何の変哲もないアパートの扉がドバンと爆発する様に開いて、中からぼさぼさの茶髪頭をした少年が転がるように飛び出して来たのは、挨拶の言葉がおはようからこんにちはに切り替わる、そんな時刻であった。
少年は突っ掛けた靴を履くのももどかしく走り出そうとするが、鍵をかけ忘れたのを思い出すと慌てて部屋の前に戻ってくる。
ジャージのポケットから取り出した鍵を鍵穴に突き刺してぐるりと回し、ドアノブをガチャガチャと乱暴に動かして施錠を確かめ、そして今度こそ走り出す。
少年の名前は浜面仕上。とある事情から暗部に身をやつしていた事もあるが、今は足を洗い真っ当に暮らしている。
そんな彼の元に今朝届いたのは、1枚のDVDと、ひとつひとつが丁寧に紙で包まれてビニール袋いっぱいに詰められた飴玉であった。
覚えの無い荷物をいぶかしみつつもDVDを再生した。すると画面に、とある騒動で知り合った少女からの尊大な命令口調での無理難題。浜面は寝ぐせの目立つ頭をガツンと一発殴られた気分だ。
再生が終わった画面の前で茫然とする事暫し――。
「ふざけんじゃねぇぞクソったれがっ!!」
怒りの咆哮と共に側にあった飴の袋をむんずと掴み、そのまま部屋を飛び出した。
毎回毎回振り回されてなるものか。ここは年長者、そして男の意地としても飴は叩き返す。ついでに尻の一つも引っ叩いてやろうか。
そんな気持ちで部屋を飛び出した浜面であったが、数百メートルも疾走したところでその脚がぴたりと止まる。
浜面はやっと気が付いたのだ。自分がバートウェイの居場所どころか連絡先も知らなかった事を。
つまり、彼がどんなに闇雲に走りまわっても、彼女の尻を叩くどころか、その影すら踏む事が出来ない事実。
「…………っ」
その事実に浜面は頭を抱えてしゃがみ込んだ。
何か良い手だては無いか……暫く考えて、そして彼はある事を閃く。
慌ててポケットから携帯電話を取り出すと、アドレスから『上条当麻』の名前を呼び出して通話ボタンを押す。
あの少年だったらクソ生意気な少女の居所を知って居るに違いない――はたして携帯電話を耳に当てて呼び出し音を聞いていると、
『おかけになった電話番号は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため、かかりません』
その言葉にハッとしてもう一度かけ直してみるが、
『おかけになった電話番号は――』
「何だよ大将おっ、もぉ、こんな……、ああぁぁぁああああああああ、使えねぇなぁああもぉおっっ!!!!!!」
携帯電話にそう怒鳴ってみても、理不尽な怒りは相手には届くはずも無い。
「くっそ……ほ、他に……、他に当てになる奴は…………………………、あ!?」
浜面はディスプレイに浮かんだ『あくせられた』の文字を消すと、携帯電話をポケットに突っ込んでトボトボと歩き出すのであった。
「あぁ……俺が一体何したってんだよこんちくしょぉぉ……」
焦燥感でとても家に帰る気分にはなれない。とは言え他に行く当ても無く――無くも無いが今は誰かと顔を合わせたい気分では無い――浜面は当ても無く街中をとぼとぼと彷徨っていた。
そして気が付けば人気の無い公園に辿り着いていた。
浜面はベンチに体を投げ出すように腰掛けて、ふとジャージのポケットにねじ込んであった飴の入った袋を取出して、目の前に持ち上げてみた。
「……しかし何なんだよ……飴(こいつ)を食わせろって……それに何の意味があるんだよ……?」
手にした袋にそう話しかけても当然何も答えは返ってこない。
そのまま暫く百面相をしていたが、その内律儀に悩んでいるのが馬鹿馬鹿しくなって来る。
大体自分は飴ごときで何を一喜一憂しているのか。
相手は『魔術師』とか言う得体のしれないヤツだが所詮はガキ。
どこぞの誰かが偉そうに『年下のガキにいろいろ振り回されンのは、人間なら誰でも通る道だ』とのたまっていたがまっぴらごめんなのだ。
同じ振り回されるならやっぱり同年代位の美人に限る。
「残念だが俺にはガキに熱を上げる様な特殊性癖は無ぇんだよなぁ」
それはただの意味の無い独り言だった。だから相槌など来るとは思っていなかったから、
「ガキって誰が?」
「!?」
浜面はその声に心臓が飛び出すほど驚いた。
『――――因みに私はお前達の事をしっかりと見ている――――』
その一言が唐突に頭の中に甦った瞬間、体が勝手に動いた。
ベンチを飛び越えてその後ろに隠れると、
(こ、攻撃は……どっちから来やがるっ!!!?)
