「…そ…、そのままっ…沈んでしまえば…いいのですわ…っ!」
ぜーぜーと肩で息をしながら吐き捨てる白井。
かなり遠くから彼女の走って来た痕跡がある辺り、相当の助走と共に吶喊してきたのだろう。
一方上条はぴくりとも動かず浮いている。
非常に危険な気がするのは気のせいか。
あれだけモロに白井のドロップキックが炸裂したのだ。気絶している可能性だってある。
そんな状態で、しかも水面に俯せに浮いているとなれば呼吸もままならないだろう。
現に今も上条の頭部周辺には気泡の一つも出ていないのだ。
(…………って、それはいくらなんでもヤバイじゃない!)
ガバッと勢いよく立ち上がると間髪入れずにプールへ飛び込み上条を陸に引き揚げる。
「お、お姉様!?」
白井が困惑げ(かなり酷い)に美琴を呼ぶが、今の彼女にそんなことを気にしている余裕は無い。
「…大丈夫!? ねぇ、ちょっと!!」
仰向けにして頬を軽く叩いてみるが反応無し。
揺すってみるが反応無し。
口元に耳を近づけて呼吸を確認するが、こちらも無い…ような気がする。
美琴は立ち上がり自身の付けていたパレオを取ると、それを手近にあるオブジェの石に巻き付けた。
そして、首の後ろに置いて気道を確保する。
「………ん……」
そして、鼻をつまんで息を吹き込んだ。
朦朧とする意識の中、上条は唇に妙な柔らかさを感じていた。
(…なん、だ?)
頭部に受けたドロップキックで意識が持って行かれた上、酸欠で動きの鈍くなった脳が現状を把握しようと回転を始める。
(…柔ら…かい…?)
ぷにっとした感触が上条の唇に押し付けられ、息を吹き込まれているようだ。
(…あぁ………溺れ…たから…じんこ…う呼吸……を…されてるのか…)
まるで他人の事のような思考。
酸素を吸って徐々に覚醒し始めた彼に、現状は違った意味で甚大なダメージを与えた。
(…………人工呼吸?)
英語で言うとマウストゥマウス。
直訳すると口と口。
ぶちゅう。
すなわち、
(………キッ…!?)
一瞬で沸騰する上条の脳。
暴走仕掛けた思考を正常に引き戻したのは、
「起きなさいってば! ねぇ!」
懸命に声をかけながら必死に人工呼吸を施す美琴の姿だった。
(…御坂…)
弛緩しきった体に無理矢理力を込める。
グッと握られる拳。
「…ぐ…げほっ!? …こ、ふっ…」
少しだけ喉を焼かれるような痛みに耐えながら、水を吐き出しよろよろと起き上がる上条。
「あああ、アンタ大丈夫なの!?」
美琴が上体を起こしたのとほぼ同時に上条が起き上がったので、思わず大きな声を上げてしまう。
「………何とか、大丈夫みたいだな…」
細かな不調はあるが命に別状は無い。
力の戻って来た身体に力を込めて立ち上がろうとした瞬間、横から軽い衝撃に襲われた。
肌と肌が触れ合う感触。
「…ッ……!」
そして上条の体を伝うプールの水より温度の高い液体。
「……っく…ぅぅ…よかっ……ひぐ…よかった、よぉ…」
美琴は泣いていた。
さっきまでの真剣で切羽詰まったような雰囲気は消え、普段からは到底想像も及ばないほど素直に自身の感情を表している。
「な、何で泣いてんだよ…」
そんな美琴を最初はオロオロといった様子で見つめていた上条は、まだ若干困ったような表情を浮かべつつも慰めるように彼女の頭を撫でた。
「…たく…、そんな泣くなっての…」
子供のように泣きじゃくっていた美琴がまだ涙に濡れる顔を上げて、
「…だ、だって……揺すっても叩いても目を覚まさないんだもん…っく…超電磁砲喰らわせてやろうかと思った…」
徐々に落ち着いてきたのか小さな声で呟く。
ちょっと言動が幼くなっているらしい。
「…超電磁砲って、おい…」
その呟きを聞いた瞬間、頬の筋肉が少しヒクついたがまぁよしとしよう。
「…落ち着いたか?」
「………うん」
ゴシゴシと涙を拭い、美琴はハタとなにかに気がついたようで動きを止める。
そして、頬が泣くことで赤くなるのとは別のベクトルで赤くなった。
「……また泣いてるとこ見られた…」
端から見れば公衆の面前で泣きまくった揚句、男の胸に顔を埋めて恥ずかしがっている方が余程恥ずかしいと思うのだが。
「いや、見たっつーか御坂が見せたっつーか…」
上条も上条でやんわりと押し付けられているぶつかって転んだ拍子に掴んでしまったアレとかがすごい気になっていたりする。
なんだかんだで結構いい雰囲気になっている二人。
「「…じぃー…」」
そんな二人を物影からじぃーっと見つめる怪しい人影が二つ。
言わずもがな姫神と吹寄である。
あれだけ騒げば人も集まるだろうが、何故かこの二人しかこの場にいない。
否、訂正。
もう一人、木の側でがっくりとうなだれる白井もいた。
ブツブツと、『お姉様の唇が』とか『人前であんなに乱れて』などと呪詛のように呟いているのが異常に恐ろしい。
「…いったい。何の騒ぎかと思って来てみれば。こんな状態…」
ぼそりと姫神。
アメリカンな感じで肩を竦めそうな雰囲気だ。
「…腹が立つ以前に羨ましいわね」
吹寄はため息を吐きつつ羨望と微妙な嫉妬がおり混ざった、なんとも可愛いらしい表情で呟いた。
「……割って入るのが。ちょっと。躊躇われる雰囲気ね。どうしようかな…」
「…うーん…」
などと喋っているとはつゆ知らず、美琴と嬉し恥ずかし赤面トークをしていた上条の脳裏に、ニュータイプばりの稲妻が走った。
(…猛烈に嫌な予感!)
次の瞬間、
がぶ…!
上条の頭蓋に食い込む無数の歯。
「うぇ!?」
声を上げたのは上条ではなく美琴だった。
ミッションインポッシブルのダイブでさえ見劣りするような華麗さで、どういう理屈なのか真上から落下して来たインデックスは、
「とぉぉぉぉぅぅまはぁぁぁ! どぉぉこにぃぃ、いぃぃってもぉぉぉ! とぉぉまなのぉぉぉ!?」
とか絶叫しながら食らい付いたのだ。
それは美琴とて驚きの声を上げてしまうだろう。
「ウギャァァぁあ!? 歯がっ! 歯が食い込んでるぅぅぅ!!!」
インデックスに噛み付かれたままごろごろのたうちまわる上条少年。
不幸である。
定例化しつつあるとしてもやっぱり痛いわけで、このままでは頭がい骨の上側だけごっそり持って行かれそうだ。
「ちょっと! いい加減に放しなさいよ!」
瞬く間に普段の調子に戻るのが、なんとも美琴らしい。
「………何? 私は今とうまとお話中なんだけど」
噛み付きが解かれ動きが止まった上条の上から半眼で見つめるインデックス。