「と、とうまー!? 短髪、いきなりなにするんだよ!?」
いくら今がアレとは言え、体は変わらず上条 当麻のものだ。
出会い頭にこの一撃では今の今まで追われていたインデックスでも怒るというものだ。
「へ? ぁ、ご、ごめん! なんか気持ち悪かったからつい……」
それにしても酷い理由だった。
一応無意識で手加減はしていたようだが、その分狙いも滅茶苦茶で、「上条」に撃ったと言うよりは「上条がいる方に撃った」と言えてしまう。
もうもうと土煙が上がり、街を行く人々はにわかにパニックに陥る。
その騒ぎのド真ん中から。
ざりっと言う足音と、
「ははっ」
軽く軽く軽い笑い声。
騒乱の最中にあって、もっとも場違いな選択だけをより集めたような人間がそこにいた。
「ふう……まったく、御坂の愛情表現は過激だよな」
まあ、上条 当麻なのだが。
事態を知っているインデックスと姫神には戦慄と硬直。
事態を知らない美琴にさえ、上条の変貌っぷりは恐怖と畏縮を呼んだ。
美琴の超電磁砲は、まあ当然のように上条の幻想殺しで消されたのだが、上条が消したのは自分に降りかかった分の電撃だけだ。
一瞬の錯乱と共に放った超電磁砲は、上条から狙いを外れて炸裂した。
お陰で土煙は上がり、コンクリートは剥がれ、電灯は二つほど傾いている。
近くの壁が崩れてきたらしく、上条は頭に大きなコブを作った上にどくどくと出血までしている。本気でそろそろ死ぬのではないだろうか。
容態は極めて重く、しかして足取りはあくまで軽く。
そんな上条が狙ったのは、手近で新鮮な獲物――御坂 美琴。
唖然とする美琴との距離を一瞬で詰める上条。詰めるどころの騒ぎではない、距離はゼロだ。
と言うのも、
「御坂……」
「ひん、っちょ、えぅぇえ!?」
上条が美琴を思い切り抱きしめているからなのだが。
「ぁ、ンタっ、ちょっと!なにして……っひゃう!?」
後頭部と、あとほとんどお尻じゃないかって位置の腰に手を回し、正面から抱きしめられる美琴はあたふたと声を上げる。
顔はお互いに窺えないが、美琴は首や耳まで真っ赤になっている。
上条は涼しげかつ情熱的と言う難易度の高い表情で美琴を抱き、ささやく。
「なあ御坂、ごめんな……」
「へぇ?」
囁きにぞくぞくと首筋を震わせながら、気の抜けた返事の美琴。
「いつもいつも、お前のこと無下に扱って、本当にごめん……でもな、美琴」
さり気に呼び方が苗字から名前にシフトしている当たり侮れない。
腕の中の美琴を借りてきた猫のような大人しさで小さくなっている。
近くでそれを見ているインデックス、姫神も、今二人を引き離したら次の獲物は自分になるということを知っているから動けない。
いや、動いて獲物にされて、それでもいいんだけど、やっぱりいやだ、とか物凄く悩んでいるのだが、悩みすぎて動けないのだ。
そんな傍観者を尻目に、上条はどんどん美琴に囁きかけている。
「本当は、本当はな?お前のこともっと大事にしたいんだ……けど。
俺が好意を向ければ、今の俺とお前の、軽口を叩きあえる関係が終わってしまうんじゃないかと思うと、………………」
そして、さらに強く抱きしめた。
このタイミングは卑怯だろうと取り巻くインデックスらは思うが、やはり動けず。
腕の中の美琴は小さく鳴くと、おずおずと胸の中で顔を上げ、上条を見る。
「あの……その。ほ、ほんと、に……?」
潤んだ瞳、上気した頬。
どこからどう見ても恋する少女のそれで上条を見つめる美琴。それを見つめ返す、上条。
「ああ。俺は……お前の気持ちが、知りたい。今なら、聞ける気がするんだ。だからお前にも、答えて欲しいんだ、美琴……」
完璧なタイミングで言ってのける上条に、美琴は心酔しきった甘い息を吐いた。
「私、はね。その……私は……、」
願っていた瞬間。
思い描いていた瞬間。
恋焦がれた瞬間。
それが今なのだろうか。
幾度と無く夢想した、優しい彼の表情、言葉。
それが現実として眼前に晒された今この時、御坂 美琴は揺れていた。
目の前のこの男、理想通りの振る舞いをしてくれているとは言え、おかしい。明らかにおかしい。
だが、恋に恋するなんとやら、御坂 美琴の頭の中に、冷静な思考を巡らせる余裕など、今は何処にも無かった。
「アンタの、気持ちが、それが、本当……なら。――私、も」
美琴が決心と共に唇を動かした――次の瞬間に。
「ッッッ、とうまーーーーーーーーーーーーッ!!!」
