彼の第一印象は? と問われれば、  
「お姉さまにまとわりつく有象無象」  
 と、答えただろう。  
 二度目に会った時の感想はといえば、  
「モーションかけてきやがった羽虫」  
 三度目は、  
「逃げ遅れた一般人」  
 四度目は、  
「風紀委員の事件現場に首を突っ込む一般人」  
 六度目は、  
「懲りない類人猿」  
 七度目は、  
「女の敵」  
 八度目は  
「ノーコメント」  
 九度目は、  
「乙女の柔肌を覗いた痴漢」  
 十二度目に出くわせば、  
「とにもかくにも学ばぬ殿方」  
 十五度目の邂逅にして、  
「またかこの野郎」  
 十七回目の鉢合わせでは、  
「いい加減にしろこのクソど素人」  
 そして。  
 十九回目の、すなわち十五回目の事件現場にての感想はといえば。  
「やれやれですの」  
 溜息しかでなかった。  
 
***  
 
 最後の一人を投げ飛ばしたあげく鳩尾を踏みぬいて気絶させ、白井黒子はぱんぱんと手を払う。  
 八名ものスキルアウトが、あるものは金属矢で拘束され、あるものは気を失って地に伏せっていた。  
 そんな彼女にぱちぱちと拍手を送るのは、ある種風紀委員の間で名物と化している少年、上条当麻だ。  
「お見事お見事」  
 やれやれと首を振り振り、黒子は溜息をついた。  
「事の元凶が何を呑気な……そもそも逃げ惑うくらいでしたら、厄介事に首を突っ込まないでくださいまし」  
「事の元凶ってのはこいつらのことだろ。それに俺だって好きで逃げてたんじゃねーよ。はじめ二人だったのが、まさか通常の三倍以上になるとは思ってなかったんですよ」  
 別段憤慨した風もなく、彼は言葉を返す。  
 不良たちに絡まれている男の人を助けて、という女性からの通報があって駆けつけてみれば、スキルアウトの集団と追いかけっこをしている当麻に出くわしたというわけだった。  
「例によってあれですの? こいつらが女性に狼藉を働こうとしていたところに割って入ったんですの」  
「まあ……」  
 決まり悪げに頬を掻く彼に、黒子は本日二度目のため息をつく。  
「何度も言いますけど、何度でも言いますけれど、一般の方がこういった揉め事に首を突っ込まないでくださいまし!」  
「何事もなかったんだからいいじゃねーか」  
「何事か起こってからじゃ遅いから言っているんですの!」  
「そんなに怒るなよ」  
「ここで怒るのが普通の風紀委員感覚ですの!」  
「普通の風紀委員感覚と言われても、上条さんは風紀委員じゃないからわかりませんよ」  
「ですから! 一般人は! 揉め事に首を突っ込むなと! 口を酸っぱくして申し上げておりますのこの類人猿!」  
 ぜはー、ぜはーと肩で息をする彼女に、  
「白井」  
「何ですの!」  
「血圧あがるぞ?」  
「誰のせいですの!」  
 すぱーんと。  
 小気味いい音をたて、彼女の平手が当麻の後頭部に炸裂した。  
 
***  
 
「やれやれ、ですの」  
 こきこきとこわばってしまった肩を鳴らし、黒子は本日何度目かになるため息をつく。  
 あの後、現場に到着した警備員にその場を任せ、二人は風紀委員第177支部へとやってきていた。  
 半ば形骸化している彼の調書とりをするためだ。  
 ほどなくしてまとめ終わった書類を束ね、彼女は大きく伸びをした。  
 対面に座る当麻も、彼女と同じく伸びをしている。  
「お疲れ」  
「……事の元凶がのうのうと」  
 気安くいってくる彼に、もう怒るのも馬鹿らしくなったのか、苦笑すら浮かべて彼女は席を立った。  
「どうした?」  
「お茶でも淹れてきますわ。ご希望があれば承りますわよ」  
「……明日は雨か」  
「抹茶カルボナーラティーをお持ちしますわね」  
「すいませんでした! 白井様と同じものをお願いします!」  
 一転して、卓に額をこすりつけんばかりに頭を下げる当麻。  
 その様を見て溜飲が下がったのか、黒子は小さく微笑んだ。あいにく、その表情を見る者は居なかったのだが。  
 
