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「はあ・・・」  
神裂は居間のカレンダーに慎ましやかに赤丸をつけられた日付を見て、思わずため息をついた  
 
彼女は必要悪の教会という魔術組織でもエースを張るクラスのバリバリの現役魔術師なのだが  
何故か今はとある高校学生寮の管理人などという役職に甘んじている  
それもこれも彼女の上司の気まぐれによるものなのだが、今はそんなことを気にしている余裕も無い  
 
そう、今日は聖バレンタインデーなのである  
その昔、キリスト教の偉い人がどーしたのこーしたのとか  
さらには、日本のチョコレート業界がどーしたのこーしたのとか  
まあとにかく、有り体に言えば「女性から男性に親愛の形としてチョコを贈る日」となっている  
 
彼女の所属する天草式自体が元はキリスト教から端を発するということもあり  
バレンタインについての考え方は宗教的にも決して否定されうるものではないのだが  
仏道や神道などが混在した多角宗教融合型になるにつれ、色んな思想や方針を取り入れている  
つまりは、ごった煮であるがゆえに明確に信仰すべき絶対的な指針というものが存在せず  
結局こうやって答えを出せない時に頼れるのは己が己の中で提示した絶対なる真理のみである  
 
「救われぬものに救いの手を!!」  
 
結局、帰結するところはそこである。  
そう。これは救済なのだ。チョコを貰えぬ哀れなる子羊に天に代わって恵みを分け与えることは  
本来一切悩むに値しないことなのだ。  
だが、先月より、同組織にて自分の不在時に教皇代理を務めて貰っている男に  
 
「このイベントこそが積もりに積もった恩を返しに行けるチャンスなのよな  
今まで散々お世話になってきた者に不義理を働くのは如何なものかと思うのよ。  
真っ当なる人間であるならば全裸にチョコをコーティングしてリボンを巻いて  
『私を食べてください』ぐらいは言って然るべきだと思うのよな!」  
 
こう言われて、即座に七閃で斬り刻んでやったものだがそこは多くは語らない  
また、同学生寮に住む金髪グラサンの胡散臭い風体のいかがわしい同僚には  
 
「いいかねーちん。俺がお前にアドバイスできることはそう多くは無い  
だから何も言わずこれを着て指定された時間に隣の部屋のドアをノックしろ  
俺がふんじばってでも、アイツを部屋で待機させておいてやる  
そこでこの秘密アイテムを使えば男なら誰だって奮い立つ。  
気がつけばもう半年以上も煮え切らない状態を続けてきたイライラ関係に  
今度こそ終止符を打ってやる時が来たんだ!!」  
 
そう言われて渡された紙袋がひとつ。  
また奇妙奇天烈なゲテモノメイドだろうと嘆息する  
しかし今さらこの程度のことで動じてはいられないので意を決して袋を開ける  
 
――そこにあったのは紐だった。  
両胸と股間の部分だけが申し訳程度に隠れるようなキワモノだった  
もはや水着などと呼べるシロモノではない。素直に素っ裸になったほうがまだマシかもしれない  
 
「着れるかぁぁぁぁ!!!!!!」  
 
声を荒げて絶叫しつつ、地面に叩きつける。ドッと疲れが押し寄せて来る気分だった  
自分はチョコの渡し方を聞いたはずだったが、あまりに脱線振りに頭が痛くなってくる。  
ハァ、ハァと息を切らし、とりあえずお茶をいっぱい飲んで落ち着くことにする  
 
ともかく、周りからの茶々がやたら多かったとは言え、結局は自分の問題なのである  
前置きが長くなったが、結局やるべきことは『彼』に今テーブル上に置かれたチョコを渡すこと  
たったそれのみである。  
 
しかし、たったそれのみのことが何故だかこうも足を鈍らせる  
たかが半年、されど半年の付き合いである  
なまじ今まで隣人として友好的な関係を築いてきただけに、  
突然このようなマネをしでかして「勘違い」されたら・・・  
何と言うかそう、色々と困るではないか!!  
 
世の中には「義理」という言葉もあると知った  
特にそういう感情を持ってはいないが、職場などでお世話になっている上司や同僚などに  
労いの意味で渡すもので、そこにあるものはあくまでコミュニケーションの一環的なものであり  
決してそういう関係に発展するものではないという  
 
そうなのだ。だからこそ何食わぬ顔で渡せばいいのであって本来とても簡単なことだ。  
だがしかしだ。せっかく英国の同僚・オルソラ=アクィナスより師事を賜って  
決して得意とはしない洋菓子作りに丸一週間もの月日を費やしてまで作ったものをだ  
 
