某日。  
とある女子中学校の寮の一室にて、ツインテール少女が机の上に散らばせたカプセル状の何かをより分けていた。  
彼女の見つめる粒の大きさは小指の爪とだいたい同じくらいだろう。  
見たまんま『それ』なのだが、普通のカプセルとは訳が違った。  
「…うふふ…まさかお姉様に使おうかなー、とか思っていたお薬が、こんな形で役に立つとは思ってもみませんでしたわ…」  
何故か都合よく少女の顔を下から淡い薄茶の光源が照らし出し、企みを巡らせているような暗い笑顔を浮かべている  
一人(現在美琴は絶賛お出かけ中)で真っ暗な部屋に置いた怪しげな薬を見つめながら、暗い笑顔を浮かべる少女というのは如何なものだろう。  
すっかり悪役の様相を呈している。  
何と言うか、いろいろと終わっている気がしないでもない。  
「………さて、こっちはこれでいいとして…」  
カプセルをいかにもなケースに収めた白井は、今度は思考を巡らせ始めた。  
「…うふふ…楽しみですの…本当に…うふふふふ…」  
やっぱり彼女は薄ぼんやりと照らし出されたままである。  
某三つ目の新しい東京にいるグラサンの司令が如く指を合わせ、またも不適に笑う。  
大丈夫なのだろうか。  
何はともあれ、ろくでもないことを考えているのは確実だろうが。  
「…………これでイケますわ!」  
突然、ガタンと椅子を大きく鳴らし立ち上がる白井。  
笑うのを我慢できないといった表情で手早く荷物をまとめると、叫びを上げて立ち上がったときと同じ唐突さ加減で部屋を飛び出していった。  
気付けば、誰もいなくなった部屋は何事もなかったかのように普段の明るい状態に戻っている。  
小さな音を起て、ようやく閉まるドア。  
誰もいない彼女達の部屋から白井黒子の作戦が始動したのだった。  
 
 
ところ変わってここは上条さん家。  
今現在そこは白井にとってかなり都合のいい状況となっていた。  
彼女自身はまだ現れていないものの、いろいろな手間が省ける現状だ。  
第一に、一服盛ってでも揃えようとしていた面子が何の苦労もなく揃っている。  
これは非常に幸運だった。  
それでなくても時間がかかるのだ。人を集める手間が大幅に省けた。  
第二に、同居人及びお隣りさんが不在であること。  
土御門はここ数日、学校を休んでいる。  
多分海外にでも出向いているのだろう。  
インデックスは小萌先生のところへお泊りするー、と言って朝早く出ていった。  
言葉の端々に『豪華』だの『究極』などの単語あったことから、何かご馳走してもらえるようだ。  
上条個人としてはものすごくご一緒したいのだが、言葉にしたらインデックスに噛み付かれた。  
銀髪シスター曰く、異性の部屋に一泊ってかなり問題あるかもっ、だそうで。  
食事だけ一緒に、という選択肢がなくもないことに気付いていない。  
かくして上条少年は自室で一人寂しくぼんやりとしていたのだが、彼の平穏がそう長く続くわけがないのはわかりきったことである。  
一番最初に現れたのは姫神秋沙だ。  
 