「それにしても」  
 奇を衒わずに淹れてきたダージリンを一啜りして、彼女は呟く。  
「本当に改まりませんわね、あなたのその性癖。もしかして、厄介事に首を突っ込まないと息ができない体質ですの? 回遊魚?」  
「……ついに上条さんは哺乳類から魚類にまで格下がりましたか」  
 カロリー摂取のためにか、スティックシュガーを三本も入れた甘ったるい紅茶を大事そうにしつつ、彼は苦笑した。  
「原生生物にまで駄々下がらなかったことを感謝するべきですわ。本当、困った発作をお持ちです事」  
 一仕事終わって気も緩んだのだろうか、平素より穏やかな気分で一言し、いたずらっぽく彼を見やる。  
 そこに映った当麻の表情に、ティーカップに伸ばしかけていた黒子の手が止まった。  
 神妙な面持ちで、こちらを見る彼の姿。  
 黒子の視線に気づいたのか、当麻はすぐに相好を崩す。  
「……何かおかしなこと、言いました?」  
「いや」  
 不審げに問うてくる彼女に、笑顔を微苦笑に変え、彼はゆっくりと首を振った。  
「ただ発作っていうのは、あながち間違ってねーな、と思ってさ」  
 病気みたいなもんだよな、と聞かせる風もなく呟いて、当麻はティーカップを持ち上げた。  
「どういうことですの? もしかして強迫神経症でも患っていらっしゃいますの」  
 首をかしげて、彼を見る。  
「そんなカルテが必要なほど大そうなもんじゃねーけどさ」  
 今度はそれとわかるほどに苦く笑い、当麻は中身を一口含んでティーカップを置いた。  
 少し悩むような素振りをし、ちらりと黒子を窺う。  
「なんですの」  
「……いや。つまんねー話なんだけどさ、聞いてくれるか?」  
「……それは、私が伺ってよろしい類のことですの?」  
 常とは違う面持ちで言ってくる彼に少々心拍数を上げつつ、彼女はそう切り返した。  
 
 ああ、と当麻は頷く。  
「白井にはさんざん迷惑かけてるしな」  
「……全くですの」  
 かすかに目を伏せて言う黒子に、彼は容赦ねーな、と呟き、  
「それに、何度も聞かれてたことへの答えでもあるし」  
「え?」  
「『どうしてそう他人の厄介事に首を突っ込みますの!』」  
「似てませんの!」  
 妙になよなよしい当麻の台詞に、彼女は卓を引っ叩いて抗議した。  
 いつもの調子を取り戻した黒子に、彼はははと笑う。  
「俺さ」  
 ふ、と表情を改め、彼は彼女を見やった。  
 様子の変わった当麻に、黒子は思わず居住まいを正す。  
「厄病神なんだよ。少なくともそう、呼ばれてた」  
 それはまたぴったりのニックネームですわね、などと軽口を叩ける雰囲気ではなかった。  
「俺に近寄ると不幸がうつる。……本気で言われてたんだぜ? 借金苦のおっさんに付けねらわれたり、挙句の果てにはテレビで特番まで組まれてさ。……覚えてないんだけどな」  
 いろんな意味で。  
「で、幼稚園卒園後、オカルトなんて代物とは無縁のこの街に編入してきたわけだ。ま、色眼鏡がなくなっただけで、改善されたわけじゃないんだけどさ」  
 そのようですわね、と黒子は彼の今までの経歴を思い返した。  
「別に俺は、自分の身の上を呪ってる訳じゃないんだ。親父はこれを何とかしようと、オカルトにまで手を出してたけど。人の不幸を知らずにいることが『幸せ』なら、俺はそんなものいらない」  
 らしい台詞だな、と彼女は思う。  
 でも、と彼は続けた。  
「たまに、思う。俺がこうでなかったら、どうだっただろうって」  
「どう、とは?」  
「だからさ」  
 と当麻は言う。  
 
 例えば今回の一件、もしも彼が不幸でなかったらどうなっていただろう。  
 
 単に当麻が関わらず、風紀委員が解決したかもしれない。  
 
 何の助けも入らず、彼女は攫われていたかもしれない。  
 
 そして。  
 
 もしかしたら。  
 
「そもそも彼女は、スキルアウトどもと出くわさなかったかもしれない」  
 
 自意識過剰ですの、と笑い飛ばしたかった。  
 でも、彼の声音が、それをさせない。  
 何かあったのだろう。何が、あったのだろう。  
「だとしたら、俺のやっていることは、ただの自分の尻拭いだ。帳尻あわせだ。他人の不幸が見過ごせないんじゃない。俺の不幸で、誰かが不幸になるのが嫌なんだ」  
 ははと乾いた笑声をあげ、肩をすくめる。  
 被害あるいは加害な妄想。  
 確かに病気というしかない。  
 もはや病気というほかない。  
「……」  
 思いもよらない、想像したこともない話に、さしもの黒子も言葉を失う。気押されたとすら、いえた。  
 当の本人は、何事もなかったかのように冷めきった甘い紅茶に口をつけている。  
 ただそれだけのことなのに。  
 彼の仕草が、弱々しく見える。  
 その振る舞いが、痛々しく映る。  
 
 これはだめだ。  
 
 黒子は思う。  
 これはだめだ。これではだめだ。  
 これはいけない。これではいけない。  
 この類人猿が。  
 この回遊魚が。  
 この人が。  
 
 この人が、こんな顔をしてはいけない。  
 
 この人は、迷惑をかけて心配をかけて、不安をかけて。  
 そして、泥にまみれて怪我にまみれて、血にまみれて。  
 それでも笑顔で事を終わらせる、そんな人なのだ。  
 