「これはいわゆる義理チョコと言うヤツです。決して他意はありませんので余計な詮索をなさらぬよう」  
「そっか、サンキュ」  
 
こういう一言で、ひょいぱくと口に入れられ、ものの三秒で食べられてしまおうものなら  
それはそれで立ち直れないかもしれない  
というかあの男はそういう男だ。こちらが何を考え、何を想って作ったかの過程など一切伝わらず  
朝遅刻しそうな時に慌てて口に突っ込むパンなみのぞんざいさで消化されてしまうことだろう  
せっかくの力作がそんな扱いをされるのはあまりに忍びない  
 
かと言って、このチョコがどういうものであるかと詳細に説明してやることなど絶対に出来ない  
 
善意はその見返りを他者に求めた瞬間から偽善と成り下がる  
このチョコを渡すことが『彼』に自分のそうした浅はかな思惑を連想させるだけの結果しか  
生まないのだとしたなら。それは自分の想いが一瞬で虚仮になった瞬間に他ならない  
自分がこのような浅ましい女であると、軽蔑されてしまう危険性を孕むかもしれない。  
 
いや、「軽蔑される」のならまだいい。「憐れまれる」ことが一番耐えられない。  
自分が必死であればあるほど、その想いを見透かされることこそが最も精神的に立ち直れない  
 
…この調子で、神裂は2月13日深夜からずっと悩み続け、机の上に置かれたチョコとにらめっこしながら  
あーでもないこーでもないと思索を繰り替えしつつ、気がつけば2月14日の時計は既に正午過ぎまで回っていた  
 
「しまったぁぁぁぁ!!!!!?」  
 
神裂が完全に我に返った時にはもう昼2時すぎになっていた。  
これで作戦の第一段階「早朝の玄関先の掃き掃除時の『いってらっしゃい』作戦」が  
使えなくなってしまった。痛恨のミスである。  
 
あの男は帰る時間がまちまちのため、一日のうちで確実に接触できるタイミングがここだけだったのに。  
ともあれ、過ぎたミスを悔やんでいても仕方が無い。今は考えるより行動あるのみである  
 
               2  
「はぁー…不幸だ――」  
上条当麻は、机の上に突っ伏して口から出すに任せてため息を吐く  
今日は聖バレンタインデー。  
リア充が世に蔓延する浮ついた空気に耐えられない負け組がグチを垂れ流す日である。  
 
「…チョコが欲しい…」  
 
ヒュッ…  
何かが風を切る音がした。その音をいち早く察知した上条は慌てて机から横っ飛びに離れた  
ガシャアアアアアアンッッ!!  
上方から突っ伏した上条の後頭部目掛けて振り下ろされた正拳が二つ、上条の机にヒビを入れる。  
 
「「ちいっ…!外したか!!」」  
「何すんだテメェら!!殺す気か!!」  
 
机の横に移動する形でパンチを避けて、地面に伏した形となった上条が見上げた先にいる二人の大男。  
一人は金髪にグラサンで如何にもチャラついた外見の男「土御門元春」  
もう一人は青い髪にピアスをして関西弁を使う謎の男「青髪ピアス」見た目そのまんまの通称である。本名は不明  
 
「カミやん…お前はいい加減、自分が吐いていい台詞とそうでない台詞を学習するべきや」  
「特にこういう浮かれた日は尚更な。神経が過敏になっている男どもに後ろから刺されても文句は言えない日だぜい」  
 
何やら圧倒的に重い負のオーラをバックに背負った二人の男を前に、一瞬だけ後ずさる上条であったが、  
すぐ気を取り直して立ち上がる。何かわからんが二人は本気だ。下手な言動次第ではマジで命が危ない  
 
「えっとその…何かあったのかお前ら」  
「「『何も無かった』」」  
 
返答は簡潔にして明瞭だった  
「この日この時において『何も無い』ことが男にとってどれほどの意味をもつかお前に分かるんかカミやん。」  
「義妹からのメールを前日からずっと待ってたのに、一通も来ないし、こっちからメールするのは何となく  
ガッついているようでカッコ悪いからと携帯封印していたけども耐え切れなくなって一通だけ遠回しに確認メールを送ったら  
今日の日付すら忘れられていたという義兄の気持ちがお前にわかるかカミやん!!」  
 
血涙を流し、絶叫する二人の漢  
何かこの日に向けてよほど期することがあったようだが、それが叶わなかったことでこっちまで  
被害を及ぼされてはたまったものではない。  
 
