白井黒子は困惑していた。  
「何を言っておりますの?」  
 それは、目の前の少年が何を言ったのか理解できなかったから……。  
 
 
 話は少し遡る。  
 とある事件で白井は痛感した。そして決意する。  
 愛しきお姉様の立つその場所に必ず追い付いてやる――『お姉様の露払い』を自負する白井だからこその思いであった。  
 あの時から積み重ねて来た研さんの日々。  
 そして今日、その磨き上げた力を確かめようと、ライバルにして恋敵であり、そして何より目標でもあった人物をこの場所――室内運動場として建設途中に廃棄された――に呼び出したのであった。  
 その人物の名は上条当麻。  
 肩書きは、とある高校に通うごくごく一般の高校生。  
 風貌は茫として目立った特徴は無く、その言動は支離滅裂にして理解不能。  
 本人の申告を信じるなら能力は無能力者(レベル0)と言う、本来なら大能力者(レベル4)の白井と張り合えるような相手ではない。  
 それなのに、学園都市に7人しかいない超能力者(レベル5)のしかもその第一位を退けたとか、学園外からの度重なる能力者による襲撃事件を解決したという噂。  
 そして現実に見たあの光景――白井以上の空間移動(テレポート)能力者が最大出力で放った巨大な重量物を、空間ごとぶん殴ると言う常識外れの方法で消し去ってみせた。  
 大きな壁だ。  
 しかし越えられないなどとは微塵も思わない。  
 相手にとって不足無し――。  
 白井は予定通り、呼び出した少年に無理やり承諾させて彼との勝負に臨む。  
 気持ちは最初っからクライマックス。一気に間合いを詰めて空間移動でもって組み伏せる……つもりがこれは失敗だった。  
 上条当麻に能力は効かない――少なくとも白井の能力では彼をどうにか出来ない事を改めて実感する。  
 だが、すぐさま取った手を捻って投げ飛ばした。  
 何も空間移動だけが全てではない。風紀委員(ジャッジメント)で培った技術と判断力と精神力は、彼女の立派な武器だ。  
 しかし、それも通用したのは1度だけであった。後は指先が掠めればまだいい方で、殆どは空を切るばかりで捕まえるなどほど遠く、当然投げ飛ばすなど以ての外。  
 空間移動を交えているのにこの体たらくは何か。まるで自分が次に何処に飛ぶのか読まれているかの様な、そんな錯覚にさえ陥りそうになる。  
 そう考えると暑い筈なのに全身に鳥肌が立った。  
 でも白井の頭の中に諦めるという文字は浮かばない。  
 気合いは今でも十二分。何せここに来る前たっぷりとお姉様成分を補充して来たのだ。  
 補充しすぎてお姉様のベッドシーツを汚してしまったがそれはご愛嬌。シーツの犠牲を無駄にしないためにもここは退けない、いや退く訳がない。  
 白井は再び空間移動を繰り返しながら、今度は自らは接近せず手当たり次第に上条に向かってガラクタを飛ばす行動に出る。  
 そうしながらある機会を伺った。  
 はたして――、上条が床に落ちた鉄パイプに躓いた一瞬を見逃さず、白井が次に飛んだのは少年の頭上。そこから脳天めがけての垂直ドロップキックを放つ。  
 ドンっと足裏から足首、そして膝へと走る衝撃が確かな手応えを実感させた。  
 更に踏み込んで駄目押ししてから再び飛ぶ。  
 地面に見事着地したと同時に、背後でドッと人が倒れる音がした時、  
(やった、今の手応え完っ璧にやりましたわ!)  
 白井はこの瞬間勝利を確信する。  
 だが、  
「……しら、い……」  
 背中にぶつかったしゃがれ声にギョッとする。  
 あの感触は確実に相手を昏倒させるに至る――そう確信していた筈だったのに、  
「……あ、貴方は倒れた筈……いやっ、何で立っておりますの!?」  
 その言葉通り、振り返った先には上条が立っている。  
 先ほどの倒れたと聞こえた音はまやかしか、勝利を欲したが故の幻聴だったのか。  
 
