学校の帰り道、上条当麻は奇跡としか言い様のない偶然でスーパーのタイムサービスに遭遇し  
た。自身の不幸体質は、記憶喪失になってみても身にしみて判っている。  
 こんなことに遭遇するのは天文学的確立ではないだろうか。ともかくも、これで冷蔵庫の空きス  
ペースが埋まって、カミジョーさんちは籠城戦も(――ひとまず、部屋に棲息する食欲シスターさん  
のことは忘れて)戦えますよっ! と、買い物袋を抱えながら上機嫌で帰り着いた学生寮のドアを  
開けた。  
 すると、ドアの向こうでは、なぜか猛烈に不機嫌そうな表情のインデックスがムスー、と部屋の奥  
に座り込んでおり、その前には、さらにどういうワケか、羽をむしられた鳥のような露出度の高い修  
道服を着たアニェーゼ・サンクティスがこっちを向いて立っていた。  
 アニェーゼが笑顔で上条を迎える。  
「や、お帰んなさい上条当麻さン! お元気そうでなによりです」  
「……なんでお前がここにいるんだ?」  
 最近では、上条自身何が起きても驚かなくなりつつある。アニェーゼへの質問も、妙に冷静に口  
から出ていた。  
「ガードの堅いところに潜入するのはお手のモンなんですがね、さすがに学園都市ともなると苦労し  
ましたよ。実際のところは泳がされてンのかもしれませんけど…… 自分たちの関わった事件は、どう  
にせよ学園都市でも把握されてると見た方が正解でしょうし、こっちも何か厄介を起こそうとここに  
来たワケじゃねえですから、ちょっとの間ここにいるのは見逃してもらえるでしょうよ」  
 そう言いながら赤毛の少女は玄関の上条のところまで歩み寄ると、荷物を上条の手から取って  
キッチンへと置く。  
「あ、悪いな…って、そうじゃなくって! 質問の答えになってないじゃん!」  
 アニェーゼの自然な動きに身体が無意識に反応していた上条だが、さすがに突っ込み返す位の  
余裕は残っている。  
 上条の追い打ちに振り向いた少女は、一瞬だけ目を合わせると頬を赤く染めながら俯き、少年  
の制服の端をちょんと掴んで、  
「女の口から言わせるなんて…結構意地悪なんですね……あの、その、命の恩人に…お礼がした  
いって…もっと言わないと駄目ッすかね?」  
 ぴったりと寄り添いながら恥ずかしそうにもぞもぞと呟くアニェーゼの姿に、さすがに上条の余裕も  
吹き飛ぶ。自分も赤面していることに気が付き、慌ててアニェーゼから視線を逸らすと、部屋の奥  
にいる居候シスターが漆黒のオーラを背負いながらこちらを睨んでいるのが見えた。 というか、見  
えてしまった。  
「とーうーまー…」  
「ど、どうしたのいんでっくすサン? ご、ご機嫌麗しくあらせられないようですが?」  
 いつもこういった台詞が自爆の原因になっているのに、やっぱり尋ねてしまう。それに対し不機嫌  
の色をさらに強めたインデックスは、  
「いつもいつもどこかで私の知らないときにもとうまはとうまでっ! 私の目の前でも関係なくって!   
ううっ、うう……や、やっぱり許せないかもっ!」  
 猛烈な不機嫌に、どこかやるせなさとちょっぴりそれ以外の感情を表情に出したインデックスが  
――鈍い上条には含みの部分は判らないわけだが――、くわっ! と、このときばかりは上条に  
とって恐怖の対象でしかない口を大きく開いて飛び掛ってきた。  
「お、お、俺が何をしたーっ!! 不幸だーっ!!」  
 上条がいつもの台詞を叫ぶ。インデックスが上条を捕らえる早業に、アニェーゼすら手が出なかっ  
た。白い影が実体を見せず迫り来る。  
 狙い違わず、純白の猛獣のあぎとが哀れな捕食動物の頭部を捕らえた。  
 
 
 純白のシスターに噛み付かれた上条が、悲鳴を上げる。まさに野生の狩猟者と捕食者のごとき  
惨状に、その狩猟動物たるインデックスを止めようとしながらも、  
(そう、この人は…まったく、普通の人だったんですね)  
 上条が本当に科学側、あるいはどこか魔術側のスパイ的役割を負っているのではないのかと、  
何度か調べようとしたときのことを思い起こす。  
 不思議な右手を持ったこの少年は。  
 学園都市という科学側の中心地に居ながら、確かにこの少年はまったく平凡な、むしろ学園都  
市の中ではその力を目立った能力として認められていないだけに、そこに暮らす大勢の中に埋没し  
ていても当然な存在でしかなかった。  
 魔術側について言えば、調べがついた限り巻き込まれているに過ぎない。裏に何かあったとして  
も、この少年の関知するところでないのは間違いないし、裏などというのも、アニェーゼの勝手な想  
像だ。  
 