「ちょっと待て落ち着け二人とも。そもそも今日は俺だって一個もチョコ貰っていないんだ」  
「「嘘つけやコラぁぁぁぁーーーー!!!」」  
 
もう何を言っても殺されそうな気しかしないので、とりあえず落ち着いてもらうために  
空っぽの鞄と下駄箱を見せた。  
 
「今朝からずっとこんな調子だ。言っちゃなんだが俺だって世を嫉みたい気持ちは決してお前らに劣らない」  
 
二人は何かを考え込むような調子でお互いの顔を見合わせていたが。  
やがてその顔がパアッと明るくなり、上条の手を握って感涙にむせぶ  
 
「俺たちはずっと友達や!カミやん!!」  
「一人はみんなのために!みんなは一人のために!決して一人だけ幸せになることなかれ!」  
「ああ!実に空々しく白々しい友情をありがとうお前ら!!!」  
 
そろそろ本気で友達って何なのか考え直したくなる上条であった。  
 
                 3  
ともあれ、上条は帰宅の途についた。  
学園都市はバスの終電も早く、門限も定められているため  
日が落ちるまでに帰らなければならない規則がある。  
自炊派である上条は今朝チェックしておいた本日のスーパーの特売に合わせて  
買い物をしてから帰ったため、時刻は夕方6時近くになろうとしていた  
 
「そういえば今日は何でか女子に出会わない日だったなー」  
 
何の気なしに上条が今日一日を振り返ってそんな感想を洩らす  
ゲタ箱がカラだったのは言うに及ばず、親しい女子は今日に限ってみんな早退  
小萌先生すら、HRが終わったらあっという間に姿を消していたほどだ  
しかしまあ、そんな日もあるだろう、と上条が気楽に考えて帰途についた  
 
ふと後ろの茂みががさがさっと動き、その後姿を見守る複数の人間が姿を現した  
「よし、上条当麻は予定どおり寮に帰宅したのよな」  
「今日一日、彼に張り付いて身辺の調査をしていましたが  
不自然なほど病人や怪我人の多い日でしたね」  
 
黒髪ロングの少女が二人ほどいた。博多人形のように物静かなほうは  
白い包みを持って教室に向かう途中で何故か階段から足を踏み外して保健室に運ばれた  
委員長然とした勝気なほうは、赤い包みを手に教室の机で一人でずっと思案していたが  
昼食の健康食パンの賞味期限が切れていたらしく腹痛で救急車に運ばれていった  
その他にも何人か似たようなケースで何台か救急車が呼ばれた。  
こうまで事故が続くと流石に気味が悪い。  
 
「ともかくだ、これで後は女教皇様の到着を待つだけなのよな」  
「それがあの人、今は10学区に迷い込んで現地のスキルアウトと目下交戦中です」  
 
「一体何をやっているのよ神裂火織ーーーーー!!!!??」  
 
                4  
気がつけば日はとっぷり落ちていた。  
よく考えたら自分は上条当麻が通っている高校の名前を知らない。  
どこへ行けばいいのかよく分からなかったが、まあ彼や土御門のようなガラの悪そうな  
学生のいる学校に違いないだろう、ということで如何にもチンピラ然とした  
トレパン姿で茶髪の男に話を聞いてみることにした  
 
「すみませんが少々道をお尋ねしたいのです  
貴方のように髪がボサボサで見た目アホっぽくて女性に無頓着で  
そのくせやたら喧嘩っぱやいツンツン頭の高校生のいる学校を知りませんか」  
 
「絶望した!何か初対面の痴女みたいなカッコした姉ちゃんに一瞬でコケにされた気がした!!」  
「落ち着け浜面!!本当のことなんだからしょうがねえだろ!!」  
「黙れ半蔵!俺はこれでも女性関係は優しくホットなクールガイでキメてんだよ!!」  
「嘘をつくな!あの眠そうな目をした姉ちゃんやオバサンみたいなカッコしたレベル5に  
何度お前の身辺調査を依頼されたと思っている!!」  
「あっ、テメェ!あいつらに情報を流していた元凶はテメェだったか!!  
おかげで何度俺が死に掛けたと思ってんだ!お前も死んで詫びろ!!」  
「全て自業自得なんだよ!死ぬならお前が死ね!!!」  
 
何だかお取り込み中のようで、これ以上情報が聞けそうにないと判断した神裂は  
そそくさとその場を後にし、聞き込みを再開した。  
彼女は昼ごろからそんなことを繰り返して、何でかスキルアウトを3つほど壊滅させてしまっていたのである。  
 
「・・・何で私はこんなことをしているのでしょう?」  
「それはこっちが聞きたいのよな!!」  
 
ふと見上げれば見慣れた顔が二つ。元教皇代理の建宮斎示と、骨太の体格をした牛深だ  
 
「ようやく見つけたのよなプリエステス!余計な道草を食ってないでさっさと寮に戻れ!!」  
「いえでもまだ彼の学校を見つけていませんし」  
「あの人はとっくに学校終わって帰ってるんですよ女教皇様ーーー!!」  
 