眼を大きく見開き、盾にもならない薄っぺらい合板の背もたれに身を隠しながら状況把握を開始する。
相手は小娘ながら笑顔で空港を爆破出来る様なヤツなのだ。軽くミサイル……か何か知らないが、とにかく物騒なものを打ち込んでくるかもしれない。
「浜面、大体、どうしたの。にゃあ?」
「どうしたって、今から魔術師の攻撃が……」
そこで浜面は、とある重要な事に気が付く。
この独特なしゃべり方には聞き覚えがある……。
「フ、フレメア!?」
「そんなに、大体、驚かなくてもいいと思う。にゃあ」
2人は並んで、先ほどのベンチに腰掛けていた。
「お前何でここに?」
「ここに来ると面白い事があるって聞いた!」
「誰がそんな事を?」
「ん……、大体、会った事があるおじさんだった……と思う。にゃあ」
「思うってお前なぁ……」
フレメアの曖昧な回答に不安を口にした時、ふとポケットの中身を思い出した。
「飴、食うか?」
「うん!」
浜面は袋の中から飴の包みを一つ取出すと、フレメアの差し出された掌に乗せてやる。
少女は嬉しそうに掌の上に乗ったそれを一度握りこんでから、両手で包み紙のねじられた部分を左右に引っ張って開こうとした。
所が、
「あ、あけられない」
何の変哲もない包み紙は紙の柔らかさそのままに、しかしどんなに少女が力を入れても決して結び目がほどけることは無かった。
「う゛」
「何で開けられねーんだよ。つか飴ぐらいで涙ぐむんじゃねぇよ」
泣きそうな顔をする少女から浜面は面倒くさそうに飴を奪い取ると、フレメアと同じように包み紙の両端を引っ張ってみる。
すると今度は何の抵抗も無く包みは開いて、中から宝石にも似た輝きを放つ、緑色をした半透明の球体が現れた。
「ほら」
「飴だ!」
「だからさっき飴だっつっただろーが……」
浜面が指先で摘まんで見せたそれにフレメアが眼を輝かせる。その様を呆れながら見つめていると、少女は急に口を大きく開けて、
「あーん♪」
その姿に浜面は、何の疑問も無く手にした飴を少女の口の中に放り込んだ。
フレメアがもごもごと白い頬を動かす事暫し……。
「美味ひい!」
「美味いか、そりゃ良かったな」
思いのほか喜んでいる様子のフレメアの頭を帽子の上からポンポンと撫でる。
「うん!」
浜面はその様子に鼻から大きく息を吐くと、ベンチの背もたれに上体を預けて空を見上げた。
カラコロと飴玉が少女の口の中で転がる音を聞きながら、
(そう言えば何でここに居るんだっけ?)
そんな疑問が頭を過った時であった。
「……はまづら、何してんの……?」
「!!!?」
耳に届いたその声。それは良く知った少女の声だったが、何故かそれを聞いた瞬間、浜面は心臓が口から飛び出すかと思うほど驚いた。
慌てて声のした方に顔を向ける。
するとやはり、そこには見知った人物が立っていた。
上下ピンクのジャージ姿に肩で切りそろえられたショートヘアは、
「た、滝壺っ!?」
確かにそれは彼が愛してやまない滝壺理后であった。
だが、その表情は何時もの茫洋とした物ではなく、何か鬼気迫る陰影を浮かべてこちらをじっと見つめている。
「滝壺……?」
(あれ、前にもこんな事無かったっけか俺?)