「……私はただ…。当麻くんの顔が見たくて…」  
毎度のことながら彼女の言葉はストレートこの上ない。  
表情はあまり変化無いのだが。  
「…そ、そうか」  
美少女にもじもじされながら言われた日には、もう悶絶ものである。  
上条がテレつつ呟き、ふとその視線が吹寄に向いた。  
見ると、何だか眉間に寄ったシワを人差し指でぐりぐりしている。  
「どうした?」  
思わず首を傾げる上条。  
「…なんでもないわ…気にしないで」  
言われて今度は、人差し指でテーブルを一定のリズムで叩きながらちらちらと上条の様子を伺う吹寄。  
さっき一気に煽ったために空っぽになっているコップを弄りながら興味なさそうにそっぽを向きつつ話の内容に必死で聞き耳をたてている美琴。  
そのどちらからも、何となく不機嫌な感じが撒き散らされていた。  
嫌な予感はするものの、上条少年がその原因をしっかり把握できる訳がなく。  
疑問に首を傾げるしか出来ないでいた。  
ふと、思い出したように立ち上がる上条。  
「そういえば…最近白井の奴を見ねーな、どうしてんだ?」  
そして自分のコップを軽く煽ると冷蔵庫から入れ物を取り出し、美琴のコップに注ぎ直しながら聞いた。  
「ありがと。…元気してるわ、怖いくらい」  
受け取りながら礼を言い、眉をしかめて答える美琴。  
それだけで大体状況は把握できるような気がする。  
「…は、はは…」  
話を振った上条として少しは気の利いたことを言いたかったのだが、苦笑をもらすしか出来なかった。  
こればかりは致し方ない。  
白井の暴走っぷりを身をもって知っているからだ。  
「…でもさー、何か最近すっごく機嫌がいいのよね。何でか知らないけど」  
つい、と向けられた訝しんでいるような美琴の瞳。  
「………そこで何故私を見ますか御坂さん」  
気付けば姫神と吹寄も似たような視線を上条へ向けている。  
じりじりと視線だけで気圧されていく上条少年。  
黙っていれば美少女(一人例外としてほとんど喋らない少女がいるが)達の疑惑の眼差し。  
怪しまれている。  
確実に怪しまれている。  
確かに、何かあったといえばあったのだが、それは上条が普段からよく巻き込まれ(に行って?)いる事件があっただけで、他に何があったわけでもない。  
 
(……いや、待てよ…?)  
 
と、そこで収束しかかった思考に待ったをかける。  
正確に言えば何も無かった訳ではない。  
当然、あの騒動の後の話だ。  
ゲームセンターから出てしばらく、二人っきりで話していた。  
話していただけでなく抱きしめられたり白井の心情を吐露されたりと、よくよく考えれば告白されてんのかなー、と考えが至るような状況に思える。  
とは言え、このまま押し黙っていれば何かあったことを肯定しているようなものだ。  
これ以上現状を悪化させるのは上条本人としても御免被りたい。  
ただでさえごちゃごちゃな状態なのである。  
まだ答えも出せていないのに悩みは増える一方だ。  
目の前にいる少女達が要因なのだが、ここまで問題がこんがらがったのは上条が煮え切らなかったことにも原因がある。  
ぐるぐると回る思考を何とかまとめ、ようやく何か弁明しようと、口を開いた瞬間、  
「当ぉ麻ぁーっ」  
「…うぉぉ!?」  
誰かに、がばーっと背後から熱い抱擁をかまされた。  
 
 
勢い余って上条が俯せに突っ伏す。  
ぐしゃりというあまり美しくない音がしたが気にしない。  
ちょっと肘とかを床にぶつけたがこれも我慢。というかコルク抜きをぶち込まれた時の痛みに比べればこの程度のことは何ともないからだ。  
「…い…っつー…」  
絞り出すようにもらし、ぶつけた部分を摩りながら起き上がる上条。  
当然、背中にはツインテールの少女を張り付かせたまま。  
 
上条にピッタリくっついて離れない少女の名は、  
「黒子っ!? こんなところで何してんの!?」  
そう、白井黒子だった。  
 
 
正直、いきなり上条が倒れたのには驚いた。  
助け起こそうと思ったら背中に女の子がくっついてるし。  
軽い嫉妬を覚えた。  
気付いてすぐに振り払ったが。  
(……駄目ね…最近ますますもって感情に制御が効かなくなってきている…)  
少しだけ目を伏せて吹寄は小さく深呼吸。  
気分と感情を鎮め、改めて上条と少女を見る。  
よく見ると背中に張り付いている少女には見覚えがあった。  
(…初めて会ったのはプールの時よね…あの時は全然こんな風じゃなかったのに…)  
こんな風、とは上条少年にべったりと懐いている状態のことである。  
 
いいな、羨ましい…。  
 
思わずもれる感情のカケラ。  
自分がこんなに嫉妬深いとは思っても見なかった。  
これでは、もし上条が誰かと付き合い始めたらどうにかなってしまうかもしれない。  
大袈裟だ、と理性が否定する。  
だが、感情はそれを認めない。  
バラバラになってしまいそうだ。  
今まで、こんなにも理性と感情がせめぎあったことはなかったのに。  
いつもなら、理性で感情を簡単に捩伏ることができたのだ。  
 
しかし、今はどうだ?  
 