時々この女教皇様は果てしない天然になる気がすると、頭を抱える建宮と牛深だった。  
 
                5  
2月は流石に日が落ちるのも早い  
上条が買い物を済ませて部屋に着いたのは午後6時前だったが、既に廊下は真っ暗だった  
今日は特売日だったのでいつもより多く買い込みすぎてしまったな、と苦笑しつつ  
足早に部屋を目指してエレベーターから降りる上条だったが  
ふと、部屋の前に見覚えのある人影が佇んでいた  
 
「ようカミやん。待ってたぜい」  
 
金髪グラサンの胡散臭い男である。この男に関わる度に死に目にしか遭わされないので  
全力でスルーしたいところだったが、部屋の前に陣取られてはそうもいかない  
「…で、何の用だ?土御門」  
上条は嘆息しつつ、両手一杯に持っていた買い物袋を取りあえず下に置いた。  
「まぁ何と言うかちょっとした野暮用でな。そろそろ向こうの段取りもついただろうから  
こっちはこっちでお膳立てをってな」  
何を言っているのかさっぱりわからない  
 
「舞夏から放課後にようやくメールが来てな。1週間ぶりにウチに来て飯を作ってくれるって言うんだにゃー  
見よカミやん!この燦然と輝くチョコを!もはや今のオレは最高に充実したリアルに生きる勝ち組!  
すまないカミやん!!オレ一人だけ先に大人の階段を登っちまった!!」  
 
昼間とはまるで別人のような浮かれっぷりだ。あれどう見ても市販の100円チョコに見えるんだが  
そんなものはまるで関係ないらしい。こいつぐらい単純だと人生幸せだろうなー  
 
「あ、いやいや。そんなことは取りあえず置いといてだ。とりあえず部屋に入ろうかカミやん」  
 
一旦ノロケモードが始まったらここからが長いことに定評のあるこの男が話を途中で切り上げるとは  
これはよほど重大な用件に違いない。上条はただならぬシリアスの雰囲気を感じた。  
とりあえず土御門を居間に通し、茶の一杯も出してやってガラステーブルに向かい合ってようやく話し合える態勢を整えてから  
 
「…唐突だがカミやん。お前、最後にヤったのっていつ?」  
 
ドガァァァァ!!!!!  
上条は全力の右拳を持って土御門を壁に吹っ飛ばす。  
 
「ま、待て待て!言葉が足りなかった!んじゃ出来るだけ直接表現を避けてだな、  
最後にケダモノと化して猛り狂う欲望を可憐な肉壺にぶち込んだのはいつかという話でだな」  
「婉曲的に言っても同じだ!むしろ余計卑猥になってるし!どんだけ真顔なんだよ!!」  
「んじゃお前まだ童貞?」  
「………悪いか」  
 
しばらく部屋を無言の静寂が支配する  
 
「そうかカミやん…。お前は大人の階段どころか一皮剥けるところすら行ってないんだにゃー」  
「いい加減シモネタから離れないと本気で殺しかねんぞ」  
 
目に涙まで浮かべて、心底憐れんだような表情で肩に手を置いてくるこの男に殺意が沸いた  
しかしそんな空気は全く読まず、土御門は平然とした顔で口を開く  
「んじゃお前チョコとかはどーしてんの?」  
「どーしたもこーしたも、俺は生まれてこのかたチョコなんて貰ったことがないんだよ」  
「お前女子の知り合いいくらでもいるだろ?義理くらいないのか」  
「知らねぇよ。義理だか何だか知らないけど貰ったことないもんはしょうがないだろ」  
 
土御門は何となく理解した気がした  
これが上条当麻。誰よりも人望を集めるがゆえに肝心なところで最も人望が集まらない  
誰一人からも認められず気に掛けられない孤独を不幸と呼ぶのではない  
万人から認められつつも彼に訪れるべき「幸福」は全て何らかの形で彼の元まで届くことは無い  
故に徒労。積み重ねた想いはどんなに膨れ上がっても決して絡まることなく平行線を保つ  
 
それこそが『不幸』。  
 
どんなに想いが強かろうと因果の強制力がそれを排除する  
まるで神様とやらが決して彼の『幸福』を許さないかのように  
そしてそれは間接的に、彼に関わった女子達にも影響を及ぼしていく  
 
(……こいつは予想以上に根が深そうだぜい。  
カミやん自身の鈍感さとかねーちんの奥手さとかそういう気持ちの問題じゃない  
『運命』ってヤツが相手とかどんだけ『不幸』なんだよカミやん)  
 
