そこは第六学区のとあるテーマパーク、一般的には遊園地と呼ばれる類の施設である。  
 名門常盤台に身を置くとはいえ、白井黒子も世間の女子中学生並にそういった所へ興味を持っていた。  
 ただしそれは一緒に行きたいと思う対象が彼氏でも友達でもなく、自らの貞操を捧げたいと思う程に慕う『お姉様』という点を除けばであったが。  
 実際彼女も今日はそれを期待し、今頃二人して園内を仲睦まじく歩いている筈だった(注:白井主観)。  
 しかし現実には敷地内を文字通り疾走し、しかも隣で並走しているのは愛しのお姉様ではなく、  
「白井、あと絶叫エリアで残ってるのは正面のジェットコースターとフリーフォールだけだぞ!」  
 などと絶叫気味に確認するツンツン頭の高校生、上条当麻だった。  
「急ぎなさい殿方、午前中までに半分はノルマを片付けておかないと!」  
 打てば響くといった様子で言葉を返す白井だったが、内心では先日彼の母親に会った時と同じ事を呟いていた。  
「どうしてこうなった」  
 
 
 〜 とある黒子の初デート 〜  
 
 
 全てのきっかけはこの前日、『風紀委員』の同僚にして親友でもある初春飾利が、第一七七支部で白井黒子の前に差し出したチケットだった。  
「初春、何ですのこれ?」  
「見れば分かるじゃないですか、第六学区にある遊園地のチケットですよ。  
 嫌ですねぇ白井さん、声だけじゃなくて頭の方まで老化現象が進んで痛い痛い痛い!」  
 話の途中で白井は『空間移動』で初春の背後に回ると、無言で彼女の頭を握り拳で左右からグリグリと挟み込む、通称梅干しを実行した。  
「で、もう一度尋ねますが、何ですのそれは?」  
「うぅ、何事も無かったように話を戻すんですね……それはともかく、これペアチケットだから、御坂さんでも誘ってご機嫌取ったらどうかなと。  
 最近御坂さんがご機嫌斜めだって、白井さん自分で言ってたでしょう?」  
 同僚の鋭い指摘に白井は思わず唸った。  
 彼女の言う通り、白井がお姉様と呼びまた寮の同居人でもある御坂美琴の機嫌はここ数日甚だ悪い。  
 実の所その原因は分かっているのだが、白井にとってもそれは鬼門というべき案件だったので、気持ちの整理がつくまで放置しておきたいというのが本音だった。  
 そんな思案へ明け暮れる彼女を余所に、初春は更に話を続ける。  
 
「それに今なら園内のスタンプラリーで限定のパーフェクトゲコ太グッズが貰えるみたいですし、御坂さんもきっと喜んでくれますよ」  
「あなたにしてはいい考えですわね……なんて私が感心するとでも思ったんですか、初春?  
 貴女が何の企みも無くそんな殊勝な真似をする筈がありませんわ、さっさと悪巧みを吐きやがれですの!」  
「いいい痛いですってばぁ!  
 話します、話しますから手を離して下さい!!」  
 梅干しを再開され痛みで涙目になりながら、初春は観念したようにソファーへ倒れ伏した。  
「全く、最初から白状していれば痛い目を見ずに済んだものを」  
「うぅ、私の花園がすっかり白井さんに汚されちゃいました」  
「失敬な、私が汚す花園は後にも先にもお姉様だけですわ」  
「汚す事自体は否定しないんですね……それはいいとして、実は私今日と明日とある企業から『風紀委員』本部を通して急なプログラミングの依頼が入りまして、代わりにそれの事務処理をお願いしたいなと」  
「それって、まさかそのテーブルの上にそびえ立つ白い山脈の事ですの?」  
 実の所先程からそれは視界に入っていたのだが、敢えて見ない振りをしていた書類の束だった。  
「ちなみに期限は明日の朝までです」  
 
「この仕事量とチケットでは全然バーターになっていない気が……」  
「どの道ここで断っても私への依頼申請は正規の手順を踏んでるんで、本部から事務処理引継の許可降りちゃいますよ。  
 そうなったら嫌でも白井さんへお鉢が回ってきますし、それくらいならここで自ら引継を申し出てこのチケットをゲットした方が絶対マシですってば。  
 ちなみにさっき言ったスタンプラリーはこのチケット限定のサービスで、しかも明日までらしいですから、パーフェクトゲコ太グッズ欲しいなら早めに行った方がいいですね。  
 そういう限定物をプレゼントしたら、御坂さん絶対喜ぶだろうなぁ〜」  
 足元を見るような初春の補足説明に、白井は心底恨めしそうな顔でソファーにどっかり腰を下ろすと、怒涛の勢いで書類にペンを走らせ始めた。  
「商談成立ですね、それじゃ固法先輩にはこちらから引継の旨を伝えておきますよ」  
 それは書類整理を白井が責任持って終らせると上に明言するようなもので、つまりは初春の罠に嵌まり名実共に仕事を押し付けられたという事だった。  
 ともあれ引継の連絡を終えた初春は、携帯を仕舞いながらチケットを差し出すとニッコリ微笑んだ。  
 
