−*-  
 
「けっこう、手馴れてるんな…こう言うと何だけど、」  
「以外でしょう?」  
 上条の、聞きようによっては失礼な言葉に、けろりとした表情でアニェーゼが答える。  
 朝、水に浸けたままにしておいた食器洗いから、洗濯物の片付け、風呂掃除と、上条  
が取り掛かろうとした先から、そのすべてをこの赤毛の少女に片付けられてしまった。  
 なぜか真っ赤に顔を染めて、上条のトランクスをぎゅっと掴んで凝視していたときには、  
思わずそれを取り上げてしまったが。  
「こう見えても修道女っすからね、一通りのことは仕込まれてるんすよ。共同生活ですか  
らね。ま、一般人が思ってるほどでもなくて…けっこう、かしましいって言うか、そのへん  
はあれです、日本では諺で言うらしいじゃないですか? 女三人寄ればなんとやら、って  
ね」  
 思い出すかのように言って、にっこり微笑む。  
 難しい顔ばかりが印象に残っていたせいか、歳相応な無邪気さを感じる笑顔に思わず  
上条のほうが赤面してしまった。  
「あ……」  
 赤くなった上条の顔を見て、連鎖反応のようにアニェーゼも頬を染める。  
「な、なにべらべらくっちゃべってんでしょうね、私」  
 恥ずかしそうに顔を背けると、アニェーゼはキッチンへと早足で立ち去る。  
 ぼんやりとそれを見送ると同時に、背後から突き刺すような視線を感じた。  
「ど、どうかしましたかインデックスさん?」  
 視線の主が誰かなどという愚問を抱いたりはしない。おずおずと振り向く。思っていた  
通りの不機嫌そうな表情をしたインデックスが上条をじとっ、と見つめていた。  
 が、目が合うと視線を慌てて逸らす。  
「な、なんでもないもんっ」  
「あ、いや、そ、それなら良いんだけどさ」  
 その返事に、インデックスは赤くなった顔を逸らしたまま横目で上条を睨む。  
「……とうまは…、おんなじシスターでもこっちに居るのは何にも出来ないなー、とか、そ  
んなこと思ってたんでしょ…?」  
「ちょ、ま、待ったインデックス! どうしてそう言う話になるの? カミジョーさんまだ何も  
言ってません!」  
「……まだ?」  
 慌てる上条へ向ける目つきをさらに険悪にしながら、インデックスが呟く。  
「やっぱりそう思って――」  
 インデックスに掴まれていた三毛猫が、ふぎゃ! と鳴き声を上げてその手から逃れた。  
猫が逃げ出したその手が、きつく握りしめられて蒼白になっていく。ふるふると肩を震わ  
せる純白シスターの噛み付きゲージがMAXになっていく様が、上条の目には確かに見え  
た。  
 喰い殺されるッ! と上条の脳裏に閃いたそのとき、  
「当麻さん? 大きいナベ、無いっすか?」  
 と、キッチンから声が掛かった。その声に、今にも飛びかからんと腰が上がっていたイン  
デックスが、空気が抜けたようにぺたりと座り込んだ。  
「ううっ。とうまのばか」  
 とりあえず、頭蓋骨の危機は去ったようだ。インデックスの様子が変なのは気になるが、  
とりあえずは逃げてしまうことにする。  
「あ、ああ、ちょっと待ってそっち行くから」  
 振り向く僅かな間に、二人の少女の視線が交錯して、その一瞬に行き交ったものには  
幸か不幸か上条が気付くことはなかった。  
 
 
 