 こちらに手を差し伸べた少年の様子が多少変ではあるが、そんな事はどうでもいい。上条を倒しきれな事実に白井は焦る。  
「くっ!」  
 能力ではなく己の脚力で床を蹴って少年との距離を取り理ながら、今一度相手のダメージを確認する。  
 ふらつく様子も無く、ただ立っている様は最初の頃からとさほど変わらない。  
(……やはりダメージは無い……という事ですの……?)  
 その事に、信じられないと言う気持より、勝利を確信して盛り上がった自分への怒りが先に立つ。   
 奥歯をギリッと噛みしめて、  
(さてどうしてくれましょう)  
 白井は直ぐに次の作戦に思いを巡らせる。  
 先ほどから上条は防戦一方で一度として攻撃に転じる事は無い。  
 それは今も変わらない様で、相変わらず最初と同じ様な位置に立ってこちらを……、  
「何ですのそのお顔は?」  
 白井は上条の表情にそう口にせずにはいられなかった。  
 鼻の頭を真っ赤にしているのは先ほどの一撃のせいか、それは兎も角、少年の顔にはあからさまな驚愕の表情が浮かんでいたのだ。  
 白井は一瞬いぶかしんだが、すぐさまピンと来る。  
「ははぁーん。もしやわたくしの攻撃が当たった事に驚きましたの? くっふっふっ、見くびって頂いては困りますわ。この白井黒子が策も無しに同じ事を繰り返すと思いましたの?  
 言っておきますがわたくし、そんなに単純な女では有りませんわよ」  
 そうだ。立ち上がったのならまた何度でも打ち倒せば済む事だ。  
 白井黒子は諦めが悪いのだ――。  
「行きますわよ!」  
 優位に立てば一気に畳み掛けるのは勝負の鉄則とばかりに再び仕掛けようとする。  
 ところが、  
「ちょっと待て!」  
「んな、今更命乞いでもするおつもりですの?」  
 上条の急ブレーキに白井が思わずそう吐き捨てる。  
「いや違う……、って命乞いって何だよ物騒だなおい……」  
「言葉のあやです聞き流してくださいませ……で一体何ですの?」  
 折角乗って来たのに、と内心零しながらも話を促した。  
 しかし上条がもごもごと口ごもったので、  
「何ですの男らしくない。男ならパッとお答えになって下さいまし」  
「うっ」  
 何なのだろうこの男、とイライラが募って思わず「さっさと喋らないとぶっ飛ばしますわよ!」と声を荒げると、  
「お、怒らないで聞いてくれるか?」  
「早く喋らないと怒りますの」  
「う……あ……」  
「早くしなさい! 貴方それでも男ですの!」  
「はひぃい!?」  
 そしてやっと上条が口にした言葉が、  
「白井、お前……穿いているのか?」  
「何をですの?」  
「(……………………………………………………………………ツ)」  
「あの、よく聞き取れませんの……と言うかもう少しはっきりお喋りになって下さい」  
 すると何故だか上条は顔を真っ赤にして俯いて、それでも足りないのか顔を背けて一言――、  
「(パンツ)」  
 