「うぅ、奇跡も魔法も無いとは、正にこの事ですの」  
「まあそういう非科学的なモノに頼りたくなる気持ちは分かりますけど、現実は非情ですから頑張って下さいね、白井さん♪」  
 自分から罠に嵌めておきながらなんて白々しいと思いつつ、白井はペンを動かしながら空いた方の手で目前のチケットを奪い取った。  
「ところで初春、何故このチケットを貴女が持っていたんですの?」  
「実はそれ、以前『風紀委員』に支給された物なんです。  
 慰労目的で全員に配布されてたんですけど、丁度このチケットだけ余ってたんで」  
「なるほど、そういう事だったんですの」  
 ペンを走らせながら納得の声を上げる白井だったが、初春の説明にふと引っ掛かりを覚えた。  
「でも私、そのチケットの事は全然知らなかったですわ。  
 全員分という事は、当然私の分も支給されていた筈ですけど」  
「そ、それはその……」  
 何故かそこで言い淀む同僚に、白井はペンを止め訝しげな視線で見やる。  
「まさかとは思いますが初春、私にチケットの事伝えるのをすっかり忘れていて、たまたま見付けたこのチケットが実は私の分だったとかいうオチではないでしょうね?」  
 それを聞いて身体をビクッと震わせる初春の反応に、白井は自らの憶測が正しい事を確信する。  
 
 本来私の物だったチケットを餌にこちらを謀るとはいい度胸だと考えながらペンを置いた白井は、爽やかな笑顔で静かに告げた。  
「初春、先に断っておきますけど、貴女にも選択の余地はありますわ」  
「せ、選択って?」  
「このまま更なる梅干しを味わうか、それとも私の『空間移動』で一緒に紐無しバンジーへチャレンジするか、痛みと恐怖お好きな方を選びなさいな」  
「どっちも嫌です!」  
 叫びながら立ち上がる同僚に、白井はわざとらしさ満点な驚きの表情を向けた。  
「まあ初春ってば何て欲張りさんなのかしら、両方とも味わいたいから選べないなんて。  
 でも親友のささやかな願いを叶えない訳にはいきませんわね」  
「叶えなくていいですってば!」  
 ういはるは いちもくさんに にげだした!  
 しかし しらいに まわりこまれた!  
「さあ、それでは軽く地表十mから逝ってみましょうか。  
 何、仕事前の息抜きですから、すぐに終らせて差し上げますわ」  
「だ、誰か助け――」  
 初春飾利の必死な訴えは、その姿ごと白井黒子と共に消えた。  
 
 
 翌日早朝、押し付けられた事務処理を律儀にも夜通しで片付けた白井は、徹夜明けのハイテンションのまま自室に入った途端、ベッドに眠る愛しのお姉様目掛け『空間移動』を活用した似非ルパンダイブを敢行した。  
 もっとも唇が触れ合う寸前、レベル5の電撃付裏拳が白井の顔面へ炸裂し、あわよくば朝からお姉様とキャッキャウフフしようという彼女の目論みは潰えたのだが。  
 「げふぅ」などと乙女にあるまじき言葉を吐きながら下着姿で床を転がり回る後輩の姿を、『常盤台のエース』は眠気と侮蔑が入り混じった視線で見下ろす。  
「さ、流石はお姉様、例え就寝中でもカウンターを決めるのは文字通り朝飯前なのですね」  
「お日様も昇ってない内から何やってんのよ、アンタは……」  
 欠伸を漏らしながらノロノロと立ち上がる美琴に、白井は痛みに悶えるのを堪え昨日手に入れたチケットを差し出した。  
「ところでお姉様、今日は久々に二人揃っての休みなのですから、これから一緒に遊園地へ行きましょう!」  
「黒子、朝六時から遊園地に誘うような奴が一体何処に居るのよ?」  
「ここですわ!」  
 自信満々に自らを指差す後輩に、常盤台のエースはこめかみを押さえながら溜息を吐いた。  
 
「あーはいはい、そういう奴だったわねアンタは。  
 でも今日は丸一日予定が埋まってるから駄目よ」  
「な、何故ですのお姉様!?  
 確か今日は習い事も常盤台での能力実験も無い、完全無欠の休日だった筈ですのに!?」  
「とある企業から新型の能力測定型ゲーム機の試験協力を頼まれたんで、今日行く事になったのよ。昨日の晩に急遽決まったから、知らなくて当然よ」  
「そ、そんな……くっ、昨日徹夜する前に再度情報を確認すべきでしたわ」  
「というかそれ以前に、なんでアンタは私の予定を事細かに把握できるのよ?」  
「それは勿論、愛の成せる業だからですの!  
 お姉様の事なら下着の好みから今ご執心になっている殿方の事まで、何でも知っておりますわ!」  
 そう自信満々に言い放った途端、不意に白井の鼻先へ一筋の閃光が走り、同時に超不機嫌と化した『超電磁砲』の御尊顔を青白く照らした。  
「黒子、全然関係無い話を思い出したんだけど、この前アイツやアイツの母親と結局何やってた訳?」  
「へ? いや、それはこの前ご説明した通りなのですけど……」  
 