少年と関わりを持てば持つほど感情の力は強くなっていく。  
一度、押さえられなくなったそれが溢れ出したことがある。  
無理矢理に少年の唇を奪った、あの時だ。  
そのあと、うれしかった反面、あんな行動に出ては少年に嫌われてしまうのではないかと、とても怖かった。  
翌日顔を合わせた際のあまりの変調の無さに、少しだけ怒りを覚えたのだが。  
彼の側にいたいと思う。  
これは確かなことだ。  
彼に心惹かれていることは確実なのだから。  
独占、したいとも思う。  
彼の周りには常に女性の姿がある。  
何故か集まってくるのだ。  
自分もその一人なのだという自覚もある。  
しかし、  
 
それでも良いかも…。  
 
そう思ったことも、一度や二度ではない。  
最初の頃はただ一緒に居られればそれだけでよかった。  
脅かされることのない安全地帯。  
彼の方へ踏み込まなければ、そこから外へ出ようとしなければ、決して壊れることのない関係。  
けれど、吹寄はその領域に居続けることは出来なかった。  
ふとした瞬間に向けられる彼の笑顔。  
優しい言葉。  
すっ、と何も言わずに助けてくれる。  
彼と居れば居るほど、どんどん彼に魅了されていく。  
 
(…まるで…麻薬ね…)  
幸せな気分を味わえる代わりに、彼から離れると途端に不安になる。  
押さえられなくなるのをわかっていながら、また近づきたくなる。  
(…ふふ…)  
心の中で自身のふがいなさを嘲り笑う、もう一人の覚めた自分。  
でも、今の私にはこのぬるま湯から抜け出す勇気はないんだ。  
つくづくそう思う。  
向こうからこの安全地帯をぶち壊してくれるしか願えない、弱い私。  
その嘲笑が表面へ出ようとした刹那、  
「こっち向いてくださいな当麻っ♪」  
めちゃくちゃ楽しそうな少女の声。  
(………はぁ…)  
カチンときた。  
私はこんなに悩んでいるのに、と何故かその怒りが上条少年に向かう。  
「当麻! いつまでそうやってデレデレしているつもり!?」  
一先ずこの悩みは置いておいて、上条を取り返す(?)ことにした吹寄さんでした。  
 
 
またこの娘。  
(…ライバル。だよね…)  
姫神秋沙は突然テレポートで現れた少女、白井黒子を見てそう認識した。  
ここにいる少女達は皆、ライバル…恋敵なのだ。  
でも、たまにそれを忘れてしまうことがある。  
上条と、彼の周りに集まる人達と一緒にいると、そんな大切なことすら忘れてしまう。  
少し怖いな、と思った。  
居心地が良すぎるのだ。  
何に脅かされるでなく、普通に暮らせる環境。  
一緒に笑ってくれる友達。  
優しい人達。  
そして、愛しい人。  
ふと、我に帰ると思うのだ。  
楽しくて、幸せで、平穏な、この場所にいていいのかと。  
抱え切れないような業を背負った自分がいていいのかと。  
どんどん怖くなる。  
自分がここにいるのは場違いなのではないか。  
ここに居てはいけないのではないか。  
でも、彼はそれを否定するだろう。  
そんなことねーよ、姫神はここにいて笑ってるのが一番だ、と真剣な表情で言ってくれる。  
考えるだけで胸が熱くなる。  
想うだけでうれしくて堪らなくなる。  
 
自分はいつから彼に惹かれていたのだろう?  
 