空高く舞い上がった白と金を纏う影、インデックス。
上空からの落下と同時に、あんぐりとむき出しにしたその犬歯を、思い切り、あの頭に、いつものように、あの頭に――
「おゥフっ!?」
喰らい付いた。
唯一上条 当麻の頭骨を噛み砕く為だけに進化を遂げた鋭い犬歯はとても描写できないレベルの層まで深く深く深く突き刺さる。
それは、もともと焼き切れ気味の上条の回路に、今一度の衝撃と、そして。
変貌をもたらす。
「っちょっとぉ!?」
真上から落下してきたインデックスに巻き込まれる形で、悲鳴を上げて倒れる美琴。
そして上条も、脳天から血と、なんかやや固形状のものを噴出しながら、ゆっくりと、倒れる。
天を仰いで倒れる男、上条 当麻の周囲は、先の雷撃の被害と相まって、まさしくグランドゼロの様相を呈していた。
上条が目を覚ましたのは、それから数分後のこと。
目覚めてから後、広がる風景は見慣れた、自室だ。
「………………、あれ。朝?」
もそりとバスタブから這い出る。
自分で詰め込んだはずの布団の山が消えているし、昨夜までの熱もさっぱり引いているようだった。
「おお……薬が効いたんかな。昨夜は死ぬかと思ったけど化学万歳!上条さん完全復活ですよ!」
と、そこで外が明るい――上条が寝起きでなければ、その明るさは朝ではなく夕方のそれだと気付いただろう――ことに気付く。
「うわっ、やべ!インデックスにメシつくんねーと!」
(本人の感覚としては)病み上がりの早朝、まず第一に気にするべきは同居人の食事と言うのがなんとも泣けるのだが。
ともあれ慌てて支度を済ませ、
「おうすまんインデックス!飯はすぐ作るからもうちょい待――」
――って。と。言う前に。
視界に、五つの修羅を見た。
「………………………………、は?」
何故だろう。
何故、自分の部屋に。
小萌先生と、姫神と。
肉食獣のそれを髣髴させるほどに野生的な輝きを湛えた瞳のインデックスと。
冷酷なる死刑執行人が如き威圧感で仁王立ちする吹寄 制理と。
そして、体中から危険なほどの電撃をばっちんばっちんと奮わせている、御坂 美琴がいるのだろう。
「………………………………、ヤアヤア皆サン、オ揃イデ?」
上条 当麻は、これから恐らく我が身に降りかかるであろう莫大な不幸を予感しつつ、とりあえずの挨拶。
何故か、震えと冷や汗と、涙が止まらなかった。
「……話、全部、聞いたけど」
無言が四つ。返事が一つ。一つは美琴だ。
「風邪、ひいてたんですって?」
トーンは恐ろしく低いけど世間話!と上条は一筋の光明にすがるように口を開いた。
「そッ、ソウナンデスヨ!?いやーまいったねすっげー熱で安い薬つかったらすっげーしんどくてネ!?でも結果として一晩で治ったんだからオッケーだよなオーライだよなッ!?」
「今、夕方の5時45分よ」
光明は、遠くから見た地獄の業火だったようです。
脳内上条さんAが煉獄の炎に焼かれる様を、脳内上条さんBとCが見て、ガタガタと抱き合い震えている。
脳内の惨たらしい光景が伝染したのか、リアル上条の怯えもクライマックスだ。
「その、薬。それのせいで今日アンタが何したか、覚えてる?」
ゆっくりと、確認していくような言葉。上条は小動物のように首を横にふる。
「そうよねェ。覚えてたら、そんな元気よく出て、これないわよねえ……」
ふうううう、と静かに重い息を吐き出す美琴。上条は正座を通り越して土下座。記憶喪失直後に似た不安さを押さえつけて額を床にこすりつけ。
「……なーに、なんで謝ってんのよアンタってば。私、なーんにも怒っちゃないわよ?」
不意に。
頭上の美琴の声が明るく、軽く、優しくなった。
「さすがに病み上がりの人間相手に暴力なんてふるえないわよ。さ、顔上げなさい?」
慈愛溢れるその言葉に、神様仏様美琴様ーッ!と上条が感涙で顔を濡らしながら顔をあげる、と。
「――ってそんな簡単に許せる問題なわけないでしょうがあァァアアアああアアあああッ!!!!!」
御坂 美琴、雷撃を伴う最大の蹴りが、上条に突き刺さった。
それから一晩たっぷり、主立った被害者五名による、上条 当麻連続監禁暴行事件が敢行された。
熱気と狂気の一日が過ぎ去って久しくなる頃合、思い返せば、最大の被害者は上条 当麻その人であるに違いない。
先日退院していったツンツン頭のことを考え、カエル顔の医者は書類をしまった。