浜面はフラッシュバックに似た感覚に襲われる。
あれは何時の事だったか……思わず宙に視線を彷徨わせるのと、滝壺が歩き出すのはほぼ同時だった。
ジャリっと砂を踏む音に浜面が滝壺に視線を戻すと、少女は眉間にらしくも無い深い皺を刻んで、
「……はまづら、私が目の前に居るのに上の空……そんなにその女がいいの……?」
「ちょ、ちょっと待て滝壺!? 今のは誤解。ちょっと変な所に意識が飛んだだけでお前の存在を否定した訳じゃないぞ!!」
「?」
最速修羅場に突入した2人に、フレメアは取り残されてキョトンとした顔をする。
一方、浜面の方ではまたも誤解されて詰め寄られる事態に困惑していた。
嫉妬してくれるのは嬉しいのだが、相手が幼女(フレメア)では話が飛躍しすぎて何処から言い訳すればいいのか思いつかない。
その内距離もたいして離れていなかったから、あっという間に滝壺はすぐ目の前に。そしてその足がぴたりと止まる。
「「…………」」
じっと見つめてくる滝壺に、浜面も思わず無言になった。
無言になったのだがその内心では、
(やっべ、滝壺の膨らみが目の前に……クソったれ今それどころじゃ無いでしょ俺っ!!)
気を抜くと視線は胸に、そして鼻の下がでれっと伸びそうになる。
だがそんな浜面も、滝壺の右手が手刀の形を取ってすっと高く持ち上げられると、流石に置かれた立場を思い出して――、
「……あの……滝壺さん? あなたの能力は能力追跡(AIMストーカー)でしょ……? 明らかに何かキャラを間違っていると思うのですが……?」
そんな間抜けた台詞に効果などある筈も無く、少女は無言のまま手刀を振り下ろす。
「ひいっ!?」
これだけの至近距離では浜面に避ける暇は無い。
無様に悲鳴を上げて顔の前で腕をクロスさせ、ギュッと目をつぶり歯を食いしばり、これから来るであろう衝撃に備える。
爆発か、衝撃波か、もしかしたら空間切断か隕石落とし(メテオ・ストライク)かもしれない。
だがしかし、結果は予想したどれでも無い。
「確保」
「ぎ、ぎぎ、ぎ……、へ?」
滝壺の言葉の意味が判らず浜面が間抜けた声を出し所へ、
「つー訳だから観念しな」
「超面倒だから抵抗は無しにしてくださいね」
両サイドからの別の少女達の声。それと共に何かに腕を抱え上げられた所で、自分が置かれた立場を理解する。
「む、麦野!? 絹旗お前までっ!?」
学園都市第4位の『原子崩し』と、大能力者(レベル4)の『窒素装甲』に挟まれて声を裏返させる少年に、少女達は会心の笑みを見せて、
「「はまづらぁ、楽しいオシオキの時間だよーん♪」」
「撤収」
「うわっ!? ちょ、ちょっと待て待て、待ってってば!! 俺は無実だぞ!! は、放せっ、いや話を聞けっ!! いや聞いてくださいですお願いしますお代官様ぁぁぁああああっ!!」
「?」
キョトンとしているフレメアをよそに、滝壺を先頭に麦野と絹旗に両脇を固められた浜面は、何処へともなく連れて行かれてしまう。
後に残された少女は一人、小さくなる4人の背中を見つめて小首をかしげるのであった。
そしてここはとある……では無く浜面の住むアパートである。
そこで浜面はフローリングの上に正座させられ、滝壺、麦野、絹旗に見下ろされていた。
「はまづら。またあんな小さい子に手を出すなんて」
「誤解だ!! 何度も言ってるが俺の好きなのはバインバインの出るところが出て引っ込むところがちゃんと引っ込んでるメリハリボディの持ち主だ!!」
「メリハリだってさ」
「超何でこっちを見てるんですか麦野」
「べっつにぃ……」
「…………」
滝壺の後ろで何やら麦野と絹旗が盛り上がっているが、針のむしろに座る浜面には構っている余裕など無い。
連れてこられるまでの間に考えに考えた言い訳の効果の方が重要だ。
果たして、滝壺は大きなため息を吐くと、
「……前にもそんな事言ってたけど。こう何度も続くと私、はまづらの言葉信じられなくなるよ……?」
「お、おう」
結果は僅かに効果があった様に見えた。見えはしたが尋問は続行されるようだ。
「それじゃあ答えて。はまづら、あそこで何をしていたの?」
「ああ、それはだな――」
簡単だこれでやっと誤解が解ける、と即座に話を始めようとした浜面は、
(おいちょっと待てよ)
彼はそこで我に返る。
ここで全部本当の事を話すとなると、必然的に『魔術師』の話をせざるをえなくなのではないか。
信じる信じないは別として、何かの『きっかけ』が彼女達の中に残るだろう。
それはすなわち、彼女達を新たな騒動へ引き摺りこむ『楔(くさび)』事になるのではないか?