「どうしたんだ土御門?難しい顔して」  
「何でもねぇよカミやん。オレも神様ってヤツを一発ブン殴りたくなってきただけだ」  
「??」  
相変わらず土御門の言うことはワケがわからない  
そうこうしてるうちに、土御門の携帯が鳴った。  
誰かと二、三会話をしているようだったが、携帯をパチンと閉じると  
「悪いカミやん。オレ急用が出来たから帰るわ  
だがカミやんはしばらくこの部屋にいてくれ。頼むから絶対出ちゃダメだ」  
それだけ言うとそそくさと部屋から出て行ってしまった  
 
「なんなんだ…?」  
 
上条はいつにも増して理解し難い土御門の行動にクビを捻った。  
 
                    6  
…とまあ、色々紆余曲折があって、ようやく神裂火織は上条当麻の部屋の前まで来れた。  
 
あの後、自動車を片手で持ち上げる少女や白い電磁波でコンテナを消し炭にするような女性との  
争いに巻き込まれて交戦していたとか、騒ぎを聞いて駆けつけてきた空間移動能力者の風紀委員と一戦交えたとか  
ここまで辿り着くまでに無用な戦闘を幾度も繰り返した  
 
今日一日色々なことがあって、肩で息をしている建宮たちは、部屋の前で人差し指を構えたまま  
固まって動かない神裂を訝しんだ。  
「えっとその…こういう時は、何と言って入ればいいのでしょう?」  
 
ピンポーン♪  
建宮は無言で部屋のチャイムを押す  
 
「まだ心の準備が!!」  
「知るか馬鹿!もう後は自分で何とかしろ!!」  
いよいよ堪忍袋の尾が切れた建宮は、神裂の尻を半ば強引に蹴り込むような形で部屋に放り込んだ  
 
「な、何をするのですか!?」  
バタァン!!  
神裂が部下の非礼を咎めるよりも先にドアを締められた  
 
「か、神裂…?」  
全く予期しない突然の来訪者に目を丸くする上条  
しかも状況は最悪だった。というのも。  
久々に開放感を味わうかと言うことでひとっ風呂浴びて、  
そのまま腰布一枚で出てきていたのである  
それが、ドアが閉められた振動でハラリと取れた状態…  
 
つまりは、全裸だった  
「き……やぁぁぁあああああーーーーー!!!」  
 
神裂は絶叫したかと思うと、鞘で思いっきり突きを入れて上条の胸を殴打した  
彼はそのまま空を舞って天上にぶち当たり、ベッドのほうに落ちてくる。  
 
「か、上条当麻!!?」  
我に返った神裂は、顔を青くしながら彼の元に駆け寄る。  
普段の彼女ならば、男の裸ぐらいで取り乱したりはしなかっただろう  
しかし今は精神的に大分余裕が無い  
数日前からほぼ徹夜を繰り返して悩み続けて全然寝ていない上に、  
今日一日で一体何回の戦闘を繰り返してきたかわからない  
身体はすっかり温まって完全に戦闘モード状態なのである。  
有り体に言えば、テンパっていた。  
 
自らの不明に心底呆れつつも、今は自責に費やしている場合ではない  
神裂は出来うる限りの看護にあたった。…股間を出来るだけ見ないようにタオルで隠しながら  
 
                7  
「…あ、め、目が覚めましたか?」  
 
上条が目を開けた時、そこにはおろおろした顔でベッドに寝かされた  
自分の顔を覗き込む神裂の姿があった。  
胸に包帯を巻かれ、毛布を掛けられている。当然のように全裸だった  
今の状態の彼女に着替えをさせられる余裕は無い。  
時刻は既に午後11時を回っていた。  
最後に確認した時間が午後7時だったから、4時間も寝ていたことになるのか。  
 
神裂はしばし何かを逡巡していたようだったが。  
すーは、すーはと深く息を吸って深呼吸を始めた  
 
「すいませんでしたっっ!!!」  
 
夜中だと言うのも構わずの大声で全力の謝罪をする神裂  
本来、こんな形で彼の前に現れるはずではなかった。  
もっとこう、裏庭の木の下でもビルの屋上でもどこでもいい  
人気の無い場所で二人きりになり、彼にチョコを渡すはずだったのだ。  
それがいつの間にかこんなことになってしまっている。  
もう神裂は自己嫌悪で頭がおかしくなりそうだった。  
 
「い、いや、気にしないでいいから…。  
つかその…ちょっといいか?神裂」  
「は、はい、何でしょう?」  
 
上条は咳払いをひとつすると、重々しく呟く  
 
「着替えたいんだけど」  
 
顔を真っ赤にした神裂は脱兎の如く駆け出し、そのまま  
ドアを開けて部屋から出て行ってしまった。  
約1分ほどした後、上条に呼ばれて部屋に招き入れられ、ようやく仕切り直しである。  
上条は居間のテーブルの座布団で、神裂が入れたお茶を受け取っていた  
普通逆だよなーと思いつつも自分とは入れ方の違う渋いお茶を啜りながら寝ぼけた頭を覚醒させる  
 
