第七学区のとある学生寮……のとある一室。
上条当麻はいつからか、寝室を居間のベッドからバスルームへと移さなくてはならなくなっていた。
理由は簡単、夏休みに記憶喪失になって部屋に帰ってきてみれば、あらまあびっくり。
年頃の銀髪碧眼白人美少女と同棲しなくてはならないという、前代未聞のステキな事態に陥っていたからである。
しかもこのインデックスという少女が、眠っていると無意識のうちにベッドに潜り込んでくるという癖を持っていたのだからさあ大変。
毎晩毎晩布団の中に潜り込まれて抱きつかれては、いつ理性という名の堤防が決壊してしまうかわかったものではない。
最初の数日など、抱きついてくる彼女の身体の柔らかさや、髪の毛からほんのりと香る甘い匂いや
寝言で自分の名を呼ぶあの可愛らしい声などに何度も誘惑され、思わず一線を飛び越えてしまいそうになった。
そうなる度に頭をぶんぶんと激しく振ったり、自分の頭をポカポカと殴りつけたりして邪心を振り払いながら
どうにかして彼女を襲ってしまいたい衝動をぶち壊してきたのである。
その後は鍵つきのバスルームに避難するという絶対の防御策を編み出し、この件に関してはどうにかカタがついたと思われた。
そして現在、上条当麻の寝床はどこなのかと言うと……
「んじゃ、おやすみな…… インデックス」
「うん、とうま…… おやすみ」
結局、自分のベッドの上に逆戻りしていた。
その横には、頬を赤らめて上条と床を共にするインデックスの姿が。
まあなんつーか、早い話が、男子高校生の性欲の前には鉄の理性も無駄だったわけで。
そりゃそうだ。 独り身の男子高校生という、一日中エロいこと考えてるようなサカった生き物の家に女の子を住まわせるなど
飢えた狼の檻の中に、どうぞお食べくださいと丸焼きにした羊を放つが如き乱行である。
しかもインデックスは周知のように、上条当麻のことを心の底から好いていた。
上条のほうも彼女には並々ならぬ感情を持っている、となれば…… まあこうなるだろう。
むしろなってないほうがおかしい。 性的不能かどうかを疑うレベルだ。
上条は実際の話、本当によく耐えた。 男子高校生にしては実によく耐えたものだった。
だが我慢というものには限りがある。 堪忍袋の緒は切れるようにできてるものなのだ。
ある日ついに、溜まりに溜まった上条のムラムラが限界に達し、とうとう我慢できずにヤッちゃったわけである。
インデックスのほうも最初は驚いて少し当惑したものの、すぐに上条のする行為を受け入れるようになった。
一度そうなってしまえば、今まで溜めに溜めていた二人の感情がドッカーンと爆発するのは必然。
しかも事実上の同棲生活。 二人は思春期の男女。
二人は、いつしか毎晩のように互いを求めあうようになっていた。
「えへへ…… とうま、あったかい……」
一緒のベッドの中、上条に寄り添いながらインデックスが幸せそうにはにかんでいた。
(とうまの背中、大きくて暖かくて…… 大好き)
後ろからぎゅっと、上条の背中に抱きついてみると、何故だか彼女は心から安心できた。
彼の背中はとても広くて、耳を近づけてみると微かにトクントクンという心臓の音が聞こえてくる。
肌から伝わってくる上条の暖かさがなんだか愛しくなって、頬をぴったりと当ててみる。
(あ、幸せ…… 私、今すごい幸せかも)
全身をふわふわの綿にでも包まれているかのような恍惚感が全身を包み、思わず口元が緩んでしまった。
彼女は、この時間が大好きだった。
直接的な性行為よりも、終わった後にベッドの中で触れ合うこの時間が。
上条に髪を撫ぜてもらったり、ぎゅっと抱きしめてもらったり、軽く互いの身体にキスを落としたり。