「もうちょっと、場所、開けてください、もう一皿行くんでっ」  
 気が付くと、大量の料理がテーブル、というかいつものちゃぶ台に並んでいる。  
 意外、意外とあんまり言うのは失礼だろうとは思うが、アニェーゼが台所に立つ姿もぞ  
の手際も、上条にとってはまったく念頭にない姿だったためだろうか、驚きばかりが先に  
立った。  
 どこからどこまでが本格派なのかは、普通の日本人の高校生に過ぎない上条当麻に  
は見当も付かないが、自身の買い物袋の中身と、アニェーゼが上条の部屋に持ち込ん  
でいた食材がイタリアンに変身して目の前に並んでいく。  
「こんな材料あったか? どっから持ってきたんだ?」  
 間抜けな質問だと思いつつも、気の利いたセリフも思いつかない。  
「私が持ってきたのも、学園都市で買いましたけど? 日本って、聞いてたとおりで。ホン  
ト、何でも売ってるんでびっくりっすよ」  
 にっこり微笑みながらアニェーゼが答える。  
「あ、あー、そうか。気が付かないモンだな、毎日みたいに行ってても」  
 何故だろうか、この赤毛の少女の自然な表情には、悪い意味でなく――慣れない。妙  
に動悸が激しくなって、不自然に目を逸らした。  
 逆に、少女はその上条のさまが可笑しくなってきたのだろうか、わざとらしく上条の視  
線の先に顔を潜り込ませると、悪戯っぽい表情を作ってみせる。  
「ま、私は日本のマーケットなんて初めてでしたから、逆に物珍しくって色々見て回っちゃ  
いましたけど、普段から行ってたら、逆に変わったモノには目、行かないっすよ。それより、  
準備オッケーなんで食事にしましょう? さあ、座って、インデックスさんも」  
 急に声を掛けられ、インデックスもきょとんとした表情にしかなれない。勢いに押されて  
食卓について、その後になってから慌てて不機嫌そうな表情を作っている。  
 その様子を見ながら苦笑する上条を、さらにその隣で見ながらアニェーゼが声を出した。  
「まあまあ。兎に角も、せっかくの機会なんすから、食事くらいは楽しく行きましょう! あ、  
そうだ、こんなのもあるんです! これは国から持ってきましたっ」  
 ごそごそと、部屋の傍らに置いてあった鞄から、見事なカットの入ったワイングラスが3  
つ出てくる。それを、インデックスと上条に手渡そうとする。  
「あ、これがインデックスさん、こっちが当麻さん……」  
 上条が受け取って、インデックスへと廻し、自分とアニェーゼの席の前に置いた。  
 
「じゃーん。バローロです! いいでしょ? 奮発、したんですよ?」  
 最後に出てきたのは、いかにも高級そうな大振りのボトルだった。  
「ちょい待ち、それって酒じゃん!」  
 上条が思わず声を出す。が、アニェーゼは平然とした表情でソムリエナイフを器用に使  
って、ボトルを開けていた。  
「ちょっと無理して手に入れたんですけど…当麻さんと味わってみたかったのにな……駄  
目っすか?」  
 上目遣いに上条を見やる。  
 特に誰が、と言うこともなくこの手の表情には弱い。しかも、何故かさらりと流せないこ  
の赤毛の少女の視線に、思わず頷いていた。  
「ま、まあ、ちょっとだけなら、な」  
「ふふふー♪」  
 上条の返事に、ぱっと表情を明るくしたアニェーゼがボトルを傾ける。三人のグラスが、  
深い赤紫色の液体に満たされた。  
 その嬉しそうな表情に、上条も無意識に見入ってしまう。ぼんやりとアニェーゼを見つめ  
ていると――太腿に痛みが走った。  
「はうっ!」  
 慌ててその方向を向くと、いかにもムクれてます、といった顔つきのインデックスが脚を  
思いっきりつねっていた。が、上条には顔を向けない。ギリギリと力を強めながら逆の手  
でグラスを掴むと、  
「と、とうまにはバローロなんてもったいないかも! それにもう、とうまはしらふじゃない  
みたいだしっ!」  
 一気にグラスの中身を飲み干す。それだけで真っ赤になった銀髪少女だったが、アニェ  
ーゼからボトルをさらって次々とグラスを空けていった。  
 その後の惨状は、上条としてはあまり思い出したくはない。アニェーゼの料理は絶品だ  
ったし、始めて口にする超高級ワインは確かに美味だったが、インデックスが絡み酒をす  
るとはさすがの上条にも思いもよらないことだった。  
 
 そのインデックスはと言うと――床にだらしなく伸びていた。あんな勢いで飲めばそりゃ  
あこんな風にもなるだろう、と思い、ベッドに運び込もうと上条が手を伸ばす。  
「ごめんなさい、でも上手く行きました」  
 アニェーゼの言葉は唐突だった。  
「へ? どういうことだアニェーゼ?」  
 上条の疑問符に、少しだけ罪悪感を滲ませながらアニェーゼが答えた。  
「彼女のグラスに、かなり深く眠っちまうように術式を刻んで貰ってきたんです――あ、で  
も、何もないです、ほんと、ただ眠るだけ。危険はないです。普通に目覚めます、自分で。  
何時間かは揺すっても叩いても起きないってだけです」  
 アニェーゼの言葉に、驚きと少しだけ怒りを覚えつつ、上条はインデックスを抱え上げた。  
やはり軽い。いつも思うが、こんな軽くて小さな身体のどこにあれだけの食事が収まって  
いくのだろう。  
「まったく、なに考えてこんなこと…。まあ、何事も無いってんなら……」  
 上条はすっかり寝入ってしまったインデックスをベッドに寝かせると、アニェーゼに目線  
を送る。危害を加えたりする意思が無いのは判っていても、ちょっとやることが乱暴では  
ないか、と。  
 