彼女達は感が良い。今、少年が巻き込まれている騒動との関連に気が付くかもしれない。
巻き込む訳にはいかない。相手は目の前の少女達以上に常識の通じない力を持った連中ばかり。つまり危険はあの第三次世界大戦の比ではないのだから。
「はまづら?」
「うん? お、おう……」
不安そうな滝壺の声に浜面は我に返るが、返ったところで頭の回転が速くないから急に言葉など出てこない。
「あ、え、えっとだな……何というか……そのなんて言えばいいのか……」
しどろもどろに言葉を濁せば濁すほど、滝壺の表情が暗くなってゆくのが判る。
それだけでも心が引き裂かれる様な気持になる所へ更なる追い打ちが、
「はまづら。何か、隠してる……」
「!?」
明らかに確信を持った少女の言葉が、切れ味の良いナイフの様にすっと心に突き刺さる。
さしずめ浜面はまな板の上の鯉。このまま全てを曝して彼女達を巻き込むか、はたまた何も話さず八つ裂きにされるのか……。
この世に神も仏もねぇのかよ――そう嘆きたくなったその時、
「ねえ浜面」
「「「?」」」
唐突に話に割り込んできた麦野に、全員の目がそちらに向いた。
そんな中、彼女はすっと浜面を指さして、
「ずっと気になってたんだけどさぁ、その膨らんだポケットの中身。何が入ってんのよそれ?」
その言葉に麦野に向けられていた視線が、今度は浜面の膨らんだジャージのポケットに注がれる。
(ここしか無ぇ!!)
浜面はこのチャンスに賭けた。
「なぁーんだ!! 見つかっちまったかぁー!!」
「え?」
「あ?」
「はい?」
頭の上に疑問符を浮かべた3人を前に、浜面はやおら立ち上がると、これでもかと満面の笑みを浮かべて見せる。
少女達の顔には一斉に「?」の文字。
一世一代の大芝居。浜面はポケットに手を入れて飴の袋を握り締めると、
「いいかお前ら……」
そして未だ話について行けていない少女達の目の前に、例の飴の入った袋を突き出して、
「ホワイトデーだぜっ!!」
空いた方の手を口元の辺りに引き寄せ親指を立て、白い歯を見せてにっこりと笑うのも忘れない。
これで流れが変わる筈――、
「「「……………………、…………………………………………」」」
4人の間に明らかに白けた空気が流れた。
そしてそんな中、まず最初に復活した麦野が大きなため息と共に髪をかき上げながらとある事を指摘する。
「テメェは一体何人の女にそれ配るつもりだったんだ、あ?」
「え?」
そう言われて見れば確かに、飴の数はここに居るメンバーに1つ2つ配ってもまだまだたくさんある。
「いや、そ、それはだ……」
その事に浜面の頬が引きつった所へ、今度は絹旗が参戦して来て、
「ふーむ、これは浜面の交友関係を一度超洗った方がいいですね」
「……おい何でそうなる……?」
「前も第一位なんぞとつるんで変な連中としけこんで居やがったからな……」
「確かに、あそこにも何人か超見知らぬ女がいましたね」
