帰宅してリビングに顔を出すこともしないまま、一方通行は自身の部屋のベッドに倒れこんだ。久しぶりの帰宅でだった。放り出した杖は音を立てて床に転がったままで、後で困りそうだが今はどうだって良かった。  
 うつぶせの状態で枕に顔を埋める。いろいろあって疲れていることは自覚していた。バッテリーは残っているので、乳酸の分解等々を行なってしまえば肉体的な疲労感は軽減されるのだろうが、そんなことも億劫だ。文字通り『疲労困憊』状態である。  
 そんな状況の中で、窺うようなノックの音がして、返事も待たずにそろりと部屋に人影が侵入する。彼がそんなことを許すのはアホ毛の特徴的な同居人の少女ただ一人。  
 僅かに顔を動かして、赤い瞳をめぐらせて確認すれば、少女が一応足音を忍ばせて近付いてくる。  
 もぞりと動いた気配から、一方通行が眠っていないことに気がついた打ち止めは、その足取りを速めてベッドサイドに辿り着くと、ちょこんと膝をついた。  
 
「お帰りなさい、ってミサカはミサカは帰宅したときのご挨拶をしてみたり。飲む? ってミサカはミサカは現在あなたのお気に入りの缶コーヒーを取り出してあなたに示してみる」  
 
 ぶらぶらと缶コーヒーを揺らしてみせる彼女に、一方通行は寝転がったまま腕を伸ばす。頭を撫でる、というよりは、頭に手のひらを置く、といった風にして持ち上げた手のひらの行き先を打ち止めの上に落ち着けると、一方通行はぼそり、とただ一言、  
 
「ネットワークの接続を切れ」  
 
と、少女に告げた。  
 
 
 了承の返事をして言われた通りにネットワークを離脱した打ち止めは、のそりとベッドの上に座りなおした一方通行に抱き上げられて、こちらもベッドの上に座り込んだ。  
 とりあえず缶コーヒーをサイドボードに置こうかと思い、動作する前に、ぎゅ、と抱き締められた。置きそこなった缶コーヒーは、打ち止めの手のひらから離れてサイドボードの端にぶつかると、マットレスの隅に落ち着いた。  
   
「どうしたの? ってミサカはミサカは性急なあなたの態度にちょっぴり動揺してみたり」  
 
「うるせェ」  
 
 肩口に埋められた頭の白い髪を撫でながら、打ち止めは気取られないように仄かな微笑を口の端にのせた。  
 無遠慮な幼児が母親に触れるような態度で、べたべたと触れてくる彼の仕草はまるで子どもだ。親にかまって欲しい、親に甘えたい、そんな子どもの取る行動と同じもの。  
 ネットワークからの離脱を命じられるときは、大抵身体を重ねたりするような場面が多いけれど、打ち止めから言わせて貰えば、一方通行の主眼は性欲の解消にはない(当然それが第一目的な場合もあったけれど)。  
 ただ単純に、誰かの柔らかな肌の温もりや、トクトクと生を刻む心音を感じて、充足感や安心感を得ること――要するに、甘えかかりたいだけなのだ。  
 甘え方どころか他人との関わり方を知らない少年が、不器用にも取る行動がこれだ、というのならば、全然かまいはしないのではあるが。  
 
(もっと素直に普通に甘えてくれても良いのになあ、ってミサカはミサカはあんまり変につつくとこの人依怙地になりそうだから言わないでおくけど)  
 
 しかし、子どもと違って凶悪なのは、ゆっくりとではあるが確実に彼女の性感を刺激するような触り方をしてくるという点にある。  
 ――まあそもそも、『身体を重ねる』という行為に対して、打ち止めが気付いたものの他に、二人そろって気付いてもいないが、彼の彼女に対する独占欲や執着の現れであったりする側面も含まれているからなのであろうが。  
 いつの間にやら肘の辺りまで落とされたワイシャツとキャミソールの紐。少女の上半身はすっかり露出している態になっている。肩の辺りを甘噛みされて、薄い胸の先を彩る桃色の突起を指の腹で転がされて、打ち止めは喉の奥で声をあげる。  
   