 今度はもう少しはっきりと聞こえたが、はっきり言って聞き違いだろう。まさかこの場で『パンツ』などと……。  
「……えと、だからもう少しはっきりと……」  
 すると上条は真っ赤な顔をこちらに向けるとこうまくし立てた。  
「パンツだよパンツ! さっきお前が頭上に飛んだ時俺は見たんだ! い、いや見たというか見えなかったというか……兎に角どうなっているんだ!?」  
「な、何を言いたいのか全っ然伝わりませんの!?」  
「兎に角っ! そんな穿いてるか穿いてないか判らん様な下着は絶対認められませんからね!」  
 そして初めの台詞に戻るのである。  
「何を言っておりますの?」  
「もういい。取りあえず俺は帰るから」  
 そう言うが否や踵を返して歩き始めた上条を、白井はその手を掴んで止めて、  
「か、帰るって……決着がまだ点いておりませんわよ!?」  
「俺は一つも手出しできなかったんだからお前の勝ちでいいだろ?」  
「それではわたくしが納得できませんの! 最後までちゃんと約束を守って下さい! 貴方男でしょう!?」  
「男男言うんならそれくらい察してくれ! そんなバ……、チラチラ見せつけられたら集中出来ん! 」  
 どうやらこの少年は白井の下着が気になるらしく、  
「……たかだかショーツが見えたぐらいで何を大袈裟な……」  
「お、大袈裟じゃねーよ!? 大体御坂程じゃ無いにしろお前は少し恥じらいを持った方がいいと思うぞ?」  
「何でそこでお姉様ですの? もしやわたくしにまであのやぼったい短パンを標準装備しろと? それをするくらいなら一生寮内に引き籠りますわ」  
「お前お姉様に対して容赦無いな」  
「一嗜好の不一致ですので殿方さんにご心配頂かなくてもわたくしとお姉様は相思相愛ですの」  
「いや別に心配は……」  
「大体、下着が見えるのが嫌ならスカートなどお穿きにならなければ良いんですのよ」  
「それにしたって限度があるだろ? 昔のお前はそんなんじゃー無かった筈だ」  
「昔のわたくしの何を知っておりますの?」  
「あ、いや……」  
 おかしな事を言ったかと思えば急に眼を逸らした事が気になったが、今はそれ所では無い。  
「兎に角、きっちり白黒つくまで勝負はして頂きますの」  
「だから嫌だって言ってるだろ!」  
 どうやらこれだけ言っても通じない様だ。  
(さて、どうしたものでしょう)  
 取りあえず逃げられない様に手を捕まえたまま暫し思案する。  
(要はわたくしの下着が気にならない様になればいいと言う事ですが……生憎体操服の持ち合わせは有りませんし……大体あれは肌に纏わりつく感じが好きになれませんの……)  
 上条から見えない様にする方法は無いかとあれこれ考えるが思いつかない。  
「なぁ、もう諦めたら……」  
「お静かに、今考え中ですの」  
 いっそ目隠しでもさせようかと、情けない顔をした少年を見ながらそんな事を考える。  
 いや、でもそれでは勝負にならないではないかと直ぐに思い至り、  
「あーっ! もう、いっそ殿方さんが同性でショーツの事など気にしないでいてくれたら良かったんですのに……」  
「無茶言うな今から性転換して来いってか?」  
「本気にしないでくださいまし……もう、大体殿方さんがいけないんですのよ。たかだか布切れ一枚に右往左往して恥ずかしいとは思いませんの?」  
「無茶言うな! 健全な男子コーコーセー舐めるんじゃありませんの事よ!」  
「(うざいですの)」  
「酷っ……不幸だ……」  
 
 無駄な掛け合いもそこそこにして、白井は改めて考え事を再開する。  
 しかし、  
(どうしたら見えない、どうしたら見せないで済みますの……)  
 頭の中で同じフレーズがグルグルと回り、もはや頭痛すら覚えて来た。  
 そんな時、逃げる事も意見する事も出来ず不貞腐れていた上条が、  
「もうさー、あれじゃね? いっそ初めっから白井が下着姿だったらそれが普通になるからキニナラナクナルカモナァーなんて……」  
「ん?」  
 今、少年は何と言ったのか。ずっと見続ければ慣れる……そう言ったのでは無いのか。  
「殿方さんにしてはナイスアドバイスでしたの!」  
「へ? 何が? どの辺が?」  
 白井の中で何かが輝いた。  
「ふふふ、良い事を思いつきましたの」  
「いや俺には悪い予感しかしないんだが……」  
「いえいえ、殿方さんでしたらきっと喜んでくれますわ」  
 不本意そうな上条に満面の笑みを向けた白井は、早速思いついた事を実行に移す。  
 とは言ってもさしたる小道具もいらないので、直ぐに準備は整って、  
「殿方さんの言うとおり、要は慣れれば良いのですわ」  
 上条を床に座らせて、白井は思いついた事を話し始めた。  
「慣れる?」  
「その通りですの」  
 そう肯定するや否や、白井はスカートの裾を左右から指で摘まむ。  
「……と言う訳で殿方さんには『トクベツ』に、お姉様にしかお見せしない……、わ、わたくしのショーツをお見せして差し上げますの……」  
 流石にちょっと、いやかなり恥ずかしいので、声は若干上ずり、自然と顔が熱くなってくる。  
 それでもこれは全て愛するお姉様の……、  
(否。全てはわたくし自身の為。この程度の事乗り越えられなくて何がお姉様の露はら……)  
「全身全霊でお断りします!」  
 まだ覚悟が出来ていなかったのかこの類人猿――たった今説明したのだから覚悟も何もないのだが――と、白井の表情に険呑とした陰影が浮かぶ。  
「……目をお背けになったり逃げたりした場合、殿方のお洋服を地中深くに空間移動して差し上げますの。今逃げ切れたとしても必ず、絶対にそうして差し上げますの……」  
 感情を押し殺したその一言で、腰を浮かせかけた上条は元の位置に正座した。  
 その顔は緊張でかかなり強張っている。  
「さて、怖がる事はありませんわよ殿方さん。たかだか、わたくしのショーツを見て頂くだけですの」  
「(た、たか……たかだかじゃねーだろぉがクソったれ……)」  
「何か申されましたの?」  
「いえ、もうさっさとお願いします。ホント、サクッといっちゃってください」  
 この温度差は如何ともしがたい……その事に白井は小さく溜息を吐くと、  
「では、参りますわよ」  
 その言葉に呼応して、上条がごくりと生唾を飲み込むのが聞こえた。  
 早まったかもしれない、という気持ちが微かに心を揺らす。  
 だが、  
(ええい、ここまで来て止められるものですか!)  
 そしてその勢いのままスカートを裾を、腰の括れよりも高い位置まで一気に持ち上げた。  
 2人の間を長い沈黙が流れる。  
 そして、  
「あ、あの、しら……、しら、しらしら、しららら……」  
 顔を真っ赤にして壊れたレコードの様になった上条に、白井も思わず赤面してしまう。  
 
