景は、妙な現実感の無さを  
感じさせる。  
「……どうぞ、ってミサカはミサカは差し出してみたり」  
「聞き分けが悪りィガキだな。薬莢もセットに決まってンだろ」  
う、と息を詰める打ち止めには構わずに、一方通行はおもむろに彼女のスカートのポケットへ手を突っ込む。  
若干不躾な行為ではあるが――素振りからして隠し物がそこにあることは解っていたし、何より、もう  
かなり間近にサイレンが迫ってきていたため思いのほか性急な動きになってしまった。  
打ち止めが小動物じみた悲鳴をあげる中、一方通行の指先は彼女の体温で温められた真鍮製の筒を捉える。  
そして彼がポケットから手を引き抜いた丁度その時に、路地の入り口に警備員の特殊車両が複数停車する  
音が聞こえた。  
「ヤツらに何を聞かれてもオマエは知らないで通せ。下手に受け答えしてたら朝まで拘束されるぞ」  
「……これじゃあなんだかミサカ達が悪いことをしている気分だよ、ってミサカはミサカは愚痴ってみる」  
軽口を叩きながらも、不安な心境は隠しきれないようで、立ち上がった一方通行の袖口を小さく握る打ち止め。  
斜め下から見上げてくる少女の頭に緩く握った拳を落とし、一方通行は吐き捨てるように呟いた。  
「何もしてねェオマエがビクつく必要なンざ無ェよ。堂々としてろ」  
咎められるとしたら、この暴虐の惨状を作り出した一方通行の方だろう。  
この少女が居心地を悪く感じる理由は、本来どこにも無いはずだ。  
騒がしく足音を鳴らして突入してくる警備員たちの姿を認め、久方ぶりに自分へ浴びせられる警戒の視線に、  
気が付くと一方通行は小さく舌打ちをしていた。  
 
†††  
 
『やっほう。ミサカの方からあなたにラブコールなんて随分と久しぶりかな。まぁそんな下心なんて存在  
しないから期待もしないでほしいんだけど』  
つくづく今日はやたらと携帯電話が活躍する日だ。人の神経をあえて逆撫でするような女の声を聞くや否や、  
一方通行はどっと湧き出る疲労感を受けてソファに倒れ込んだ。  
横倒しになった視界の中、彼は元同居人現同級生の番外個体に向かって不快マックスの声音で応対する。  
「何の用だ不良大学生」  
 