「……修道女(シスター)のコスプレがいた……」
「そう言えばいたわね綺麗なのが」
「いましたいました、超浜面好みの外人少女が」
「おいちょっと待て! あれは師匠の女――」
「「「師匠!?」」」
そこからちょっと話がややこしい方向に向かったが、浜面は「とにかくここはたたみ掛けるのみ!」と言わんばかりの勢いで、何とか少女達に飴を握らせる所までこぎつける。
「変なもの入って無いんでしょうね」
「……止めてくださいよ。うぷ、今超想像したじゃないですか……」
「汚いモノを見る様な眼で俺と飴を見比べてんじゃねーよ!! 入れる訳ねーだろ!!」
「そう。残念」
「「「!?」」」
滝壺が小さく漏らした言葉に一同ギョッとするが、とにかく少女達は食べてみようと言う事になった。
(何とか誤魔化せそうだぜ……)
浜面はその事にホッと胸を撫で下ろす。
ところが勝利の女神はそう簡単には浜面に微笑まない様で、少女達は暫く飴と格闘した後――、
「浜面ぁ」
「ん、何だ麦野?」
「開けられないんだけど」
「は?」
「はまづら、私も駄目」
「へ?」
不機嫌そうな麦野と、困った様な顔をする滝壺。
更に、
「……何ですかこれ、私にも超開けられません……!?」
「なにぃ!?」
浜面は慌てて正面に居た麦野から飴を奪い取った。
「…………」
「そ、そんな馬鹿な!?」
そして殺気立つ麦野をそのままに、震える指先で飴の包み摘まんでみる。
果たして……両サイドに引く様にすると結び目がほどけて、中から半透明の宝石の様な黄色い飴玉が転がり出て来た。
「……んだよ脅かすなよお前ら……」
浜面はホッと胸を撫で下ろそうとした。
だがここでもそれは許されない様で、浜面はいきなり麦野に胸倉を掴まれた。
「む、麦野!?」
「ふざけんじゃねぇぞこの……テメェはさっきから色々と怪しすぎんだよ!! 何隠してやがる、吐け、それとも内臓ごとぶちまけたいか!!」
「ちょ、待て麦野!? く、くるじ……」
「隠してんじゃねえ!! またテメェは一人で厄介事抱えてんだろ!! テメェみたいなカスが一人で何が出来る!!」
「むぎの!?」
「いけません、滝壺さんはこっちに」
そんなやり取りが微かに耳に聞こえたが、目の前の事態にそんな事はどうでもよかった。
「話せよはーまづらぁ、それとも部屋ごと消し飛ばされたいのかにゃーん?」
これは何時もの綺麗な麦野では無くあの頃の麦野だ。敵も味方も見境無く殺戮するあの時の――。
(洒落にならねえっっ!? これじゃあこいつ等を守る所か俺の身が危ねぇ!!)
浜面は久々に目の前に迫る死の予感を肌で感して鳥肌を立てた。
「ま、待て麦野……落ち着こう……な?」
「落ち着けって? は、私は何時だって冷静よ」
だがその言葉とは裏腹に、瞳は燃える様だし、気が付けば辺りに淡い光が揺らめいていて、
(ぜ、全然冷静じゃあ無ぇぇぇええええええええええええええ!!)