「彼女には邪魔されたくねえんです」  
 目線を向けてみると、アニェーゼはなぜか上条にぴったりと寄り添うように立っていた。  
少し頬を染めているような気がする。  
 あまりの近さに驚いて、そのまま壁に後ずさった。が、アニェーゼもそこにぴったりと連  
いてくる。背中を壁に、前をアニェーゼに挟まれて動けなくなった。  
 アニェーゼが視線をまっすぐに上条の目へと向ける。  
 手を出そうとしてためらい、何度が手を上下させた後、上条のTシャツの裾をつまむよう  
につかんだ。視線を離さないまま口を開こうとして、やはり声が出ないのだろう、ぱくぱく  
と唇を開閉させたあと、かすれた声を絞り出す。  
「……彼女が、あなたを、どう、思っているか、それが…判るから、今だけは、邪魔、され  
たくない…」  
「じゃ、邪魔って、取引成立だろ? インデックスも、上機嫌とはいえなくても納得してんだ  
し、何の邪魔するって言うんだよ?」  
 いくら鈍感な上条でも、ここまでの経過に立った今の雰囲気を考えれば、本能が状況  
の変化を教えてくる。流されてしまえばどうなるか。何となく判ろうというものだ。  
 苦労して目線を逸らすと、何か夢でも見ているのかインデックスが口を不機嫌そうに尖  
らせて、むー、と唸っている。  
「…とうま、だれその子?」  
 という寝言が聞こえてしまった。  
(どんな夢見てるのインデックスさん! 俺をいったいどんな風にっ! で、いまとてもピン  
チなのですがっ!)  
 目を挙動不審気味に躍らせる上条に対し、アニェーゼがさらに詰め寄る。その目は、や  
はり真剣そのものだ。  
「でも、やっぱり彼女があなたを想う気持ちは…これでも同じ女です、判るんです…だか  
ら彼女が知らない時間が、私にも、欲しい」  
 反論しようと口を開けようとして、しかしアニェーゼの続ける言葉に上条の声は掻き消さ  
れる。  
「私だって、何だってできることならしたい、でも、いつも一緒にいられるワケじゃない、あ  
なたには、彼女が……、でも、でも、私だってあなたに一つしかない命を助けて貰った、  
だから、なんでも差し出して、せめてもの感謝を――」  
 アニェーゼはそこでいったん言葉を切ると、上条の目を見つめた。やや考え込むような  
表情になりつつも、なぜか頬を赤く染めて俯く。しばらく下のほうに向けた目線を泳がせ  
ていたが、再び顔を上げて口を開いた。  
「そっ、それでですね、こっちとしてはっ…もう、なにか差し出してお礼にっても、もう何も  
無いんです、だ、だからッ」  
 口調に変に力が入ってきた。握った両手のこぶしが胸の前に上がってくる。見た目は  
微笑ましい、のだが。  
「いや、だからさ、俺としても何か見返りが欲しくてやったわけじゃないんだし、ほら、その  
前は仕方なかったのかもしれないけど、お前のこと、殴っちまった。だからお礼とか、そん  
な大層にしてもらわなくっても……」  
 上条の台詞に、赤毛の少女は泣きそうな目を作って反論する。  
 
「そんなのっ、違うんですッ! わ、私は――シスター・オルソラを上からの命令で始末し  
ようとしたとき、その間違いを何も疑ったりしてなかった! でも、それが十字教のシスタ  
ーとして、いかに矛盾を孕んでいるのか、それまでも、もっと汚いこともしてきて、でも、何  
も疑いもしなかった、その、歪んだままの心を、あなたは救ってくれた!  
 ……だ、だから、ヴェネツィアでは仲間のためなら死んじまっても構わないと…っ! で  
も、そこにも、あなたは、それが私のためじゃなかったとしても、それでもそこに現れて、  
結果、今度は命を助けてくれた――あなたは、あなたがそう思ってやしなくとも、私の命  
と、心を救ってくれたんですッ」  
 
 目尻に涙を浮かべながら、アニェーゼ・サンクティスが叫ぶように上条へと言葉を投げ  
かけた。  
 その言葉には、かつてオルソラ寺院で敵として向かい合ったときのような、傲慢ながら  
も自暴自棄な雰囲気も、その後女王艦隊で再び出会ったときの自己犠牲を隠した冷たさ  
も無い。  
 少女の本気に、上条は黙るしかなかった。  
 