グゥ〜〜  
 
上条の腹の虫の音だった  
そういえば今日は紆余曲折あって結局何も食べていない  
その音を聞いた神裂は、今この時こそが好機では無いかと思った  
自分が夢想していた、少女漫画的な展開はないかもしれない  
空腹を満たすためだけの一個の黒い塊にすぎないのかもしれない  
しかしそれでも良いと思った。もはや彼に報いられるのなら、  
自分の個人的な感傷などは二の次であった。  
 
そう思って自分の懐に手を入れるが、再び神裂の顔が青くなる  
 
「・・・・・・ないっっ・・・・・・!!!?」  
 
神裂は狼狽し、自分の身体中をパンパンと手を叩いて突っ込んで探し回るがどこにもない。  
そういえば今日はやたら戦闘の多い日だった。『どこかで落とした』か!!?  
神裂はくずおれ、心底悲しそうに目に涙まで浮かべながら自嘲する  
 
自分は一体何をやっているのだ  
こんなことなら最初から体裁など繕わず、黙って渡しておけば良かったのだ  
それを個人的な理想のために何日も無用の時間を費やし、挙句の果てがこのザマだ  
自分の我が侭のために仲間まで巻き込み、その果てに彼まで傷つけてしまった。  
もう消えてしまいたい。こんな馬鹿な自分などいなくなってしまえばいい。  
 
頭の中でグルグルと、取りとめも無い思考が渦を巻く  
その間、上条もまた心ここに在らずといった風情の神裂の様子に狼狽していた  
 
「…n裂っ…!おい!神裂!!」  
 
上条は両手で神裂の両肩を掴み、ガクガクと頭を揺さぶっていた  
ふと我に還った神裂は、上条と目を合わせるや否や、伏目がちに目を逸らした  
もう真っ直ぐに彼と向き合うことすら出来ない。自責の念でいっぱいの今の精神状態では  
まともに相対することすら限りなく困難と言えた。  
 
「…申し訳ありません…」  
かろうじて搾り出せた言葉がそれだった  
それだけ言うと、よろよろと部屋の出口に向かって足を進めようとする  
「お、おい!どこ行くんだよ神裂!」  
無言だった。正確には何か言いたくても言葉にならない  
本当に自責を感じるなら、ここで上条が治るまで手厚く看病して  
少しでも自分の非の責任を取り、献身的に報いるべきであっただろう。当然そんなことも分かっている  
しかし、それ以上に今の彼女はいたたまれなかった  
 
今この場にいることが何よりも辛い  
これ以上彼の顔を見ているだけで胸が押し潰されそうになる  
 
結局逃げるのか  
 
心のどこかで冷静な自分がそう嘲った気がした  
思えばいつもそうではなかったか  
人を護りたいがため、剣を取った。人を幸せにしたいがため、戦った。  
仲間を傷つけないため、その元を離れた。  
 
だが、今になったらわかる。そのいずれも、本当に護りたいのは自分自身ではなかったか  
 
自分の弱さを受け止める強さが無い  
さればこそ、自分が生まれ持った力を糧に力を振りかざすことで上等な自分になったような気がした  
人のために尽くしていると自分を納得させられる瞬間だけ、自分は自分でいられた  
それを続けなければ、自分が自分に押し潰されてしまうから  
 
「……ごめんなさい……」  
 
もはや誰に謝っているのか分からなかった  
それは上条への謝罪であっただろうし、自分自身を悔いる天への懺悔でもあった  
 
             8  
 
上条当麻は、不幸だった。  
いつから不幸だったかはよく覚えてない。ただ物心ついた時から不幸だった。  
しかし、彼は自分が受ける迫害や嘲笑を不幸だとは思わなかった。  
自分がどれだけ傷つこうと、罵られようと、それを不幸とは感じなかった  
 
彼が不幸だったのは。  
彼がいるだけで周りの人間全てを傷つけるからであった。  
 
自分が傍にいるだけで。無関係な他人が傷ついていく  
自分を中心に数限りない災厄が起こり、それに巻き込まれる形で多くの人が怪我をした  
だから思った。「もうこれ以上誰かが苦しむのを見たくない」  
 
だが、彼は間違いなくただの一般高校生だ。  
世界中全ての人間を助けられるはずはないし、その力も無い  
だから、彼は自分の手の届く範囲だけ護ることにした  
その届かない範囲で泣いている人間を見た時は胸が痛んだ  
でも、しょうがないじゃないか。俺には力が無いんだから、と自らを慰めた  
 