 だが、いや、だからこそ、だろう。  
 
 この少年と関わってから、アニェーゼはあの夢を見なくなった。ミラノの薄暗く寒い、あの路地裏の  
悪夢を。  
 上条は、衣食住という側面でなら、アニェーゼのような苦しみは受けていない。  
 が、この少年は物心ついたときから周囲に前時代的な差別でもって疎まれ(両親だけは愛情を  
持ってはいたようだが)、それでも捨てられるように学園都市にやってきている。  
 そうして疎まれつつ育ってきて、それでも真っ直ぐなまま生きている。誰を分け隔てすることなく。  
人を信じて、結果、皆に愛されて今がある。本人がそれを自覚しているのかどうかは判らないが。  
 その上条だったからこそ、かたくなに凍り付いていた自身の心を目覚めさせることが出来たのだと、  
アニェーゼは信じて疑わない。  
 少女にとって、この不思議な右手を持つ少年は、真実の救い主だったのだ。  
 本当に神を信じるようになったのは、この少年に出会ってからなのではないのだろうか。  
 
 上条からインデックスが離れる。  
「死ぬ…頭蓋骨砕けて死ぬ……」  
 呻く少年の傍らに座り込みつつ、アニェーゼはインデックスに困った顔を向けた。  
「今回は本当に私の一存だけなんすよ? 彼が何かしたわけじゃねえんですから、乱暴は…」  
「――ううっ。でも、とうまはやっぱりとうまでっ! いつもわた…あ、あう、もういいかもっ」  
 悪戯を咎められた子供のような表情で、インデックスが顔を背けた。真っ赤に顔を染めている。  
それが怒りによるものでないことは、アニェーゼにはよく判った。  
(そう、そうですよね…、彼女も…。ルチアやアンジェレネも私の抜け駆けを知ったら、どんな顔、し  
ますかね……)  
 脳裏をよぎった仲間の姿を振り払って、拗ねるインデックスに話しかける。  
「私だってこの人に命、助けてもらったんです。直接感謝を伝えたい、それは、私にも権利ありませ  
んかね? ちょいとだけ、アナタの上条当麻さん、貸してくださいよ」  
「あああああ、あなたのって、そうだけどっ、って、そうじゃなくって、じゃないことなくって、あのあのあの  
ね、ううっ――」  
 あなたの、という言葉が予想通りに効果を発揮したことに、少しだけ胸がちくりとした。  
 ロンドンでオルソラ・アクィナスが嬉しそうにこの少年の話をしたとき。神裂火織もそうだった。調べ  
を入れてたときの彼を取り巻く少女たちの表情。そして今。  
(ジェラ…いや、私らしくも無い……でも、この感情に、今は…ウソ、付けないです…)  
 顔を真っ赤にして正座するインデックスを見ながら、上条に覆いかぶさった。悪戯っぽい表情を  
作ってみせる。  
「じゃ、そういうわけっすから! たった今からしばらくの間、上条当麻サン、私のモンってことで!   
いつもは独り占めも一緒なんですから、OKですよね?」  
 その声に、上条がガバッと起き上がる。跳ね除けられそうになり、アニェーゼは慌てて上条の首に  
腕を抱きつけてしがみつく。  
「ちょ、ちょっとお嬢さん方っ! いつの間にカミジョーさんで取引して? 本人の意思は……」  
 横を向いて顔を染め、拗ねた顔のままのインデックスが答える。  
「とっ、とにかくそういうことなのっ! 人の親切は受けておくものなのっ! わ、私が許してあげたん  
だから、で、でも、今回だけかもっ!」  
 いやだから、と反論しようとして、それを遮るようにアニェーゼが上条の耳元で囁いた。  
「そうですよ? 私だって結構、覚悟決めてきたんすから。サービスするから、遠慮なく受けてくださ  
い?」  
 そう言って、上条が起き上がったときに首もとに抱きついたままだったアニェーゼは、少年の耳たぶ  
に唇を近づけるといきなりそれを甘噛みする。  
「ひぃやああうっ!」  
 ばっちり視界に入ってしまったその行為と上条の悲鳴とに、インデックスが「なっ!」と表情を固くし  
て立ち上がろうとして、うううと唸りながら座りなおす。上条には見えなかったが、アニェーゼが悪戯っ  
ぽくも、実に嬉しそうな表情をしていたことだけは伝えておこう。  
 
「ま、覚悟決めましょうや上条当麻サン?」  
 上条の背中に抱きつく少女の声は、喜色に溢れていた。  
 

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