「ど、どうですの? べ、別にどうと言う事も無いでしょう?」  
 確か今日のショーツはローライズ&ローレグで後ろはTバックと布面積が少ないものであったと思いだす。  
 それを選んだのは着け心地の一言に尽きた。  
 最高級のシルク地のそれは、まるで何もつけていない様な解放感を与えてくれる。  
 能力と解放感がイコールな彼女にとって、正に勝負下着とも言えるものだったのだ。  
 ただ、布地が少ない分意匠の乏しさは否めない。  
 後ろからなどは布が無いどころかお尻丸見え――これでは上条が勘違いするのも無理は無いと言える。  
(ま、まあ見せるつもりもありませんでしたから。それに、多少やぼったい方が刺激が少なくてよろしいんじゃないですの?)  
 気恥ずかしさを心の中で嘯いて誤魔化そうとした時だった。  
「シライサン」  
 まるで平坦な声に白井は現実に引き戻された。  
「な、何ですの殿方さん!? 急に変な声など出したりして?」  
「シライサン、ボク、オカシインダ」  
「確かに喋りが変なのは解ります」  
「チガウンダ、ミエナインダ」  
「は、何がですの?」  
 目の前の少年は何が言いたいのだろうと小首をかしげると、  
「ミエナインダ。ソシテミエチャイケナイモノガミエルンダ」  
 やはり上条の言葉は要領を得ないから、  
「だからはっきりと仰ってくださいですの!!」  
 白井は思わず声を荒げた。  
 すると上条は土下座でもする様に床に突っ伏すとこう叫んだ。  
「ノォォォオオオオオパンじゃねぇぇええええええええええかよちくしょおおぉぉおおおおおおおおおおおおお!! 騙された、めっちゃ騙されたああああああぁぁぁぁあああああああああああああ!!」  
「はぁ!?」  
 白井は我が耳を疑う――自分がショーツを穿いていないと。  
「ふざけないで下さい!! ちゃんとここにショーツがある――」  
 その啖呵と共にペチンと己の下腹部を叩く。  
 何処がノーパンか、ショーツならちゃんと穿いているわと―――――、  
「へ?」  
 
 
 ここは常盤台中学女子寮の一室。  
 その部屋の主の一人は今まさに憤っていた。  
「あんの黒子の馬鹿! 自分のショーツを私のベッドにほっぽり出して何処に行きやがったっての!」  
 御坂美琴がペンで作った即席の箸で挟んでいる光沢のある丸まった布……それはまさに白井が今身に着けている筈のそれであった。  
 

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