 この人が、こんな顔をしていいはずがない。  
 
 だから。  
 考えもせずに、言葉がこぼれる。  
「あなたの不幸は」  
「え?」  
 唐突な彼女の呟きに、当麻は怪訝そうに顔をあげた。  
「私の不幸ですの」  
「……え?」  
 予想だにしない言葉に、彼はかすかに顔を赤らめる。  
「あなたの厄介事(ふこう)は、私の事件(ふこう)ですの」  
 言って彼女は、卓に置かれていた当麻の携帯電話を取り上げた。  
「白井?」  
 何やら声を上げる彼を無視して、使い勝手の悪い自分の携帯電話と少しばかり悪戦苦闘する。  
 ほどなくして、黒子は当麻に携帯電話を押し付けた。  
「不幸になったら」  
 真剣な表情で、彼女は言う。  
「ご連絡くださいませ。……厄介事に首を突っ込むなとは、もう言いませんの。でも、できるだけ小さな不幸になるよう、ご協力いただけません?」  
 いえ、と黒子は首を振った。  
「できるだけ小さな不幸にできるよう、協力させてはいただけませんか?」  
「……白井」  
 茫然と、当麻は言う。  
 急に照れくさくなったのか、彼女は朱に染まった顔をそむけ、結わえた左側の髪を意味もなく弄りだした。  
 ようやく、会話が咀嚼できたのだろう。彼は天井を仰ぎ、口元を手で覆う。  
 いくばくかの時が過ぎ、当麻は正面に視線を戻した。  
 黒子もそれに応じるように、前を向く。  
 ……彼の目元が光っているように見えたのは、錯覚だろうか。  
「……風紀委員が、一般人にそんなこと言っていいのかよ?」  
 彼女の視線から逃れるように、照れ隠しのように目をそらして、少しかすれた声で言う。  
 
「いいはずがありませんの」  
 やれやれとばかりに、黒子は大仰に肩をすくめた。  
「ですから、オフレコでお願いしますわ」  
「不良風紀委員」  
「お黙りなさい、ツリガネムシ」  
「ついに単細胞生物に?!」  
「あら、案外学がおありで」  
「上条さんのことなんだと思ってるんですか?!」  
「お人好し」  
 ヒートアップする当麻とは反対に、いつもの調子を取り戻した彼とは対称に、彼女は実にらしからぬ様子できっぱりと言った。  
「あなたがどう言葉を弄したところで、あなたがどうご自分を卑下したところで、傍から見れば、傍から見ずとも、あなたは単なるお人好しですの」  
 だから、と。  
 黒子は微笑む。  
「そんなあなたに巻き込まれたがっている物好きが居りますのを、お忘れなきよう心にお留め下さいまし」  
「白井……」  
 感極まったように、彼女の名前が突いて出た。  
 ぎゅうと目をつむり、そして開いて、その瞳で彼女を見る。  
 黒子はぎこちなく視線を戻して、当麻を見返した。  
「ありがとう」  
 彼は言う。  
 そして彼女は、  
「はい」  
 と答えた。  
 
「なんか、悪かったな」  
「……いえ、誰でも自分がホット汁粉の缶の底の小豆のように顧みられない存在なのではないかと弱気になったり、魔が差すことはありますの」  
 決まり悪そうに頭をかく当麻に、黒子はゆっくりと首を振る。  
 妙に具体的な例えが引っ掛かりはしたが、口に出しては突っ込まなかった。  
 その代わり、彼はポケットから携帯電話を取り出して言う。  
「連絡するよ」  
「不幸の電話ですのね」  
「うう、否定できない……」  
「……ちなみに明後日、私非番ですの」  
 ああそう、と言いかけ。  
 信じがたいものを見るような眼で、当麻は彼女を見た。  
 そこには、何を言っていますのわたくしと言わんばかりに目を見開いて驚愕している少女の姿。  
 ……魔が差すというのは、こういうことを言うのだろうか。  
「……連絡するよ」  
 急にそっぽを向いた彼女に逆に気を落ちつけた彼は、そうささやく。  
 横目で当麻をにらみつつ、黒子は一言呟いた。  
「……幸か不幸かは、保留にしますの」   
 
***  
 
 二日後、記念すべき二十回目の邂逅の感想は、  
「やっぱり不幸の電話でしたの」  
 だった。  
 待ち合わせ場所と書いて、事件現場と読む。  
 地に伏したスキルアウトたちを尻目に、黒子は腕を組んだ。  
「……申し開きのしようも御座いません」  
 気まずげに、当麻は降参とばかりに諸手を挙げる。  
 非番ですのに、と肩を落としつつ、彼女はぼそりと呟いた。  
「あなたの病気はとどまることを知りませんわね」  
「ほんと、返す言葉も」  
「他人の不幸は蜜の味?」  
「……そんなこという状況じゃありませんよね?」  
「いーえ、あなたは甘い薬を暴飲しすぎですの」  
 彼女は顔を上げ、腰に手を当て背筋を伸ばしてそう宣言する。  
「苦い紅茶(くすり)を、処方しますの」  
 そして少女はくすりと笑い、  
「……ダージリンでお願いします」  
 そして病気はころりと治った。  
 

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