荒れ果てた山道を抜け、生い茂った木々を越えた先に、その村はあった。  
 古い木造建築が並ぶ町並みは、整備が行き届いてさえいれば風情あるものとして感じられただろうが、十数年も放置されていたのでは望むべくもない。  
 森に飲み込まれかけている。そんな状態だった。  
 十数年。  
 隣にいる女性が、故郷であるこの村を離れてからの年月と、完全に一致する。  
「……大丈夫か?」  
「うん。平気」  
 言いながら、しかしこちらの右手を握った掌には力がこもっている。  
 記憶に重なる風景を探しているのか、女性はしきりに首を回していた。  
 だけど、二人とも分かっていた。この村に入った瞬間から。  
 何かの気まぐれで村が当時のまま残っていたとしても、決して存在していないものがあることを。  
 崩れた家屋やあぜ道を抜けて、女性はかすかな記憶を頼りに一軒の家にたどり着く。  
「ここか?」  
「そう。私の家」  
 女性が一歩を踏み出し、引き戸に手をかける。  
 しかし、横にずらす必要もなく、幾年ぶりに人の手に触れられた戸は最後の役割を果たした。  
 ばたぁぁぁ……ん……、と、エコーさえ残るほどにゆっくりと、埃を巻き上げながら腐りきった戸は倒れる。  
 女性は一瞬だけ瞳を曇らせたが、  
「上がって」  
 と言って、歩を進めた。  
 右手を取られている身としてはついて行く他ない。  
 土足でいいのかな、とも思ったが、正直家の中も外と大差なかった。荒れていて、廃れていて、あるべきだったはずのものがない。  
 女性の案内で、おそらくは居間であったであろう部屋に入る。おそらく、というのは遠慮した表現ではなく、本当にそうとしか言い様がなかったのだ。物置だ、と紹介されたら納得してしまっていたに違いない。  
 ここで村に入って初めて、女性が手を放した。背負っていたリュックサックから携帯式の箒とゴミ袋を取り出し、無言で掃除を始める。男性も、何も言わずにそれを手伝った。  
 三十分ほどかけてようやく、二人並んで座れるほどのスペースを得られた。そこに女性は正座で、男性はあぐらで腰を落ち着ける。  
 まだ、無言のまま。  
「んー……」  
 男性はどうにか話題を探そうと部屋の中を見回す。が、見つかるのは砕けた写真立てとか、倒れた洋服箪笥とか、失われたものを示すものばかり。  
 数十分も経ってようやく、女性が口を開いた。  
「もしかしたら。という。期待はあったの」  
 重く、苦しく、泣きそうな声で。だけれど泣かずに。  
「あの日の全てが魔法だったら。魔法のせいだったら。君を連れてくれば全部なかったことにできるんじゃないかって。  
 何もかもが元通りになって。誰も彼もが帰ってくるような。そんな都合の良いことを考えてた」  
 軽蔑するでしょう? と目で問いかけてくる女性。  
 男性は首を横に振る。  
「――それは、きっと、当たり前のことだ」  
「うん。ありがとう。でもね。その期待が。幻想が消えてようやく思えたの」  
 長い黒髪の女性は、胸元で輝く十字架に触れ、  
「生きててよかった。って」  
 
「――、」  
「色々なことがあった。この村を出てからも。学園都市に来てからも。錬金術師に会って。君に救われて。友達ができて。お医者になって。恋を覚えて。君と結ばれて。…………だけど」  
 一息。  
「生きててよかったって思えたのは。本当についさっきなの」  
 吐き出していく。  
 灰のように降り積もっていたものを。血のように凝り固まっていたものを。  
 失われたものを悼みながら、今在る生に感謝することは難しい。  
 悼みとは、痛みだ。  
 それを受け止めて、なお喜ぶということを、時に人は裏切りのように感じてしまう。  
 失われたものとはその程度のものだったのかと。  
 失って笑えるようなものでしかなかったのかと。  
 けれど――――違う。違うのだ。  
 消えてしまったことを認めて、離れてしまったことを憶えて、もう触れられぬということを刻んで、  
 全て飲み干して血肉とすることは、決して裏切りなんかじゃない。  
 女性は、幼い時には受け止め切れなかったあらゆる想いを、成長した今になってようやく飲み干せたのだ。  
 だからこそ、言える。  
 女性は顔を上げる。  
「私は。生きててよかった。私はたくさんの人の命を奪ったけれど。その命の上に生きているけれど。生きててよかった。  
 あの日君がとってくれたこの手は。今は誰かを助けられる手になった。  
 私は。魔法使いにはなれなかったけれど。私が本当になりたかったのは。そういう手を持った人間だったんだって今なら思えるの」  
 ようやく見つめることができた顔はとても晴れやかで。  
 だから男性は、小さく微笑んで促す。  
「それじゃあ……報告、しようぜ」  
「うん」  
 二人は姿勢を正して、きちんとした正座をする。  
 彼らが座っているのは、居間の廊下側、いわゆる下座だ。  
 十数年前には卓を挟んで向かい側に上座があったはずである。  
 そこに座っているはずだった人達へ、女性は静かに。丁寧に。綺麗に頭を下げる。  
 
「お父さん。お母さん。秋沙は明日。お嫁に行きます」  
 
 男性も続けた。必ず幸せにします、と。  
 もちろん、返事はない。  
 それでよかった。  
 報告を終え、女性――姫神秋沙は、いや、明日から上条秋沙となる最愛の人は、男性――上条当麻に向けて改めて頭を下げた。  
 
「不束者ですが。よろしくお願いします」  
 
 
 

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