『偽善使い』  
 
誰言うことなく、自分で自分を嘲笑うために生まれた言葉  
そしてそれこそが、上条当麻という男そのものだった。  
 
               9  
神裂が泣いている。  
上条はそう感じた。  
 
涙を流しているわけではない。忘我状態で表情は無いが、上条は確かにそう感じ取れた。  
このまま行かせてはならない。と思った。  
気がついたら、上条は神裂の手を取っていた。  
今ここ、この時に手を離してしまったならきっと取り返しのつかないことになる  
そんな気がした。  
 
「……離してください……」  
「いいや、離さない」  
 
幽鬼のような表情で呟く神裂に対し、あくまで敢然と正面から目を見据える上条  
「…ならば、仕方ありません」  
ドガァァァッッ!!!!  
「がぁぁぁっっ!!?」  
言うや否や、一本背負いの態勢で上条を投げ飛ばす神裂  
ガラステーブルが砕け、上条の体のあちこちに破片が刺さる。  
上条を傷つけたことに狼狽した彼女としてはあまりに矛盾した行動である  
しかし、きっかけが何であれ、自分を支えていた柱が崩壊した  
今の彼女にとっては、自分の行動を邪魔するものは敵でしかなかった  
あるいは、自己停止することでようやく自分を保っている状態とも言えた。  
 
地に伏せた上条を一度見下ろすと、再びくるりと玄関口へ歩を進める神裂  
「ま、待てよ・・・っ!」  
しかし上条は痛む身体を押して、神裂の右足首を掴む  
ピタリ、と神裂の体が止まった  
神裂は少しだけ足を浮かせると、そのまま上条の左手の甲を踏み潰した  
「ぐっがぁぁぁぁぁあぁああああ!!!!!?」  
上条の左手の骨がミシミシ、と悲鳴をあげる嫌な音がした  
「…お願いですから、ジャマをしないでください…」  
表情の無かった神裂が、一瞬だけ眉を歪めた気がした  
声色からも僅かに動揺の色が伺える。彼女も彼女で、精神的にいっぱいいっぱいなのだろう  
 
上条は右手で神裂の左足首を払い、そのままバランスを崩した神裂は倒れこんでしまった  
その期を逃さず、上条は彼女の身体に馬乗りとなり、両手を押さえつける  
「…何のマネですか…」  
 
彼女は聖人。上条は一般人。  
本来ならばこのような拘束は無意味である。  
神裂が何気なく身体を起こすだけでそのまま上条を吹っ飛ばせるぐらいの力量差はある  
しかし動けなかった。  
思考停止することで自己を護っていた神裂が、上条と真正面から向き合い  
彼の目を見続けることで心の中の何かが悲鳴を上げていた。  
 
「…んでですか」  
ともすれば聞き逃してしまいそうなか細い声だった  
しかし段々と頬に赤味が差してきた神裂は、声を荒げ、絶叫する  
 
「何でですか!何で貴方はこんなことをするんですか!  
私なんか止める必要ないのに!貴方の前から消えたほうがいいのに!!  
私はいるだけで貴方を傷つける!私の存在が貴方に影を落とす!!  
だから私は貴方の前から消えたい!貴方を傷つけたくない!  
私が傷つきたくない!!誰もいない場所に行きたい!  
悲しくならない場所に行きたい!もうこれ以上悲しいのは嫌なの!!」  
 
もはや何を言っているのか自分でもよく分からなかった  
ともかく、離して欲しかった。逃がして欲しかった  
聖人としての全身全霊を費やし、全力を込めてどこまででも逃げ続けたかった  
しかし、どこまで行っても逃げられない。彼女を追い立てているのは彼女自身だから  
 
「…そうやって逃げ続けて、どこまで行く気だ」  
ぼそりと、低く、しかし明らかに怒気の篭った声が漏れた  
 
「ふざけんじゃねえ!!  
自分がいなければ傷つかない!?だから自分はいないほうがいい!?  
そんなのはテメェ自身が傷つきたくないための方便だ!都合のいい言い訳だ!  
テメェは傷ついた人を護ってきた!多くの人たちの幸せを願った!!  
しかし本当はただ自分が幸せになりたかっただけだ!  
自分のせいで傷ついた人間を見ることに耐えられないから!  
自分の目に映る全ての視界から『不幸せな人間』を消したかっただけだ!!  
この世の全てが幸せな人間なら!自分も幸せになってもいいはずだって!  
そう『自分に許してもらう』ために頑張って来たんだ!!」  
 