「ん、シャツ、ぬぐっ…、ってミサカ、は、ミサカ」  
 
「あ?」  
 
「ギュッて、するのに、じゃまなの、」   
 
 白い指先が滑らかに躍って、すぐに打ち止めの訴えは聞き入れられた。腕を抜き取られて、すとんと落ちたワイシャツと水色のワンピースが、シーツの上で蟠る。  
 一方通行の妙な素直さに、もしかしてギュってされたいのかなとおかしくなった打ち止めは、膝立ちの状態で彼の頭を自分の胸に引き寄せるようにして抱きついた。  
 さらさらとした白い髪や、少し湿った呼気が胸元を撫でて擽ったい。緩慢な動作で背に回された腕に力が籠るのを感じた。不器用な彼であっても、抱き締められたり、それを受け入れて抱き締め返すくらいの素直さは手に入れたらしい。  
 
「うー、やっぱりもうちょっとおっぱいが大きい方が嬉しい? ってミサカはミサカは今後に乞うご期待としか言い様の無い状態を悔しく思ってみる」  
 
「……」  
 
「何かコメントちょうだいよー、ってミサカはミサカはドキドキしてることが丸分りなこの状況がちょっぴり恥ずかしいってことを隠しつつ、そう言えば帰って来てからほっとんどしゃべってないあなたに発言を求めてみたり」  
 
「……っせェな」  
 
「それともあなたは貧乳の方が好みだったりする? ってミサっ、いたっ、痛いってば! ちょっと背中抓らないでよー、ってミサカはミサカはドメスティック・バイオレンスには断固反対っ」  
 
「…オマエがくっだらねェこと言うからだろォが」  
 
「ミサカにとっては死活問題、ってひゃあ?!」  
 
 背中をべたべたと撫で回していた一方通行の手のひらが、するりと肌を使って臀部の方から下着の中に侵入した。突然再開された愛撫に、打ち止めの肌が粟立った。  
 
「寒ィか?」  
 
「ちがっ、おどろいただけ、ってミサカはミサ、ぁ、」  
 
 長い指が恥丘をわって、溢れ出したとろりとした体液を秘所に塗りたくる。見えてもいないくせに的確に陰核や入り口を刺激する指先に翻弄されて、打ち止めの膝はガクガクと震えた。  
 ギュッと抱き締める腕に力が入り、白い髪をぐしゃぐしゃと掻き乱す。  
 
「ちゃンと立ってろ」  
 
「っく、…むりっ」  
 
 相変わらず子どものように遠慮のない、それでいて妙に丁寧で優しい指使いで、一方通行は打ち止めの一番敏感なところを刺激する。粘性の水音と、甘ったるい嬌声と、荒い吐息が部屋の中に響いて、それがさらに二人の欲を煽った。  
 
「もぉっ、む、りっ…」  
 
 腰から下に力が入らない。涙目状態の打ち止めは、シーツの上に座り込んでしまった。頭を抱き締めていた腕もずり落ちて、首の後ろで引っ掛かって止まっていた。  
 ぼやけるほど近い距離に赤い双眸を認めると、打ち止めはふにゃりとした笑みを残したまま、伸び上がって口付けをした。唇を押し付ける程度のものだったが、彼女は二度三度繰り返して、えへへと笑う。  
 
 ――しかし、そんな他愛ない行動が、少年の何かに火をつけたらしい。突然押し倒されて、下着を剥ぎ取られた。口付けは噛み付くようだし、挿入は無理矢理身体を割られるような感覚だった。  
 正直言って、もっとゆっくり且つ優しく扱ってもらわないと、未熟な体躯でセックスにも慣れていない打ち止め的には苦痛で仕方がない。  
 それでも痛みからあがりそうになる悲鳴を堪えた。覆い被さるようにして抱き潰してくる一方通行が、腰を振り快楽を求める以上に、必死に縋り付いてくるような印象だったから。打ち止めはこちらも腕を伸ばし足を絡めて、べったりと密着する。  
 自分勝手なだけに見えてその実妙なところで相手に気を遣っているらしい彼は、折々に能力で彼女の痛みを軽減してくれる。そうなれば緩々と快感は積み重なって、交合はより容易にそして深く進んで行った。  
 ベッドが乱暴な音を立てて軋み、コーヒーの缶はいつの間にか床の上に転り落ちる。  
 
 
 
 吐精までに、そう時間はかからなかった。  
 
 
 
 
 
*****  
 
 
 
 
 ことが終ったあとも、相変わらず一方通行はぐったりした打ち止めを解放しようとしなかった。  
 足元に蹴り飛ばされていた布団を引っ張り上げると、汗と体液を気にする様子も見せず、くるりと二人分の身体を包み込んでそのまますぐに眠りの体勢に入ってしまう。  
 