彼の肩や二の腕をもにゅもにゅと甘噛みしたり、二人でじゃれあうのがどうしようもなく楽しくて、幸せだった。
どんなに激しい行為よりも、どんな言葉を耳元で囁かれるよりも、彼を近くに感じることができるから。
自分を闇の底から助け出してくれたこの少年が、何よりも近く、そして愛しく感じるから。
それに対して、上条当麻のほうはというと
(はぁ…… またやっちまった、畜生)
彼にとってこの時間は、一日のどの時間よりも憂鬱だった。
誤解無きように先に言っておいたはずだが、上条当麻はこの少女に並々ならぬ感情を抱いている。
ずっと彼女と一緒にいたいと心から思っているし、彼女の笑顔をずっと守ってやりたいとも思っている。
二人は相思相愛であり、こうして触れ合っていることは彼にとっても幸せであるはずだった。
だが……
(インデックスが好きな俺は『今の俺』じゃないってのに…… わかってるのに、何で毎回我慢できねえんだよ……)
上条当麻は真剣に、彼女と最初に寝た日からずっとこう思い悩んでいた。
自分は彼女の好きだった『上条当麻』ではない。
だというのに、『上条当麻』を演じることでインデックスを騙し、彼女と一緒になりたいという自分の欲望を満たそうとしているのだと。
そんな罪悪感が心のどこかにへばりついて、拭おうにも拭いきれない。
彼女が幸せそうに笑う度に、罪悪感と幸福感の板ばさみに襲われる。
この笑顔は自分に対して向けられているのだろうか、前の『上条当麻』へと向けられているのではないか、と。
その度に記憶を失う前の自分に嫉妬し、それを演じることで彼女を欺いている自身がどうしようもなく卑怯な人間であると自覚してしまう。
なんの気も無しに振り返ると、禁書目録の少女が可愛らしい笑みを浮かべていた。
自分の背中にぴったりとくっついて、まるでずっと一緒にいたい、離したくないとでも言わんばかりに手を回して抱きつきながら。
その笑顔があまりにも愛しすぎて、今まで思い悩んでいたの面倒くさい悩みなど、どうでもよくなってしまいそうだった。
彼女の頭を腕で優しく包み込んで、髪の毛を指先で撫ぜる。
できることなら今感じている葛藤など、何もかも忘れて彼女とずっと一緒にいたかった。
自分自身がこの少女を愛しているという感情だけは、間違いなく本物だったから。
その確証だけが、今の上条を必死に支えていた。
「ん…… とうま、大好きだよ」
胸の中で、インデックスがそう言ったのが聞こえた。
だがその言葉でさえも、彼には二重の意味に聞こえてしまう。
嬉しさと悲しさが同時に彼の心を揺り動かして、頭がどうにかなってしまいそうだった。
彼女の笑顔が他人に向けられるのは許せない。
それがたとえ過去の自分に対してでも、上条はそれだけで狂ってしまいそうな程の嫉妬に駆られるから。
だが、彼女の笑顔が自分に向けられるのも許せない。
自分が彼女を騙しているという罪悪感に、心が押しつぶされてしまいそうだから。
自分には彼女を愛する資格など無い。
彼女が好きな自分は、今の自分ではないのだから。
だが、彼女への愛情を捨てることなどできない。
この気持ちだけは、間違いなく嘘偽りの無い真摯なものなのだから。
もし全てを知った時、愛しい少女はどんな顔をするのだろうか。
自身を騙していた上条を糾弾するのか、それともただ無言で泣き崩れるのか。
考えただけで心臓が凍りつき、世界が崩れ落ちてしまいそうになる。
(くそっ、不幸だ……)
上条当麻は、本当に不幸な人間である。
仮に事実を知ったところで、彼女が上条を否定することなどありえないというのに。
疑心暗鬼に駆られ、自身が勝手に作り出した罪の意識に惑わされ、この余りある幸福を素直に受け取ることができないのだから。