「ひっぐ、ぐすっ…… 私は嫌だって言ったのに……」
少女の声が、上条当麻に鉛のように重くのしかかる。
その口調は彼を責めるようでもなく、恨みがましいわけでもない。
だが、怯えきった少女が啜り泣きを隠して、搾り出すようにして語りかけるその言葉は、何よりも彼の心臓を凍りつかせた。
「とうまが、とうまがっ…… 急に怖くなって、無理矢理痛いことしてきて……!」
最初は、何が起きたのか理解できなかった。
確か先ほどいつものように、インデックスが寝たのを確認して、自分も寝室であるユニットバスへと篭ったはずだ。
そこから記憶がぷっつりと途切れており、気がつけば眼前には今現在の光景が広がっていた。
滅茶苦茶に破かれた修道服を寄せ集めて必死に身体を隠しながら、顔を涙でくしゃくしゃにしているインデックスの姿が。
ベッドのシーツは皺くちゃになっており、掛け布団は邪魔だと言わんばかりに床へ蹴落とされていた。
まるで誰かが、この場所で激しい運動でもしたかのように乱れたベッド。
そしてシーツの中心部分には、何か赤い液体のようなものが滲んでいる。
それが何によってできた痕跡なのか、彼は想像もしたくなかった。
ここで何があったのか、誰が何をしたのか。
考えるだけで、上条当麻は頭がおかしくなってしまいそうだ。
そんなことは想像するだけでも恐ろしい。 いや、おぞましくすらある。
だが、目の前にその光景が広がっている以上、それを否定するのは不可能だった。
状況から考えれば、誰でもわかることである。
彼にとっては絶対不可侵の、何があっても護り通すべき対象である少女を
自分が一時の下卑た欲望に身を委ねて、自分の手で汚してしまったのだろうことが。
嘘だ、これは夢だ。
何度も自分に言い聞かせようとした。
そうでなければ、自分という存在が足元から崩れ落ちてしまいそうだったから。
記憶喪失であった自分を支えてきた、唯一のアイデンティティを失ってしまいそうだったから。
「こんなの酷いんだよ…… 昔のとうまだったら、絶対こんなことしなかったんだよ!」
だが、少女の言葉は容赦なく彼の心を穿つ。
「昔のとうまはすごく優しくて、格好良くて…… 私はそんなとうまが大好きだったのに……」
無慈悲に、そして的確に、彼の心のひずみを狙い撃ちするように。
「……やっぱり、とうまは…… 今、私の目の前にいるとうまは」
やめろ。 もうやめてくれ。
償いなら何でもする。 死ねと言うのなら、今すぐにでも舌を噛み千切ってやる。
一生かけてでも、どんなことをしてでも償う。
だから、お願いだ。 その言葉だけは聞きたくない―――――――
「私の好きだったとうまとは違う、別のとうまなんだよね?
「今までずっと、私を騙してたの?」
「あ…… うあぁぁぁぁぁぁっ!」
気がつけば上条当麻は、ユニットバスの中で絶叫しながら、跳ね上がるように身を起こしていた。
夢だった。 それもとびきり性質の悪い。
それを理解して、思わず彼は大きなため息をついた。
そして自分が被っていたタオルケットで、滴り落ちてきていた顔の汗をぬぐう。
どうやら、全身の水分を全部出し切ったんじゃないかと思うほどの、尋常ではない量の寝汗をかいていたようだ。
寝巻きがぐっしょりと全身に張り付いていて、気味が悪い。
「……なんて夢、見てんだよ」
上条当麻は記憶喪失であり、彼の記憶はここ数ヶ月のものしか無い。
だが、彼は胸を張って断言できるだろう。
この夢は、今までの人生で文句なしに最悪の夢であると。
「あれは夢だ…… 夢、夢ですよ! だからもう忘れろ!」
頭をぶんぶんと振りかぶって、彼は必死になって忘れようとする。
夢の中での彼女のすすり泣く声を、怯えきった声色を、涙に濡れた表情を。
そして、彼女の言葉を。
『今のとうまは、私が好きだったとうまとは、違うとうまなんだよね?』
『今までずっと、私を騙してたの?』
「くっそ…… 不幸、不幸だ……」
明日はインデックスにどんな顔を合わせればいいんだ。
上条当麻はそんなことを考えながら、殻にでも篭るかのように布団を頭まで被って、二度目の眠りについた。