 美琴が豹変した様子で問い質したのは、彼女が今口にしたアイツこと上条当麻とその母親である上条詩菜が、先日喫茶店で白井と一緒に居た件だった。  
 詩菜が学園都市の去り際に「今度会う時は是非お義母さんと呼んで頂戴ね、黒子さん」などと宣ってくれたおかげで、それを聞き嫉妬に狂った美琴とインデックスから上条共々追い立てられる羽目になったのは、白井の記憶に新しい。  
 実の所、ここ最近美琴の機嫌がすこぶる悪いのはそれが原因だったりする。  
「ふーん、まだしらばっくれる気なのね」  
 冷たく言い放ちながら、美琴は完全に目が覚めた状態でテキパキと出掛ける準備を進めていく。  
 そんな愛しのお姉様とは正反対に、白井はあたふたした様子で懸命に弁明の言葉を脳内から検索していた。  
「お、お姉様、何度も説明しましたけどアレは誤解ですの!  
 私自身、何故殿方のお母様からあのような事を言われたのか皆目見当が付きませんわ!」  
「はいはい分かった分かった、じゃあそういう事にしといてあげる」  
 いつの間にか制服に着替え終っていた美琴は、言葉とは裏腹に全然納得していない様子で白井の横を素通りする。  
「お姉様、お願いですから私の話を」  
「それじゃ私、もう行くから。寮監には今日遅くなるの伝えてあるから、何も言わなくていいわよ」  
 結局同室の後輩へ振り返る事無く、常盤台のエースはそのまま部屋を出ていってしまった。  
 
 
「殿方の話を出したのは完全に薮蛇でしたわ……うぅ、わたしってほんとお馬鹿ですの」  
 結局あの後眠気覚ましのシャワーを浴びてすぐに部屋を出た白井は、目的も無く『空間移動』でさまよっている内に辿り着いた公園で、自嘲気味にベンチでうなだれていた。  
「しかしこのままではこのペアチケットが無駄になってしまいますわね。  
 せっかくパーフェクトゲコ太グッズをお姉様に差し上げたかったのに、ペアでないとスタンプラリーできませんし……」  
 残念無念という表情でまだ人通りが少ない早朝の通学路を何気なく眺めていると、ふと見知った顔というかツンツン頭が白井の視界を過ぎる。  
「あれは殿方……制服を着ているという事は恐らく補習なんでしょうけど、休日のこんな早い時間から登校なんて、あの馬の骨は普段どれだけ点が足りていないのやら」  
 そう言って白井は嘲笑おうとしたが、よくよく考えると彼の母親から妙な事を言われたり、それが原因でお姉様とチビシスターから追いかけ回されたり、その上未だお姉様から誤解を受け続けたりと、奴のおかげで散々な目に会わされてばかりだった。  
 故にあの若造には全ての責任があるのだから、お姉様の機嫌を直す為こちらに協力するのは当然というか義務だろう。  
 
 そんな風に思い出し怒りを曲解しながら白井がふと見た手元には、使い道に困っていた遊園地のペアチケットが握られている。  
 能天気に歩く馬の骨こと上条当麻とチケットを交互に見つめた後、彼女は何かを決意した顔で『空間移動』を行うやいなや、彼の後頭部めがけドロップキックを敢行した。  
「ふごがっ!」  
 突如会心の一撃を喰らい地面へ接吻を強いられる形となった上条は、そのまま実行犯から襟首を掴まれずるずると引きずられる。  
「いちち……って、朝っぱらから上条さんに見敵必殺ばりの一撃をかました上に市中引き回しの刑をしているのは一体どなたですかコンチクショウ!?」  
「おはようございます殿方」  
「って白井かよ!?  
 上条さんは突然の理不尽な行為に説明を求めます!」  
「四の五言わず黙って付いてくればよろしいんですの」  
「だからなんでだよ? そもそも俺、これから補習なんだけど」  
「そんなの私の知ったこっちゃありませんの。  
 それよりもさっさと行きますわよ」  
 
「何処にだよ、というかさっきから俺の質問に一切答えて無いよね?  
 こんなの絶対おかしいよ!」  
「ええい、男の癖にいつまでも細かい事をグダグダと」  
「全然細かくねぇぶが!」  
 諦め悪くまだ喚き立てている上条の顔面へ、白井は無言でネリチャギを決め沈黙させる。  
(ふ、不幸だ……)  
 内心いつもの常套句を呟きながらうなだれるツンツン頭の男子高校生は、聞く耳を持たない年下のツインテール娘から容赦なく引きずり回されるのだった。  
 
 

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