『優等生気取りの偽名野郎に言われると閉口しちゃうけど。いやぁ、今日はそちらさんも大層大暴れしちゃった  
ようだし、ここは一つ情報提供と言う名の冷やかしを、と思ってさ』  
「……相変わらず耳が早い事で」  
『このミサカの情報網を舐めないでいただきたいね』  
彼女お得意のニヤニヤとした笑みが脳裏に浮かぶ。相変わらず番外個体は物騒な技術や情報がお好みなようだ。  
まあ、それでなくともミサカネットワークに接続さえしていればリアルタイムで世界中の情報を閲覧出来る  
のだから、打ち止めの記憶を共有した後から独自に調べてみたという可能性も無きにしも非ずだが。  
『今最終信号はネットワーク切っちゃってるからよく分かんないんだけど、どうやらレイプ魔ごと暴行罪で  
警備員に逮捕されたなんて面白展開にはなっていないみたいだね。つっまんないの』  
「……40分ぐれェ事情聴取を受けたがな。比較的早く解放されたのは、俺の身元がハッキリしてンのも  
あるだろォが、何より統括理事会辺りからの指示がデケェンだろ。ヤツらがどっかからの無線連絡を受けて、  
それからすぐに追い出されたからなァ」  
『黄泉川愛穂の監督下にいるってのも絡んでるかもしれないけれど。やっぱり「上」の力は大きいもんだねぇ。  
親船……何てったっけ、クソ善人な理事長代行さん。大方その人が世話を焼いてくれたってトコかな?』  
優等生ちゃんは社会からの信用も厚くてお得なこった、と明らかに嘲りを込めた笑い声を零す女。  
「さっさと要件を言え」  
『ったくせっかちだなぁ。ベッドの上ではズボンのファスナーを下ろすより前に、女の子との会話を楽しむ  
余裕を持たなくちゃ駄目だぜ。早漏童貞は嫌われるよ?』  
「……」  
『あーはいはいミサカが沈黙に弱いって知っててやってるんでしょ親御さん? オーケー真面目に話します』  
鬱陶しそうに一旦話題を切り上げて、番外個体は再び饒舌に語り出した。  
『んーと、さっきの事件はそこら辺の不良グループのメンバー数人による犯行だった。襲われたガキの方も  
ごく平凡な無能力者だし、「闇」やら何やらが関わった事件じゃなさそうだね。その点は安心していいよ』  
「連中は銃を使ってた。裏の組織が路地裏の不良どもに武器を横流ししている可能性は?」  
『薄いね。元々デカいスキルアウトの残党同士が組んだグループだったらしいし、武器も元々ある程度は  
保有してたんでしょ。まぁあなたが持ってるような小型の拳銃なんかよりもよっぽどチャチなオモチャしか  
持ちあわせていなかったようだけど』  
身ひとつで調査してきたはずの彼女の淀みない返答は、ある意味不気味ですらあった。  
 打ち止めの視界に映った記憶と、脳に刻まれた独自の戦闘マニュアルの武器に関するデータ、ミサカ  
ネットワークの膨大な情報網、あとは『書庫』などへのハッキングで情報を補強したのだろうか。  
 それらのデータ全てを片手間で混ぜ合わせて、構成して、事実に限りなく近づけた推論を立てる。それは、  
ミサカネットワークという加護を受けた妹達ならではの強みだろう。もっとも、そのご大層な能力も普段は  
持て余しているらしく、もっぱら雑談にしか使われないようだが。  
『まぁミサカの要件はそんなもんかな。これ以上の持ちネタは生産性の無い余談ばかりだよ』  
「あのガキならバスルームに籠もってる。勿体ぶるのはお互いに時間の無駄だと思わねェか」  
『わーお、なんだか妻子持ちと愛人の会話みたいじゃない? そんなにこのミサカと爛れた関係を築きたいんだ』  
「……本当の余談なら今すぐ通話を切ってもいいンだが」  
『今回の事件、最終信号の性教育としてはちと優良な教材とは言い難いかな』  
会話の流れをあえて無視して、番外個体は『余談』の本題を切り出した。  
『誰かさんが何年もかけて最終信号から「暴力や悪意」を遠ざけ続けて、苦労して情操教育に勤しんで  
きたっていうのに、その努力も虚しく今ネットワークはドロドロのグチャグチャだよ。負の感情を抽出する  
このミサカはストレスの負荷が高くてもう大変大変』  
「……、」  
『特に、性に関する意識がヤバいかねぇ。あんな目にあった子供を間近で見ちゃったんだから無理もないけど、  
このままだと最終信号は、性交に対して無意識に嫌悪感を抱くようになるかもしれない。年頃の女の子にそれは  
ちょっとハードすぎるんじゃないのかって話だよ』  
特に気負う様子も無くそんな事を言う番外個体。相変わらず、一方通行の憂慮する事柄には嫌味なくらい  
敏感な女である。  
 
当然、一方通行もそれは危惧していた。打ち止めにあんな光景を見せてしまった自分の詰めの甘さにも  
責任を感じてはいたが、同時に、どうやってフォローしていくかという課題にも行き詰まっていた所なのだ。  
 が、番外個体はまったく気軽な調子でこう提案してきた。  
『もっと強烈なインパクトで「上書き」でもしてみれば?』  
「あン?」  
 
『身近な異性からの甘ぁいキスと優しいセックスだよ。今晩にでもどこかのもやしが頑張りさえすれば、  
最終信号の中で成立しつつある「性=悪」の公式を塗り替えることが出来るかもね』  
 