多分、考えてもわからない。  
ずっと前から惹かれていた。  
そして、どんどん、際限無く惹かれていく。  
だから一歩、私は前に出た。  
自分の気持ちを相手に伝えることで。  
上条を想うと期待や不安すらも、掛け替えの無いものに思えてくる。  
答えがどうあれ、彼女達には負けたくない。  
だから、自分ももっと大胆になってみよう。  
「こっち向いてくださいな当麻っ♪」  
目の前で、  
(…当麻くんに抱き着いてる。あの娘みたいに…)  
 
ようやく白井を引きはがすことに成功した吹寄と、一緒になって剥がそうとしていた美琴を尻目に、テーブルを飛び越えながら上条の胸元へ飛び込んだ。  
並べられたグラスを一切揺らさずに、ほとんど予備動作なく。  
いろいろと、物理的に不可能な気もしないでもない気がした。  
 
 
あまりにも見慣れた少女が自分の目の前に現れた時、現状を正確に受け入れるより早く強烈な頭痛を感じた。  
 
何をしとるんだこのツインテール小娘は…。  
 
目頭を押さえて、軽く揉みほぐす。  
何をしに来たのかと問うても無駄だろう。  
彼女は多分答えない。  
「こっち向いてくださいな当麻っ♪」  
ひとまずは放っておくしかないのだが、この状態を黙って見ていられるほど大人しい気性をしているわけでもない。  
「くぅー…ろぉー…こぉー…!」  
地の底から響くような暗い声。  
自分がこんな声を出せるのかと、少し驚く。  
びくり、とツインテールが揺れる。  
気付いて引きはがしにかかった大きい方の女の人と一緒に背中からテレポーターを引っぺがした。  
瞬間、視界の隅を横切る小柄な影。  
またしても抱き着かれている。  
(…うっ…)  
こちらは少々、手が出しにくい。  
どうしたものかと悩んでいると、意外とあっさり剥がされていた。  
(……何で自分がこんなにも抑えられないのよ…)  
やり取りを見ながら思う。  
でも、わかっている。  
わからないというものから出る疑問ではなく、何故出来ないのかという自問。  
見てほしいとは思うが、それで上条の想いを引っ掻き回すのは嫌だ。  
我ながら矛盾した思考だとつくづく思う。  
だが、単純に割り切れるほどシンプルな問題でもないだろう。  
尻尾を追いかけ回している犬のようだ。  
面白半分で遊んでいるわけではなく、同じところをぐるぐると回るしかない犬。  
 
虚しい…。  
 
別に恋をしているとか好きだとかが虚しい訳ではなく、  
(…気付いてもらえないのに…何をこんなに悩んでんのよ…)  
伝えてもいないのに、鈍感な少年に意識してもらおうというのが間違っている。  
言葉にする気が無いのに理解してもらおうなどおこがましい。  
単に臆病なだけなのにそれを心の奥に閉ざしている。  
そんな自分の意志の弱さが嫌だった。  
あの時は、向かってくる少年に強固なまでの意志を雷撃と共にぶつけていたのに。  
 
触れようと伸ばしたその手は、空を切る。  
臆病な自分が枷として纏わり付く。  
(…何で…)  
握られる小さな手。  
(…こんなに弱いの…)  
好きなのに。  
今すぐ触れて、抱きしめたいのに。  
(…怖いよ…)  
少年に拒否されることが。  
少年の枷になることが。  
(…はぁ………)  
嫌な感覚だ。  
はっきりした感覚ではなく漠然とした嫌悪感。  
それが、胸の中にじわじわ広がっていく。  
つい、眉をしかめた。  
と、  
「…どうした?」  
頭から感じる温かい感触。  
そして優しい声。  
「さっきっから飲み物に手をつけてねーよな?」  
さっきはあんな勢いよく煽ってたのに…悩み事か、上条は美琴の瞳を見つめながら聞いた。  
(……ぁ…)  
胸中の嫌悪感が薄れ、それと同時に温かい何かが美琴の中へ満ちていく。  
(…もっと撫でてほしい…)  
素直に、純粋に。  
何の羞恥も躊躇いも無くそう思った。  
今自分は、この上なく幸福な表情をしていることだろう。  
頬に集まり留まっている熱と、自然に緩む顔が自身でもよく感じられる。  
(…ふにゃぁ…)  
このままでは溶けてしまうかもしれない。  
(…それでもいいかも…)  
緩んだ思考ではそんな言葉しか出てこないのだ。  
 