(確かに帰宅したときお疲れの様子だったし、その上更に疲れるようなことをしているから、お休みモードに入りたいのはわかるけど、ってミサカはミサカはちょっぴり複雑な心境に陥ってみる)  
 
 打ち止めは一人置いてきぼりのまま困惑していた。こちらとてかなり消耗しているが、こんなにぎゅうぎゅうと力いっぱい抱き締められてはそう簡単に眠りに落ちることはできないというものである。  
 せめて何があって今日こんなに疲労困憊して帰ってきたのか教えて欲しいところだが、彼が絶対に教えてくれないことは解っている。  
 それは少し――いや、かなり――寂しいことだが、それが彼の今現在のやり方だというのならば仕方ない。  
 帰って来たときには笑顔で迎え入れれば良いだけだし、もし迷子になって帰ってこれなくなったようなときは、自分が捜しに行けば良いだけのこと。  
 
 そしていつか、今あるようなやり方ではない方法があることを見つけ出して、示すことが出来れば良い、と彼女は思う。それは彼の感情の向け方然り、あるいは世界との関わり方然り。  
 そう一人で納得して頷くと、既にうつらうつらして半分眠りの世界に旅立っている相手の方に手を伸ばして、打ち止めは子どもをあやすようにその頭をゆっくりと撫でた。  
 
「おやすみなさい、あなた」  
 
「……、」  
 
 辛うじて意識が残っていたのか、それとも無意識なのか、仄かに少年は微笑んだ。緩んだ子どものような表情につられて、少女も笑う。  
 この場に相応しいような子守唄を知らないことだけが、彼女にとって唯一の心残りだった。   
 
 
 
おわり。  
 
 
おまけ。   
 
 保護者という二人は外出中で、第一位もいないそんな日だった。一緒に遊ぼうという最終信号の要求を面倒臭いと却下して、番外個体は宛がわれている部屋のベッドの上に寝転んだ。  
 最終信号の部屋と一応は同室であるが、最終信号自身が人の集るところであるリビングや、慕っている様子を隠そうともしない相手である第一位の部屋に行っていることが多いため、この空間は番外個体一人のものとなる機会も多い。  
 そういう態度はあの人そっくり、と言ってむくれていた最終信号もいなくなった部屋で、番外個体はぼんやりと思考する。  
 第一位が『何処に』『何をしに』行ったのか。また厄介な何事かに巻き込まれていたとしたら、自分はこの家の『善人』どもを守らねばいけない。もったいぶらず連絡寄越せ、と番外個体は舌打ちする。  
 そして何より、彼が直接動くとすれば、暗部あるいはミサカたちクローンに関わりのある問題である可能性が高い。もっと言えば、『最終信号』に関わる問題である可能性がある。  
 
 そこまで考えて、番外個体はチリッと胸の奥に痛みが兆したのを感じた。ここ最近になって、ときおり訪れるよく解らない胸の痛み。第一位と最終信号に関する何かがあったり、あるいは考えたりするとき番外個体を襲うソレは、  
 恐らく既存のプログラムとしてインストールされている憎悪の一種だと彼女自身は分析しているが――どうにもそれで処理しきれないような、不可思議な感覚でもあった。  
   
(ま、どうでもいっか)  
 
 その痛みを考えることはやめて、番外個体は周囲の気配に神経を散らす。ぼんやりしていると、玄関が開き、隣の部屋の扉が閉まる音が聞えた。  
 極力気配を消して音を押さえ込んでいるようだが、部屋の位置の関係上番外個体には丸解りだ。第一位のご帰還である。  
 そしてほどなくして、軽やかな足音を立てて、最終信号が隣の部屋に入っていくことがネットワーク越しに伝わってきた。どうしたのかな――という最終信号の『心配』という感情に引きずられたのか、番外個体も何となく第一位のことが心配になる。  
 心配するような相手ではないし、相手も自分に心配される筋合いはないと思っていそうではあるが、そういった感情を抱いてしまったのだから仕方がない。心配なのである。  
 