「……………………、」  
絶句した。  
オマエそれ絶対適当に言ってンだろ、というツッコミすら口から出てこなかった。  
『目には目を、性体験には性体験を。親御さん自ら身体を張って教えてあげればいいじゃん。人と人との  
繋がりはこんなに素晴らしく尊いものなのだぞーとか言ってさ。あ、それともアレ? 学園都市第一位は  
驚異的に育ったあの乳を目の当たりにしても勃つ自信がない程可哀相な性能の持ち主って訳?』  
どう考えても挑発の言葉である。しかし彼女が一体何を意図してそんな発言をするのかが全く理解できない。  
そもそも自分は今ちゃんと日本語を日本語として認識出来ているのか。学園都市最優秀の頭脳はこの歳で  
早くもイカれてしまったのだろうか。  
『忠告しておくけど、ミサカは冗談を言っているつもりじゃないよ』  
シナプス結合が煙を上げて壊れていきそうな心境に陥った一方通行は、侮蔑たっぷりの番外個体の声を聞いた。  
『このミサカの性質をお忘れかな。ミサカはネットワーク上からあらゆる負の感情を拾い上げ、それに従って  
全ての行動を選択する。勿論、その感情ってのは最終信号から由来する物も例外じゃない。だから今の  
このミサカは、負の方向性では最終信号の精神状態と極めて近い位置でリンクしている訳だ』  
要するに、と番外個体は前置きし、こう続けた。  
『キスとかセックスとか、このミサカが言っている事は、言ってみれば最終信号の無意識下の願望ってことだね。  
まぁ我ながら随分投げ遣りな、ってか捨て鉢な思考回路だとは思うけど。あー嫌だ嫌だ、何でこのミサカが  
他人の恋路の後押しなんかしなくちゃいけないんだか』  
――携帯電話のスピーカーから、また意味の分からない言葉が聞こえてきた。  
一周回って何故か冷静になってしまった一方通行は、今度こそ自然体で返答することに成功する。  
「馬鹿かオマエ」  
『オウ、ありとあらゆる反論を封じられた人間がとりあえず口にしてしまうお馴染みの名言アリガトウ。  
つか実はまだ全然冷静じゃないでしょ第一位』  
愉快そうな調子に転じた彼女の声だったが、唐突にブツリと電波が切れる音が響き、一方通行の鼓膜を打った。  
「……?」  
やる気無くソファに横たえていた上半身を起こし、訝しげに携帯電話の画面を見つめる一方通行。  
 その直後、シャワーを浴びてきた打ち止めがリビングのドアを開ける気配がした。  
(……向こうから切った、か。つくづく勘が良いヤツだな)  
「誰と電話してたの? ってミサカはミサカは尋ねてみる」  
「番外個体だ」  
「え?」  
打ち止めは緩く首を傾げ、やがて瞳の焦点をどこか遠くに変えた。小さく唇を動かしているのを見ると、  
どうやらミサカネットワークに接続しているようだ。  
「……んー本当みたい、ってミサカはミサカはアリバイを確認してみたり」  
「確認してどォする」  
別にやましいことなど何もしていないのだが、つい先程までの会話が会話だけに何故か追い詰められた感が  
あった気がした。まさかあの女、こういう形で彼を困らせるためだけにあんな爆弾発言をしたのではないのか。  
まぁ、いくら打ち止めでも通話の内容までは閲覧出来ないだろう。番外個体は自分のプライバシーには  
ガチガチにロックをかけるタイプだった筈だ。  
「……突っ立ってねェで座ればイイだろ」  
 沈んだ表情の少女を前にどうにも対処に窮した一方通行は、占領していたソファの右側のスペースを明け渡す。  
 ちんまりとソファに腰掛け、一方通行から微妙な距離を取った彼女の顔は、目深に被ったフードによって  
その大部分が隠されている。先程までの肩や脚を出した無防備な服装とは対照的に、風呂上がりの打ち止めの  
部屋着は、Tシャツの上からパーカーを着込んだかなり分厚い防御体制だった。携帯式のファンシーな  
スリッパを履いていて、つま先まで肌を見せない徹底ぶりである。  
一目見て、彼女の不安な心境が伝わってくるような格好だった。  
そこまで男に警戒するのなら無理して近付いてこなくても良いだろうに、と一方通行は呆れ半分で視線を離す。  
 
「コンビニで適当に食いモン買ってきた。倒れたくねェなら何でもイイから食え」  
「食欲無いよ、ってミサカはミサカは首を横に振ってみる」  
「なら力ずくで口に押し込ンでやる」  
言いながら、彼はキッチンに置いてあるビニール袋を取りに行こうと席を立った……が、彼の足がそれ以上  
前に進むことは無かった。  
「……、」  
まるで彼を引き止めるように、シャツの裾が掴まれている。  
苛立ちに思わず顔面を引き攣らせた一方通行が後ろを振り向くと、  
「……ここにいてほしいの、ってミサカはミサカはお願いしてみる」  
いわゆるボロ泣きである。  
湯上がりで火照った頬や耳をさらに赤く染めて、小さな子供のように肩を震わせる少女の姿がそこにあった。  
 
 
 
 
 
 
 
 
†††  
 
 

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