ぷす。  
 
突然、何かが突き刺さった時の擬音が聞こえた気がする。  
とりあえずふやけた脳内をしゃんとして、目だけで周囲を見渡してみた。  
と、  
 
ぷす…ぷすっぷすっ。  
 
刺さる刺さる嫉妬を形にしたかのような視線。  
当麻くんから離れてと言わんばかりの姫神に、表情だけは平静を装っている吹寄、愛しのお姉様に鉄矢をぶち込まんばかりの白井。  
おや、と首を傾げた。  
その拍子に撫で撫でしてくれていた上条の手が離れる。  
美琴は不思議だった。  
何故自分はこんなにも嫉妬されているのだろうと。  
(………………)  
 
少し考えてみる。  
さっきまで自分は確か嫉妬に狂っていたはずだ。  
いや、狂っていたという表現は多少大袈裟だが。  
ともかく今とは全く逆の状態だった。  
そのあと上条少年に心配され、  
(…優しく声をかけてもらって…頭を……)  
撫で撫でされた。  
 
ぼふん!!  
 
瞬間沸騰。  
撫で撫でされていたときとは比べものにならないくらい顔に血が集まる。  
 
ありえない。  
 
止まりかけた思考が否定の言葉を叫ぶ。  
何故あんな素直に撫で撫でされていたのか。  
正直言って恥ずかし過ぎる。  
別に嫌いではない。  
幸せだったんだなぁ、と思い返せるからむしろ幸福だった訳で。  
でもそれは今の今まで忘れていた羞恥心を一気に燃え上がらせる燃料にしかならず。  
一瞬、気を失いそうになった。  
思考が燃え上がる羞恥心の煽りを受けて、今度はありえない速度で回転を始める。  
普段スルーしまくってる癖にこんな時ばっかり優しく構ってくれちゃってぇ、でもだからって嫌じゃないわよ幸せよ、って何言ってんの私〜。  
あーでもでも恥ずかしいってすっごい恥ずかしいってばぁ、てゆーか何よあれあんな優しそうな表情してくれちゃって一瞬キュンときたじゃないの。  
あ、いっ、一瞬だけよ、一瞬だけなんだからね。  
と、一通り暴走させる。  
ほぼノンストップだ。  
ギュンギュンと稼動限界ぎりぎりの状態で回転し続ける頭。  
有益さなどカケラも無い内容で、はっきり言ってカロリーの無駄遣いだ。  
因みに、自力で止めないのではなく止められないというのが正しい。  
こういう場合、行き着くとこまで行かせるのが一番楽だが、いつオーバーヒートを起こすかわからない。  
このままではぶっ倒れるのも時間の問題だろう。  
倒れたらそれはそれで面倒をかけるし。  
かくして美琴の暴走は続く。  
 
 
「…どうした?」  
 
 
気付いた時には上条の手は美琴の頭に伸びていた。  
そして優しく撫でる。  
「さっきっから飲み物に手をつけてねーよな?」  
美琴にかけられた声はさしていいものではなかった。  
だが、飾り気のない真っ直ぐな言葉は、何よりも得難いものである。  
(…………当…麻…)  
小さく眉根が寄った。  
嫉妬よりも先に哀しみが心中を満たす。  
別に上条が美琴を選んだ、というわけではないのに。  
締め付けられるような感覚。  
一度想えば本気で愛する白井である。  
例えそれが今も大好きな美琴であったとしても、上条を独り占めしている状況を黙ってみていられるわけが無い。  
むしろ今こうしてほうけていること自体がおかしいのである。  
普段なら、誰よりも速く愛しい人に襲い掛か…もとい、抱き着いていくのに。  
そのうち、美琴の表情がだんだんとろけていく。  
(………狡いですわ…)  
むぅ、と少し心の中に滲んだ嫌な感覚を外に現す。  
すると、間もなくして美琴がハッとした顔で虚空を見つめ、次の瞬間、  
 
ボフッ!!  
 