それは翻って上条自身に刺さる言葉  
だから、吐いた上条自身が痛かった。  
吐かれた神裂も、痛かった。  
 
「ならばどうすればいいんですか!!!」  
神裂もまた、怒気の篭った声を荒げる  
 
「自分独りだけが幸せになっちゃいけないって、ずっとそう思ってた!  
自分が生まれ持った力は!人を幸せにする義務を課せられたものだから!!  
だから私には自分の幸せを願う権利なんか無かった!なのに!!  
貴方に出会ってから全てがおかしくなった!!  
『幸せになりたい』と思った!私みたいなモノが!分不相応にも!  
自分が精魂込めて作ったチョコを『美味しい』と言ってもらえる瞬間!  
ただそれだけが見たくて!似合わないことを続けてきた!!  
そうした私のエゴが人を!貴方を傷つける!こんなモノは私が願っていいことではなかった!!」  
 
ドガァァァァァッッッ!!!!!  
早口でまくしたてる神裂に対し、上条は大きく仰け反ったかと思うと  
背筋の力でもって全力で神裂の額に頭突きをぶつけた。  
 
「自分が幸せになっちゃいけないなんて誰が決めた!!  
幸せになってもいいんだよ!自分が幸せになったことで誰が不幸せになったとしてもだ!  
俺たちみたいなちっぽけな人間は自分の世界で与えられた幸せを甘受していい!  
それを偽善と呼ぶなら呼べ!堕落と呼ぶなら呼べ!!  
幸福の椅子を他人に譲り渡し続ける人生は幸福でもないし不幸でもない!  
ただの馬鹿だ!他人を幸せに出来た自分で悦に入った酔っ払いだ!!」  
 
「そんな身勝手は許されない!力を持って生まれたものはその力を万人に役立てなければならない!」  
 
「それはお前自身が力に呑まれているだけだ!自分自身では力を律しているつもりだろうが  
『他人のために』という強迫観念の元に自分を殺し続けている!!  
他人を助け続ければいずれは『自分』に会えると思った!しかし気がつけば『自分』がどこにもいない!!  
営々と自分自身に課せられた任務を遂行し続けるロボットがそこにいただけなんだよ!!」  
 
「ロボットで…いいじゃないですか!  
感情の無い機械なら!悩まずに済む!悲しまずに済む!苦しまずに済む!!  
だから私はロボットを目指した!感情を殺した!感情を残したままでは  
助けられる人の影に取りこぼされる助けられない人に胸を痛め続ける日々から逃れられなかったから!」  
 
……上条は返答をしなかった。自然と神裂も黙る  
重々しい静寂が場を支配し、やがて上条が口を開く  
 
「…そんなのってさ、楽しくないだろ」  
ぽつりと、そう呟いた  
「人として生まれたからには人として幸せを求めるのは当然だろ  
俺たちはあくまで人だ。神様じゃない。だから万人を幸せにしようなんて願いは  
身に余る偽善だし、身の丈を越えた願いのしっぺ返しはいずれ自分がもっとも辛い形で還ってくる  
それが分かった。だから俺はやり方を変える事にした。」  
神裂は黙って聞いていた。既に腕の拘束は外れている。  
 
「まず自分が幸せになる。その後で他人も幸せにする。」  
 
「…は?」  
神裂は、きょとんとした顔で上条の笑顔を覗き込んだ  
 
「自分が楽しいと思ったことを率先して他人にもやってやるんだ  
自分が楽しいと思わないことを他人にやったところで他人が楽しいと思うかどうかはわからないだろ?  
だからまず、自分が楽しむ。その後で自分と同じくらい他人を楽しませられるならそれが一番だ」  
 
「ですが、私にはそんなこと思いつきもしなくて…」  
「何言ってんだ。お前はもう充分自分の楽しいこと知ってんじゃねえか」  
 
神裂は不思議そうな視線を向けると  
 
「チョコ、俺にくれるんだろ?」  
 
ぼんっ!と、耳まで真っ赤になってしまう  
「ああああれは単なる言葉のあやというかそんなこと私がするはずなくて!  
そもそも貴方如きがそんなもの貰えると思っているとか自惚れもはだはだしいですよ  
大体なんで私がそんなものを作ることが私の幸せになるんですか!それに…」  
 
神裂の言葉はそれ以上続かなかった。上条が包帯を巻いた胸の中に引き込んで抱擁をしたからだ  
 
「なっ!なななな・・・・・」  
「俺はそれが幸せだ。だからお前も幸せに決まっている。決定事項だ」  
そうハッキリと断言する上条に、神裂はクスリと笑うと、  
「やっぱり貴方は自分勝手です。自意識過剰です。自惚れモノです。最悪です」  
そうまくしたてると、一息ついて  
 
「…でも、私もそれが幸せです」  
 
 
後日、3月14日、エプロン姿でチョコを作る男の姿が見られた  
俺あんときチョコ喰ってないのに理不尽じゃね?とぼやきつつもその後姿はどこか楽しげであったという  
 
 

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