「さぁーて。浜面ちゃーん?」
「は、はい!」
「3秒で答えな」
どうやら3秒で考えろと言う事らしい。
「さーん」
浜面は必死に考える。
「にー」
どうやれば麦野の裏をかいて、かつ後を引かない結果を残せるか。
「いーち」
ロシアのあの極寒の大地で、自分はどうやって麦野沈利の心を溶かしたのか。
「麦野」
「はーん、答える気になっ――」
少女の手は思ったより簡単にほどけて、少女の体はあの時よりほんの少し軽い様な気がする。
軽く片腕に抱きとめて、そのまま優しく抱き寄せた。
長いまつ毛。片方は特殊メイクだと言うが、言っては何だがこの距離で見ても見分けはつかない。
そんな息も掛かりそうな距離から、浜面は麦野の名前を呼んでみる。
「麦野」
「なによ」
何故か彼女は顔を逸らした。
そんな彼女の視線の前に、先ほどから手にしていたものを差し出す。
「飴」
麦野はとてつもなく深く長い溜息を吐くと、黙って自ら唇を開く。
浜面は黙ってその開いた唇の奥に、輝く飴玉をそっと押しこんだ。
「むぎの……」
「麦野?」
「どうだ?」
浜面の声に唇を閉じたまま顎を動かしてた麦野は、一瞬浜面の顔を見て、再びぷいっとそっぽを向くと、
「……美味しい、わよ……」
「いぃいよっしゃぁぁぁあああああああああああああああっ!!!!!!」
浜面は麦野を片腕に抱いているのも忘れて、空いた方の手でガッツポーズを決める。
更には調子に乗って滝壺と絹旗を指さして、
「ほら見やがれ!! ただの飴だったろうが!! 何か文句あんのかテメエら!!」
「はまづら……」
「チッ、超浜面なんて死ねばいいのに」
何故か不服そうな2人の顔にも、今の浜面はビクともしない。
彼は勝利した。
今日は負けっぱなしで終わると思われたが値千金の大金星だ。
もちろん勝者には美女が似合う訳で、
「私にも」
そう差し出された滝壺の手から、自分が渡した飴を受け取る。
抱いていた麦野を解放して、取出したピンク色の飴玉を誇らしげに指先に摘まんだ所で――その腕を誰かにぐいっと引っ張られた。
目標をそれた浜面の腕は滝壺から絹旗の方を向いて、その指先に少女が食いつくに至って、
「お、おま絹は……」
「ふ。超浜ひゅらのくへに生意気なんです。ん、でもこれは超美味ひー♪」
「う゛ぅ……」
何か勝ち誇った様な台詞と共に舌鼓を打つ絹旗に、涙目になる滝壺と言う構図。
浜面は何が起こったのか判らないと暫し茫然そしていたが、滝壺が涙目の上目づかいで「ずるい」と無言の非難をしてきた。
「じゃ、じゃあすぐ……」
言葉通りに飴の包みを開けてやり、それを少女の口に運ぼうとした。
が、
「それじゃあ変わらない」
その意味を理解する前に滝壺に手首を掴まれて、
「滝壺?」
更にはその手を誘導され、浜面は自らの口に碧い飴を入れられ、
「おひ、たひ壺?」
そしてとどめに唇を塞がれた。
「!?」
生暖かいものが口の中に侵入して来て、飴ごと自分の舌をからめ捕る。
何が甘いのか判らないまま目を白黒させていると、熱い吐息と交換に、飴玉と舌をまとめて絡めて吸われた。
ぶちゅぐちゅと成すがままにひな鳥の貪欲さで、口内を隈なく蹂躙されて、
「美味しい」
やっと滝壺が満足して離れた時には、思わずそのまま膝から崩れ落ちてしまった。
何だかよく判らない。
判らないが、判らないながらとんでもない事になった気がした。
とにかく心を落ち着けないといけない――浜面は膝立ちの姿勢から、床に胡坐をかく姿勢になろうと床に手を付く。
だが、
「ほぉ……」
「なるほど……」
その声に顔を上げると、何故だか珍しくギラついた目をした麦野と絹旗の姿が。
更にその向こうでは何故か、いそいそとジャージを脱ぎ始めた滝壺が見えた。
「あの……ちょっとだけ待て」
かくして――――、
「よーし浜面ぁ!! 誰が一番良かったか言ってみな!!」
「むぎの」
「よっしゃおらあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
「ふざけないで下さい!? 浜面、超一番良かったのは私ですよね?」
「うん」
「よしっ!」
「何を言っているの? はまづらは2人に貸してあげただけ。本命は私よね?」
「はい」
「大丈夫だよ、はまづら。私がちゃんと守ってあげる」
「何言ってるのかねこのアマチャン共は。ワ、タ、シ、だ、け、名前で呼ばれたんだよ? 他はただの反射だこのクソったれ!!」
「麦野の場合は超脅しが入ってるじゃないですか」
「恐怖によるすりこみ」
「はん! それじゃあテメェらのくされ×××と私の美××のどっちがすげーかもう一回勝負だ!!」
「超望むところ」
「はまづらの為にも負けない……あれ、はまづらがいない?」
「ちっ」
「あの野郎まだ超正気を残していやがったンですねェ」
「……あっち。北西の方向にはまづらを感じる……」
ゆらりと立ち上がる3人の全裸の少女達……浜面の明日は、どっちだ……?
END