という擬音が聞こえてきそうな勢いで彼女の顔が真っ赤になった。  
間髪入れずに異常な速度で百面相まで始める始末だ。  
いろいろとアレな気がしないでもないが、彼女のために黙ってみた。  
しかし、このまま放っておいたら、いつまで立っても上条を独占されたままである。  
それだけは断固として阻止したい。  
シラフの…『現状の』彼女達に彼を取られているのはどうにも癪だ。  
 
と、いうわけで。  
 
白井は片膝を立てて鉄矢を引き抜くときのようなポーズをとった。  
シミ一つ無い綺麗な肌。  
適度に引き締まった柔らかそうな太腿。  
そして見えそうで見えないあの布切れ。  
純情な青少年には少々刺激が強い光景である。  
するりと視線が自分の太腿の方へ向く。  
鉄矢がある場所へ。  
だが、本来矢が収まっているそこには別の何かが装填されていた。  
プラスチックのような安っぽい光沢を放つ長方形の細長い灰色の物体。  
ぱっと見、四角いボールペンに見えなくもない。  
しかし、ボールペンには存在しない上から下まで真っ直ぐ走る亀裂が、その灰色が何らかのケースであることを想像させる。  
ちょうど、『ゼラチンで作られた中に薬品を詰められるアレ』がピッタリ収まるようなそんなケース。  
賢明な読者諸氏はそろそろ予想がついている頃であろう。  
このケースの中には白井が美琴に使おうとしたある薬品が詰まったアレ…もといカプセルが入っている、と。  
 
白井の場合、わざわざ飲み物を供して一服盛る必要はないのだ。  
自身の有する能力を使えばその程度、造作もない。  
だから、事に至って重用なのは、そのタイミングである。  
一瞬でもそれを違えればこのメンバーを集めるよりも面倒なことになるだろう。  
それだけは避けたい。  
(…薬を服用して効果が現れるまで…直接の誤差を考えると、ざっと…)  
未だ百面相を続ける美琴を眺めながら、実体験の結果を思い出す。  
(…ざっと……)  
一つ服用しただけで、朝までずっと美琴にばれないように自分を慰めていたことを。  
(……当麻にあんなことされたら…きゃー! ですわーっ!!)  
違うところに思考がぶっ飛んで、意味も無くくねくねしているが気にしてはいけない。何故ならそれをしているのが白井だからだ。  
ともかく、しつこいようだが誰か一人でも気付いて逃げられたらいろいろと困る。  
それにこれはちょっとした人助けだ。  
恋に悩む一人の少年に、救いの手を差し延べる人助け。  
ただ、それには悩みの種となっている人物が揃っていないことには意味がない。  
「……っ…」  
小さく喉が鳴る。  
タイミングを見計らい、ケースの蓋に手をかけた。  
「当麻くん!」  
「貴様、いつまでっ!」  
叫びに合わせるように蓋を開け、その音を消す。  
そして、微妙なズレがあるものの、順にカプセルに触れ直接胃の中にテレポートさせる。  
上条だけを除いて。  
ぴくり、と突然の違和感に反応を示す女性陣の身体。  
「…?」  
一瞬上条が首を傾げた。  
気付いてはいないようだ。  
以前、といってもかなり前だが上条をテレポートさせようとしてうまくいかなかったことがあった。  
だからそれを考慮に入れ考えた手段なら、この薬の『スイッチ』をついでに入れてしまえる。  
因みに、この薬のスイッチとは『嫉妬する』こと。  
スイッチが入ることに因って性欲が異常に刺激され、女性は感度が上昇し、男性は精力が増強される。  
何とも都合の良いお薬なのだ。  
面倒な説明はさておき、上条に薬を飲ませる方法。  
それは…、  
「……ちゅ…れ…る…」  
口移し。  
テレポートで飛んで実行した為、あまりの早さに姫神、吹寄、美琴の三人も、された上条ですら状況認識に時間がかかったほどだ。  
「……ん…はぁ…」  
「…んく、ん…しっ、しらい!! おまっ、なに飲ませたんですか!」  
白井は笑うだけ。  
こうして宴は始まった。  
 
 

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