<どうしたのかな? って<大丈夫? って<お疲れ気味みたいだけど って<何があったのかな? って<寝てる? って<起きてた! って<大丈夫? って  
 
 立て続けに流れ込んでくる最終信号の思考のお陰か、番外個体は隣の部屋の様子が、第一位の様子がやたらと気になった。更に言えば、第一位と最終信号が『二人でいる』ということに関しても何故だか知らないが無性に苛立ちを感じる。  
 己が第一位に憎悪を抱きやすいという性質上、そして第一位が大切にしている存在が最終信号である以上、その両者に関係のあることで苛々するのは当然のこととはいえ、辛抱できるものではない。  
 そして最終信号がネットワークから離脱してしまったことが、更に番外個体の苛立ちを煽った。その結果か、相変わらず胸は痛むし、モヤモヤと鬱屈した感情が湧き出し続けている。  
 その感情としばし葛藤した後、もういっそ隣の部屋に殴り込みをかけてやろうかと番外個体は思ったが、第一位にとって最悪のタイミングで飛び込むのがよりベターだろうと判断して、暫く様子を見ることに決めた。  
 壁際に寄ると、中の様子を窺うかのように耳をすませる。戦闘面に優れた個体である彼女の聴覚の精度は高かった。  
 
 
 
 ――そして漏れ聞えてきたのは、今まで聞いたこともないような、途切れがちにあがる少女の甘ったるい声。  
 
 
 
 一瞬ギョッとした番外個体は、思わず壁から身を離す。そういった方面に関する知識はゼロではないものの、実際目にしたり耳にしたりする経験のなかった番外個体は、隣の部屋で何が行なわれているのか想像し判断するのに少々の時間を要した。  
 そして漸くその行為の正体を掴んだとき、番外個体を襲ったのは、自身の様々な感情や思考が溢れ出してくることへの『狼狽』だった。  
 
 ヤることヤってんのかよアイツらという『嘲り』や、親御さん面してガキに手ぇ出すのかよという『侮蔑』、コレをネタに第一位をボロクソに出来るという『期待』、  
 ――そして彼女自身理解に苦しむ、第一位への意図の不明な『欲求』、そして最終信号への理由の掴めない『妬み』や『羨望』。方向性のバラバラな思いが乱れて、番外個体は動けなくなる。  
 
 
 しかし、自律的な行動はできないくせに、生理的な衝動は止まらない。会話の声こそ籠っていて拾いにくいが、最終信号があげる嬌声だけは、壁越しであるにも関わらずやけにはっきりと番外個体の耳に届いた。  
 そしてその音声は、じわりじわりと番外個体の本能を侵食する。  
   
「ううっ、ぁあ…」  
 
 足の付け根のあたりがむずむずする。外陰部がひくひくと刺激を求めて震えている。ぺたりと床に座り込んで、カーペットに押し付けるけれど、それでは全く足りなかった。  
 甘い声が、第一位に抱かれる最終信号の声が、番外個体の頭を滅茶苦茶にかき乱す。   
 この疼きを鎮める刺激が欲しい。最終信号に成り代わりたい。第一位に――そこまで考えて、番外個体は思考することを放棄した。何が何だかわからなくなって、涙で視界が滲んできた。  
 甘い悲鳴と何かの軋む音が、ぐちゃぐちゃに壊れたリズムを刻んでいる。そのリズムに合わせて、番外個体は腰を揺らした。足りない。全然足りない。  
 困ったように辺りを見回して、目に付いたのはすっかり放置されていたピンク色の制汗スプレーの缶。もどかしい思いでそれを手に取って跨ると、番外個体は再び腰を降り始めた。  
 隣の部屋から漏れて来る音にあわせて、番外個体は必死になって、性器を布越しにスプレー缶に擦りつけた。生まれて初めての感覚に彼女は戸惑っていた。ふわふわとしたような奇妙な感覚の誘惑の前に、止まることができそうにない。  
 
 
「や、らぁ、はっ、はぁ、あ、あ…ああ、くぅううっ、」  
 
 
 
 彼女の人生初めての絶頂は、存外呆気なく訪れた。    
 
 
 
 
*****  
 
 
 
 
 
 すっかり脱力してしまった番外個体が、その余韻から冷めて最初に襲ってきた感情もまた、彼女を『混乱』させるものだった。  
 やり場のない第一位への苛立ちと、それ以上に募る最終信号への鬱屈とした思い。  
 そして何より、静かになった部屋から出てくる気配の全くない両者に対する、モヤモヤとした、ドス黒い――かといってあのロシアでの感情とはまた違った――名前をつけて定義し辛い感情。  
 二人のことを考えるだけで、相変わらず胸の奥が軋むように痛んだ。憎悪とは何処かが違う、正体不明の想い。  
 
「…何これ、イミわかんないんだけど……」  
 
 番外個体は膝を抱えて一人呟いた。  
 ――その胸に兆した感情の名を、彼女が知るのはもう少し後のこと。  
 
 
 
おわり。   
 
 

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