「こうして救われた私の――命と、心は、とっくに、主のものであると同時に、あなたのも  
のなんです――。残ったのは、この、肉の体だけ…。だから、私は、それをあなたに差し  
出すことで、あなたから受けた救いに報いたい」  
 
 そこまで言って、上条の目を見つめ続けられなくなったのか、さらに顔を真っ赤に染めた  
アニェーゼは俯いて上条の胸に体を預けた。  
 思っていたよりもずっと小さな体。インデックスとさして変わらないのではないだろうか。  
肩も、首も、腕も、脆さを覚えるほどに繊細だった。俯いていても、フードを外した少女のう  
なじや耳が赤く染まっているのが見える。  
 小さく震えながら漏れる吐息の熱さが、上条の胸に触れた。  
「あいやだからそういうことじゃあのその、あ、あ、アニェーゼさん? なんかとんでもない  
こと言わなかった? ああああのね、じょじょじょ冗談はよしこさん?」  
 思わず少女の肩に手を置きつつも、その言葉に思考が飛びそうになる。支離滅裂な、  
言葉にならない言葉が漏れた。  
「あ、そうだ、おれ異教徒ですよというか無神論者ってわけじゃないけど信仰心とかない  
ですよ少なくとも異教徒なのは間違いないかだからねあのねその、ね?」  
 
 異教徒、という単語に反応して少女が顔を上げる。  
 その顔は、なにかとっておきの悪戯を思いついたような表情に変わっていた。  
「そう、そうなんですよ! あなた、異端ですらねえんです! 異教徒なんです! それに、  
私はローマ正教だから、そういうこと自体、しちゃ駄目なんです」  
 その言葉と表情に、やっぱり冗談だったか、と上条は心の中で胸を撫で下ろす。ちょっ  
とだけ残念なような気もするが、それは気のせいだ。気のせい。  
 わざと、少しとあきれたような表情を作ってアニェーゼに話しかける。  
「ほんとにまったく、シスターさんの冗談にしてはスパイス効きすぎっていうか、驚かせ―  
―」  
「だから、あなたがガマンできなくなって私を襲っちまったらいいんです!」  
「ぶはっ!!!!!」  
 ガツンッ!!!!!!  
 ところが、上条の声を遮って返ってきたのは、想像の斜め上どころか、イスカンダルあた  
りまでもぶっ飛んだ台詞だった。  
 その、あまりにもあまりな発言に、噴き出しつつ思わず頭がのけぞる。のけぞった勢い  
で後頭部をしたたかに打ち付けてしまった。視界が真っ暗になり、同時に星が飛ぶ。打ち  
付けた後頭部を抑えてしゃがみこんだ。  
「い、痛つつ……つ、あ、あの、アニェーゼさん? なに、さらっと、と、とんでもないことを  
…のたまってますか? スパイス効いてるどころじゃ……」  
 座り込んでしまったまま痛みで立ち上がるのもままならないため、なんとか目線だけで  
も上げて話しかける。  
「だって、これ以上の解決法はねえでしょう?」  
「かかかかか、解決法ってアナタっ」  
 心配そうな表情になりながらも、アニェーゼの言うことはぶっ飛んだままだ。痛む頭を抱  
えて、状況を何とか整理しようと上条は記憶を巡らせた。  
 が、それを遮ってアニェーゼが囁く。  
「なんで、この修道服、着てきたと思います?」  
 思考を止められての質問だったが、改めてアニェーゼの姿を見直した。  
 女王艦隊で出会ったときの、鳥の羽を毟ったような露出度の高い修道服だ。そう言わ  
れてみれば、少女はローマ正教のシスターなのだから、オルソラ・アクィナスと同じ修道  
服を着ているのが当然なはずなのだが……  
 ちらちらと見える少女の素肌に思わず顔が火照る。  
「…そうだな、なんでローマ式というか、本式のじゃないんだ?」  
 とりあえず言葉を絞り出す。このままごまかしてしまってうやむやに、という考えも上条  
の頭に浮かんできたのは事実だ。  
 が、その考えはとうにお見通しといった風情でアニェーゼが上条を見上げる。  
「一度……あなたに、脱がされちゃった…服…っすから。だから、この、修道服を…。前は  
いきなりで、無理矢理だったけど、今度は……ちゃんと脱がせてほしい……の」  
 言葉を紡ぐごとに赤くなるアニェーゼの頬だが、目は上条から離さない。最後は真っ赤  
 になりながらも、小悪魔のような表情でねだるような甘い声を囁いた。  
 
「……だめ?」  
 

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